第42話
「……キトさん……きてください」
優しい声がする。横になっている身体に温かな力が流れ込む。意識が緩やかに浮上する。
村井が意識の覚醒と共に自然に目を覚ますとすぐ近くに金髪の美女が柔らかな笑みを
「もうお昼を過ぎて夕方近くになっていますが、エマ様がお目覚めになられて身支度を済まされたので食事の時間です。アキトさんも食べるようにとのことですので」
「もう動いてもいいのか?」
「大丈夫だと思います」
その言葉を受けて起き上がる村井。この空き家から秘術を使って飛び出す前と特に変わった様子は見られない。エマの魔術はやはり見事なものだと思いつつ後で治療の感謝を伝えなければと考え、村井はソフィアに続いて部屋を出る。
廊下に出るとすぐに多様な料理の匂いがしてきて村井の身体も思い出したかのように空腹を訴えて来た。視線も釣られるようにリビングの方へと向かう。
そこでは料理の乗った皿が空になった皿と交代でダイニングキッチンとの間を飛び交っていた。
「……エマ、飛ばしてるな」
何が起きているのか察した村井は呆れたように笑いながらそう呟いた。ソフィアはその呟きを楽しそうに聞いて答える。
「ふふ、おかげでカノンちゃんがかかりきりのシェフになってしまい、アキトさんを起こしに行けなかったんですよ」
「頑張ってくれとしか言いようがないな」
適当なことを言ってダイニングキッチンの隣を抜けるソフィアと村井。忙しそうにしているカノンだったが、村井が通ったことで手を止めて村井の下に駆けて来た。
「師匠! 大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫。俺のことはいいからエマが満足するまで台所を任せた」
「はい!」
カノンをキッチンの奥に戻して村井は食事に勤しんでいるエマの下に向かう。彼女は少しだけ村井の方を見たが食べる事を止めずに魔術で語りかけて来た。
『まぁ座りなよ。取り敢えず僕は食べるのに忙しいから話は後でする。君も食べるといい』
「そうさせてもらおうかな。いただきます」
食事を開始する二人。ソフィアはカノンの加勢に向かった。
(しかし、よく食べるな……その体のどこに入ってるのか……)
魔法使いの不思議な食事。大ぶりな肉はエマの前に来た時点で自動的に食べやすいサイズにカットされ、細かいものはまとめられて皿の上で待機する。他にもスープやグラタン等は適温まで調整されてエマの前に幾つかある取り皿に並べられていたり、食べることにのみ集中できるように様々な工夫が凝らされていた。
当然、村井にはそんなことは出来ないので大皿に乗っている状態の大きめの肉団子が乗っているボロネーゼとチーズをふんだんに使用したベシャメルソースのグラタンを取り分けて食べ始めた。
『美味しいよね、それ。お替り頼んでるからいっぱい食べていいよ』
(今テーブルにある皿に乗ってる分でも四人前くらいはありそうなのにまだ頼んでるのか……)
道理でカノンが忙しそうにしている訳だと思いながら村井はボロネーゼを食べる。肉の旨味と香味野菜の香りが凝縮された味だ。文句なしに美味い。
(帝都は流石だな。金さえ払えば何でもそろう)
村井が別空間に所持しており、いつも料理に使用している香辛料と遜色ないレベルの味付け。尤も、ソフィアが転移石を使用して村井の家から原料を取って来てカノンに作らせているので当然のことだったが。そんな美味しい料理たちに舌鼓を打つ村井だが、胸中にはどこか寂しいものがあった。
(……こってりした味付けばっかりだな)
エマの好みに合わせた、というよりは帝国における一般的な味の好みだろう。村井も好きか嫌いかで言えば好きな方だ。しかし、病み上がりという気分が影響したのか思うところがあった。
(おじやとかうどんとかあればなぁ……)
栓なきことを考えてしまう村井。これも怨みの宝珠を壊してしまった影響かと思いそれを振り払いながら食事に没頭することにする。
しばらくして。
エマは食事を終えた。それより先に食事を終えて食後の紅茶をカノンたちと一緒に嗜んでいた村井は同じくカノンによって準備された紅茶を口につけて一息ついたエマに視線を向けた。
「……さて、ごちそうさま。美味しかったよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ話と行こうか。まずは多分君が気になっていることとして、君が気を失ってからの出来事について話そう」
「頼んだ」
村井が気を失ってからの出来事。つまり、村井の身体が通常治療では治療前の姿に戻り切らなかったこと。それを無理矢理治すためにカノンがエマと契約を結んだことを説明するエマ。その話を聞いて村井は契約内容を確認したいと思った。
「……契約、か。無茶なものではないよな?」
「うん。僕たちと敵対しないこと。そして今回のゴゴーシュ討伐で君たちの取り分になる予定だった神聖金貨を僕に支払うことがその内容だ」
エマの花唇から契約内容が伝えられ、カノンと村井がほぼ同時に互いに謝る。
「すみません師匠」
「すまないなカノン」
「え?」
「ん?」
互いの言葉に何で向こうが謝るんだろうと首を傾げる二人。少し発言権の譲り合いをしてから村井の方から謝罪の言葉を口にする。
「お前の報酬を使ってまで……ちゃんと返すからな」
「そんな、違いますよ! 私が勝手に失敗したことを師匠が後始末してくれたんですから悪いのは全部私で、師匠が謝ることなんて一つもないんです!」
「いや……」
「まぁ、正直に言って僕もそう思う。アキト、悪いのはカノンちゃんの方だよ。君が悪い点は指導不届きな点くらいだね」
(それが全部じゃないか……)
村井はカノンが行けると判断した理由を作り出した自分が悪いと思ったが、二人はそうは思わないらしいので素直に折れておくことにした。
「……まぁ、そういうことにしておくよ」
ただ、本人的には素直に折れたつもりでも周りからすれば不承不承にしか見えない態度だったが。
とはいえ、一先ず村井は現状を理解した。そうなると、差し当たっての行動指針としてはもう一度楽隠居のための資金を貯め直すことになる。今度は効率よく行かないと年齢も年齢だしな……
村井がそんなことを考えているその時だった。エマがにやりと笑って口を開いた。
「さて、今までの話は理解したかな? それでこれからの話なんだけど……」
「ん? 何かあるのか? エマの目標だったアポイタカラは手に入ることだし、もう用件は……」
エマの用事は済んだはず。彼女はこれから魔具を作りに戻るのでは? そう思って村井が首を傾げていると彼女はその笑みを深めて極めて魅力的な表情で村井に問う。
「君さ、故郷に戻りたいと思わないかい?」
「え?」
「っ!?」
弾かれたようにエマを見たカノン。村井は一瞬、エマの問いかけの意味を理解することが出来ずに首を傾げたが、遅れて笑いながら首を横に振る。
「いや、帰りたいとは思うけど……出来ないしなぁ」
「出来るかもしれない。そう言えばどうだい?」
「エマさん、どういう……」
「今はカノンちゃんの話は聞いてないんだ。ごめんね? それで、どうかな?」
カノンの問いかけを遮って村井に再度問いかけるエマ。村井は先程から紅茶を飲んでいると言うのに喉の奥が急に干上がった気分になった。しかし、不安そうにこちらを見ているカノンが隣にいるのを見て言葉を選びながら告げる。
「そりゃ、帰りたいけど。何で今更……」
「いや、楽隠居する資金もなくなっただろう? それに、育てた弟子も一角の人物になったじゃないか。何より……君の故郷。いや、
そう言って得意気に笑うエマ。村井は唾を飲んだ。村井からは故郷が異世界であるということすら明確にはエマに言ったことはない。だが、彼女は村井の出自を知っていた。それが彼に彼女の言葉が嘘ではないと信じさせる。
「師匠……」
村井の袖がカノンから引かれている。不安気な声音だった。しかし、彼女の方を見ずに村井はエマに告げる。
「帰りたい」
「そうこなくっちゃ」
エマはそう言って嬉しそうに頷くのだった。
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