第40話

 ソフィアから村井を浄化する準備が出来たと伝えられたカノンは村井が眠っている部屋に入っていた。前開きの患者衣を着ていた村井だが、今はそれを全開にして裸で眠っている。カノンは目のやり場に困りながらもしっかりと村井を見ていた。


 そうしている内にエマの大きな魔力がこの部屋の入口までやって来たのをカノンは感知した。エマは部屋の前に立つとノックもなしにそのまま入って来る。ソフィアとカノンが調合した薬湯の独特な香りがエマから発せられ、辺りを漂う中、エマは村井の隣まで歩を進めた。


「さて……じゃあ、始めるとしようかな」


 エマの姿は薄絹のシースルーのドレスの下には何もつけていない全裸に近しいものだった。彼女はソフィアとカノンの視線を無視して患者衣を下敷きに、全裸となった村井の腰の辺りに跨る。


「ちょ……」

「治療法に口出ししない。そうだったよね?」

「……はい」


 カノンの言葉を遮ってエマは静かに村井の上に自らの身体を重ねる。カノンはそれを瞬きもせずに黙って見ていた。


(……すっごい見てる)


 隣にいたソフィアはカノンが暴発しそうで怖かった。しかし、エマの方はあまり気にした様子もなく儀式を開始する。


「……ふぅ。色々嫌だけど、カノンちゃんたってのお願いだから我慢するとして……この僕にここまでさせるんだ。治らなかったなんてことは許さないからね?」


 そう言った彼女は短く言葉を転がした。


「【分身わけみの術】」


 その言葉が室内に溶けて消えた頃。エマの意識もまた闇に沈んでいく。


 エマの意識が次に覚醒したのは彼女自身は知る由もないが二十一世紀初頭の日本と思われる場所。彼女は目的のものを探すためにまず上空に舞い上がると千里眼の術を使って驚いた。


「……何だこれは。道、道、道。整備された道が地上のあちこちを走っている。それに加えてあちらこちらに高い塔」


 これがかつての村井が住んでいた世界の景色なのだろう。数年前、彼の研究に付き合ったエマは村井の出自について少しばかり知識を得ていた。しかし、アキトの話す故郷は食事が美味しいことや魔獣や魔物が居なくて治安が良く、安心して生活できることなどミクロ的な視点での話しか聞いたことがなかった。


「文明は発達してるというのに世界全体を通しては魔素やその他の特別な力はあまり感じない……何と言うか、ちぐはぐな印象を受けるな」


 地上を見やると高速で動く様々な物質がある。一つの移動物につき必ず人間が一人いることから人間が操縦している物なのだろう。それはかつて、アキトから何となく特徴を聞いていた魔具に似ている。


(……いや、がそりん・・・・とかいう燃料で走っていると聞いて魔具の一種と思っていたが特別な力は感じない……これも謎だな。あっちにはもっと大きなじどーしゃ・・・・・(?)があるが……凄いな。あれが僕たちの世界にあれば……魔物とぶつかって大変なことになるかな?)


 色々と興味が尽きない世界だ。しかし、彼女の本題はこの記憶の世界にいる村井を救うことであってこの世界の研究をすることではない。非常に後ろ髪を引かれていることを自覚しながら誘惑を振り切ってエマは村井の魔力を探す。


「……いたな」


 彼女は村井の魔力を見つけるとその方向に飛翔して行く。その途中、自身より高い位置に明らかに自然物ではない金属の塊が高速移動しているのを発見してその調査に行くか真剣に悩んだが、所詮アキトの記憶の世界なので彼の知識にない部分は曖昧に溶けていくのだろうと己の過去の知見から判断し、自分の知的欲求を満たすことは出来まいと強がりながら泣く泣く調査を断念する一幕もあったが、エマは村井の家と思われる場所に辿り着いた。


「いたいた。何やら少年時代の彼の姿に戻ってるみたいだけど……変な板の前で何をしてるんだろうか?」


 窓から村井の姿を視認したエマはそのまま窓をノックして室内にいる村井に自身の存在を知らせる。彼はすぐに気が付いたようで、窓を開けた。


「エマ、だよな……」

「そうだよ。色々と、本当に色々と訊きたいことはあるけど取り敢えず魔力をあげるから君の記憶の世界から僕たちの世界に戻って来てくれないかな?」

「……やっぱり元の世界に戻った訳じゃないのか」


 エマの言葉を聞いて寂しそうに笑う村井。しかし、彼女の言葉で色々と腑に落ちたのだろう。切り替えるのも早かった。


「どうやって戻るんだ?」

「僕の魔力をあげるからそしたら勝手に目覚めるさ」


 取り敢えず室内に入れてくれというエマに村井はエマが来るまで見ていた板のようなもの……パソコンのモニターを見て少し考える素振りを見せた。そんな村井の様子を見てエマは尋ねる。


「その板がどうかしたのかい?」

「……ここで見た記憶って、エマ達の世界に行った時にも残ってるのか?」


 エマの質問に答えずに別の問いで探りを入れる村井。それに対してエマは特に隠すこともなく教える。


「うーん……多分、僕は残ってるだろうね。君は起きる時に全能力を解呪に回すので精一杯だと思うから忘れてる可能性が高い。それがどうかしたのかい?」

「そっか……なら、どうしようかな」


 何やら考え込んでいる様子の村井にエマはどうでもいいから室内に入れてくれないというのであれば窓を壊すと言って無理矢理彼の部屋に入った。村井は強引なエマを見て何とも言えない笑みを浮かべたがエマの方は彼が気にしていたモニターを見て訝し気な顔になって画面を覗き込む。


「……これは、カノンちゃんの似顔絵?」

「そうだな……そう見えるか」

「君が描いたのかい?」

「いや……」


 村井は言葉を続けるかどうか悩んでいるようだ。エマは少しだけ村井から自発的に口を開くのを待っていたが、この世界に長く居続けると色々とマズいことになるので強硬手段に出ることにした。


 そして彼女は呟く。


「……僕たちの世界が君の世界の人間に作られた世界かもしれないのか」

「!? 何でそれを……」

「どうせ戻ったら覚えてないことだ。君を保護する魔力も今は薄いし時間もないから君の今考えていることと記憶、そして感情を読ませてもらったよ」

「な……」


 驚く村井。伝えるべきか伝えないべきか、また仮に伝えるとすればどうオブラートに包んで伝えるべきか悩んでいたことを相手の方が村井に何の配慮もなく情報を奪い取って無神経に告げてきたのだ。村井はエマに色々と言いたかったが、まとまらずに結局何も言えない。その間にエマの方はショックを受けた様子もなく村井に講義でもするかのような態度で口を開く。


「ここで説明してもどうせ覚えてないだろうから簡単に言うけど、君の世界の人間が僕たちのいた世界を作り出したというのは大きな誤りだ。恐らく、僕たちの世界を本にして綴っている人間は僕たちの世界のある世界線に実際に来ていたか、リンクしていた予言者なんだろう。君みたいに巷で噂されるような予測に基づく予言者ではない本物の予言者……うーん、未来の観測者とでも言うべき存在である可能性の方が高いね」

「……よく分からないんだが」

「今のでも随分と簡単に説明したつもりなんだけどね。まぁいいさ。説明したところで理解出来るか怪しいし、時間もない。ついでに君はこの記憶の世界にある予言を僕に出来る限り覚えて元の世界で役立ててほしいみたいだけど、既に君が知ってる世界線とは大きくずれてるから無駄だよ。さっさと魔力の譲渡を済ませてしまおう」


 早口でまくし立てるエマに村井は言いたいことが体の中で渋滞を起こしていたが、自分よりも賢く知識もある彼女が今、自分の考えている内容や記憶を全て読んだ上で出した結論に異論を挟む気にもなれなかった。

 ただ、どうしても言っておきたいことはあったのでそれだけは言っておく。


「分かった……ただ、エマ達の世界に戻った後、カノンのいないところで俺の世界とエマ達の世界の関係性について俺にも分かるように説明してくれないか? 割と気にしてたことなんだ」

「はいはい。いいからさっさとそこにあるベッドに横になってくれ。時間がない。僕が色々と調べたいことを我慢して作った時間なんだから無駄にしないでほしいな」


 何やら急いでいるらしいエマに追い立てられると、村井は部屋の隅にあるベッドに仰向けに寝かされた。


「じゃ、僕の手を取って。はい、3,2,1」


 急速な意識の断絶。村井の意識が消えたことでその存在も希薄になっていく。薄れゆく村井の姿を見てエマはようやく一息ついて呟いた。


「さて、色々知りたいことが出来た。僕の予定的に……さっきアキトから頼まれたことは無視して彼にはそのまま忘れてもらった方がいいかな?」


 誰も居なくなった部屋の中でそう独白したエマは楽しそうな笑みを浮かべていた。記憶の持ち主が居なくなったことで崩壊を始めた世界。彼女は崩壊する世界から安全に離脱するための術式を行使しつつ、部屋にある例の本とやらにざっと目を通しつつこの後の展開を自分好みのものに持って行くために頭を巡らせるのだった。



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