第39話

 村井たちの治療を終えた翌朝。仮眠程度の睡眠時間で目を覚ましたエマはまず自身の状態を軽く確認した。


(ふむ、お腹空いた。魔力回復量は全体の四分の一といったところかな?)


 膨大な魔力量を持つ自分がここまで魔力量を枯渇させた状態で翌日を迎えることは珍しい。エマはそう思いながらベッドから身を起こすと伸びをして考える。


(さて、最低限の処置は済ませたしもうここに用はない。残ってるとカノンちゃんがうるさそうだし、ソフィを通してアポイタカラを送ってもらうことにして僕はさっさとお暇させて貰おうかな?)


 エマはそう決めると魔術で服装を寝間着から普段着に変え、転移石を起動させようとする。


「ん?」


 だがしかし、転移石の能力は発動しなかった。不思議に思って転移石を軽く拭いてみるが、変化はない。再び魔力を入れてみるも、いつもであれば転移術式をサポートするための術式が組み上がるというのに一向にその気配がない。エマはすぐに異常を察知して外の様子を探る。


(……この家の周辺に転移封じの結界? しかも強力だな……いったい誰が?)


 自宅周辺を強い魔力が覆っていることに気付いたエマは即座に臨戦態勢に入った。同時に索敵を行う。だが、周辺に自身に大して悪意や害意を持っている者はいない。その代わりにとでもいうのだろうか、別の気配が室内に侵入してきた。


「……やあカノンちゃん。朝早いね。君も病み上がりなんだからしっかり休んだ方がいいよ?」


 エマの寝室に音もなく入って来たのはカノンだった。彼女はエマの言葉に応じつつエマとの距離を詰めて来る。


「お心遣いありがとうございます。それはそうと、エマさんはこんな朝早くにどこに行かれようとされていたんですか?」

「……それが分かるってことは、君がこの結界を張ったということでいいのかな?」

「はい。昨日、魔族が使っていた魔術を使いました」


 素直に答えるカノンにエマは更に尋ねた。


「昨日の魔術ってことは、【黒死王】の術かい?」

「そうですが……」


 特に誇ることもなくそう告げるカノンにエマは内心で舌を巻いた。高度な魔術体系に位置する転移術式を封じる更に難易度の高い術式を教えられるでもなく、戦闘中に敵が使用していたのを垣間見ただけで理解し、実用化したのだ。


(天才だね……成程。僕を見て驚く他の子たちの気持ちはこんな感じなのかな?)


 自分と同じ匂いがする天才に会ったことでエマは笑みを隠せない。しかし、カノンは急に笑みを浮かべたエマに対して怪訝な顔で告げる。


「あの、そんなことはどうでもいいんですが……」

「これをそんなこと、どうでもいい、で片付けるのか。君は面白いね。まぁいいよ。それで、どうしたのかな?」


 面白そうにエマが尋ねるとカノンはその花唇を静かに開く。


「師匠を治してくれるという話が終わってないのにどうしてどこかに行こうとしたんですか?」


 そう尋ねるカノンの目からはハイライトが失せようとしていた。非常に危うい天才だな。エマはそう思いながらも楽しくなってきたので話を適当に逸らすことにした。


「色々と考えをまとめるために森を散歩しようと思ったんだよ」

「そうですか。じゃあ、ついて行きますね」


 逃がさない。暗にそう伝えるカノンにエマは軽く笑いながら告げた。


「いや、いいさ。今のでちょっと心境の変化があってね。考えはまとまった。カノンちゃん、アキトを治してあげてもいいよ」

「! 本当ですか? ありがとうございます!」


 急速に目のハイライトを取り戻して頭を下げるカノン。そんな彼女にエマは苦笑しながら尋ねる。


「まだ条件とか言ってないんだけど?」

「そ、そうでしたね。何ですか?」


 慌てながらも前のめりになって尋ねてくるカノンにエマは条件を提示した。


「一つはそうだね……カノンちゃん。君が僕たちと生涯対立しないことかな」

「……エマさんたちとはエマさんと誰のことを指すんですか?」

「そうだね、基本的にはエルフのことにしようかな。勿論、僕がエルフと何らかの事情で対立することになったら僕の方についてもらう。いいかな?」


 エマの言葉にカノンは頷いた。


「師匠と私に危害が及ばない限りという条件付きですが、誓います」

「うーん。危害が及ぶっていうのはどういう範囲かな?」

「直接的にそちらから対立してきたり、こちらに危害を加えてこない限りは例え皇帝陛下の勅令でもそちらに剣を向けないことを約束します」


 毅然と言い切ったカノンにエマはゆったりとした笑みを向けた。


「そう簡単に決めていいのかな?」

「はい。師匠にも後で伝えておきます」

「そうかい」


 それなら信じよう。そう言ってエマは次の条件を告げる。


「じゃ、後はお金だね。予備のアポイタカラが欲しい。言い変えるなら今回の一件で君の取り分になる神聖金貨を僕に譲ってほしい。それでいいかな?」

「それは……あのお金は師匠の物なので、後程私から必ずお支払するので少し待っていただけませんか?」


 困ったようにそう答えるカノンにエマは軽い調子で告げる。


「アキトはあのお金はカノンちゃんの報酬金だって言ってたよ。そのことに納得がいかないならアキトから借りるって形で支払えばいいんじゃないかな?」

「……師匠の許可が……でも、うぅ……」


 しばし葛藤するカノン。しかし、最終的には頷いた。


「わかり、ました。後で師匠には謝って私が弁償する旨を伝えておきます。この二点でいいでしょうか?」

「そうだね。後は……あ、一個言い忘れてた。治療法について文句を言わないこと。いいね?」

「それは勿論です。師匠をお願いします」

「わかった。じゃあ、準備するから、その間に契約書にサインしておいて」


 魔術で契約書を準備してテーブルに置きながらエマはその場を立ち去った。カノンは契約書をざっと読む。


(……破った際は重犯罪奴隷として隷属ですか。破る気は毛頭ないですが、重いですね……)


 契約書にサインするカノン。この部屋にはもう用はないので契約書を持って朝食の準備に彼女はキッチンへと向かう。その途中で村井が眠る部屋を通った。


(……絶対、治してもらいます)


 決意新たに廊下を通り過ぎるカノン。ダイニングキッチンに入ると何やら寝間着姿のソフィアが忙しそうに術式やキッチンの魔具を用いて薬草をすり下ろしたり霊草の粉末を水に溶かしたり、魔草の下処理をしたりなどと儀式の準備をしていた。

 彼女はカノンがこの場に現れたことに気付くと申し訳なさそうに声を掛けて来た。


「あ、カノンちゃん。ごめん、今日はキッチンを使って朝ご飯の準備は出来ないかもしれない……」

「わかりました。では、ソフィアさんは自分のお仕事をお願いします」


 先程まで眠っていたソフィアが急に何かの準備を始めているのを見てカノンはエマから急に指令が出たのだろうと見て取り、それが村井のことだろうと判断して彼女の仕事に専念してもらうようにした。昨日の約束を破る形になってしまった上、朝食を取り上げてしまう形になったソフィアの方は申し訳なさそうに続ける。


「ごめんね。あ、後、エマ様は儀式に入って朝ご飯食べられないと思うから私たちの朝ご飯はなるべく美味しそうな匂いのしない物にした方が……」

「……それなら私もご飯なしでソフィアさんのお手伝いをした方がよさそうですね」


 ソフィアには申し訳ないがエマの儀式が終わってから食事にしようと提案しながらキッチンに入るカノン。ソフィアも人命を優先するとのことで今日の朝ご飯はなしで納得してくれた。


「絶対、助けましょうね」

「はい」


 二人は静かに作業に没頭し、エマから指示のあった薬湯を作ることに成功するのだった。



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