第38話
エマが村井の治療に一区切りつけたのは夜になってのことだった。その間にカノンはソフィアによる治療を済ませており、手が空いたソフィアと共にエマが治療に専念するために雑事を片付けていた。
「……ふぅ。取り敢えず、峠は越したかな」
村井の外傷を完全に治し、内部の穢れもかなり浄化したエマは治療を中断し、久方振りに感じた疲労を面に出して椅子の背もたれに上半身の体重を預ける。そして彼女はぼんやりと天井を見ながら思案した。
(さて、大体僕の見立て通り日常生活は送れるけど剣の道は絶たれそうだね……)
かつて共に旅をした友人がまた一人前線から去ることに僅かな寂寥感を覚えながらエマは天井から目を離して弟子が用意したポーションを飲む。魔力回復によく効くと帝都でも評判の高級品らしいが、エマの魔力総量からすれば微々たる回復量だ。それでもないよりはマシということで一気に飲み干して一瓶空にすると空き瓶をテーブルに置いて今度は村井を眺める。
「全く、弟子のために命を懸けるなんて……あの子は君にとってそれほど大事な存在なのかな?」
エマであれば忠告を無視して判断を誤った弟子が悪いと切り捨てていた場面。村井は殆ど
「……その大事な大事なカノンちゃんに君の容態を伝えないとね」
恐らく、彼女は納得してくれないだろうと思いながらその場合の対処法を考えつつエマは席を立って別室でエマのサポートのために動いている二人の下へ向かった。
エマが村井の治療に使用していた部屋から出るとリビングからお腹の空く良い香りが漂って来た。エマのために夜食を準備していたのだろう。空腹のエマがそれを感知するのとほぼ同時だ。静かに、しかし勢いよくカノンがエマの目の前に現れる。
「師匠は」
開口一番。心の底から心配そうに村井の容態を尋ねて来るカノン。縋るような視線を受けたエマは不敵な笑みを返した。
「一応、峠は越したよ」
「もう、大丈夫なんですね?」
「命はね」
「……どういうことですか?」
カノンの問いかけへのエマの返答を受けて気を緩めかけたカノンの表情が強張る。その場で追究を始めようとするカノンに対してエマは溜息をついて言った。
「その辺りのことは食後、もしくは食事中でもいいかい? 昼過ぎから今まで治療を続けて流石に疲れてるんだ」
「す、すみません……ですが……」
エマの言葉を受けても尚も渋るカノン。そんな彼女を諭すようにエマは告げる。
「わかってる。なるべく早く知りたいんだろう? なら食事をしながらでいいかな」
「は、はい。すみません。すぐに準備します……」
頭を下げて食事の準備に取り掛かろうとするカノン。その前に彼女は一度止まってエマの方を向き直った。
「すみません、治療のお礼から言うべきでした。師匠を助けてくださってありがとうございます」
深く頭を下げるカノン。エマは苦笑してそれを受け取った。
「いや、いいよ。君も必死だったんだろうからね。それより食事の準備をしてくれ。お腹空いた」
「わかりました。すぐに準備します」
頭を上げ、すぐに食事の準備に取り掛かるカノン。エマはその後ろをついて行く。
魔具が揃えられたキッチンには既にソフィアが入っており、エマの治療が終わったのを察知して、カノンが作った料理の温め直しをしていた。エマは特に彼女について言及することなくリビングのテーブル席に着く。
「はぁ……疲れた。久し振りに疲れたよ」
「お疲れ様です。エマ様」
お師匠様と呼べなくなったことに寂しさを滲ませながらダイニングキッチンから顔を覗かせてエマを慰労するソフィア。そんな彼女にエマの方から質問する。
「うん。そっちはどうだった? 【地獄巡り】討伐の報酬金は貰えそうかい?」
「はい。カノンさんが半分、エマ様で半分。この内容で満額、問題なく受け取れそうです」
「ま、それくらいならいい着地点かな。カノンちゃんは大丈夫だったかい?」
後半は魔術を使っての言葉だ。カノンに聞かれないようにエマが配慮した。それをソフィアも真似して風の魔術で遮音して返す。
「まぁ、アキトさんが功労者の中に入っていないことに猛反発してましたけど、儀式前のアキトさんの言葉とアキトさんが起きてから功労者の件については再度話をすることで何とかカノンちゃんには納得してもらいました」
村井の六魔将討伐に対する消極的な態度はカノンにも十分伝わっていた。彼はエマにかつての借りを返すだけで【地獄巡り】討伐に名を残すつもりはないと再三言っており、カノンもそれを言われると強く出れなかったのだ。
「……食事の支度が出来ましたよ」
そんな感じでエマとソフィアが術でやり取りしているところにカノンが口を挟んで食事の開始を告げる。自分に聞かれたくない話をするのであれば少し席を外してから術を使って話すなりなんなりすればいいのにという言葉を飲み込んで、彼女は師匠の容態を聞くために素早くエマの食事の準備を整えたのだ。
「ん……スープと丸パンだけか。他にはないのかい?」
「もう夜遅いんですからしっかりとした食事は明日の朝にしましょう?」
「……仕方ないな」
残念そうに具だくさんのスープを食べ始めるエマ。何らかの肉で作られた肉団子がたくさん入っており、食べ応えがありそうだ。空腹に良く沁みると思いながらエマが食事を始めたことでそれを待ち構えていたカノンが口を開いた。
「それで、師匠は大丈夫なんですか?」
「ん、あぁ……命はね」
エマはカノンの問いに軽くそう答えた。そして続ける。
「ただ、もう前みたいに戦うことは出来ないと言っていいだろうね。彼の魔力経路は呪いみたいなもので汚染されていて体に魔力を通して回すことさえ難しそうだ」
「そんな……」
エマから告げられた言葉は村井がこの世界における戦闘の基本動作どころの問題ではなく、日常生活にすら支障が出るレベルの問題だった。魔力が使えなければ魔石で動いている日用品も動かせない。飲み水すら一人では出せないのだ。カノンは必死になってエマに尋ねる。
「師匠はもう元気に動けないんですか?」
自分で言いながら悲しい未来が想起されたのだろう。目に涙を浮かべながらカノンは続けて尋ねる。
「もう、手の尽くしようがないんですか?」
「……まぁ、難しいね」
断言せずに歯切れの悪い言葉で濁すエマ。その言葉を受けてカノンはエマに再度問いかける。
「本当にもう何も出来ないんですか?」
カノンの縋るような視線にエマは少し思案し、誤魔化して彼女と関係を悪化させるのも良くないと判断して深く溜息をついて答えた。
「……正直に言おう。出来ることがないわけじゃない」
「!」
跳ねるように反応するカノン。彼女が何か言うより先にエマは釘をさす。
「ただ、僕にはこれ以上手を出す理由がない。とっても疲れたし、リスクを負いたくないからね」
「お願いします! どうか師匠を治してください!」
ノータイムでテーブルに手をつけて頭を下げ、懇願するカノン。エマは軽く溜息をついた。
「そう来ると思ったよ。でも、嫌なものは嫌だ。そこまでする義理はない。そもそも命を取り留める作業だけでも凄い大変だったんだよ? そこのところ、分かっているのかい?」
「大変そうなのは分かってます。でも……」
「でもも何もないよ」
カノンの頼みをにべもなく断るエマ。その後も押し問答を続けるがエマがカノンの説得に折れることはない。寧ろ逆にカノンを聞き分けのない子どもと見做して諭しにかかるくらいだ。ただ、それでもカノンは引き下がらなかった。エマが夜食を終えてもカノンはエマに頭を下げ続ける。そんなカノンの態度にエマは呆れたように冷たく言った。
「そんなに必死になってお願いするくらいなら最初から自分の行動で何がどうなるかを考えて行動すればよかったのに」
「次回からそうします。ですから今回はチャンスをください……! お願いします」
「はぁ。世の中には取り返しのつかないこともあると分かったいい機会じゃないか。諦めてくれ」
「……だったらどうして自分なら何とか出来るかもしれないって言ったんですか? 目の前に師匠を助けられる可能性があるのに私が引き下がると思ってるんですか?」
激高しないよう努めて冷静に話すカノンだが、圧力が漏れ出てしまっている。それでもエマは飄々とした態度で告げる。
「君たちとの関係を悪くしたくなかったから正直に答えただけだよ」
「助かる手立てがあると教えておきながら何もしないのも遺恨が残ると思いますが」
「その辺りは見解の相違だね。僕を動かすに足る条件を提示できない方が悪い。ただまぁ、ソフィを置いていくから不自由ない生活は送れると思うよ」
エマの言葉を受けてカノンはソフィアの方を見る。彼女はバツが悪そうな顔をしていた。カノンは苦い顔をしてエマに尋ねる。
「……どうして私が困ることばかりするんですか?」
「何がだい? アキトに悪いことをしたのは僕じゃなくてソフィなんだからソフィに出来る方法で責任を取ってもらおうとしてる。当たり前だろう?」
「責任を取ると言ってもソフィアさんは師匠を治せないじゃないですか」
「そうだね。だから、僕が最低限治してあげた後は君たち二人で支えてくれと言っているんだよ」
問題を起こした側で責任を取れと言うエマ。カノンはエマを動かすにはどうすればいいか考える。しかし、病み上がりの身体では上手く頭を回すことも出来ずに沈黙が降りた。そのタイミングでエマは今日はここまでで切り上げることを提案する。
カノンは言いたいことは色々あったが、このままではエマを動かすことは出来ないと判断して時間を貰うことにしてこの日は終了することになるのだった。
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