第36話

 黒い稲妻を身に纏って敵将の前に立ちはだかった村井。彼を見て真っ先に反応したのは【黒死王】だった。仮面に覆われて素顔は分からないが、明らかに忌々しそうな口調で【黒死王】は村井に対して唾棄するように告げた。


「異界の者か……全く、いつもいつも我らの邪魔ばかりして忌々しい……」

「……異世界のことを知っているのか」


 村井もまた、【黒死王】の言葉に意外そうな顔になって応じる。まさか、帝都でも極々限られた人物以外にしか知られていない異世界について、敵である魔族が知っているとは思っていなかったのだ。その反応に対し、【黒死王】は笑い始めた。


「お前たちの世界のことを知っているのか? 知っているのかだと? あぁ、知っているに決まっているだろう。毎回毎回我らの悲願を妨げる為だけに現れる帝国の操り人形共が……! 知らぬ訳があるまい!」


 笑っていた【黒死王】だが、それは怒りのあまりの出来事だったらしい。語気荒く【黒死王】は吐き捨てるように村井の問いに「知っている」と言い切った。そのことに村井は強く興味を惹かれるが、今はカノンとソフィアの身の安全が優先だ。後ろ髪を引かれる思いながら【黒死王】との会話を打ち切りにかかる。


「そうか。お前たちは俺たちのことを知っているんだな。詳しく話を聞きたいところだが……今回はカノンたちの方が優先だ。失礼させてもらう」

「ふん、禁術に手を出して明日をも知れぬ命の分際でよく言うな。疾く去ね」


 【黒死王】は村井の状態をよく分かっているようだ。村井に去るように言いながら自身も既にこの場所から転移しようとし始めている。唯一、この場で状況を把握していないのはゴゴーシュだった。


「待て。【呪病】の娘はともかく、我が依代をそう簡単に逃がすと思うか?」


 半透明の人間の顔を怒りに染めたゴゴーシュが半透明の歯を剥いてカノンの下へと向かおうとする村井を止める。それを止めたのは意外なことに【黒死王】だった。


「ゴゴーシュ、止せ。万全の状態であればまだしも死に瀕した状態であれと戦うのは寿命を縮めるだけだ。それよりも別の依代をすぐに探しに行くぞ」

「あれほどの素体を前に引き下がれと? それは出来ない相談だ。それとも、お前と俺が手を組んでもあの男には勝てないと?」

「……リスクは負わぬに限る。その男に次はないからな」


 挑発するゴゴーシュに対し【黒死王】はそれに乗らずに彼を宥めに入った。村井はそれを好都合と見るがゴゴーシュは止まる気はないようだ。【黒死王】と揉めているフリをして地面に倒れているカノンに触手を伸ばしている。


「【招雷】」


 村井の一言でゴゴーシュの触腕が焼かれた。苦悶の表情になるゴゴーシュに村井は短く告げる。


「カノンに近づくな」

「ゴゴーシュ……まぁいい。どの道この場からは撤退させてもらう。さらばだ、異界の剣士よ。もう会うことはないだろう」


 ゴゴーシュと共にこの場から去ろうとする【黒死王】。転移術式を使ったようだ。


「俺はここに残るぞ!」

「な……愚かな」


 だが、【黒死王】はゴゴーシュの抵抗に遭ってしまう。既に襤褸切れと化している【悪魔の衣】の最後の力を利用して術式に抵抗したのだろう。ゴゴーシュはこの場に残り【黒死王】は単独での転移となった。そしてゴゴーシュは吠える。


「その女、渡してもらうぞ! 異界の男ォッ!」

「……悪いが、お前の相手をしている時間がない。【雷鳴疾駆】」


 瞬く程の時間すら与えなかった。村井はカノンとソフィアをそれぞれ肩に抱き上げるとゴゴーシュを置き去りにしてその場から逃走を図る。その直後、カノンの左腕にある傷口から半透明の槍が村井目がけて突き出て来た。


「っ……」

「その状態で今のを避けるか」


 驚くゴゴーシュの声。それがカノンの左腕から飛び出した半透明の槍から聞こえてくる。村井は苦い顔をしてカノンとソフィアを一度地面に横たえた。一瞬の出来事でゴゴーシュはそれに反応し切れずに目標を見失う。だが、村井が状況を把握したことだけは理解した。


「ハハハハハ! 既にこの小娘の身体は占領してある! どうするんだ異界の男よ! 見捨てて逃げるか、この小娘ごと俺を殺すか! 選ぶがいい!」


 カノンの身体からスライムで出来た顔を出して少し離れた場所に立つ村井を嘲笑うゴゴーシュ。だがしかし、村井は静かに告げた。


「……死ぬのはお前だけだ」

「戯言を!」


 村井の言葉を強がりとして一笑に付すゴゴーシュ。村井はそれに取り合わず小さく呟いた。


「【神器擬製・八尺瓊勾玉やさかにのまがたま】」


 村井の背後に巨大な魂を象った赤色の勾玉が現れる。それが何であるのか知る由もないゴゴーシュだが、その神々しさに思わず言葉を失った。そんなゴゴーシュの姿を前にしながら村井は祝詞のりとを上げる。


「祓い給い、清め給え。かむながら守り給い、さきわえ給え」


 村井の背後にある八尺瓊勾玉やさかにのまがたまが眩い光を放ち始め、それに同調するかのようにカノンの身体が輝き始めた。同時にゴゴーシュが悶え苦しみ始める。


「な……や、止め……」


 動くどころか悲鳴を上げることすら出来ず、息も絶え絶えに村井が祝詞を上げるのを止めるように懇願するゴゴーシュ。当然、村井は無視して祝詞を続けた。


「掛けまくも畏き伊邪那美いざなみの大神よ、彼の者に諸々の禍事まがごと、罪、けがれ有らむをば……彼の者より我が身に移し給えとかしこかしこもうす」


 瞬間、ゴゴーシュは村井の身体に転移していた。そしてそれとほぼ同時にその中にいることに耐え切れずに地面へと飛び出てしまう。


「がはっ、ォエッ……お、お前……お前、は……!」

「……お前はそこで朽ちて逝け」


 ゴゴーシュが驚きに目を剥いた表情で村井を見ている内に村井は再び身体に黒雷を纏い、カノンとソフィアを抱えてその場から逃走した。残されたゴゴーシュだが、彼は村井に聞こえるように哄笑を上げる。


「死に染まった異界の剣士よ! 俺はお前に敗れたのではない! この世界の剣士、カノン・メルノフ・マーガに負けたのだ! 地獄で会った時はその身体にその意味を叩き込んでくれる!」


 誰もいない灼熱の荒野でひとしきり嗤ったゴゴーシュはそのまま村井に宿っていた死に身体を染め上げられていくのだった。





「待たせた」

「早い戻りだね。お、ソフィもいるじゃないか。これなら撤退も楽で済む」


 ゴゴーシュを置き去りにしてエマの下へと戻った村井。彼はエマに対し肩に担いだカノンとソフィアを見せ、撤退を促した。


「転移石があるのとないのでは魔力の消耗が違うからね。助かるよ」


 ぐったりして動かない弟子ソフィアの身を案じる様子もなく、彼女が持っていた転移石を取り上げて喜ぶエマ。村井はそれを咎めるでもなく転移を急がせる。


「急いでくれ。俺の意識も危うい。それに、【黒死王】の気が変わって戻って来られでもしたら厄介だ」

「はいはい。すぐに飛ぶよ……転移方陣」


 瞬間、村井たちの身体は光に包まれてこの場から掻き消える。


 次に村井が目を開けた時、目の前にあったのはつい最近、エマと帝都に転移した際に飛んできた空き家にあった家具だった。


「さて、これだけで5000万も貰うのはあれだから色々とサービスしてあげるよ。皆の回復とかね」

「申し訳ない、頼んだ。ッ!」


 無事に戻って来れた。その気の緩みが出たのか唐突に目の前が霞み、動機と息切れを起こす村井。術の代償だ。それを理解した時には彼の意識は暗転していた。村井はそのまま崩れ落ちてしまう。部屋には意識のない三人とエマだけが残された。


「……はぁ。死屍累々といったところだね」


 残されたエマは溜息をついてまずはどこから手を付けたものかと悩むのだった。



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