第35話

 まず、村井が行ったのは亜空間を開いて禍々しい気配を醸し出す杜若かきつばた色の宝珠と【奇跡の水薬】を取り出すことだった。


「……【奇跡の水薬】に、【怨みの宝珠】?」


 【奇跡の水薬】。それはエマが作った特殊な容器に世界樹の魔力を閉じ込めた水薬が入った最高級のポーションだ。これを取り出したのは話の流れからエマに使用してもらい、現地へ飛ぶためだということは分かる。

 しかし、もう一つのアイテムである【怨みの宝珠】を村井が取り出した理由がエマには分からなかった。この魔具はこの世界へ飛ばされた村井の恨みや元の世界に帰れないと分かった時の失望などの負の感情を預け入れるためにエマが過去に作った宝玉だ。それを取り出してどうするのか。エマが首を傾げたところに村井は謝罪する。


「先に謝っておく。悪い。また後で新しいの作ってくれ」

「有料なら構わないけど……」


 許可を得たことで一刀の下に宝玉を破壊する村井。それと同時に負の感情が蘇る。まだ子どもだったと言うのに危険で未成熟な文明の世界に何の了承もなく飛ばされたこと。家族との強制的な別離。命懸けの生活。肌に合わない生活様式に食事。数年も経てば飽きるくらいに娯楽の薄い毎日。

 その他にもたくさんの負の感情を浴びて色々と暗い気持ちになる村井。だが、今はやるべきことがある。前を向いて村井は次の工程へと移った。


「今からやる術は今のところこの世界だと俺にしか出来ない禁術だ。発動後、甚大な被害を俺にもたらす。だから、行けると判断したらすぐに飛んでくれ」

「……イヤだよ。危ないし」

「頼む。ただの往復だけでいい。5000万払う」


 5000万。それは神聖金貨半分に当たる大金だ。村井が片田舎で慎ましく一人暮らしをしていくのであればそれだけで事足りる金額だろう。つまり、現時点における彼が支払える満額と見ていい。だが、エマは渋った。


「少ないね。今回でゴゴーシュを倒せばカノンちゃんの暴走で得た功績分は君たちに取られてしまうんだよ? 次の機会に倒せば全部僕の物になるのに」

「それはカノンの報酬だから俺には何とも言えない……頼むよ」


 深々と頭を下げる村井。問答しているこの時間がもったいない。いつまでカノンが頑張れるのか分からないのだ。


 やがて、エマは渋々と言った形を抑えずに溜息をついた。


「……はぁ。結界前に飛んで戻るだけで5000万だね?」

「頼む」


 即断だった。エマはそこまで言い切る彼の術に期待しながら彼に告げる。


「じゃあ、見せてくれ。無理そうだったらこの話はなしだ」

「分かってる……じゃあ、転移の準備をしておいてくれ。奇跡の水薬を手元に……」

「いざとなれば魔力だけ吸い上げられる。いつでもいいさ」


 エマの言葉を聞いて村井は頷く。そして、軽く息を吐くと大きく吸って一息に言い切った。


「―――鳴け。【八方神楽やかたかぐら】」


 言葉が紡がれた次の瞬間。術は成立した。それを魔力で知覚したエマはノータイムで奇跡の水薬から魔力を吸い上げて転移術式を展開する。


「転移方陣」


 刹那の後。エマの館から全ての人がいなくなっていた。




 気候要因だけでない酷熱の荒野。結界の外に飛ばされた村井たちは短くやり取りを交わす。


「ここで待っていてくれ。すぐに戻って来る」

「色々と言いたいことはあるけど、まぁ頑張ってね」


 早口で言葉を交わした二人。直後、村井は結界に向き直って短く告げる。


「【神器擬製・天羽々斬あめのはばきり】」


 彼の右手に直刀が現れる。その長さは三尺もない程度だ。だが、その存在感は200年以上を生きて来たエマをして、見たことがないものだった。その刀を持った右手を村井は大きく振りかぶって更に短く祈りを捧げる。


「斬り払い給え【土雷つちいかづち】!」


 村井の右手に宿る黒い雷がその電光を増した。彼は右手を振り抜く。遅れて、結界が切り裂かれた。続けて、村井は願う。


「彼の地へ我を運び給え。【鳴雷なるいかづち】、【伏雷ふしいかづち】」


 村井の両足に宿る黒い雷が力を増す。エマに見えたのはそれまでだった。遠くへと行ってしまった友人を見送ってエマは溜息をつく。


「神術の類か。どこの神々に祈ったのかは分からないけど、恐らく命を削るタイプの術のようだね……はぁ。果たして、戻って来れるのやら?」


 その声は誰にも届かずに荒野の中へと溶けていくのだった。



 ところ変わって、結界中心部。そこでは左腕を庇いながら奮闘するカノンとそれを嘲笑いながら乗っ取りが済むまで遊び半分で戦っているゴゴーシュ。そしてそのやり取りを冷静に眺めている【黒死王】がいた。


「どうした? 先程までの冷静さ、正確さはどこに行ったんだ?」


 半ば死に体のカノンを煽るゴゴーシュを見て趣味が悪いと思いながらも止める気にはならない【黒死王】。だが、異変は次の瞬間に訪れた。


「……結界が破壊された? ゴゴーシュ!」


 異変を察知するなり味方に知らせる【黒死王】。ゴゴーシュは【黒死王】の呼び声に反応してカノンを一度弾き飛ばすと後方に下がって【黒死王】に応じた。


「何だ? 俺は今、非常に忙しいんだが」

「何者かが来る。我が結界を破壊する程の強者がな。遊んでいる時間はない。早く用を済ませろ」

「……む、仕方あるまい」


 ゴゴーシュの纏う雰囲気が変わった。カノンはそれを知覚し、自らの死が近いことも理解した。


「さて、覚悟はいいな? その身体、俺が取り込んでくれよう」


 打開策は、見つからなかった。それでも時間を稼ごうと右手で剣を振るおうとするカノン。だが、その手を左手が止めた。


「あ……」

「貰った」


 身体のコントロール権の一部を奪われたことをカノンが理解した時には遅かった。少女に生じた隙はあまりにも大きく、カノンは高速で距離を詰めてきたスライムのような体となっているゴゴーシュの触手に絡め取られた。


永久とわに眠れ。後は俺が有効活用してやる」


 耳元で嘲るように告げられるゴゴーシュの言葉。ここで終わりか。こんなところで終わりなのか。苦しさよりも悔しさと悲しさで涙が滲む。


(師匠……ごめんなさい……私、何にも出来ませんでした……)


 自分をここまで育ててくれた命の恩人に謝罪するカノン。彼の言うことを聞かずにこんな事態を招いてしまったのは間違いなく自分の落ち度だ。


(でも……でも! 最期くらいは、迷惑かけないように……!)


 意識を強く保つ。そして彼女はゴゴーシュの身体に取り込まれながら術を発動した。


「あ、【あまつかづち】……」


 術が発動し、カノンを中心として強烈な紫電が発生する。それにより、カノンは故意に感電を始めた。


「ッ! 自分を焼く気か! させん!」


 カノンの愚行を止めに入るゴゴーシュ。自分の身体の損傷が酷ければ乗っ取られても被害は少なくて済むはず。ゴゴーシュが宿っていた身体の頬にあった傷と彼のこの慌て様からゴゴーシュが乗っ取る前の傷は残るはずと推測したカノンが取った最後の抵抗。


「こ、の……!」

「思、い……通りには……」

「何を手間取っている……【沈黙せよ】」


 だが、その抵抗も儚いものだった。【黒死王】の対魔術用の術式によって碌な抵抗力も残っていないカノンの術は鎮圧される。


「さっさと済ませろ」

「悪いな」


 身体はゴゴーシュに絡め取られ、声すら封じられたカノン。もはや打つ手はない。涙が彼女の頬を伝う。


(ごめんなさい、師匠……)


 命の瀬戸際で彼女の胸に浮かぶのは深い悔恨の念。師に対しての思慕や愛情、その他にも様々な感情が浮かぶが、軽率な自身の行動でその感情の先にあったはずの未来は失われてしまう。悔やんでも悔やみきれないことだった。だが、そんな考えも次第に意識と共に沈んで行く。


「さて……入るとするか」


 カノンが最後に聞いたのはゴゴーシュの愉悦の滲んだ声。そして最後に見たのは彼の勝ち誇った醜悪な顔。





 ―――ではなかった。


「突き! 穿ち給え! 【土雷つちいかづち】!」

「なっ……!」

「来おったか……」


 カノンがよく知る声。そして【六魔将】の二将軍が驚く声を聞いた後、ゴゴーシュから解放されて地面に倒れた彼女のぼんやりとした視界に入ったのは大好きなあの人の姿だった。


(し、しょぉ……?)


 その男はカノンを一瞥した後に【六魔将】の二将に対して毅然と告げる。


「うちの子たちを返してもらおうか」



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