第34話
激闘が続く灼熱の地。【地獄巡り】ゴゴーシュはカノンを捕まえるどころか攻撃を掠らせることすら出来ずに防戦一方という形になっていた。だがしかし、カノンの顔は浮かない表情だ。溜息をついて剣を振るい、一度ゴゴーシュと距離を取る。
「腱を切っても骨を断っても……うんざりしますね」
「このっ! 舐めるなァッ!」
猛烈な勢いで距離を詰めようとするゴゴーシュ。しかしカノンはそれ以上の速度で移動し、ゴゴーシュから離れてソフィアの下へ向かった。戦況を鳥瞰している彼女に手詰まりか、このまま戦うべきかを考えてもらうためだ。
しかし、カノンがその場に着いた時点でソフィアから明るい声が届く。
「カノンちゃん凄い! あの【地獄巡り】を翻弄するなんて! 回復に回してる魔力もみるみる減ってるよ!」
「……なら、いいんですが」
一応、結界内で戦いの行方を注視していたソフィアの見立てではゴゴーシュの魔力は減っているようだ。自身が命懸けでこれまで行ってきた作業が無駄ではないことを聞いてカノンは安堵する。
その背後からゴゴーシュが迫っていた。
「結界ごと貫いてくれる!」
カノンごとソフィアを殺害せしめようと右腕を大きく振りかぶり、腕がはちきれんばかりに魔力を蓄積して攻撃モーションに移るゴゴーシュ。
ただ、それは途中でカノンに腕を斬り払われて虚空を切るだけに終わった。しかしゴゴーシュはそこで止まらない。残された左腕で鋭く拳を放つ。
「油断したな……!」
「してません」
冷徹にそう答えてこちらに伸びてきたゴゴーシュの左腕を切断するカノン。両腕を失ったゴゴーシュは声にならない絶叫を上げた。その隙を見たカノンは無慈悲に追撃を行い、ゴゴーシュが逃げられないように脚を斬りつける。
「ソフィアさん、今ので
「あ、はい」
今の傷でも魔力が減ると言うのであれば同じことを繰り返そう。そう考えたカノンの問いにソフィアは魔力は減っていると回答した。それを聞いてカノンは頷く。
「なら続けましょう」
まるで無抵抗の動物を屠殺する流れ作業の一部のような態度でゴゴーシュの身体を切り刻んでいくカノン。それをソフィアは見て恐怖すら覚えた。決してゴゴーシュが弱いわけではない。その身体は鉄のように硬く、巨体ながら高速で動くその姿はまさに魔族の将と呼ぶにふさわしい存在だ。
ただ、相手が悪すぎた。
カノンの剣は鍛えられた鋼鉄をも容易く切り裂き、彼女の動作はまるで電光石火のようなもの。ゴゴーシュを尋常でない存在と称するのであれば、カノンは異常な存在だった。魔族に対し個で劣るはずの人間という枠を逸脱している彼女を前にソフィアは感嘆の声を漏らす。
(すごい……)
寒気を覚える程の強さ。ソフィアがこれまで見てきた中でもこれほどまでに強いのは彼女の師匠を含めても十本の指の内に入る。人間に限定するのであれば一番強いと言ってもいいかもしれない。
(これは確かに、いつまでも半人前扱いしないでと言いたくなるのもわかるな……)
カノンの師匠である村井からはそれほどまでに強い力を感じなかった。そんな彼にいつまでも軽んじられていてはストレスも溜まるだろうし、出し抜いてやろうという気持ちにもなるだろう。ソフィアはカノンの心情を慮った。ソフィアにそんな思考の余裕が生まれるほどのワンサイドゲーム。
それが終わるのはソフィアが思っていたよりも早かった。
「あ、ギルドカードに討伐完了って出た。おーい、カノンちゃん! 討伐成功みたいだよ!」
しばらくカノンが作業に没頭させられた後にソフィアに渡されていたギルドカードに出たゴゴーシュの討伐完了の文字。それはゴゴーシュが死亡したという証明になるものだった。その文言を確認したソフィアが声を上げたのも当然のこと。だがしかしカノンは訝し気な顔をしていた。
「……? まだ、回復していますが」
ゴゴーシュを傷つける作業を止めずに顔を上げるカノン。それに対し、ソフィアは微妙な顔をしながらギルドカードをカノンに見せて来る。
「でもほら、師匠たちが作ったギルドカードに討伐完了って出てるし……」
刹那。
強力な結界が生成される魔力の気配。同時に強大な魔力がこの場に現れた。思わずそちらに少女たちが反応してしまった。その瞬間。
「ッ!」
「カノンちゃん!?」
死んだはずのゴゴーシュから半透明な針の様なものが勢いよく飛び出してカノンの左腕を掠めた。それはつまり、【地獄巡り】の乗っ取りを受けるという―――
「雷炎禍!」
―――寸前、カノンは傷付いた患部を自ら切り飛ばして雷炎で焼く。声にならない絶叫を噛み殺しながらカノンは大きく退避した。そして見据える敵の姿。そこには更に絶望すべき光景が広がっていた。
「無様だな。ゴゴーシュ」
そこにいたのは夜よりも深く暗い闇色をした【悪魔の闇衣】で全身を覆い尽くし、素顔すら仮面の下に隠した魔の存在。幼き日にカノンの家族だけではなく友人、果ては知人すらをも奪ったカノンの怨敵。
【黒死王】だった。
彼は厳かな口調で尋ねる。
「最強の魔族を乗っ取った。そう豪語していたはずだが?」
「安心しろ。まだ終わってはいない」
【黒死王】の問いにゴゴーシュの亡骸だったはずの存在から返事があった。そして亡骸から半透明のスライムに人間の顔をくっつけたような醜悪な化物が現れる。それを見て歯噛みするカノン。【六魔将】が二体。自身は手負いときたものだ。勝ち目はない。判断は早かった。
「ソフィアさん!」
撤退を。カノンが叫ぶもソフィアから帰って来たのは謝罪の言葉だった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ソフィアさん!?」
「ふん……ここまでしておいて逃がすわけがないだろう」
低い声で【黒死王】が嘲るようにソフィアに手を伸ばす。それだけで結界は無残に破壊された。恐怖に身を縮こまらせるソフィア。【黒死王】は興味なさそうに彼女を見た。
「強力な儀式魔法の気配がしたから来たものの……術者は別だな。こんな小者、我が直々に手を下すまでもない。【呪病】よ、あれ」
「あっ……」
【黒死王】を前にして呆気なくその場に倒れ、荒い息を吐き始めるソフィア。その首元にはかつてカノンにあったように黒い痣があった。それでソフィアに対する用は済んだとばかりに【黒死王】はカノンを見る。
「お前は……」
何か言いかけた【黒死王】。だが、ゴゴーシュが遮った。
「待て、もうあいつには俺が入り始めている。手を出すな」
「ッ!?」
確かに焼いたはず。思わず痛々しい傷跡が残る自身の左腕を見るカノンだが、そこにはなにもない。そんなカノンの様子を見てゴゴーシュの顔の部分が嘲る。
「焼いた程度で俺の術が止まるとでも思ったか? 甘いな」
「……ふん。我が来たのも余計なお世話だったか?」
「いや……一応、感謝だけはしておこう。乗っ取りが済むまで結界を頼んだ」
「容易いことだ」
余裕たっぷりに会話を楽しむ【六魔将】の二人を前にしてカノンは状況を打破する手がかりを探す。諦められない。ここで死にたくない。しかし、彼女の目の前にあるのは絶望だけだ。
そして、その絶望的な光景をソフィアを通して師匠たちも見ていた。
「ふむ。手遅れだね。これは彼女たちのことは諦めた方がよさそうだ」
エマは冷静に状況を見据えてそう断じた。そして続けて言う。
「ただ、【地獄巡り】の方はカノンちゃんが限界寸前まで削ってくれたことでタネが割れた。次回は殺せるね」
「……カノンやソフィは助けられるか?」
村井が尋ねるとエマは普通に首を横に振った。
「無理だね。ソフィは強力な呪いを直接受けたし、あの状況で生きて返すことはないだろう。カノンちゃんは僕が知っている術だとしたら乗り移られた時点で自我が崩壊する。傷を受けた時点でお終いだ」
「なら、乗っ取られる前に助ければ……」
「どうやって? あそこにはゴゴーシュだけじゃなくて【黒死王】までいて転移封じの結界まであるんだ。僕は魔力枯渇寸前。仮に、君と話したように【奇跡の水薬】を全部飲んだとしてもあの結界の近くまで飛んで戻って来るのが関の山だ。交戦すればすぐに魔力枯渇を起こすよ?」
噛んで言い含めるようにエマは村井にそう告げる。それを聞いて村井は瞑目した。頭を過るのはカノンと過ごした日々。教えたことを何でも吸収する良い弟子だった。村井のことを慮って尽くしてくれる少女だった。そして、未来ある剣士だった。
(仮にカノンが居なくても【黒死王】を倒せない訳じゃない……あいつを助けたのは【黒死王】を楽に倒せる存在だったからだ。この世界のため、ひいては俺のためになるから助けただけの話……)
普通に考えるのであれば、カノンを見捨てるのが正解だろう。何か打つ手があれば別だが、自分よりも遥かに強く、頭の良いエマが無理だと言っている。しかも、次に戦う場合には六魔将に乗っ取られたカノンが相手になったとしても確実に倒してくれるという約束付きだ。ここでカノンを諦めても誰も文句は言わないはずだ。黙っているだけで自分を納得させる材料であれば幾らでも出て来た。
「……分かってくれたようで何よりだ。じゃあ、これ以上は視ている意味もないから水晶は……」
エマは村井の無言を自身の意見への賛同と捉えてこの一件を終了させようとする。彼女は弟子を諦めた。村井にも同じことを求めている。そんな彼女に村井は告げた。
「……カノンの回収だけでも行いたい」
「はぁ、無理だよ。君はもう少し賢いと思ってたんだけど……」
エマは頑固な村井に呆れたようだ。だが、村井の方は覚悟を決めていた。
「これを見てから判断してくれ」
そして彼は過去に一度、一瞬だけ使って死の淵に立たされたことで二度と使わないと決めていた禁術を発動する手筈を整える。
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