第29話
ギスギスした空気の中、帝都の門に向かっている村井、カノン、エマの三人だったがその途中でエマが脚を止めた。
「……ん。ソフィめ、僕のことを待たずにどこかに移動し始めたな。アキト、ちょっと僕の手を引いて門の方に向かっていてくれ。どこに行ってるのか確認する」
エマはそう言って小さく、しなやかな手を差し出して来る。その手を取ろうとする村井だがその間にカノンが割って入った。
「いえ、私がナビゲートするので大丈夫です」
「そ、そうか……?」
「はい。エマさんも構いませんね?」
「別にいいよ。ただ、丁重に扱ってよ?」
カノンは笑顔で首肯する。今日のカノンは何か怖いなと村井が思う中で一行は歩みを進める。少ししたところでエマはいじわるそうに笑って歩調を緩めた。
「ミリアがソフィとダミーをギルドに連れて行ってるみたいだね。ミリア、一生懸命ダミーに話しかけてるよ。返事が雑だから何か心配してるみたいだけど、見抜けないものかなぁ? ソフィもミリアとは面識ないから切り出せずに黙ってるけど不自然に思わないのかな? このまま放置していたたまれない空気にしておこうか」
「……何でそう可哀想なことをするんだ」
「師の顔を忘れた罰だ」
拗ねてみせるエマだが、その口元は隠しきれない笑みが零れている。そんな二人の会話を聞いていたカノンが疑問の声を上げた。
「え、師の顔って……今の流れだと、ミリアさんのお師匠様が……エマさん?」
「ふふっ、そうだね」
「え、でも……」
「カノンちゃんはかわいいなぁ」
ミリアが魔女で長生きしていることを知っているカノンからすれば目前にいる自分より幼い美少女の姿をしているエマがミリアより年上だとは思えなかった。カノンが判断しているのは外見だけではなく魔力や気配を含めてのことなのだが、その全てを含めて彼女の纏う雰囲気は若々しいものだったのだ。
そんな若い気配を感じ取って困惑するカノンを見て更に笑みを深めるエマ。カノンの心中を知らない村井は見た目で相手を判断するなと常々言っていたつもりなんだがと思いつつも助け船を出すことにする。
「カノン、エマはエルフだ。しかもハイエルフ」
「え! そうなんですか?」
「まぁ、そうだね。でも別にそれはいいだろう? そんなことより夕飯はどうしようか? ミリアがパーティを開いてくれる予定だったらしいけど、僕の体調不良疑惑でお流れになりそうだ。面倒だしこのまま君の家に行こうか? 久し振りに君の手料理が食べたいしね」
村井の発言に一時は驚いたカノンだったが、続くエマの発言の内にそれを忘れたかのように無言のプレッシャーをかけてくる。しかし、エマは一切それに動じずに村井の発言を待っているようだ。しかも、彼女は笑みを溢すぐらいの余裕があるらしい。村井は心臓がもたないのでその余裕を少しでいいから分けて欲しかった。
「……ギルドマスターが可哀想だからギルドに行こうか」
「まぁそうしてあげようか。師匠たるもの弟子には優しくしてあげないと、ね?」
「そうですね。ねぇ、師匠」
「はい」
何となくカノンに非難されている気分になりながら村井たちは進路を変える。昨日からすんなりと目的地にたどり着くことがないなと思いながら移動することしばしギルドが見えて来る。
「さて、どんな感じで入ると楽しいだろう? ダミーを見抜けなかった不肖の弟子に呆れる感じがいいかな?」
「弟子に優しくするって話はどうなったんだ……」
「愛の鞭ってやつさ。まぁいいや、普通に入ろう」
「そうしてやってくれ」
何だか振り回されっ放しで疲れた村井はエマのなすがままにギルドに入る。カノンも二人と一緒にギルド内に入るとその受付で男性職員に声を掛けられた。
「あれ、カノンちゃんじゃないか。村井さん、今さっきギルドに着いたみたいだけどすれ違ったのかな?」
「……まぁ、そんなところなんじゃないですか?」
先行している二人の姿を見ながらカノンがそう告げると男性職員は怪訝そうな顔をしてカノンに尋ねる。
「……あの二人がどうかしたのかい? 見ない顔だけど」
「ちょっとギルドマスターに用があるみたいです」
「……いや、そんな簡単に会える人じゃないんだけどね。特に今日は大事なお客さんが来てるらしいから……」
困ったようにカノンにミリアが来客中であることを教えてくれる男性職員。道中の話を聞いていたカノンはその大事なお客さんがそこにいるエルフなんだけどなと思いながらどう話を展開しようか考える。そんな具合にカノンが悩んでいると件の二人が彼女の下に戻って来た。何故かその内の一人はとても楽しそうに笑っている。
「こそこそと、逢引きかい? アキト、君の弟子はこの人にお熱のようだよ」
「なぁっ!? 何てこと言うんですか!」
「あはは……そうだったら嬉しいんだけどね。君たち、ギルドマスターに用があるんだって?」
「いや、用があるのは向こうの方だね。そろそろ出てくると思うよ」
「誤解です」「違います」「分かってくれますよね?」などとまるで本当に浮気でもした妻のような態度で村井に詰め寄るカノン。村井は何でそこまで必死なのだろうかと逆に怪しんだ。その空気を感じ取ったカノンは更にヒートアップする。
そんな二人の姿を見てニヤニヤしながらエマはそこまで否定しなくともいいのではないだろうかと落ち込む男性ギルド職員の隣で奥から人が来るのを待っていた。
人影は程なくして現れる。その美貌を大層不機嫌そうな色に染めて現れたのは帝都の冒険者ギルドのギルドマスターその人だ。
「……騒がしいのぉ。何……」
彼女は現れるなり何事か尋ねようとしてそのまま固まってしまう。それを眺めながらエマは男性職員に告げた。
「ほら来た」
「そりゃ、皆さんが騒いでらっしゃるから……あぁすいません。すぐに静かにしてもらうんで……」
「あぁ、その必要はないよ」
そう言ってエマは自身と村井に掛けていた術を解いた。
「え? あれ? さっき奥に入って行かれた方じゃ……」
混乱する男性職員。目頭を押さえて瞑目するミリア。必死の説得を続けるカノン。カノンを宥める村井。奥から出て来て安堵した表情を見せるソフィア。それらを見てエマは笑う。場が混沌と化しつつあった。
それを治めたのはギルドマスターたるミリアだ。彼女は深い溜息をついた後に男性ギルド職員に指示を出した。
「……ディーノ。全員、奥の間に通すのじゃ」
「えっ、あっ、はい」
「中々面白かったよ」
「……師匠に喜んでもらえて幸いじゃの」
精一杯の皮肉を伝えてミリアは全員を連れて奥の部屋に案内する。まず目に入ったのはテーブルいっぱいに並べられた数十品にもなる豪華な食事だ。王侯貴族でももてなすのかと言わんばかりの料理が揃えられていた。
それを見てエマは軽く頷いてミリアの方を向いて告げる。
「おぉ、頑張ったみたいだね。褒めてあげるよ」
「……アリガトウゴザイマス」
ミリアはエマの言葉に確かに嬉しい気分にはなったが、ダミーの方に「今日は気分が乗らないからいいよ」と断られて落ち込んでいた後だったので何とも複雑な気持ちになる。質が悪いことにエマはその会話をダミー越しに聞いた上でやっていた。
「さて、どうしよっか。食べながら話す?」
「取り敢えず、師匠が何でこんな真似をしたのかお聞かせ願えますかのぉ?」
「馬車旅に疲れて飽きてたから飛んだ。で、いつものようにアリバイ工作をして弟子に後は任せて帝都で今回の目的の下調べをしてたんだ。そしたら何か師匠の顔を忘れて要らない心配をしてる輩がいたからちょっとからかってみた」
さり気なく自分の非を突かれて返しに困るミリア。エマは得意げに笑みを深める。
「で、寛大なお師匠様はその辺のことをなかったことにして折角の食事会を楽しもうとしていたんだけど……」
「……はい。お楽しみいただければ幸いです」
完封されたミリアは何も言えずにすごすごと引き下がり、手近にあった酒瓶を手に取った。そして酒をグラスに注ぐ。それを見ている間に村井たちの周りにも多種多様な飲み物が浮いていた。
「どれにする? 好きなのを注いであげよう」
「え、でもこんなに高そうなの……」
村井の方をちらりと見て確認するカノン。しかし、村井は既にエールをジョッキに注いでもらっているところだった。そしてカノンの視線に気付くと笑いながら言う。
「せっかくのご厚意だ。明日は休みだし、楽しませてもらった方がいいぞ」
「わ、わかりました……! じゃ、じゃあ私も飲んでみます」
「うんうん。皆で楽しもうじゃないか。それじゃ、手に飲み物は持ったね? 乾杯といこう!」
「「「「乾杯!」」」」
色々と言いたいことやわだかまりもあっただろうが、取り敢えず酒で飲み下すことにして一行は宴会を楽しむのだった。
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