第25話

 カノンにチェリーナから村井の言葉が伝えられたのは週末デートから程なくしての出来事だった。だが、彼女はそれを聞いたことを表に出さずに日々を過ごしている。

チェリーナが言ったことをカノンが信じていない訳ではない。彼女の言葉を受けて、デート前の村井の言動が少しおかしかったことが腑に落ちたため、カノンは彼女の言葉を信じざるを得なかった。

 その上で彼女は気にしないことを選択したのだ。その理由は幾つかあったが、一番大きな理由として、彼女は村井のことを信じていたのだ。


「師匠、行ってきますね」

「頑張れよ」

「はい」


 今日も時間ギリギリだが大人しく学校に向かうカノン。そんなカノンを見て村井はカノンも学校にすっかり慣れたものだと思った。それと同時に次の段階、剣聖の下にカノンを向かわせるにはどうしたらいいかを考える。


(……俺が教えた内容よりも剣聖が教えた方がいいのは間違いない。ただ、カノンがそれを受け入れるかどうかが問題だ。普通に学校に通うことすら嫌がってたのに完全に預けるのは時期尚早と思うが、鉄は熱い内に打てと言うしな……でも、ちょっと試してみるくらいなら問題ないか?)


 剣聖の下に行くということに対してカノンがどんな反応をするか見てからこちらも対応を考えるべきか。そう判断した村井は今日の会合でその話をすべくもう少し詳細を煮詰めることにするのだった。



「ごきげんよう、カノンさん。あれから何か進展はありまして?」


 教室に着いたカノン。彼女の登校を見るなり待ってましたとばかりにチェリーナとそのお付きの娘、テルーがやって来る。カノンとしては一人にしてほしい気分だったが、貴重な情報源となってくれた級友を邪険に扱うことも出来ずに返礼する。


「リーナ様、ごきげんよう。進展はありません。師匠はまだ私が師匠の計画を知っていることすら知らないと思います」

「……そうですか」


 毎日進展なしでがっかりした様子のチェリーナ。だが、急いては事を仕損じるとも言うので彼女も拙速な行動を取ろうとはしていなかった。基本的には見守り、そして時には耳に入ってくる情報を提供することでカノンの恋路を陰から応援するのが彼女の最近の楽しみだ。下手な真似をして台無しになるのはチェリーナも望んでいない。


「カノンさん、何か知りたいことなどありましたら遠慮なく私を尋ねてきてくださいまし。私も出来る限りのことはしたいと思っていますので」

「ありがとうございます……いずれ、リーナ様のお手を借りることになるかと思いますのでその時はよろしくお願いいたしますね」

「喜んで、ですわ」


 カノンの言葉を聞いて年相応の乙女のように目を輝かせるチェリーナ。カノンから詳しい作戦内容は聞かせてもらっていないが、彼女が周囲に流されずに足掻いていることだけははっきりと分かる。その強い意思をチェリーナは尊重したかった。


「では、何かありましたらすぐ教えてくださいね」

「はい」


 そんな会話をしているとすぐに担任のベテラン女性教員が入って来る。カノンが時間ギリギリに登校しているので彼女の到来が早いのも当然のことだった。彼女が現れると出席確認を取ってホームルームが始まる。今日は剣聖との稽古はないが、カノンにとって退屈で憂鬱な一日が始まるのだった。


(今日こそは何か計画を進められるいい案が思いつくといいけど……もうわかってる授業を受けている時間は調べ事をさせてもらいたいなぁ……)




 カノンが今日も授業を半分聞き流してお金持ちになってギルドや国から自由になる計画を立てている頃。村井は図書館から借りて来た子どもに親離れをさせる育児本を読んでいた。カノンのことを自分の子どもだと思っている訳ではないが、今の悩みに一番近い内容かなと考えてのことだ。


「……まだ子どもが外の世界を怖いと思っていることが根本要因。自分で考えさせて温かく見守ることが重要、か」


 取り敢えず今読んだところまでのまとめを無意識の内に辿る村井。今読んでいる本では子どもは自ら独立するのが当たり前だという前提で話が進められており、どちらかと言えば子離れが出来ていないあなたが問題なのではないかと問いかけて来る内容だった。


(確かに、思い当たる節があるな……特に剣聖の下に行かせるのはカノンの意思ではなくて俺の考えだもんな……そういうのが問題なのか? いや、でもなぁ……)


 ただ、一人でも生きていける術を教えた後、放っておいた結果が「師匠から離れるつもりはない」という宣言だ。この言葉を貰っている以上、村井には自分で考えさせるというのにも欠点があるように思える。


(うーん、どうなんだろう。この本、子どもが親から離れない理由は書いてあってもじゃあどうすればいいのかってのが薄いんだよなぁ……)


 この後の目次を読んでみても効果がありそうなのは時間がかかるか実行不可能かのどちらかだった。原作が始まるまでもう一年を切っている現状、そうのんびり時間をかけてもいられない。


「……時間か」


 村井が本を読んで色々と考えている間にホテルを出て用事を済ませる時間になったようだ。彼は普段着に着替えると今読んでいた本を亜空間にしまってホテルを出る。向かう先は冒険者ギルドだ。

 ギルドが借りた部屋だけあってギルドに近いホテル。歩いて冒険者ギルドに向かうとちょうどギルド前で剣聖アッシュに出会った。


「む、【雷刃】か……カノンの今日の様子はどうでした?」


 開口一番にカノンの様子を聞いて来るアッシュ。村井は苦笑しながら特に変わりはなかったと答えながらアッシュと共にギルド内に入る。そして二人で待ち合わせ場所に行ってみれば待っていたのは副ギルドマスターのシークだった。


「ん、ミリアさんは?」

「ギルドマスターは所用で少し遅れるかもしれないとのことだったが……案の定、遅れたみたいだな」

「……まぁいい。私が用があるのは【雷刃】だからな。君はどうする?」


 シークに同席するかどうか尋ねるアッシュ。シークは苦笑してミリアが来るまで同席する旨を申し出る。


「では、早速だが……【雷刃】。彼女を私に預けるという話、私と彼女の一戦を見た今、どう考えていますか?」

「……ま、前回と同じように本人の意思を尊重したいとは思ってますよ」


 「ただ」と村井は付け加える。


「個人的にはあなたが言いたいことも分かります」

「おぉ……それでは、力を貸してくれると?」

「そこまでは……」


 言葉を濁しながら約束は出来ないことをほのめかす村井。そんな村井にアッシュは頭を下げてから真っすぐ告げた。


「申し訳ない。彼女は君に心から惚れこんでいる。だから、私の言葉では届かないんだ。君が言えば、彼女も私のところに来てくれるはず。彼女の将来の事を考えるのであればそれが最善手だということは分かったのだろう? 協力してくれないか?」

「……一週間後」

「え?」


 押せ押せで来ていたアッシュが村井の言葉を何かと聞き間違えたかと止まる。村井はそれに構わず続けた。


「三日後、私は二日ほど帝都を出る用事を作ります」

「それが?」

「その時に、カノンには一度体験という形でアッシュさんのところに預けたいと思っています」

「おぉ!」


 喜ぶ剣聖。村井はシークから一瞬、いいのか? という視線を感じたが反応せずに頷いた。


「勿論、本人が頑なに嫌だと言えば私から強制することは出来ませんが、それでどうでしょう?」

「いいでしょう。まずは試しだ。チャンスをくれたこと、感謝します」


 握手を求めて来るアッシュ。村井はそれに応じた。そこにミリアがやって来る。


「はぁ……何じゃ? 妾がいないところで何かまとまったのか? 聞いてもよいかの」

「三日後、俺が帝都を空ける用事を作るのでその間カノンをアッシュさんのところに預けるという話が……」

「実際に預けるかどうかは別として用事を作って様子を見る、ということじゃな?」


 確認してくるミリア。二人が頷くのを見て破顔した。


「ならちょうどよいのぉ! 【雷刃】お主に指名依頼じゃ!」

「……はぁ、まぁ、内容によりますが」

「何、警戒する必要はない。三日後にちょっと師匠を迎えに行ってほしいだけじゃ」


 ミリアのその言葉を聞いて村井は引き攣った笑みを浮かべるのだった。



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