第26話

「じゃあ、行ってくる」

「あ、少し待ってください。私も一緒に出ます」


 剣聖アッシュの下にカノンを一時的に預ける話をしてから三日が過ぎた。この日の朝から村井は帝都を出て北西に向かうことになっていた。


「ん。別にいいが……ギルドとアッシュさんの家は別方向だからすぐに別れることになるぞ?」

「いいんです。さて、行きましょう」


 カノンはそう言って村井と共に出かける準備を整える。

 村井がいない間、カノンがアッシュの下に預けられることについてカノンは意外にもあっさりとそれを了承した。拍子抜けする村井だったが、カノンからはしっかりと行きたくて行くのではないと釘を刺されている。しかし、村井個人としてはカノンも内心で自分が強くなるには剣聖の下に行かざるを得ないということを理解しているのだろうと思った。それを踏まえるとこれからの流れについて明るい展望が見えてきた。

 そんな村井の前途を祝福するかのように外は晴れ。亜空間に荷物を入れられる村井とは対照的に大荷物を持ったカノンと一緒にホテルを後にする。フロントに出てすぐに村井はカノンに言った。


「さて、その荷物だと真っすぐアッシュさんの家に行った方がいいだろ。ここで」

「いえ、お見送りします」

「カノン、気持ちは嬉しいが……」

「なら行かせてください。会えない時間は短いに越したことはありません」


 さらりとそう告げるカノンに村井は何となく気恥ずかしい気分になりながらギルドまで移動することになる。健脚二人が程なくして辿り着いたギルドでは早番の受付嬢の隣にギルドマスターのミリアがいて村井を待っていた。彼女はカノンのことを見るなり首を傾げる。


「何じゃ? 今日の依頼は【雷刃】一人で行くことになっておったはずじゃが」

「お見送りです……」


 挨拶もせずに村井の依頼票に目を通すカノン。彼女は一瞬で依頼内容を確認すると頷いた。


「要人護衛と案内。この街道を行くなら危ないことはなさそうですね」

「……それを確認しに来たのか?」

「えぇと、まぁ、はい……」


 若干含みのある言い方だったが村井はそれよりも信頼されてないことに微妙な感じを受けた。カノンの中で自分がどんな人物として描かれているのか少しばかり訊きたいところだが、今は自分にもカノンにも時間がない。取り敢えずカノンの頭に手を置いて村井は告げる。


「……心配しなくていいから。カノンは自分のことだけ考えてろ」

「いいんですか?」


 カノンの問いに村井は頷く。カノンはそれを村井の手の下から見て彼に気付かれぬように一瞬だけ僅かに口の端を吊り上げた。妖しく光らせた双眸とその表情は正しく何かを企む女の貌だ。傍で見ていたミリアですら見逃す一瞬の出来事の後、カノンは村井の頷きに素直に答える。


「分かりました」

「それじゃ、行ってくるから。元気でな」

「はい」


 村井が去って行く。その後姿を見送るカノンにミリアが声を掛けた。


「それにしても、よくお主が大人しくアヤツと別れたの」

「……今は力がいるので。将来を見据えると二日ぐらいは仕方ありません」

「ほう? 何を企んでおるのかの」


 カノンの言い方に面白そうなことが起きそうだとミリアが飛びつく。だが、カノンはそれに答えずに話を逸らした。


「私も剣聖に呼ばれているのでそろそろ失礼します」

「……主もあまり交渉事には慣れておらぬようじゃの。はぐらかすにももう少し上手いやり方があると思うんじゃが……まぁよいか」


 あまりに露骨な話のそらし方にミリアは逆に愉快な気分にさせられる。そんな彼女を見送ってミリアはくつくつと笑った。


(さて、まだ波乱の展開がありそうじゃのぉ……)


 願わくばそれがギルドの不利益とならぬことであるように祈りながらミリアは早朝から仕事に勤しむことになるのだった。




 そんなやり取りがあった翌日の朝のこと。魔馬車を飛ばして前日の夕方に目的地に辿り着いていた村井は宿泊していた村一番の宿で依頼人と会うことになっていた。


(カノンは大丈夫かな……いや、俺が心配する必要もないか。カノンなら大丈夫だ)


 宿から提供された焼き立ての丸パンにバターを塗っていただきながら村井はカノンのことを考える。元々貴族のカノンにとっては剣聖という特別な地位を持って屋敷に住まうアッシュの家は懐かしい気分にさせるはずだと思いながらも細々とした心配は拭えないのだ。


(うーん、やっぱり子離れできてない親みたいな感じになってるな……)


 亜空間から子離れ親離れの育児本を取り出して読みながら村井は思案する。魔馬車に揺られながら読み進めた結果、その本は既に読み終わりのところまで来ていた。


(この本と昨日のカノンの態度を見るからにカノンが俺から離れないと言っているのは実は俺の方に問題があるから、という可能性が高いな。改善しなくては)


 物語を安全に進めるため、そう思って拾った少女に思いの外心を奪われていた事実を鑑みて村井は脱カノンを心掛けることにした。そう決めたところに丁度ノックの音が室内に響き、声が聞こえる。


「入っていいかな?」


 聞こえて来たのは涼やかな美声。村井はその声に聞き覚えがあった。今回の依頼人の声だ。村井は今読んでいた本を閉じて席を立ち、入室を促す。


「どうぞ」


 村井の入室許可と共に扉が開く。そこにいたのは思わず息をのむ程の美女と美少女の姿だった。


「久し振りだね、アキト。元気そうで何よりだ」

「そちらこそ」


 月光を束ねたかのような美しく長い銀髪をたなびかせてふんわりと笑みを浮かべて入室して来たのはエルフの美少女、エマだった。すらりとしたしなやかな肢体をした彼女は抱き締めれば手折られてしまいそうな儚い雰囲気を纏っており、その空色の目は全てを見透かすかのように村井に向けられている。

 それと対照的に陽光を集めたかのような美しい金髪をした美女も入って来る。彼女は村井を見ると翡翠色の目で困ったように微笑んだ。


「初めまして。アキトさん、でよろしいのでしょうか?」

「あ、はい。えーと……」


 この美女、誰だ? そう村井が困っているとエマが紹介してくれた。


「こっちは始めましてだね。パーティを組んでた時に何回か言ったかもしれないけど郷里に残していた僕の弟子だよ。名前はソフィア。ソフィと呼んでいい。ソフィの方もこの子には畏まらなくていいよ。彼は信頼していい」

「えー、ホントですか? でも、お師匠様が言うなら大丈夫なんでしょうね。なら、遠慮なく。よろしくお願いしますね? アキトさん」

「よ、よろしく」


 ぱっと明るく笑いかけて来るソフィに村井は日頃からカノンを見慣れていなければ危なかった。うっかり恋に落ちるところだったとまで思った。彼にそう思わせる程の甘い声と可愛らしい顔の持ち主だった。しかもそれだけではない。ローブの上からでも分かるほどの抜群のスタイルまで持ち合わせているのだ。

 思わず視線を吸い込むような豊かな双丘にしっかりとしたくびれ。大きなヒップに長い脚。思わず淫魔が幻惑の魔術を使ってこちらを揶揄っているのではないかという疑念に駆られる村井。しかし、彼女たちは村井の動揺を意にも介さずに席に着いたりベッドに腰掛けたりしている。それを見て村井も席に着いた。


 そしてエマが切り出す。


「さて、出迎えありがとう。早速で悪いけど予定を変更していいかな?」

「ん、あぁ……」


 また何か言い出した。村井は昔、臨時でパーティを組んだ時のことを思い出して嫌な予感を感じながら彼女の言葉を待つ。すると彼女は真顔で言った。


「馬車はもう嫌だからこのまま帝都まで瞬間移動したい」

「え」


 それはまた色々な人の予定をぶち壊すな。村井は昨日の朝早くから頑張って帝都のギルドで働き、明日の予定を空けるために奮闘しているはずの彼女の弟子ギルドマスターのことを思い浮かべながらそう思った。取り敢えずミリアが不憫なことになりかねないので村井は抵抗してみる。


「……魔馬車も来てるんだけど」

「うん。アリバイ工作のためにソフィが僕たちのダミーと一緒に乗る。長距離の瞬間移動なんてほいほい使ってるのがバレたら色々面倒だからアリバイは大事」

「え? お師匠様、聞いてないんですけど」

「今言った」


 本当に色んな人の予定をぶち壊すなぁと村井は思った。しかし、エマの決定を覆すことは出来ず、その通りに行動することになるのだった。



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