第21話

 村井がカノンに彼女と剣聖アッシュの模擬戦を見たいと言った翌々日。意外にも早くその機会はやって来ていた。


「師匠、そろそろ時間ですよ。行きましょう」

「……ま、そうだな」


 剣聖との試合の見学の許可を剣聖本人とルイドからすぐに貰ったカノンはご機嫌な様子で朝食を終えて片付けを済ませていた。

 そしてカノンは常よりも大分早い時間に学校に向かうべく、ホテルを出ようと村井に同行を促す言葉をかける。村井は少し彼女の言動に思うところがあったが、言いたい言葉を飲み込んで彼女の言葉に同意し、ふと考える。


(本当にこいつ、俺と一緒に居たがるんだな……)


 いつもの彼女がギリギリまでホテルを出ずに学校に【二足纏雷】を使って短時間で登校するのに対し、村井と共に登校する今日は全く違う様子で学校に向かおうとしている。それを見ていた村井は彼女が自分と離れたくないが故に学校に行くのを渋っているということを再確認していた。


(……何とも言い辛い気分だ。嬉しい気もするが、こいつの将来大丈夫かと心配になる。そんなに好かれる要素なかったと思うんだけどなぁ……)


 自身の外見も彼女にさせていた行動もどれも彼女にここまで好かれるという結果には結びつきそうもない。そう訝しむ村井だが、カノンが急かすので思考を打ち切ってホテルを出た。

 そしてカノンと並んで歩く通学路。ご機嫌なカノンの美貌に見知らぬ人々の視線が時折向けられる中で村井は微妙に居心地悪そうにしながらその隣を歩く。村井が元居た日本と違い、季節感というものが薄く、一年を通して過ごしやすい爽やかな気候の帝都。中世の西欧諸国の中でも発展していた都市をベースとしたような街並みを歩く黒髪紫眼の美少女はそれだけで絵になっていた。ただ、そのことは村井自身が余計なものとして隣に入り込んでいる気分にさせる。だが、カノンは村井のことを邪魔とは一切思って居ない様子で話しかけて来る。


「いい天気ですね。今日は少し暑くなりそうです」

「そうだな。激しい運動をするから体調にも少し気をつけて行こうな」

「はい。ハニーレモンも準備してます。師匠も食べたかったら言ってくださいね?」


 いつもは持ち歩いたりしない食べ物を持って来たりしてカノンは笑顔で村井にそう告げる。今日のカノンはお出かけ気分のようだった。因みにこのハニーレモンは普通にカノンお手製のレモンのはちみつ漬けであり特別なものではない。しかし、疲労には効果的な食べ物であるのは間違いなかった。村井がぼんやりとそんなことを考えているとカノンの方から視線を感じ、彼女の方を向くと目が合った。彼女は村井の前髪を見ていたようで、目が合ったのを自覚するとその花唇を開いた。


「暑くなってきたと言えば師匠の髪、少し伸びましたね? 帰ったら切りますか?」

「そうだなー頼もうかな」


 言われてみれば、村井の髪は微妙に伸びていた。ホテルに帰ったらカノンが村井の髪を切ることを申し出て来たので彼は特に迷うこともなくお願いする。村井の髪はカノンが来て一年ほどした後から彼女の申し出で彼女が切ることになっていた。

 尤も、村井があまり変化を好まないため毎月伸びた分だけを切るという消極的な理容スタイルとなっているが。

 そんな話をしているとカノンは自分の髪も少し気になった様子で前髪を軽く摘まんで村井に尋ねた。


「私も少し伸びて来ましたけど、どうしましょう?」

「帝都ならいい美容室があると思うぞ」


 帝都の街並みのことなどよく知らずに適当に言った村井だが、この町について色々と調べたカノンも同じ意見のようだった。だが、彼女は続けておねだりする。


「んー、今度一緒に探してくれませんか? いつもみたいに髪型だけ決めて貰えれば後は自由にして貰って構いませんから」

「そういうのは学校の友達とかに訊いた方がいいと思うぞ? 元々、女の子の髪形を決めるとか俺には難易度が高過ぎる」

「でも、今までは師匠が決めてくれてたじゃないですか。いつもみたいに師匠の好みの髪形でいいのでお願いします」

「と、言われてもな。絶対都会の美容師の人の方がそう言うの得意だと思うが」


 プロの言うことを信じた方がいいと言う村井とあくまで村井の好みでいいから髪型を決めて欲しいとおねだりするカノン。そんな感じで話をしながら学校への道を二人で進んで行くと程なくして学校が見えて来た。門前まで到達する頃には無理矢理話に一区切りつけてカノンが笑顔で告げる。


「では師匠。今日の剣聖との試合でいいところを見せられたら今度のお休みは二人でお出かけの時に師匠が私の髪形を決めるということで」

「あれだけ俺の好みの髪形を聞いておきながら結局そうなるのか」

「えへへ。色々知れてよかったです。でもそれはそれです」


 可愛らしくジェスチャーを交えてそう告げるカノン。門を守る守衛がカノンの様子がいつもと異なるのを見てその可憐な少女と深い仲らしき村井に嫉妬の念を飛ばす中で村井は入館許可証を貰い、二人は学校に入る。向かう先は職員室だ。カノンに案内されて真っすぐ目的地に向かう二人だが、その途中で村井は大きな魔力と剣氣を感じ取っていた。


(ギルドマスター、それから一昨日会った剣聖の気配、か。近付きたくないな)


 既に前哨戦が始まっているらしい応接室の前の廊下を通り過ぎる際に少しだけ二の足を踏む村井。そんな彼にカノンは気遣わし気に声を掛けて来る。


「……大丈夫ですか?」

「大丈夫。何も戦う訳じゃないしな。カノンの方こそ大丈夫か?」

「はい」


 何の気負いもなくそう告げるカノン。弟子は無事、大物に育ったようだ。そう思いながら村井が職員室に入るとすぐにドア付近の教員がルイドを呼びに行き、ルイドが出迎えてくれた。


「あぁ、どうもどうも。本日はようこそおいでいただきました」

「いえいえ、こちらこそ無理言って申し訳ないです。今日はよろしくお願いします」


 辞儀合いを済ませる二人。カノンは黙ってそのやり取りを見守っていたが、手持ち無沙汰にしていると見たルイドがカノンに声を掛ける。


「カノンさん、案内ありがとうございます。では、あなたは教室に戻ってください。教室で支度を整えた後、すぐに準備に入ってもらいます」


 カノンは少し考える素振りを見せたが素直にその言葉に応じるようだ。笑顔で村井に「また後で」と告げるとそのまま退室してしまう。その様子を見たルイドは苦笑を浮かべる。


「本当に貴方に見せる顔と我々に見せる顔が違いますね。あぁいえ、別に悪いことではないんですが」

「はは、もう少し腹芸を覚えて欲しいところなんですがね」

「ははは。今でさえ持て余し気味ですのに彼女に腹芸まで覚えられるともう怖くて仕方なくなってしまいそうですよ」


 ルイドは笑いながらそう言って村井を先導する。


「さて、既にミリアさんとアッシュさんがお見えになっているので応接室の方に移動しますか」

「あまり近付きたくない雰囲気を出してましたね」

「子どもたちのいる場であまり威圧をしてほしくないんですが……」


 嘆く素振りを見せるルイドだが、諦めたように笑っていた。その仕草すらいやに様になる顔だと思いながら村井はルイドと共に応接室へと移動した。そこでは自信満々の笑みを浮かべる剣聖アッシュと険しい表情の冒険者ギルド帝都本部ギルドマスターのミリアがいた。

 二人は村井の入室を見るなり冷戦を解いて彼に笑いかける。時計を見た後、先に口を開いたのはミリアの方だった。


「時間には少し早いが役者は揃ったようじゃの」

「まぁおかけください」


 アッシュに座るように促された村井。少し悩んで彼はミリアの隣に座った。これは一応、村井がギルド側の人間であるという立場の表明でもあった。それを見てミリアは薄く笑みを形作る。対するアッシュも笑みを作っていた。魔力や剣氣ではない何かすらもせめぎ合っている。ルイドはその様子に内心で嘆息しながらも三人に告げる。


「さて、村井さんに座っていただいたところ悪いんですが、もう揃われたということで体育館の方へ移動しましょう。皆さん忙しいでしょうしね」

「……そうじゃなぁ。行くとするかの」

「いいと思いますよ。時間に関わらず見てもらえればすぐにわかると思うので」

「……言うのぉ」


 ミリアは笑いながらそう言うが目は笑っていない。村井は何でこの人がそんなに熱くなっているのだろうと思ったが口には出さずに静かに移動するのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る