第20話

「ただいま戻りました!」

「おう、お帰り」


 時刻は夕暮れ時。朝、学校に行く時の数十倍の元気でホテルに戻って来たカノンを村井は迎え入れた。夕飯の支度は村井が既に済ませており、カノンはそれを承知でキッチンに入ると村井の作った料理を見て笑顔になる。


「緋熊の赤ワイン煮込みですか? 良い匂いです。すぐに着替えて来ますね!」

「そんなに急がなくてもいいぞ」


 そう言いながらも食事の準備に入る村井。カノンも村井の言葉を聞き流して部屋に入っていた。しかし、すぐに部屋着に着替えて村井の前に現れる。


「手伝いますね~」

「ん、あぁ」


 てきぱきと食事の準備を済ませる二人。今日の夕飯は短いフランスパンのような形をしたクッペというパンとコンソメスープ、そして温野菜に緋熊と呼ばれる魔獣の赤ワイン煮込みだった。


「じゃあ食べようか」

「はい」


 向かい合わせで席に着いた二人は食事を摂り始める。少し食事が進んだところで村井が食事ではなく会話のために口を開いた。


「カノン、今日の学校は何かあった?」


 今日は剣聖であるアッシュが村井の下にやって来てカノンをいたく気に入った旨の発言をしていた。学校で剣聖と何かしらのやり取りがあったのだろう。そう思いつつカノンに尋ねた村井。対するカノンはスープを飲んでから答えた。


「特に何もなかったです。いつも通りイヤでした。師匠は何かありましたか?」

「……え、何もなかった?」

「? はい」


 嘘を言っているようには見えないカノン。だが剣聖が来てあれだけ興奮した様子でカノンを求めておきながら何もなかったわけがない。村井は重ねて尋ねる。


「いや……何もないことはないだろ。何か授業であったとか」

「いつも通りですよ?」

「……剣聖が来てたって聞いたが」

「来てましたね」


 どうにも噛み合わない二人の会話。村井は首を傾げてからカノンに確認した。


「……剣聖が来てたんだろ? カノンはどうだった?」

「まぁ、流石に強かったですね。引き分けでした。それだけです。そんなつまらないことより師匠の話をしませんか?」

「何を言ってるんだ? 剣聖と互角の戦いをしたのか? その話めっちゃ聞きたいんだけど。俺の話の方がどうでもいいだろ。それに、仮に俺の話をするとしても俺の方にも剣聖が来て色々言ってきたから剣聖の話が始まるぞ?」


 何か色々ととんでもないことをしれっと言われて村井は思わず素で突っ込んだ。だがカノンが引っ掛かったのはそこではない様子だ。彼女は静かに眉を顰めて村井に尋ねる。


「……あの男に何か言われたんですか?」


 カノンにしては珍しく敵意が滲み出ている。村井はカノンが剣聖に何かされたのかと少し思いながら言葉を選んで答えた。


「ん、あぁ、まぁ……カノンを預かりたいって」

「……勿論断りましたよね?」

「え、いや……本人に訊けって言ったが……」

「そう、ですか……確かに実質的には断ってますけど……そこはもう少し何かこう、色々言い方があるじゃないですか」


 美しい顔立ちで膨れっ面になって拗ねて見せるカノン。欲しがっている言葉の内容も相まって非常に愛らしい。だがそれはそれとして村井はカノンに尋ねる。


「やっぱり行かないのか」

「それは勿論。寧ろ、行くと思ってたんですか?」


 何を当然のことを訊いているのだろうと心底不思議そうに尋ねてくるカノン。村井はその問いに肯定も否定もせずに答えた。


「いや、どうするんだろうかと思ってたよ。強くなるには剣聖の下に行った方がいいだろうからな」

「強くなるのは手段であって目標じゃないですから。身近にある大事なものを見逃すわけにはいきません」


 したり顔で言ってくるカノン。その大事なものには当然、村井が含まれているのだろう。だが、村井は複雑な心境だった。


(俺が……いや、普通の人がどうやっても届かないものをすぐ手が届く位置に持っているというのに……勿体ない)


 村井が密かに憧れた強者への道を自ら捨てるカノンを見て村井は再び静かな劣等感に苛まれる。また、同時に彼女は強いが今よりも強くなってもらわなければ黒死王との戦いが厳しくなるという側面も村井は見ていた。


(どうなんだろうな。ゲームではレベルがあったからわかりやすいんだが……漫画や小説、そしてこの世界だと分かりやすいレベルがない。今、どれくらいの強さなのか分からないんだよな……)


 少なくとも、前の剣聖と互角ということは原作漫画で剣聖となっていたカノンよりも弱いはずだ。帝国では前剣聖を正式な試合で倒すことで剣聖という称号を得られるということになっている。そのため、漫画の開始時点ではカノンは前剣聖よりも強いはずなのだ。村井の見立てではそうなっている。だが、ここでカノンに無理をさせて剣聖の下で修業させずともこれから学園で剣聖が鍛えてくれるというのだから無理に預ける必要もないのかもしれない。村井としては何よりもカノンの機嫌を損ねて戦いを放棄されるのが困るのだ。


(現実の育成って難しいなぁ……ゲームなら戦ってたら勝手に親愛度も上がったんだけどなぁ……いや、親愛度が高いからこんな問題を抱えてるのか……?)


 村井が悩んでいるとカノンが心配そうに顔を覗き込んで来た。自身がしたり顔で言った台詞の後、村井が無言になったので自分の発言のどこか変だったのか気になった様子だ。そんな彼女を安心させるように村井は軽く笑ってみせる。


「カノンは色々考えてるんだな」

「そうですか? 割とシンプルに物事を考えていると思っていますが」

「そうかな……」

「はい!」


 笑顔でカノンは一度会話を畳んだ。村井の下手な誤魔化しに違和感を覚えない訳ではないが、それ以上突っ込んでもいいことはないと勘が働いたのだろう。カノンの気遣いにも似た会話誘導に村井は道を譲り、会話に少しの間が生まれる。だからだろう。村井の呟きは妙に良く聞こえた。


「……それにしても、剣聖と互角の戦いか。見たかったな」


 ぴくり。カノンが動きを少し止める。そして何気ない風に答えた。


「師匠、私の戦い見たかったんですか?」

「まぁな。凄い戦いだったんだろうし」

「……師匠、そう言えば師匠は一度も私と一緒に学校に行ってませんでしたよね?」


 言われてみればそうだ。村井はカノンを学校に預けたら終わりとばかりに手続きなどの最低限のラインをこなした後は学校に近づいていない。


(……学校か。最後まで通えなかった思い出しかないから何かなぁ……)


 何となく劣等感や申し訳なさなどを感じてしまって近づきたくない場所という印象が頭の中に根付いていたようだ。カノンには学校に行けと言っておきながら立つ瀬がない。そんなことを考えていた村井にカノンは少し緊張しながら尋ねた。


「師匠、これを機に授業参観しに来ませんか?」

「ん……まぁ、どうなんだろうな? 行けるものなのか」

「ルイド先生に言っておきますよ。多分大丈夫だと思います」

「ま、時間ならあることだし……行けるなら行ってみるか」


 村井から行くという言葉を引き出したカノンは非常に嬉しそうな笑顔になった。久し振りに飼い主が帰って来て構って貰えている子犬のような雰囲気だ。その様子を見て村井は苦笑する。


「授業参観が嬉しいって、珍しい子だな」

「師匠は違ったんですか?」

「俺か? ……そもそも土曜にあったから。あー、普段休みの日に学校に行かないといけないというのが……」


 土曜日では通じないと思って言い直した村井だったが、カノンには学校に行くように言っているのに自分は学校に行くのが楽しくなかったと答えるのは如何なものかと口を濁した。

 だが、当然ながらその程度で誤魔化せる訳がない。カノンはやっぱり師匠も学校のことをそんなに好きじゃなかったのではないかと内心で思った。しかし、カノンは今ご機嫌なのでそこには突っ込まずに村井を救済する言葉を差し出す。


「そう言えば、今週のお休みの日はどうしますか? どこかに連れて行ってくれますか?」

「ん……カノンはどこか行きたいところがあるのか?」


 全然誤魔化せていないが誤魔化したことにして村井は別の話題に乗っかった。それに対してカノンは少し考える素振りを見せて答える。


「そうですね。出来れば家に帰りたいですけど……」


 考えるまでもなく無理な話だ。カノンもそれを分かって言っている。ただ、無意識の内にドア・イン・ザ・フェイスの技法……つまり、断られる大きな要求をした後に小さなお願いを聞いてもらう手法を使っていた。


「どうせ戻れないのでしたら師匠と一緒に帝都を散策して美味しいものでも探したいですね」

「そうか。じゃあ、そうしよう」


 つまらない学校生活を乗り越えるための楽しみが二つも出来た。カノンは明日の学校はいつもより少しだけ楽しみだと思いながら楽しい夜を過ごすのだった。



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