第18話

 軽い世間話を済ませた後に早速一行は学園内の道場に移動した。少しの準備時間が設けられてカノンと剣聖アッシュが道場に出て来る。

 純白のフルメタルジャケットを着用したアッシュに対し、カノンは村井が持たせた道着と袴を身に着けていた。その姿を見てアッシュは苦笑する。


「……御大層な魔術が掛けられてるみたいだが、足元が動き辛そうだな」

「お気になさらず。そちらこそ、基本魔術しかかけられていない普通のジャケットでいいんですか?」


 カノンの問いかけにアッシュは吹き出し、笑いながら告げる。


「驚いた。まさか私に攻撃を当てるつもりなのか?」

「……そのつもりもないのに試合をすると?」


 鋭い視線を向けるカノン。しかし、アッシュは首を振った。


「失礼した。そうだな。それくらいの意気込みの方がいい。戦う前から負けることしか考えてない輩より何十倍も、な」


 若い。だからこそ勢いがある。剣士の頂に立ち、自らの力を十二分に把握してその全てを制御するに至った自分からは久しく感じることが出来なくなった熱がそこにはあった。そんな感傷を抱き、アッシュはカノンに少し羨望の眼差しを向ける。


(さっき咄嗟に放った剣氣といい、いい人財だ。これからも伸びていくだろう……もしやするとこの私を超える逸材となるかもしれんな)


 未来ある若者。目の前の少女はまさしくそうだった。ルイドから説明を受ける際に映写魔術でカノンの顔を見た時は若く美しい剣聖の自分に浮いた話の一つもないことから見目麗しい女性の中からある程度の実力がある者を選んでアッシュに異性へ興味を持たせようとしているのだとばかり思っていた。

 しかし、実際に見てみれば憐れな釣り餌の娘としか見ていなかったカノンの実力は本物だということが分かった。当初は気が乗らない依頼だったが出てきてよかった。そう思いながら開始線に立つアッシュ。


「アッシュさん、油断してると足元掬われますよ」


 ルイドから軽い忠告が届けられるがアッシュは軽く笑って聞き流した。入学試験の結果は聞いている。油断したのはルイドの方だろう。そう返してもよかったが、今は目前の相手に集中したかったので流すだけにしておいたのだ。


「……では、【天雷あまつかづち】」


 開始線に移動しながらカノンは雷を纏った。その様子は入学試験の時と異なり、静かなものだった。


 開始線に立ち、対峙する二人。審判役はルイド。彼の号令と共に試合が始まる。

剣聖と若き剣士の視線が交差する。一拍の後、審判が短く告げた。


「始め!」

「【雷動疾駆】」


 先手を取ったのはカノンだった。見学していたチェリーナの紫眼には消えたという情報しか入ってこない速度で飛び出した彼女はその勢いのまま無言で刺突を放つ。


(成程、速いな。試合前の自信も納得だ)


 対するアッシュは冷静にそれを見ていた。そして半歩前に出る形で刺突を避けつつカノンの懐に入る。ここからカノンにまずは軽く一撃。


 その考えは、甘かった。


「ッ!」


 百戦錬磨のアッシュの背筋に冷たいものが流れる。同時に、大きく飛び退いた。その僅か数瞬後。下がったはずのアッシュのすぐ横をカノンの剣が通り過ぎていた。

 しかし、避けられたと安堵などしていられない。剣は尚も軌道を変え、アッシュに先端を向けている。


(これは、様子見をしている場合じゃないな)


 剣聖は対戦相手の実力の高さを改めて認めた。即座にギアを上げる。仕切り直しと行こう。そう考えるアッシュだったが、相手はアッシュに切り替える暇を与えない。


「【嵐爪】」


 剣撃の嵐。アッシュは防戦一方に陥る。時折、カノンの攻撃に隙を見出しては反撃に出ようとするが、彼の第六感が警鐘を鳴らしそれを妨げる。


(……何だ? 誘われてる? どうなってるんだ? 俺が押されるだけ?)


 苛烈な攻撃に晒され、焦燥感がアッシュを焦がす。少女相手に防戦一方という事実が剣聖としての彼のプライドを苛む。まして、皇族の娘が見学している状況。常人であれば焦りもひとしおだろう。

 だが、アッシュは無理にそれを打破しようとはしなかった。彼は経験則からこの攻撃の嵐も持続は難しく、直に止むと判断し、それを待つことにしたのだ。


 ―――しかし。


 カノンは、止まらなかった。


(まだか……? この子の体力は、魔力はどうなってるんだ? これでは受けている俺の方が……いや、木刀が先に折れる!)


 自身が持つ木刀の悲鳴を聞きながらアッシュは失策を悟る。借り物の木刀が悪いわけではない。条件としてはカノンも同じだ。ただ、纏っていた魔力の質が違う。


(……見立てが甘かったのはどうやら俺の方だな)


 初対面でカノンに放った剣氣への対応から彼女の実力を測っていたつもりだった。それだけで見ていれば格下の相手。そのため、試合前のカノンの言葉を笑っている余裕さえあった。だが、アッシュは笑っている場合ではなかった。初対面のあの時から少女はこちらを惑わすために剣氣を抑えていたのだ。このままでは剣聖の名が、帝国の威信が揺らいでしまう。若き剣聖は一つ、覚悟を決めた。


(その才、攻撃だけとは言わないでくれよ!)


 殺気。アッシュと初対面する前に扉を開けた時とは比にならない程の威圧感が場を駆け巡る。思わず短く悲鳴を上げるチェリーナ。気当たりによるフェイントだ。実際は反撃に転じられないアッシュがカノンを怯ませるために行ったもの。だがしかし、カノンはそんなものを意にも介さない。これにはアッシュも驚いた。


(先程から驚かされてばかりだが、ここからはこちらも一味変わらせてもらう!)


 アッシュはカノンの猛攻の隙と思われる場所に斬り込んだ。先程から誘い込んでいるような気配を感じさせる間隙だが、あえて乗り込んだのだ。


「はァッ!」


 当然、カノンは罠にかかった相手を始末しにかかる。アッシュはそれを捌きつつカノンの後方へと逃れた。


「ごふっ……」


 尤も、逃れたと思ったのはアッシュだけだったが。


 稲妻のような後ろ蹴りがカノンから繰り出された。剣技を競い合う最中にあったアッシュの想定外の出来事だった。辛うじて木刀でそれを受け止めるも蹈鞴を踏むアッシュ。追撃するカノンは油断も躊躇もせずにアッシュを仕留めにかかる。


「待った!」


 そこに待ったの声が掛けられた。ルイドだ。カノンの木刀がアッシュの持つ木刀ごと頭蓋に叩きこまれる寸前で止められた。


「カノンさん、ちょっと待ってください。剣聖との戦いなんですから剣技で……」

「……何でですか? 師匠は戦いとは何でもありと言ってましたし、特に今回の試合では一般的な戦い方をしていましたよ?」


 一瞬鋭い目を向けたカノンだが、ルイドの言葉を聞いて心底理解不能そうな顔をすることになる。ただ、アッシュもカノンの意見に同意だった。


「ルイドさん、カノンの言う通りだ。私が油断していただけの話。試合を再開してください」

「……僕は彼女に剣技を教えてほしいと言ったんですがね。まぁ、お二人がそれでいいのでしたら」


 ルイドは微妙な顔をして再開の宣言をしようとする。丁度その時、アッシュの木刀が折れた。ルイドは至極当たり前に告げる。


「新しいものと交換を」


 眉を顰めるカノン。ここまで彼女が作り上げてきた有利な土台が全て覆されてしまった。その表情を見てアッシュは苦笑する。


「そう睨まないでくれ。ルイドさんも悪気があった訳じゃない」

「……別にいいです。運も実力の内ですから」


 完全に仕切り直しにされた。勝利まであと一歩だったカノンは苦い顔をしながら開始線に立つ。それと同じように新しい木刀を手にしたアッシュも開始線に立つ。


「さて、ここからは私も本気だ。先程までと同じだと思わないように」

「……そうですね」


 開始線に着いた二人。カノンも頭を切り替えて無表情に戻っていた。落ち着き払った動作に動揺は見られない。


(凄い子だ。普通なら怒るなり動揺して然るべきだろうに……これは本物の逸材だ)


 だが、とアッシュは木刀を構える。


(まだ、先達として、負ける訳には行かない!)


 失われたはずの熱を持ってアッシュは再び試合の場に立った。そしてルイドの掛け声と共に再び勝負の幕が上がるのだった。



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