第17話
「カノン、学校に遅れるぞ」
「大丈夫です。まだ時間はあります」
朝の支度を優雅に終えてにこにこしながら村井のことを眺めているカノン。彼女が学校に通い始めてからいつもの習慣となっていた。
「……何があるか分からないからある程度時間に余裕を持って行動した方がいいぞ」
「いつも出る時間まであと十分くらいあります。大丈夫です」
村井が時計を確認させてもカノンは慌てる素振りなど一切見せない。これもいつものことかと思いながら村井はカノンが学校に通い始めた時のことを思い出す。ルイドが課した入学試験を受けた翌週からカノンは冒険者ギルドの最高責任者であるミリアの指示通りに学校に通うことになった。
その日からカノンは少しこだわりを見せるものの大人しく学校に通ってくれているため村井としては事を荒げたくないというのが本音で、無用なことを言ってカノンの機嫌を悪くさせたくなかったのだ。
カノンが見た時計を自分でも確認する村井。カノンは後十分あると言っていたが、時間的には今から歩いて学校に向かえばギリギリといったところだろう。
(今日もまた時間ギリギリまで自宅にいて【二足纏雷】を使って学校に滑り込むんだろうな……)
結構頑張って【纏雷】の術を開発した村井としてはカノンに色々と言いたいところだが、食後の紅茶でそのセリフを飲み込んだ。そんな村井に対してカノンは尋ねる。
「師匠は今日、何をされるんですか?」
「……んー、決めてないけど適当にギルドに顔を出すかな……」
金銭的に余裕があるので村井は別に今日も取り立てて働くこともなく、のんびり過ごすつもりだった。情報を集めるためにギルドに顔を出し、何か面白そうな依頼でもあれば受けるつもりだが特に決まった予定はない。
その旨を正直に伝えるとカノンはそれを咎めるでもなく頷いた。
「そうですか。何時頃お戻りに?」
「あー、まぁ、カノンの学校が終わる頃には家に戻ってるんじゃないか?」
「わかりました。では、早めに帰ってきますね」
本当に最短距離を突っ切って帰って来る愛弟子にサロンに出たり課外活動に勤しんでみたりしないのかと訊いてみたいが、過去の経験からそれもカノンの機嫌を悪くさせるだけと理解しているので村井はまたも何も言わない。
(……まぁ、ストーリーが動き出すのは来年のことだし。今年は無理にあれこれ手を出させなくても見識を広めてくれるだけでいいか……)
取り敢えず、カノンを学校に通わせるという自分に課せられていた役割は終えたので村井はのんびりすることにしているのだ。後は学校やギルドが何とかするだろうという適当な見通しだった。
「では師匠、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
本当に学校が始まるギリギリまで自宅に残っていたカノンが出ていくのを見送ってから村井も身体を伸ばして食器等を片付ける。今日もなかなかいい天気だった。
「……はぁ」
空は快晴。しかし、学校に到着するなりカノンは億劫そうに溜息をついていた。足に雷を纏い、高速で登校する美少女の噂は既に学校中に広まっており、彼女を一目見ようとする学生も増えている。衆目を集めるカノンだが、そんなことは気にせずに【二足纏雷】を解いて特待生たちが待つ彼女のクラスへと移動した。
「ごきげんよう、カノンさん」
教室に入ると金髪紫眼の美少女がカノンを待ち受けていた。彼女はカノンがこの学校に始めてきた時に道案内してくれた女子生徒だ。彼女の名はチェリーナというらしい。立ち振る舞いや噂を聞くに、恐らくかなり高貴な家柄の少女だろうが、カノンはあまり興味がなかったので表面上の付き合い程度に留めていた。そんな彼女の隣にはお付きのテルーという少し地味目な少女もいる。
「……おはようございます。どうかされましたか?」
「聞いてくださいまし。本日、学園に剣聖アッシュ様がいらしているとのことです。何でも、特別講師に来ていただいたとか……」
「あぁ、来たんですか……」
チェリーナの言葉にカノンは僅かに柳眉を顰めた。剣聖の招待は学園側がカノンのために用意すると言っていた特別施策だ。剣聖を説得するのに時間がかかる可能性が高く、気長に待っていてほしいと言われていたが思いの外早いお出ましだった。
それだけカノンに対する期待度が高いということだろう。カノンはそれを自覚して憂鬱な気分になった。そんなカノンの様子を見てチェリーナは感心する。
「カノンさん、こんな時でも冷静ですわね。若く美しき天才、アッシュ様ですよ? 恐らく、三年生の先輩方のお相手でしょうが……私たちも近くで見てみたいですわね? 見に行きます?」
「……見たいんですか?」
「それはもう!」
「……でしたら、伝えてみますね」
カノンの台詞にチェリーナは「え?」と首を傾げたが、ホームルームの後、剣聖側の都合に合わせてカノンの時間割変更が行われたのを受けてカノンが言っていた意味を理解することになる。
「まぁまぁまぁ! どうしましょうかしら! 皇族の末席である私でも間近でお会いするのは初めてですのよ!」
「そうですか。よかったですね」
「……その落ち着きの半分程度でいいので分けて欲しいですわね」
若き美しい剣士と初対面いうことで興奮しているらしいチェリーナ。テルーも相槌を打って彼女の意見に賛同している。冷静なのは先導している学長のルイドとカノンの二人だけだった。カノンからすればチェリーナが皇族の人間であることの方が驚きだったりする。
「さて、落ち着いてください。アッシュさんはこの扉の向こうにいるのでくれぐれも粗相のないように」
ルイドの言葉にチェリーナは何度も頷いた。カノンの反応も見るルイドだが彼女は普段通りの様子で特に感情の起伏が見られないので問題なしと判断して一行を剣聖が待つ室内に入れた。
「失礼するよ」
ルイドが扉を開けた刹那。凄まじい威圧感が室内から外目がけて駆け巡る。
「ひっ……」
「ご、ごきげんよう」
反射的に悲鳴を上げたのはテルーだった。流石は皇族とでも言うべきかチェリーナは何とか外面を取り繕って挨拶する。残るカノンは冷たい目をして室内にいる青年を睨んでいた。また、同時に彼女も威圧感を発している。
「ほう……大した剣氣だ」
その威圧に中心にいた美青年が少しだけ笑みを浮かべる。金色の短髪に灰色の目。美しいが冷たい印象を与える顔立ちは今は少し人間らしい温かみのある表情をしており、若干の笑みを浮かべていた。カノンが一見しただけで軽装の鎧越しに鍛えられた肉体が見て取れる偉丈夫だった。そんな彼をルイドは窘める。
「アッシュさん、挨拶くらいは普通にしてください」
「……何、今のは簡単なテストですよ。この程度のことで一々狼狽えるような相手であれば私は帰っているところです。その点、彼女は合格です……初めましてカノンとそのご学友。私が剣聖アッシュ・ジャックスだ。」
「……初めまして。カノン・メルノフ・マーガです」
初対面というのにいきなり敵意を露わにされた後に馴れ馴れしい態度で名前を呼び捨てにされたことが気に入らなかったカノンは無表情に僅かな不機嫌さを滲ませて名を告げる。だが、誰もそれを気にしないまま彼女に続いてチェリーナが名乗った。
「お会いできて光栄ですわ。私、チェリーナ・フィードベル・クエーサーと申します。こちらはマッカー家の子女のテルー・マッカー。以後、お見知り置きを」
「あぁ、うん……」
カノンに対する視線に比べて戸惑いが織り込まれた視線を向けるアッシュ。彼は隠すこともなくルイドに尋ねた。
「ルイド先生、私が面倒を看るのはカノンだけでよかったはずでは?」
「その通りです。ただ、見学したいとの申し出だったので少し見せてあげようかと。彼女もまた将来有望な子ですから」
「……贔屓、ではないですよね?」
「なんでしたら一度、私との試合を見てみますか? ただ、カノンさん程ではないので寸止めの試合形式と言う形になりますが……」
少し逡巡するアッシュだが、見学だけなら別にいいだろうと割り切ってその申し出を断った。チェリーナは悔しいような安堵したような微妙な気持ちになりつつも静かに引き下がる。それを見届けた後にアッシュが口を開いた。
「……それではすぐに始めよう。申し訳ないが私も多忙の身でね。時間が惜しい」
「わかりました」
席を立つアッシュ。その佇まいは研ぎ澄まされた美しい抜き身の刃を思わせるものだった。相手は強い。それを理解しながらカノンはどう戦うかを考えながら彼の後に続くのだった。
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