第16話
ルイドに別れを告げて村井はカノンと冒険者ギルドを後にした。目指す先は滞在中の宿だ。沈んだ表情をしているカノンの機嫌を取りながら道中を進む村井だがカノンの機嫌がよくなることはない。村井はそれをどうすることも出来ずにとうとう宿まで辿り着いてしまう。
(さて、どうしたものか……)
そのまま部屋に入ってカノンの様子を見ていた村井だが、しばらく経ってもカノンは村井の傍から離れなかった。彼の移動に合わせて移動するだけだ。
「カノン、部屋に着いたぞ」
返事すらない。仕方がないので村井はカノンの華奢な肩を持って揺すってみる。すると少女は我に返ったようだった。
「あれ……師匠?」
「大丈夫か? 宿に着いたぞ。今日はもう夕食とシャワーを終えたら休もう。一晩寝たらある程度思考もすっきりするはずだ」
そう言って帰り道で買ったパンと大きな粗挽きソーセージを見せる村井。カノンはそれをぼんやり眺めるも特に反応しなかった。その様子を見て村井は内心で嘆く。
(こんな風に育てたつもりはなかったんだが……)
どうしてこうなってしまったのだろうと思いながら村井はカノンに再び呼びかけを行い、我に返す。カノンはすぐに謝って夕食の準備に取り掛かった。気まずい時間が流れる。
「先、シャワー浴びてくる」
「あ、はい……」
無言の時間に耐え切れず、逃げるようにカノンから離れる村井。カノンはその後姿を見送って静かに俯いた。
「……頑張ったのにな」
誰に聞かせるでもなくカノンはそう呟くと今日あったことを振り返りながら料理を再開する。初めての学校。初対面の人との模擬戦。村井から教えてもらった勉強の他に一週間で詰め込んだ知識をフル動員して受けた学力試験。ギルドマスターとの初邂逅……目まぐるしい一日だった。
しかし、何を考えようとも彼女の頭が戻って来るのは彼女が行った一世一代の告白の場面。村井へ想いを告げたギルドの一室での一幕だった。
(……師匠、答えてくれなかったな)
カノンが勇気を出して言った台詞への村井の返事が彼女はとても気になっていた。村井の困惑した様子は見て取れたが、返事を聞く前にミリアによって話が止められてしまった上、その後の話し合いとギルドマスターの脅迫の所為で有耶無耶な結果に終わっている。
もう一度確認すべきか。だがしかし、村井の困った様子を見るからに今再び訊いてもいい答えが返ってきそうにない。村井のカノンと距離を取る意志は固そうだった。
(……学校、行かなくちゃダメかぁ。イヤだなぁ……)
カノンにとってせめてもの救いは村井が帝都に残って一緒に暮らしてくれる可能性が高いこと位だろうか。これで学校に行く朝から夕方にかけての時間以外は村井と一緒にいることが出来る。住み慣れた家から長期間離れることにも抵抗はあるが、村井から離れるのに比べればマシだ。
「はぁ。出来たけど、師匠がシャワーから出て来るまでこのままでいいか……」
調理を終えたカノンは再加熱がしやすいように調理器具の中に料理を残したままソファに向かい村井が戻って来るのを待つ。その頭の中では色んなことが巡っていたが、ひとまずは不本意ながらギルドマスターの要求を呑むという形が形成されつつあった。
(でも、あの人の言いなりになっていたら今後が心配……何かないかな?)
ただ、今回は冒険者ギルドのギルドマスターであるミリアの要求を受けるとして、今後も何かにつけていいように使われるかもしれないと危機感を抱いたカノンは対抗策を思案し始める。
差し当たっては帝都の冒険者ギルドの副ギルド長であるシークが持ってきた学校の資料が今一番カノンにとって問題となっている学校についての知識を得る手段となるだろう。カノンは資料を見ながら何とか学校の所属期間を短く済ませられないかと頭を巡らせる。そのついでに、他に穴はないかと冒険者ギルドの規定も思い出しながら考えた。
(……学校はこの資料じゃよくわかんないな。何をするところなのかは書いてあるけど……)
取り敢えず学校の資料を見て溜息を吐くカノン。資料には帝国騎士団への入団率やどこどこのギルドと提携してどんな実績を挙げたかなどの情報、また皇族や貴族とのつながりを深める場所としての情報が載っていた。しかし、カノンにとってはどれも興味のない話だった。
(皆にとっては大事なんだろうけど、私は……)
カノンは資料に載っているような誰かにとっての輝かしい未来像をどうでもいいと思い、改めて自己の欲求を確かめていた。そして彼女は村井と今の生活を過ごせればそれでいいという考えを改めて実感する。
(私は師匠と一緒に暮らしたい。そのためには……)
やりたいことをはっきりさせてしばし思案するカノン。彼女の聡明な頭脳は彼女を裏切らない。少し悩んだ彼女はすぐに簡単なことに気付いた。それは、彼女の師匠が歩んで到達した現時点の場所だった。
「お金と実績があればいいんだ」
ぽつりと漏らした答え。それは悪くないものだった。
(お金があればギルドを辞めさせられても大丈夫だし、将来やりたいことが出来た時にも何とか出来るって反論が出来る。実績があれば、自分を守る盾になる。この二つが揃ってたら師匠が言う大人の条件、経済的自立とか言うのも達成できるはず……これなら、師匠に子どもの我儘じゃない、本気で言ってるって認めてもらえるかも)
自分なりの考えが出来たとたんにカノンは目の前が少し明るくなった気がした。後は村井の考え次第だが、一週間前の質問責めの時間で自分と一緒に過ごす時間は悪くないという答えは聞いている。尤も、それ以上にカノンが独り立ちすることを優先しようとする村井の言葉はあったが、それはなかったものにしておいた。
「……あんまり師匠を困らせてもダメだから。私も出来る事をしないと」
ひとまず、カノンは周囲に怪しまれることのないように作戦を立てることにするのだった。
一方、シャワーを浴び終えた村井は脱衣所で考え込んでいた。
(……カノンがあれほど嫌がるとは……というより、何で俺から離れたがらないんだ……?)
落ち着いた様子でカノンを慰めていたように見える村井だが、彼は彼でカノンが自分から離れないと宣言したことを受けて困惑していた。村井にとってカノンは成長してこの世界の
(……何とも言い辛い感じだな……)
端的に言って、村井はカノンに複雑な感情を抱いている。それは愛情であったり、嫉妬であったり、独占欲であったり、劣等感であったり、本当に様々なものだ。ただ、ここ最近はそれらの感情を棚上げしてこの世界のストーリーを進めなければならないという義務感で動いていた。それがひっくり返されたのだ。
(どうしたものかな……一週間前に遠慮せずにもっと質問しておけばよかった)
カノンに訊きたいことはたくさんあるが、聞けるタイミングは逃している。ただ、だからと言って放置するわけにもいかない。
「はぁ……」
脱衣所を出るのが億劫だった。だがしかし、あまりこの場に留まっているのも食事を準備してくれているカノンに申し訳ない。
(……正直に言って気持ちは嬉しい。あんな美少女に想われることなんて元の世界にいた頃には考えられなかったことだし、実際に言われた今でも考えられない。けど、カノンには未来がある。それを摘むことは出来ないと諭すのが俺の役目だな……)
改めてそう思う村井だが、問題はデリケートなものだ。カノンは不安定な状態であり、無理に引き離す真似は彼女を更なる不安に晒すだけ。ルイドが言っていたように彼女を追い詰める行為になってしまう。
(折を見て、だな……はぁ。難儀なものだなぁ……)
溜息をついてから思考を切り替えて脱衣所から出る村井。しかし、彼を待ち受けていたのは帝都で学校の話題があった前のような態度を取るカノンだった。
「カノン、もう大丈夫なのか?」
「はい。ご心配かけました」
「そうか……それで、その。ギルドマスターの話だが……」
恐る恐る学校の話題を切り出してみる村井。だが、カノンは困ったような笑顔で答える。
「分かっています。そこまで無理は言いません」
「そ、そうか」
ただ。とカノンは付け足した。
「どうしてもの時や私が一人前になった時など……師匠に迷惑をかけないなら学校を辞めてもいいですか?」
妙なことを聞いてくるな。村井はそう思ったが、ルイドの「子どもが初めて学校に行く際に不安なのは、戻って来た時に親がいないかもしれないということ」という言葉を思い出し、逃げ場所も必要かと判断して頷いた。
「大丈夫だ。その時は、学校をやめていい」
「ありがとうございます」
頭を下げるカノン。その後、夕食を取った二人は帝都で学校の話題をする前のように仲睦まじく過ごすことになるのだった。
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