第11話

 村井は旧知の仲であるシークの求めに応じるまま退室し、冒険者ギルドの掲示板や刊行物を見ながらしばし時間潰しをしていた。

 そんな彼がカノンと冒険者ギルド帝都本部の副ギルト長であるシークが待つ部屋に戻って来た時、室内の空気は妙なことになっていた。カノンがどことなく自分に冷たい感じになっているのだ。彼女は村井が隣に座るとすぐにその花唇を開いた。


「……シークさんから色々と話は聞かせてもらいました」

「? 何の話だ?」

「師匠が若い頃のお話です」


 本当に何の話をしていたのだろうか。学校の話はどうしたというのか。そんな目でシークを見ると彼は乱雑に頭を掻いて謝罪する。


「あー、ちょっとやんちゃしてた頃の話を聞かれてね……」

「あんまり聞かれたくないことだな……カノンは真面目に」


 村井はそこまで深いことは言っていないだろうと苦笑してカノンに自分のことは反面教師にしてほしいと言おうとする。だがそれを遮ってカノンはジト目で村井を糾弾した。


「師匠、昔は随分と女性に手が早かったそうですね?」

「……いや、まぁ。若気の至りってのはあるよ。ただ今は違う」


 村井は自信を持って断言する。異世界に来たばかりの頃は若さと、この世界の美女の多さから金が入ると身を崩さない程度に散財していたが、今はある程度落ち着いている。現にこんなに可愛らしく成長した美少女と一緒に生活していながらそういう類の空気を一切させていないではないか。そう言いたいくらいだった。

 だが、カノンとの今後の関係を考えるとそうも言えない。無言になる村井に対してカノンは身を乗り出して追及してきた。


「本当ですか? 依頼が終わっていつも別行動してたのって本当はそういうことをしに行ってたとか……」


 邪推してくるカノン。村井は咳払いして窘めた。


「違う違う。そんなことはしてないから話を元に戻すぞ?」

「うー……この話の続きはホテルでゆっくり聞かせてもらいます」

「そんなことより学校の話はどうなったんだ? シーク、あんたは俺のことをカノンに面白おかしく話すためだけに中座させたわけじゃないよな?」


 話を露骨に逸らす村井。ただ実際、その話がしたいのも本当のことだった。シークは村井の様子を少し面白そうに見ていたが気を取り直してカノンに告げる。


「カノンちゃん、帝都に出て来て色んな経験をすれば必ず今後の役に立つ。考えてくれないかな?」

「……イヤです」

「カノン」

「うぅ……どうして私なんですか……枠が空いているなら学校に行きたい人に行ってもらえばいいじゃないですか……」


 本当に嫌そうなカノンに村井たちもあまり無理に勧めることは出来ない。それでももう少しだけ粘ってみるがカノンの意思は固いようで、今日のところはこれでお開きということになった。別れ際、シークと村井は最後に言葉を交わす。


「カノンちゃんが考え直してくれたらすぐに連絡してくれ。来年の入学が年齢的にもいいんだが、最悪途中で編入する。手続きはこちらで進めるから」

「悪いな」

「何、ギルドたっての有望株だ。これくらいの便宜は安いもんさ」


(……行きたくないんですが。私の都合も考えてほしいんですけど……)


 カノンの無言の主張は流されてカノンと村井はギルドを後にする。そのまま真っすぐホテルに戻るとカノンはむくれながら村井にくっついて口を開いた。


「お話、しますよ」

「……カノン、お前も年頃なんだから、そうくっつくのはやめなさい」

「逃がしません」

「誰彼構わずそういうことしてたら襲われるぞ?」

「師匠にしかしません。あと、話を逸らさないでください」


 カノンは村井の腕を取って村井をベッドに連れ込む。二人がベッドに辿り着くとその縁に腰掛けた。


「さて、訊きたいことはいっぱいありますが……まずは、その……師匠、大事な話です。茶化さないでくださいね?」


 少し言い辛そうにしながらも真剣そうにそう言ってくるカノンに村井は居住まいを正して言葉を促す。すると彼女は顔をほんのり赤くしながら言った。


「師匠って……本当はえっちな人なんですか?」

「違う」


 恥じらうカノンが愛くるしくてそのままベッドに押し倒してやりたいと思わないでもないが、それは健全な男ならそう思うものだろう。村井は堂々と割り切った。

 それに対し、カノンは村井の脈拍を取ってその真偽を確かめようとするが自分の鼓動がうるさくてあまりわからなかった。この状況、カノンも意識しないわけでもないのだ。


「つ、次の質問です。年下と年上、どっちが好きですか?」

「……何か変なこと訊くな。そんなことより学校の話をしたいんだが」

「こ、答えてくれたらちゃんと私も質問に答えます」

「そうか? じゃあ答えるけど……年下でも年上でも好きになる時は好きになると思うぞ?」


 何かはぐらかされている気がする。だが、望んでいた答えに近いのでカノンはそのまま次の質問に移った。だが、元来の気質から核心に迫る質問は出来ない。もどかしさを感じながらカノンは村井の答えに一喜一憂する。


(……楽しそうだな。恋バナに飢えてたのかな?)


 それに対し、村井は呑気なことを考えていた。そしてついでにカノンに質問することもそんなにないことに思い当たる。カノンが質問に答えたところで学校に行くか行かないかは別問題なのだ。だが、久し振りに楽しそうなカノンを見て中断するのも気が引けた。


「じゃ、じゃあ……その、わ、私がお家に来てから、シテないんですね?」

「……他の人とはね」

「他の人? 誰かとはシたんですか?」

「カノン、あんまりそういうところ訊くなら同じような質問するよ?」

「あぅ……わ、私は、まだ、誰ともしてません……! い、言いましたよ……! 師匠も答えてください……」


 羞恥に顔を赤らめながらも爛々と目を輝かせて質問を重ねるカノン。胸に抱きこまれるように挟まれた腕からは早鐘のように鳴っているカノンの鼓動が伝わって来る。村井は少し困った後、カノンに告げる。


「カノン」

「は、はい」

「攻守交替」

「え?」


 肩透かしを食らったカノンはきょとんとした顔になった。それを気にせず村井はカノンに質問する。


「カノン、学校に行きたくない理由は?」


 楽しそうにしていたカノンだが、村井が急に真面目な質問を始めたことで溜息をついた。しかし、約束は約束だと口を開く。


「師匠が一人になるからです」

「……? それに何の問題が?」

「わからないならわからないでいいんです!」

「カノン、質問に答えればカノンも質問に答えるって言ったよな?」


 その言葉を聞いてカノンは少し言葉に詰まった後、か細い声で答えた。


「師匠、放っておいたら女の人に騙されそうですし……」

「……そんな素振りを見せた覚えはないんだが」


 村井には本当に心当たりがなかった。だがしかし、カノンは二人が住んでいる町での人間関係などを詳らかにして村井を論破しにかかる。それを聞いても村井が危機感を持っていないのを見ると溜息を吐いた。


「やっぱり師匠は私がいないと……」

「カノン。お前、俺の事ちょっと馬鹿にしてないか?」

「そんなことないですよ? 師匠は凄い人だということは私が一番よく知っています。ただ、英雄色を好むという言葉もありますから……」

「何か色々と突っ込みどころのある会話だな」


 村井は溜息をつき、カノンの端整な顔をしっかり見て彼女が安心するように言い切った。


「カノン、俺はお前が居なくても大丈夫だ」

「え……」


 急な宣言に驚いて固まるカノン。村井は続けて言った。


「だから安心して学校に行って一人前になってくれ。いつまでも俺なんかと一緒は嫌だろう?」


 何とも言えない曖昧な笑みを浮かべてそう告げる村井。そんな彼の言葉を聞いてカノンは俯いて固まってしまった。納得してくれたか。村井はそう思いながら追い打ちをかける。


「カノンはもう一人になれる時期だ。さっきから俺のことを気にしてるみたいだが、俺のことなんかどうでもいいんだよ。俺はもう終わった人なんだから。カノンがやりたいことを考えて、元気に活躍してくれた方が俺は嬉しい」

「……か」

「ん?」


 良いこと言えたかな? いや、何かまとまりに欠ける微妙なセリフだったな。村井はそんなことを思いながらカノンが何か言っているのを聞く態度に入る。


 しかし、彼女が口にした言葉は村井が思っていたものとは全く異なるものだった。


「ししょうのばか!」


 カノンが再び顔を上げてはっきりとした言葉を言った時、彼女の目には大粒の涙が浮かんでいた。彼女は問答無用で村井をベッドに押し倒すとその上に馬乗りになって彼にしがみつく。更に唸るように言い始めた。


「うぅ~……私、あんなにがんばったのに……いっしょにいてくれるようにいっぱいがんばったのに……師匠は何にもわかってくれない。なんでいっしょにいてくれないの? ばか、ししょうのばか」

「……あー、なんだ。ごめんな?」

「謝ればいいと思ってる。なにもわかってないくせに」


 図星だった。幼児退行したカノンを前に、村井は何がカノンの逆鱗に触れたのか少し考えて……すぐに気付く。それと同時に彼女が何を望んでいるのかも何となく理解した。村井が謝って先程の言葉を撤回し、この愛らしい少女と共に暮らしたいと言えばこの場は解決するだろう。

 だが、その選択肢を選んでしまうとこの未来ある少女を自分と同じ沼に引き摺りこんでしまう。それは避けたかった。そのため、村井は重ねて言った。


「カノン、もう一人立ちする時が来たんだ。俺に構ってないで前に進め。な?」

「ひどい。ししょーはひどい。お料理だって、お稽古だって、何だって師匠のためにがんばったのに。私、一人になったら何したらいいのかわかんない」


 カノンの本心と思われる言葉に村井は胸が締め付けられた。自分は少女に見せかけの強さやスキルは与えられていても本当は何もしてあげられていなかったのだと思い知らされたのだ。指導者失格だ。

 実際は村井が思っていることとカノンが感じていることにはズレがあったが、それに気付かないまま村井は告げる。


「それを見つけるための学校だ。一度行ってみてダメだったら戻ってきたらいい」


 村井の言葉を聞いてカノンは少し黙った。もう一押しか。村井はここで追加する言葉を考える。だがその前にカノンが口を開いた。


「……いっかいだめならもどってもいいの?」

「え、ダメだったらの話だぞ?」

「ダメだったら、いいの?」


 じっと村井を見つめてカノンは静謐な力を込めて尋ねる。村井は取り敢えず学校に行ってくれれば考えも変わるだろうと安易な考えで頷いた。カノンはその答えを聞いて力を緩めた。


「……分かりました。取り乱してすみません。少しだけ、行ってみます」


 ようやくその言葉を引き出せた。村井は軽く笑みを浮かべてカノンの門出を祝福するのだった。




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