第10話

 ある日の昼下がり。村井はカノンを連れて帝都に出て来ていた。カノンが村井の家に来てからも何度か買い出しや高難易度の指名依頼などで帝都には来ていたが、今回は珍しく人に呼ばれての来訪だった。


「帝都はいつ来ても賑わってますね。逸れないようにしないと」

「そうだな。ま、行き先は分かってるから逸れても問題はないと思うが……」

「……そうですけど」


 村井の返事にどこか納得いっていなさそうな顔になるカノン。その顔を村井は見ていない。逆にカノンは村井のことをよく見ていた。そして、少し前までは人混みでは逸れないように手を引いてくれたり目を離さずにいてくれたのに今は……と少し暗い気分にさせられていた。しかし、それも成長に伴う信頼の証だと考え直すことでカノンは気分を持ち直して歩みを進める。

 そんな二人が向かっているのは帝都にある冒険者ギルドの本部だ。そこにいる副ギルド長が今回、二人を呼び出した人物になる。今回はカノンを連れてきてほしいという話だったので村井は何となく話の内容に予想がついていた。だが、カノンの方は村井が出かけるのについて来てと言われたから喜んでついて来たという感じで、何の予想もしていない。

 村井から離れないようにつかず離れず……というにはかなり近い距離を維持しているカノン。村井が彼女を見るとすぐに目が合った。


「どうかしましたか?」

「いや、なんでもない。もうすぐ着くな」

「そうですね。今日は一体何の話ですかね?」


 小首を傾げるカノン。少し離れたところから冒険者ギルドが見え始める。その入口には既に副ギルド長が立っていた。


「おっと、お待ちかねだったらしいな……」

「暇なんですかね?」

「そんなことはないだろう。ただ、こっちの方が大事な用件ってだけで」

「そんな大事な話をするんですか?」


 カノンの問いかけに曖昧な答えを返した村井はギルドの門前で待つ副ギルド長の下へ軽く小走りで駆けて行く。カノンもそれに倣って移動した。


「よぉ、【雷刃】にカノンちゃん。来てくれて感謝する」

「副ギルド長直々のお呼びとなれば断れないからな」

「とか言って割と断るじゃねぇか。まぁ、冗談はさておきこんなところで立ち話もなんだ。入ってくれ」


 案内されるままに移動する村井とカノン。二人は王家からの感謝状や珍しい魔獣の剥製、見たこともないような美しく巨大な魔石などが飾られている立派な応接間に連れて来られて高級感あふれるソファに座らされる。


「粗茶ですが」

「あ、どうも」

「ありがとうございます」


 村井の好みに合わせて緑茶が出される。副ギルド長が先にそれに手を付けてから口を開いた。


「さて、用件ってのは他でもない。カノンちゃんについてだ」

「え……? 私ですか?」

「……何だ、言ってなかったのか?」


 唐突に名を呼ばれて驚いた様子のカノンを見て副ギルド長は村井に目を向ける。村井は無言で頷き、副ギルド長は面倒臭そうな顔になった。


「マジか……道理ですんなり来てくれた訳だ」


 この時点でカノンは何やら嫌な予感がして村井を見上げる。彼は肩を竦めて軽く申し訳なさそうに言った。


「ま、大方予想は付いただろうが……カノン、学校の話だ」


 それを聞くとカノンは渋い顔になる。それを見て副ギルド長も困った顔になり、頭を掻きながらぼやいた。


「カノンちゃんくらい頭がいいとなると普通は喜ぶところなのになぁ」

「……別に、行かなくてもいいと思うので。師匠は行った方がいいと思ってるみたいですけど」


 話を切り出された時点でカノンは若干不貞腐れ気味になっていた。以前にも彼女は二人が住む町の冒険者ギルドを通して帝都の学校に通うように言われたことがあったのだ。その際、村井もそれに賛成した。しかし、カノンは拒絶。しばらくギルドへの訪問や滞在を最小限にするようになったというおまけ付きで、町のギルドの職員たちをやきもきさせる結果に終わっていた。そんな経緯があったが、ギルド上層部としてはこの有望株を地方都市の冒険者として終わらせたくなかったので帝都の本部に掛け合ってもらうように上申。村井としても原作通りにカノンに学校へ行ってもらおうと考えているのでギルドの申し出に一枚噛んだ形になる。


「ま、無理に行けとは言わんが……最後まで学校に通えなかった身として言わせてもらうとすると行った方がいいと思うぞ」

「……どうしてですか?」

「俺だけじゃ経験させられないことがたくさんあるからな。集団の中で見えてくるものもあるし、経験も見聞も広がる」


 村井の言う通りだと頷く副ギルド長。彼はカノンが将来なりたいものが出来た時に選択の余地を残すためにも学校に行った方がいいと告げる。

 二人の意見を聞いてもカノンはまだ微塵も納得していない顔をしている。彼女は村井を見上げて尋ねた。


「……師匠は私が学校に行っても帝都に来ないんですよね?」

「帝都は物価が高いし、色々と厳しいからな」

「じゃあ、私がお金を払うとしたら……」


 カノンがその続きを言いかけたところで村井が遮った。


「そんな負担になるようなことはしないよ。カノンにはもっと自由にしてほしい」

「自由にさせてくれるとしたら、学校行きたくないんですけど……」

「……カノンちゃんはどうして学校に行きたくないんだ?」


 副ギルド長からの質問にカノンは村井を見上げてから俯いた。村井は首を傾げるが、副ギルド長はそれで大体察した。


「ムライ、ちょっと席外してくれないか? 何、数分でいい。ただ、入る時は必ずノックしてくれ」

「ん? 別にいいが……変なことはするなよ?」


 分かっているとだけ返して村井を部屋から追い出す副ギルド長。部屋に二人きりになったところで副ギルド長は風の魔術を掛けて外に音が漏れないようにしてからカノンに尋ねた。


「それで、学校に行きたくない理由を聞いてもいいかな?」

「……師匠に言わないでくださいね」

「勿論。そのためにムライには席を外してもらったんだ。言ってごらん」

「師匠と離れたくないんです」


 やはり村井絡みの話か。副ギルド長は溜息をつきたい気分になる。だが、それをおくびにも出さずに続けて尋ねた。


「あいつと離れると言っても学校に通う程度なら高々数年だろう? それに、長期連休の時に帰ることだって出来る」

「でも、師匠は気付いたらどこかに行ってしまいそうで……」

「子どもじゃあるまいし、そんな心配は要らないさ」

「そういう問題じゃないんです。今は帰る方法が分からないからあの町で私と一緒に暮らしてくれてただけで、本当は……」


 カノンが本当に恐れていることを聞いて副ギルド長も何とも言えない顔になる。カノンは村井との日常会話から彼が元の居場所に帰るためであれば今あるしがらみ全てを簡単に手放す選択をすると理解していた。カノンはそれが一番怖かったのだ。

 そして副ギルド長も村井が自分に借りを作ってまで数年がかりで何をしようとしていたのか知っていた。一応、村井はその研究に区切りをつけて諦めるとは言っていたが本心ではまだ諦めていなかったのか。そう考えると副ギルド長も微妙な気分にならざるを得ない。

 だが、個人的な感情はさておき、ギルドとしては村井よりもカノンが優先されるべき対象だ。副ギルド長は言葉を選んで口を開く。


「あー……でも、そんなに簡単に行ける場所じゃないって聞いてるぞ?」

「でも、逆はあったんです。いついなくなるか……それに、それ以外にも問題があるんです。師匠、そろそろ身を固めた方がいいって言われてるんですよ」

「あー……」


 それは副ギルド長も思うところだった。経済的にも不自由していない村井。年齢もそろそろ三十路に入ろうとしている彼はそろそろ落ち着いてもいい時分だ。だがカノンは二人の生活に誰かが入って来るのが非常に嫌だった。そのため、カノンはあの手この手で村井を魔手から遠ざけてきたのだ。しかし、カノンが居なくなれば不埒な輩が出てくる可能性が高くなってしまう。そんなのは御免だった。


「私の知らないところで師匠が別の女性と……なんてことになったら……」

「あー……でもそれはムライにも選ぶ権利はあるだろうし……」

「師匠は女性を見る目がないので私が選んだ人とじゃないとダメです」

「まぁ、うん。なんだ……そこは私じゃないとダメとかじゃないんだ」


 軽くからかうように副ギルド長がそう呟くとカノンは顔を赤くしてごにょごにょし始めた。


「……師匠はまだ一度とも私にそういうことは……アピールしてないわけじゃないんですけど、不思議そうな顔になるだけで……」

「え、あいつ手を出してないの? 珍しい」

「珍しい……? ちょっと、どういうことですか? その辺りの話を詳しく聞きたいんですが」


 失言だった。そう思った時にはもう遅かった。カノンの頭からは学校のことなど吹き飛んで村井の過去についての質問でいっぱいになっていた。

 副ギルド長はその後、村井がノックするまで学校の話など出来ずに村井の過去の話をどうにか誤魔化して彼のプライバシーを守ることに腐心するのだった。



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