第9話

 村井がカノンを引き取って早いもので三年が経過した。その間、常に村井は強く可憐に育つ少女に自らの剣技を教えていたのだが、やはり後に剣聖と呼ばれる少女は文句のつけようがない天才だった。


(もう、俺が教えることなんてほとんどないんじゃないか……)


「【天雷あまつかづち】! 雷刃断迅らいはだんじん剣、驟雨しゅうう燕返し!」


 村井の秘技に続けて彼が覚えられた中でも最高レベルの剣技を二連発するカノンを見てから村井は内心の思いを隠して彼女を褒め称える。


「……よく頑張った。凄いぞ」

「ありがとうございます!」


 村井の賞賛の言葉を素直に受け入れ、嬉しそうにするカノン。純粋な剣技でいえば二十代後半に入り、剣の冴えに磨きがかかった村井でさえ足元に及ぶ程度。村井が原作知識というチートズルを利用して上げ底をし、そこから更に積み上げて来た十年という歳月は少女のたった三年程度……それも彼の死線を掻い潜り、血を滲ませた努力とは異なる、あっさりとした日常の努力の前に儚く崩壊していた。

 それでも村井のことを師匠と慕ってくれるカノン。村井に与えられた使命をすぐにこなしては余暇の時間を村井の身の回りの世話に費やしていく。それでいて、彼女は笑顔だった。その笑顔が眩しく、村井は近頃彼女の顔をまともに見れなくなっていた。だが、それをどうにか誤魔化しつつ二人の関係は続いている。


「師匠、これで今日の朝稽古は終わりですよね。今日は何をしますか?」

「今日も魔物討伐だ。ギルドに行って内容を確認するぞ」

「はい!」


 いつもと変わらぬ元気のいい声を返すカノン。この三年の間に村井が教えておきたいと考えていた剣技や基礎鍛錬はもう殆ど教え尽くした。そのため、村井は今は主にカノンへ冒険者として生きていくに当たっての技術や知識を実践形式で教えている。

 しかし、その飲み込みも早い。いずれ少女は自身の全てを超えていく。そう予期させるには十分過ぎる素質だった。願わくば、その独り立ちがもう少し先のことであることを祈りながら今日も彼は自身では達成できるレベルであるものの、カノンでは達成が難しそうな依頼を選ぶ。


 だが、この日も彼女は村井が苦心して選んだ依頼を一人で難なく達成してしまうのだった。




「……師匠、今日もお酒ですか?」

「あぁ、そうだな。ま、カノンもいつも通り好きにしていいぞ。ただ、羽目を外し過ぎないこと。それから、いつもの時間までに家に帰ってくること。いいな?」


 依頼を終えた村井はギルドでカノンがギルドでの実戦を始めてからしばらくして恒例となった言葉を少女に告げる。だが、その言葉を受けるとカノンはいつもつまらなさそうな顔になる。そして今日はいつもと異なることを言い出した。


「師匠、たまには早く帰ってお家でお酒にしませんか? 私がお相手しますから」

「……カノンにも一人になりたい時間はあるだろう? 俺の事は気にしないでいいから楽しんできなさい」

「別に、私は……」


 何やら言い淀む少女。村井は彼女が何か言いたそうにしているのを見て続く言葉を待った。すると、カノンは察しの悪い師匠相手に少々不機嫌そうな顔で告げた。


「分かりました。じゃあ、行ってらっしゃい」

「うん。それでいい……くれぐれも危ない場所には行かないようにな」

「はい」


 そう言って別れる二人。一人になった村井は馴染みの酒場へ向かう。昼間から酒というのはあまり褒められた行為ではないということはこの世界でも同じことらしく、この時間から開いている酒場というのは限られていた。村井は行きつけの酒場に着くと食事がてら酒を頼む。


「定食とエールを」

「はいよ!」


 今日の定食はいつものパンに濃い味のコーンスープ。それから大型の魔獣肉と近隣で採れた野菜を炒めたものだった。今日、依頼で狩った魔獣はこの料理に使われている魔獣以上の大きさだったと思いつつ、それをたった一人で狩った少女のことを考える村井。


(強くなったなぁ……)


 カノンの戦っていた姿を思い出してしみじみとそう思う村井。伊達に原作の主要キャラクターを張っていた訳ではない。しかも、原作でも特別な固有職【剣聖】の持ち主だ。原作知識を持っている程度では相手にならない天賦の才を持っているのは理解していた。だが、この目で実際に見るまでは自分もそれなりには強く、原作が始まって不測の事態が起きたとしても一端の剣士として活躍できると思っていたのだ。


 その目算はあまりに甘いものだったと今では思うが。


(……はぁ。俺にしては十年以上、よく頑張ったと思ったんだが……本当に才能がある人にとってはそうでもないのか……)


 溜息をつき酒を呷る。異世界に来たからには過去の自分から変わると意気込んで努力に努力を重ねてきたが、それも才能のある人に比べれば石ころ程度の価値しかないものだったのだろう。そう自嘲していると酒が進んで仕方がない。流石に真昼間から泥酔する程飲むことはないが、酒量は最近になって確実に増えていた。酒に逃げる自身の不甲斐なさを自覚しているが、だからと言ってどうしようもない。


「俺はダメだな……」


 独り言が漏れる。もう自分ではカノンにしてやれることは殆どない。寧ろ、早めに帝都に送り出して専門の学校にでも行かせてやった方が彼女の未来のためになるだろう。だが、まだカノンと一緒の生活を送りたいと思っている自分がいる。

 それが家族としての親愛か、それとも醜い独占欲かは村井自身も判別がつかないことだった。




「……ご馳走様。勘定頼むよ」

「あいよ! ありがとうございました!」


 しばらく飲み続けた村井。懐は連日の高難易度の依頼達成によって温かく、この程度で痛むということはない。問題は彼の中でカノンをどうするかについての結論が今日も出なかったことだ。彼は今日も何も言わずに彼女が待つ自宅へ向かう。


 一人で酒を飲み始めた時はまだ明るかった空はもう、暗くなり始めていた。




 この頃、師匠に避けられている気がする。カノンがそう相談した相手はギルドの女性職員の一人だった。職務中の彼女だが、この町にあった高難易度の依頼を既に幾つもこなしてくれる上、帝都のギルド上層部ともつながりのあるお得意様を前に邪険にすることも出来ず、仕事の手を中断して困った顔になりカノンの相手をする。


「ムライさんがカノンちゃんを避ける、ねぇ……でも、お酒飲む場所にカノンちゃんを連れて行かないのは正解だと思うわよ?」

「でも……」


 村井の行き先を聞いていたギルド職員はそう答えるがカノンは納得しない。仕方がないので女性は人目を惹く美しさを持つカノンが酒場にいれば酔った勢いとでも称して下世話なことをやって来る人が必ずいると強調し、そういったことを避けるためにカノンと別れて酒を飲むというのは正しい行為だと丁寧に告げる。


 しかし、それでもカノンは納得しなかった。女性職員は難色を示す少女に別方向から攻めてみる。


「それに、カノンちゃんも色々と年頃なんだからムライさんに見られたくないこととかあるでしょう? ムライさん、間違ってはないと思うけどなぁ」

「……そう、なんですか?」

「まぁ、一般的に。だけどね。カノンちゃんと同じ年頃の他の子なんかはもう一人立ちできるのに色々と構ってきてウザいとかそんな感じよ。まぁ、それも逆にまだ早いとは思うんだけどねぇ……今のムライさん位が丁度いいんじゃないかしら?」


 自分もそうだったと笑いながら話し、暗に親離れ、子離れの時期が来ている頃が来たんだ。そう仄めかしながらギルド員の女性は少女の相談に乗る。


(独り立ち……)


 カノンが遠く未来のことのように思っていた言葉が現実に圧し掛かる。前々から折を見ては村井からぼんやりと考えさせられていたことだが、カノンは独り立ちしたくなかった。色々と教えてもらいたい。傍にいて欲しい。そう願っている。だが彼女の師匠は違うようだ。直接はそう言ってこないが、カノンが魔王軍の六魔将の一人で彼女の両親の仇である【黒死王】と戦いたがっていると思っているような素振りを時折見せて来る。カノン本人は村井に直接一緒に大人しい生活を送りたいと言っているのに、だ。

 黙り込むカノンがどう見ても納得していなさそうなのを見てどう声を掛けたものかと悩む女性ギルド員。カノンが望んでいる言葉は分かる。だが、無責任な言葉をかけても拗らせるだけだ。そのため、ギルド嬢は黙ってカノンの横顔を眺める。


(それにしても綺麗ね。考えてる姿も様になるというか……彼女を見るだけのためにギルドに来る人がいるけど、その気持ちもわからなくはないわ……)


 カノンに見惚れて溜息を溢す女性職員。出来れば、彼女もカノンに独り立ちしてほしくはなかった。この町にいてほしい。そう思ってはいるが―――


「あの……」

「な、何かしら?」


 カノンの声で我に返るギルド嬢。カノンはまだ納得していない顔をしていたが、周囲の目やギルド嬢の仕事のことも考慮してこの場を去ることに決めたようだ。


「相談に乗ってくれてありがとうございました。また、頑張ります」

「こ、こちらこそ。今後ともよろしくね?」


 椅子を降りるカノン。その姿は美しかった。だが、まだ子どもとしての面影を強く残して影のある表情をしたまま寄り道もせずに真っすぐ自宅を目指すのだった。



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