第7話

 村井と少女との共同生活が始まって一年が経過した。最初の三か月こそカノンはかなりの苦労が必要になったが、この一年間で彼女が一人で生きていくための力をつける事、また剣聖となるための下地作りは順調に進んでいた。


(……剣聖が弟子、か。いいな……この世界に来てからずっと剣を使い続けて来た甲斐があったってものだ……)


 当初、そんな優越感を少々ながら抱いていた村井だったが、その甘い考えはすぐに吹き飛ばされることになる。彼女の成長速度とその質は驚嘆の一言で済まされるものではなかったのだ。


「断迅剣!」

「やーっ!」


 まさに打てば響く。村井が教えたことをすぐに吸収していくカノン。彼女は子どもに課すにしては多い村井の修業にも難なく取り組み、楽しげに笑う。そして村井を驚かすのだった。


「出来ました!」

「みたいだね……じゃ、今日の朝稽古はここまでにして朝食にしようか」


 内心で舌を巻きながら朝の稽古を切り上げる二人。カノンは先に庭から家の中に戻ろうとしている村井に言う。


「あの……新しい技覚えたので今日のお出かけ……」

「一緒に行きたい?」


 大輪の花を咲かせたかのような笑顔で村井の言葉を肯定するカノン。これで午前中の勉強会の時間は一緒に買い物へ出掛けることになった。


「何か欲しいものでもあるのか?」

「少し布地が。洋服が小さくなってきたので」

「新しい服、買おうか?」

「いえ、直せばまだ着れるので……」


 大量生産大量消費の文化に慣れ親しんでいた村井にとってはカノンが得意とする裁縫などのライフワークはよく分からない。成長期の服は少し大きめの新しいものを買って着潰せばいいという考えで、リメイクなどのおしゃれは専門外なのだ。

 ただ、元の素質がよかった彼女を周囲がそんな機能性しか考えていない格好では勿体ないと勝手に導いて色々と仕込んでくれたのだった。今では村井の魔具以外の普段着を手直しするくらいのおしゃれさんになっている。

 だが、それはそれとして村井は嬉しそうに自宅に戻り、朝食のスープやバゲットを温め直し始めたカノンに告げる。


「そろそろ新しい服を買った方がいいんじゃないか? 前回も直すだけで済ませたし」

「大丈夫ですけど……そうですね。欲しくなるものがあれば、その時はお願いするかもしれません」

「遠慮なく言ってくれ」

「はい。ありがとうございます」


 料理の手を一度止めて村井に礼をするカノン。村井はそこまでしなくていいと言いながら席に着いた。


(さて。今日はどうしようかな……調味料の類はカノンが作ってくれたし、買い物に行くぐらいしか予定はない……午前中は市場に寄って昼食はそのまま外で取り、一回家に戻って魔具に買った物を仕舞ってから少し休憩して服屋。それが終わってから稽古にするか……そんな感じでいいな)


 ぼんやりと今日の予定を考える村井。彼がそうしている間にカノンは朝食の準備を終えてテーブルに並べた。


「どうぞ、召し上がり下さい」

「あぁ、いただきます」


 朝食はオニオンスープとバゲット、それからハムエッグだ。一見するとこの世界でもある程度の財力を持っている家でも見られる一般的な朝食だが、使われている調味料や出汁の数が違う。これは全てカノンの手作りであり、彼女はたった一年間で日本生まれの村井をある程度満足させる味を毎日作り出すくらいの腕前を手にしたのだ。


(炊事、洗濯、掃除に裁縫……何でもできるな。おまけに強くて、何より可愛いときたものだ。流石と言うかなんというか……)


 毎日やってもらっていることだが改めて感心する村井。村井からそんな感心した目を向けられてカノンは首を傾げた。


「どうかしましたか?」

「いや、料理が上手くなったな」

「! ありがとうございます。これからも頑張りますね」


 村井の言葉を受けて軽く頭を下げるカノン。その後、顔を上げた彼女は村井の言葉が嬉しかったのか締まりのない笑みを浮かべていた。


(そこまで喜ばれるといつも褒めてないみたいな気分になるんだが……)


 村井はそんなことを思いながら複雑な気持ちでカノンを眺めつつ静かに朝食を摂るのだった。



 朝食を済ませた二人は家事の予定を少し早めて外出の準備をする。と言っても、村井は普段着でカノンだけ余所行きの格好になるだけだ。カノンは貴族の子どものように彼女に合わせたサイズのソプラヴェステを着て支度を整える。


「すみません、お待たせしました」

「いや、大丈夫。じゃあ行こうか」

「はい」


 二人は町の中央にある市場に向かって歩き出す。目的地に着くまでそれほど時間は必要なかった。二人が天気の話を発展させている間に村井たちは市場の入口に到着する。入り口から見える活気のある風景。二人はその中を進んで行く。


「師匠、早く行きましょう」


 村井の手を引くカノン。そんなに急がなくとも村井はある程度コネを持っているので品切れの可能性は殆どない。しかし、大っぴらに話すことでもないので彼は黙って横目で掘り出し物を探しながらカノンに手を引かれて移動する。


「おっ、ムライの旦那。景気はどうですかい?」


 カノンのペースに合わせて目的の店まで一直線に進むと程なくしていつもの村井が贔屓にしている肉屋に辿り着いた。恰幅の良い店主は人混みの中でカノンに手を引かれている村井の姿を認めるとすぐに声を掛けて来る。村井も軽く応じた。


「こっちの景気は微妙だな。そっちは随分とよさそうだが」

「旦那方に贔屓にして貰ってるからでさ。カノンちゃんも元気そうで」

「はい、元気です。師匠のお蔭です」

「はは。相変わらず礼儀正しいな。ウチの小僧にも見習わせたい」


 少し遠巻きにして店の肉を眺めている客を放置して村井の接客を開始する店主。彼が語る接客トーク混じりの子育ての大変さの話を半分程度聞き流しながら村井は家畜の加工肉や魔獣の肉を品定めする。昔は食べられるのか不安だった変わった色をしている魔獣の肉も今や慣れてしまったもので普通に買い込む対象だ。

 一通り村井が必要分を買い込んだ後、カノンに他に食べたい物はないか尋ねる。彼女は村井が買ったものを確認して大丈夫だと首を横に振った。


「じゃ、これだけだ」

「毎度!」


 これだけと言いながら村井たちが買い込んだ肉の量は一般家庭にしてはかなり多い方となる。それを定期的に、値切りもせず買ってくれるので肉屋にとって村井は優良なお得意様だった。


「じゃ、次に行くか……」


 収納魔術で買い込んだものを仕舞ってから青果市の方に向かう二人。そこでも彼らは贔屓の店に行ってそれなりの量の買い込みを実施するのだった。




 夕暮れ時。最後の用事である服飾品店での買い物を終えた二人は少々疲れた顔で自宅に戻って来ていた。


「師匠、稽古の時間を過ぎてしまいましたね……」

「……今日はもう稽古はいいよ」


 可愛らしいカノンの姿を見てあれこれ勧めて来たショップ店員による営業トークへの対応に苦慮した村井は本日分の気力を使い果たしていた。


「稽古はしないんですか? でしたら、お洋服を仕舞ってお夕飯の準備に入りますけど……」


 気力を使い切った村井に対してカノンの方はまだ元気が残っているようで稽古をしないのを不思議がっていた。しかし、村井が言う通りに動くようだ。今回新しく買って貰った髪飾りを丁寧に外していつものリボンで髪をまとめると着替えるために自室に戻った。


「……ちょっと出費が増えて来たな」


 誰も居なくなった部屋で呟く村井。育ち盛りの少女を一人養うということはそういうことだと理解しているので愚痴にはしないが、少し憂いるところではある。


「技も色々と覚えて来たことだし、そろそろ、実戦に入って小遣い稼ぎでもやってもらうとするかなぁ……」


 成長してきたカノンを見て村井は今後の予定を少し早めることにするのだった。



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