第6話
「師匠! おはようございます!」
「あぁ、うん……」
カノンが村井の家にやって来た翌日の朝。長旅の疲れが抜け切れていない村井が眠そうにベッドから降りて寝室を後にし、リビングに向かうとそこには元気なカノンの姿があった。彼女は村井が寝室から起きて来たのを見ると村井に駆け寄って彼を見上げて報告する。
「朝の稽古しました! 朝食も下拵えは出来ています!」
「そう、偉いね」
「ありがとうございます!」
朝から元気だなと思いながら村井は一応カノンを褒めておく。そしてキッチンに行くとカノンが何をしていたのか確認した。
(野菜を小さく切って火を通してあるな。後はベーコンか……味付けだけは任せたってところかな?)
カノンを見ると村井に期待した目を向けている。目と目が合った後、村井は苦笑して鍋に水を入れた後、カノンが下準備した物を入れて収納魔術に収められている調味料の類を入れて煮込み始めた。
「師匠! 今のは何ですか?」
「鶏ガラスープの素。後は色々」
そう告げた村井はもう少し詳しく説明して欲しそうなカノンに続けて言った。
「あ、そうだ。昨日も思ったけどそうやってレシピみたいにメモしなくていいよ。俺は調味料自体の味を組み立てて完成品を作るやり方で作ってるから再現性ない」
「え……でも、どうすれば……」
困った様子のカノンに村井は優しい目を向けながら告げる。
「ま、無理しなくていいってこと。それだけやる気があるなら見て食べていればすぐにどの調味料がどんな味かは覚えられるよ」
「が、頑張ります!」
意気込むカノンを見て村井は無理しないようにと念を押して調理に戻る。カノンの下拵えの成果で朝食はすぐに出来上がった。
「それじゃ、食べようか」
「はい!」
朝食が始まった。昨日買った硬いバゲットを手で引き千切りながら村井はカノンに確認をする。
「じゃあ、改めて確認だけど……今日から師弟関係に入る。君には掃除洗濯なんかの家事をやってもらいながら冒険者として生きていくための力をつけてもらうよ」
「はい、頑張ります」
「うん。独り立ちするまでは衣食住の面倒は看るからその辺は遠慮なく言ってくれるかな?」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げるカノン。村井は彼女に食事を中断してまで頭を下げなくていいと笑いながら言って今後のスケジュールを確認した。食後は食休み。その後、洗濯の時間を入れた後に勉強でそれが終わったら昼食。昼食後は自由時間で、その後、家の雑務を終わらせて冒険者として生活するための実践稽古。そして掃除、夕食、風呂、自由時間、就寝だ。
家電がない時代の家事はハードで、一見すれば仕事に追われている一日だと思うかもしれないが、家電はなくても魔具や魔術のある世界だ。そこまでの苦役になるということはないはず。村井はそう考えながらカノンの考えを聞く。
「……基本的にはこんな感じで進める。最初の方は俺も色々と手伝うけど、何か問題は?」
「大丈夫です。頑張ります」
「うん。じゃあ食事を続けようか」
「はい」
そう言って食事に戻る村井。そんな彼にカノンは食事の合間を縫って色んな質問をしてきた。
「あの、師匠はお料理上手ですね? どうしてですか?」
「……別に、俺が元々いた世界だとこれくらい普通。いや、個人的にはまだ全然ダメなんだよな……麹菌さえ分かったら……」
「ご、ご謙遜しなくていいですよ? 凄いです」
「……そうかい、ありがと」
褒めたつもりが何故か落ち込ませてしまった。カノンは失敗したなと思いながら村井のことを見上げる。彼は何か考えているようだった。
「はぁ……ご飯食べたい。焼き魚には醤油が欲しいし、味噌汁が飲みたい……」
「???」
村井の異世界渡りの特典である言語翻訳がされない単語が出て来てカノンは更に首を傾げる。だが、村井は説明することもなく溜息をついて洋食を摂り続けた。
「ま、ぐちぐち言ってても仕方ない……はぁ」
「師匠、私何か悪いこと言いました?」
「いや、別に。時々あることだから気にしなくていいよ」
「そう、ですか……」
村井は切り替えたようだがカノンは村井の様子が気になる。その様子を見て村井は申し訳ない気分になっていた。
(……寄る辺が俺しかいない状態の幼子に気を遣わせてしまってるな。帰る場所がないのはこの子も同じだ……抑えておかないと)
愚痴っぽくなってしまっていた自分を戒める村井。微妙に気まずくなってしまった朝食の時間だが、一先ずは穏当に食事を終える。そして、村井は旅の間に減ってしまった調味料の類の精製に入った。
「……? 師匠、何をしてるんですか?」
「んー……出汁の素的なのを作ってる」
「! 見てもいいですか?」
「面白くないから休んでた方がいいと思うけど、まぁ休憩時間だし好きにしたら?」
村井の許可が出るとカノンは急いで食事を終えてキッチンに立った村井の傍へと駆け寄った。そんなに急がなくとも逃げやしないと言いながら村井はまずキッチンの片付けをした後に昆布を鋏で小さく切り始める。
「これが昆布的なもの。便宜上、昆布と呼んでる」
「へぇ……そのまま食べれるんですか?」
「硬いけど食べられるよ。食べてみる?」
「はい」
小さく切った昆布をカノンに渡して食べさせてみる。カノンはそれを口に入れてもぐもぐしてから言った。
「……なんだか不思議な味ですね」
「ま、この世界は海が危険過ぎて一般的には海の幸はあんまり馴染みがないみたいだし、そんなもんかな」
「師匠は海、行ったことあるんですか?」
「あるよ。ま、現地の人が整備した魔物のいない浅瀬が限界だったけどね……船を出して欲しかったんだけど大型の魔物相手じゃ無理だって言われて断念した」
海産物の問題は村井が少しチャレンジして呆気なく挫折した分野だった。原作では特に描写がなかったので行けるんじゃないかと思ったのだが、どうにも無理だった。
尤も、一応成果物として昆布と魚介の一部が手に入ったので完全に失敗という訳ではなく、村井はある程度満足していた。
だがカノンの方は内陸育ちでも教えられる程危険極まりない海に自ら望んで入ったという村井に驚きの目しか向けられない。
「師匠、何で海に?」
「美味しいものがあるから」
「え、それだけ……?」
「……え?」
カノンに怪訝な目を向けられた村井は何がダメだったのかよくわからなかった。それはそれとして、下準備が終わる。村井は乾燥した昆布をフライパンに並べると火にかけて残った水分も飛ばし始めた。
「師匠、それは?」
「残った水分を飛ばしてる」
「もうカチカチですよ?」
「保存のために水魔術使って水分飛ばしてるからね。でもやる」
村井の経験上、その方が美味しい。ただ、カノンからすれば何らかの執念を感じる光景だった。そんなカノンの内心を知らぬまま村井の作業工程は進んで行く。
「で、終わったらもう一回水魔術で水分がないか確認してすり鉢で粉にする」
「……手間がかかってるんですね」
「うん。ま、仕方ない。元いた世界だったらどっかの会社がまとめてやってくれるけどこの世界だと誰もやってくれないから」
「……そうですね」
王侯貴族の料理人でもあるまいし、この世界の一般家庭でここまで料理に手をかけるところは殆どないだろう。だが、この家ではこれが普通と言われてしまえばカノンに抗う言葉はない。村井の言う通りに食事の準備をするだけだ。
「さて、そうこうしている内に洗濯の時間だ。水魔術の使い方から教えてやるから頑張ろうか」
「はい!」
カノンにはこれから色々とやることや覚えることがありそうだった。しかし村井の下に残るために頑張って行こう。そう思いながら彼女は村井について行く。
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