第5話

 奇跡の湖があった森を抜け、人類が栄華を謳っている大陸東側へと移動した村井たちは帝都に立ち寄ってから村井が住んでいる地方都市へと向かった。

 途中で寄った帝都ではカノンの親戚について情報を集めたのだが、カノンが言う通りマーガの家紋と名がつく家は帝都にはなく、空振りに終わった。帝都の冒険者ギルドにも相談したのだが、カノン本人の強い要望と村井の財力を鑑みてカノンは村井が引き取ることになったのだった。

 その際、奴隷印を外すだの外さないだの続柄はどうするかだの一悶着も二悶着もあったりしたが、差し当たって問題となる違法ギルドの不正な奴隷印を解除する事以外は棚上げで村井の家についていくことになったのだった。


(さて、どうしたものか……)


 夕暮れ時。村井の目の前にはあれほど帰りたかった自宅がある。一月近い旅の末、ようやく帰って来れたのだ。しかし、今の村井にとってはとうとう辿り着いてしまったかという感情が強かった。そっと隣にいるカノンを見ると彼女は嬉しそうにしており、目を輝かせている。そんな彼女に村井は複雑な気持ちで告げた。


「……着いたな。これが俺の家だ」

「立派なお家ですね! 頑張ります!」


 村井が日本にいた頃の感覚からすれば広いかもしれないが、この世界では大して広いわけでもない地下室付きの家だ。勿論、貴族の家に生まれたカノンからすれば狭いと感じて然るべきの敷地だった。そんなことを考えて村井は控えめに告げる。


「……狭いけど、一応来客用の空き部屋はある。物置になってる部屋を片付けるまでカノンにはそこを使って貰うことになるが……」

「ありがとうございます!」


(テンション高いな……)


 ローテンションの村井の分まで元気を出しているのか、カノンは非常に興奮した様子だった。帝都で買った彼女の新しい荷物を引いての旅だったのにもかかわらず、元気が有り余っているようだ。


「お家に着いたらお掃除ですか?」

「今日はもういいだろ……買って来た物で夕食にして、風呂入って寝る」

「はい! お背中お流ししますね!」

「しなくていい……」


 疲労を滲ませてそう言いながら自宅前の門を開ける村井。見た感じ、知らない人が入ったなどという痕跡もなく、至って普通の我が家の状態。村井は安堵の息を吐いて鍵を開けてから中に入ると適当なところに荷物を置いておく。その後ろからカノンもついて来た。その様子は家の前にいた時よりも随分と大人しい。


「えっと……た、ただいま、です……」

「ん。家の中の説明は……ま、見れば分かると思うから適当に見ておいてくれ」

「はい!」


 落ち着かない様子で村井の後をついて行くカノン。村井がシンクで手を洗っているとそれに続いて手を洗おうとする。そんな彼女を見て村井は念のため言っておく。


「あ、この魔具に使われてる魔石、少し魔力喰うから」

「大丈夫です! 私、魔力量は多い方なので!」

「……みたいだね」


 問題なく水魔術を発動させて手洗いを済ませたカノンを見て村井は頷く。カノンは見られているのに気付くとはにかみながらタオルで手を拭いて村井を見上げた。


「じゃ、夕飯にしようか……」

「はい……じゃなかった! あの、お作りします! そろそろ大丈夫です!」

「今日は出来合いだし、温めるくらいだから別にいいよ」


 そう言いながらキッチンの魔具を使用してフライパンに火を入れ、町中で買って来た魔獣のバラ肉の香草焼きを温め始める村井。カノンは微妙に納得してなさそうな顔で村井の隣に立った。道中の旅の間にもカノンは幾度となく自分が料理すると言ったのだが、村井はそれを拒み続けてきているのだ。

 理由は簡単で、この世界の市井の料理では現代日本の味を故郷の味とする村井の味覚に合わないというものだ。この世界の一般的な料理が不味いと言う訳ではないのだが、帝都の富裕層向けの店やお抱えシェフを抱えた上級貴族の家以外では味の種類に乏しく、香辛料や出汁というものが殆ど使われていない。村井が持ち込んで育ち過ぎたハーブやガーリックを株分けしたこの町ですらまだ村井の舌に適うものがないくらいだ。

 その水準の味が貴族生まれのカノンにとっても普通の味となっており、旅の間に村井が振舞った食事を摂るカノンの様子を見ていれば元上流階級のカノンでも村井ほど舌が肥えていないことが分かっていた。貴族といえども帝都から遠く、敵国である魔族との国境付近にある辺境伯の財力ではそんなものだ。

 そんな彼女では村井が原作知識や現代知識、それに財力やその他の人脈、時には戦闘力すらをもフル動員して手に入れた調味料の類は使いこなせないだろうというのが村井の見立てだった。


 村井はそんなことを考えてカノンが料理をすることに難色を示しているのだが、彼女は大人しく納得しなかった。


「あの、せめてお手伝いを」

「うーん、手伝う? 別にいいんだけどね……ま、やりたいなら」


 熱意に押される形で火元から少し離れる村井。すぐにカノンが村井がいた場所に入って魔力を入れ直し料理を温め始める。そこまではよかったが、そこからカノンはどうしたらいいのか分からないようで村井を見上げていた。


「え、と……?」

「表面に透明な油が出てくるぐらい温めたら取り敢えず大丈夫だ」


 この世界の衛生観念をあまり信用していない村井は再加熱でも中まで完全に火を通す方式を選択してカノンに同様にするように勧める。カノンは何の疑いも持たずにその通りにした。


「で、出来ました」

「うん。よく出来ました」


 そう言ってカノンと場所を入れ替わる村井。そこから胡椒や少量のうま味調味料を惣菜にまぶして肉汁と絡めて買って来た野菜を炒める。そんな村井を見てカノンが帝都で買ってもらったメモ帳片手に尋ねた。


「……今かけたのは何ですか?」

「ま、色々」

「あの、私、お兄さんの代わりに料理したいので、覚えたいんです。なので、教えてほしいんですけど……」


 形の良い眉を八の字にさせながらカノンは村井にお願いする。村井は少し考えてから彼女の問いに答えた。


「……黒いのが胡椒の粗挽き。この黒褐色の奴と茶色の粉は……出汁の素的な奴」

「胡椒、ですか? 何でかけたんですか?」

「その方が美味しいから」


 カノンは少し困惑顔になった。この世界、特にカノンがいたような帝都から遠く離れた土地では胡椒はまだ防腐剤としての意味合いが強い時代だった。しかし、カノンは村井に合わせることが先決だと割り切ることにしたようだ。


「あの、じゃあ出汁の素的な奴なんですが……これは?」

「あった方が美味しいからかけた」

「……因みに何から取れるものなんですか?」

「何から……いや、本当に色々入ってるから何とも言えないな……黒褐色の粉は主に昆布的な奴から取れて茶色の方は何か……魔獣の肉とかを煮詰めて出したエキスを水魔術で更に水気を飛ばして粉末にしてガーリックパウダー的なものとかを混ぜた」


 非常にあやふやな回答だった。その上、カノンには村井の言う昆布的なものが何なのかよく分からなかった。だが、取り敢えず村井との旅の経験から彼女はそれを使った食べ物が美味しくなることは知っている。そのことを踏まえた上でカノンは村井に尋ねる。


「どうやって作るんですか?」

「細かく切った後、水分飛ばしてすり鉢で粉にする……そうだな。いつか作ってるところ見せるよ。今は出来たから食べよう」

「お願いします」


 勤勉に色々と学ぼうとするカノンに取り敢えず今日くらいは良いだろうと宥めて村井とカノンは食事に入るのだった。



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