第4話
霧に包まれた静かな湖畔の森。その霧に太陽の光が十分な高さから差し込む頃。村井たちは奇跡の湖から出ようとしていた。
「さて、これから森を出るが……最後の確認。森を抜ける際、カノンがやることは?」
「おっきな動かない物を避けながら真っすぐ走ること」
「そう。余計なことは一切考えないでいい。結界内で練習した通りに走ってくれ。いいな?」
「はい」
世界樹の結界から出て人里に戻る。それはつまり湖の周辺の危険な動植物の中を通り抜けるということだ。村井はカノンに最終確認を取った後、結界の境界となる霧が殆どない場所まで歩いて移動した。
「じゃあ、行くぞ」
「はい……!」
「【
四肢に雷を纏う村井。これくらいであれば世界樹の結界の中でもその効力が切れる境目付近であれば発動出来た。そして準備を済ませた村井は一歩踏み出し結界の外に出る。その途端。愛刀を抜き、その腕に走る紫電を刃に纏わせて振り抜いた。
「【飛雷刃】!」
村井が振るった剣先にいた植物たちが焼き切られる。次の瞬間、村井は結界内にいるカノンに向けて叫んだ。
「走れ!」
「はいっ!」
声と共に結界内から小さな影が飛び出してくる。カノンだ。村井の剣撃で開いた森の中を彼女は懸命に走り始める。この世界に来て人外と化した村井から見ても驚きのスピード。魔力による全身強化の賜物だ。村井はその後方から雷の刃を飛ばして彼女のランコースを確保しながらカノンを追い始める。
「いいスタートだ! このまま突っ切るぞ!」
「はい!」
魔植物、植物の枝葉、魔物……そのどれも皆等しく破壊の対象だ。湖から一本道が形成される。行きの苦労が嘘だったかのような快進撃だ。
この快進撃はしばらく続き、二人は約二時間かけて凶悪な魔物の群れの生息範囲から抜け出し、通常の森に入った。
「カノン! 大丈夫か!? そろそろペース落としても大丈夫だぞ!」
周囲を覆っている魔力が減ったのを確認した村井は先行するカノンに全力疾走を止めるように叫ぶ。それが耳に入ったカノンは少しスピードを緩めた。
「よし、その調子で徐々にスピードダウンだ。お疲れ。よく頑張った」
「はっ、はい……」
非常に辛そうにしているカノンを気遣いながら村井は自身も四肢に纏っていた雷を解除する。そして二人が歩くペースになってから収納魔術で奇跡の水が入った水袋を取り出した。奇跡の湖から離れてもこの程度の時間経過であれば特殊な容器に入れずとも世界樹の魔力はかなり残っている。二人はすぐにそれを飲むと体力と魔力を回復させた。カノンは振り返って村井に告げる。
「もう大丈夫です。また走りますか?」
「いや、ここからはもういいよ。ゆっくり進んで行こう」
体力や魔力をアイテムで回復させても精神には疲労が出る。それを感じさせないカノンのタフさに村井は感心した。
(流石、未来の剣聖ってだけはある……凄いな)
その小さな体のどこにそんなエネルギーが秘められているのか。そう思いながら村井がカノンを見下ろしているのと同時に、カノンもまた村井のことを見ていた。
(凄い……! どうやったのか分かんないけど、凄かった……!)
カノンの村井を見る眼差しは尊敬の色を帯びていた。恩人から凄い恩人にランクアップしたようだ。彼女は歩いてもいいと言われたので多少余裕を取り戻し、興奮しながら村井に言う。
「お兄さん! すごかったです!」
「ん? ……あぁ、さっきのか。あれは正直言って運が良かった。ピュアリッチとか高位の魔物が出てたらもうちょっと手古摺ってただろうな……」
「それでもすごいです!」
「そうか? ありがとう」
【剣聖】カノンであればしばらくすれば覚える技だ。帝都に戻ってから親戚の家で鍛えて貰えばいいだろう。そんなことを考えて適当に頷いておく村井。しかし、カノンの方は興奮冷めやらぬようで木の枝を拾って振り回し始めた。
「やぁっ! 【ひらいじん】!」
「……割と歩く旅だからほどほどにしておけよ?」
無駄な体力を使っているカノンを見ながら村井は周囲を警戒する。凶悪な魔物や魔植物のテリトリーからは逃れたが、それでも一般人にとっては危険な森の中だ。未来の剣聖と言えども今はまだただの子ども。気を抜けば森に生息する通常の魔物の餌食になる恐れがある。
「カノン、あんまり離れないようにな」
「はい!」
棒を振り回す距離は空けつつも離れないようにして進む二人。道中、棒を振るい続けていたカノンが疲れて棒を振るのを止めた頃。二人は休憩に入った。
「……ほら、水。溢さないように飲めよ?」
「はい」
奇跡の水を通常の飲み水のように与える村井。世界樹の魔力が抜ければただの水であるため、奇跡の水である内に消費しておきたいと考えてのことだ。
それに、村井は正直に言うとさっさと家に帰りたかった。そのため、カノンには多少無茶をして貰おうという考えもあった。
ギルドを始めとした近隣住民や知り合いに帝都に出かけると言って自宅を発ち、既に二週間近く予定を超過している。また、更にここから帝都でカノンの引き取り先に挨拶しに行くことを含めると自宅に着くまで当初の予定から一月近く超過することになってしまう。
一応、帝都を出る頃に帝都のギルド経由で自宅の最寄りのギルドに予定より用事が長引くとは連絡しているものの、帰ったら知らない人が住んでいたなどとなってしまっては最悪だった。
(はぁ……まさかこんなことになるとは。だが、一応はこれで厄介ごとも終わったし、借りも返したし、気ままな生活に戻れる)
家を出た時の予想とは違ったが、帰る頃には枕を高くして眠れる。そんなことを考えると少し気が緩み、口元まで緩んでしまった。それを好機と見たのか、カノンが口を開く。
「あの、お兄さん……」
「ん? 何だ?」
カノンの言葉で現実に戻って来る村井。そんな彼にカノンは深々と頭を下げた。
「……その、ありがとうございました! お兄さんは命の恩人です!」
「あー……」
カノンからの混じり気のない純粋なお礼。それに対し、色々と打算があった末の人助けだった村井は微妙な気分になる。そんな村井を見て不思議に思うカノンだが彼女としては今考えている筋書き通りに進めたいため、村井の微妙な感じを些細なものとして片付け、続けた。
「これから一生懸命恩返しするのでよろしくお願いします!」
「え?」
「どうかしましたか!?」
元気よくそう言いながらもカノンの胸は破裂しそうだった。彼女はこの後、どうなるのか不明な自分の身を村井が引き取ること前提で話を進め、なし崩しに一緒にいようと幼い策略を組んでいたのだ。だが、村井としては予定と異なる。
「いや、うーん? カノンはカノンの親戚の家に……」
「わ、私のお家は……魔族に……」
ここで泣き落としだ。実際に悲しさや寂しさで目に涙が浮かぶが、今の彼女にはそんなことを考える余裕もない。必死に村井を説得しにかかる。そんな彼女の内心など知らない村井は唐突に泣き始めたカノンを前に困惑した。
「えーっと? カノン、あー……大丈夫だから。ね? 落ち着いて」
気にするなと言っても気にする問題だし、大丈夫な訳がないのに大丈夫? と問いかけることも出来ない。辛い経験をした少女になんて声を掛ければいいのか。村井は必死に考える。
「大丈夫大丈夫。俺もこの世界に家族いないけど何とか生きていけてる」
「え……?」
「お」
反応アリ。村井はうっかり自分が異世界人であると仄めかすように言ってしまった点が非常に気になったが、この言い方であれば他界したと捉えられるだろうし、最悪の場合でも恩人ということで黙っていてくれるだろうと判断して今の話を切り口として何とかカノンを慰められないかと話し始めた。
「俺ってさ、今は天涯孤独なんだよね。カノンはまだ帝都に知り合いがいるんだろ? だから、大丈夫。やり直しは利くさ」
「……私、帝都に知り合いなんて……」
自分語りで誤魔化したと思った先に地雷があった気分だった。村井は思わず素で尋ねてしまう。
「え、うそ。じゃあなんで帝都に?」
「皆が逃げて、でも、友達も逃げる途中で皆魔族とかに……」
原作と話が違う。村井は非常に困惑した。そんな彼にカノンは泣きながら助けを求める。
「お願いです。お兄さん、私、もう行くところなんてないんです。何でもしますからこのまま私を連れて行ってください……!」
「え? いや、うーん……ちょっと待って。色々困るんだけど」
主に金銭的な面と世間体的な目で困る。一人であれば普通に楽して生活できる分の貯えはあるが、もう一人子どもの面倒を見ながらとなると今の生活水準を下げる必要が出てくる。後、元奴隷の美少女を連れて帰ったとなれば近所からそういう目で見られること間違いなしだ。
そして、実際にそういう関係になればまだその謗りも素直に受け取れるが、この子には将来【剣聖】となって魔王軍と戦ってもらう必要があるため、そういうことは出来ないというおまけつきだ。
だが、可愛そうなのも事実。その上カノンは必死で食い下がってくる。
「お願いします! 精一杯ご奉仕します!」
「……ちょっと保留にしない? もうちょっと安全な場所でゆっくり考えてもいいと思うよ?」
「後でも何も、私の心は変わりません!」
「何でそこまで……」
ぼやきかけた村井の目にカノンの真剣な視線がぶつかる。それを受け止めて村井は溜息をついた。強い意思の宿った綺麗な紫色の瞳だ。村井はその瞳に気圧されて目を逸らしてしまった。
「はぁ……分かった」
「! ありがとうございます!」
「ただ、色々と条件がある。それは追々話すから……それでもまだ付いてくるって言うならその時はその時。よろしくな」
「はい!」
眩いばかりの大輪の笑顔の花を咲かせるカノン。村井は帰ってからも大変なことに巻き込まれたままになりそうだと雲行きの怪しさを感じつつ今からカノンに言った条件とやらを考えることにするのだった。
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