第2話

 違法ギルド討伐の翌朝。村井は再び苦しそうに眠っていたカノンを起こすと水薬を飲ませて耐毒のヴェールを顔に被せ、西方へと向かう馬車に乗り込んでいた。


「いや~格安で護衛を受けて貰っちゃって悪いねぇ。道中何かあったら頼むよ」

「あぁ」


 村井が乗り込んだのは西方に向かう快速の隊商の一つだ。快速と言うだけあり、いている馬も普通の馬ではなく、何らかの魔物との混合種のようで普通の馬とは異なる何かを感じる。そんな快速馬車に揺られながら村井はこの後の予定を考えていた。


(さて……治すと大見栄切ったのはいいが、大丈夫だよな? この時期ならあの湖はまだ中立地帯のはず……)


 村井が黙考することでカノンは心配そうな顔になる。何の説明も受けていないのだから当然だった。彼女は武器や防具、その他この世界における戦場で役立つ物が多く並んでいる馬車内で横になりながら村井に尋ねた。


「あの……どこに向かってるんですか?」

「奇跡の湖」

「えっ……?」


 村井の端的な答えにカノンは絶句した。御伽話でしか聞いたことのない固有名詞をあって当然と言わんばかりの口調で告げられたのだ。そんな驚くカノンに村井は小声で更に告げる。


「疑ってるみたいだが、昨日から君が飲んでる水薬も奇跡の湖の水に世界樹の若葉を浸したものだ。呪病相手だとこれくらいの薬じゃないと効き目がないからな」

「うそ……」

「本当だ。ま、信じないなら信じないでいい。ただ他言はするな」


 そう言って会話を打ち切る村井。カノンはそんな貴重なものを使って貰っているとは思っていなかったので驚きのあまり絶句していた。


(どうして、私なんかにここまでしてくれるんだろう……?)


 その疑問は口にされることもなく、当然ながらその理由をカノンが知ることもなかった。


 その後、一週間かけて隊商は西方戦線……魔族と人間が激しく争っている戦いの場所まで移動する。村井はそんな人間領の西の果ての拠点まできっちり護衛を務め上げてから隊商と別れた。


 そして迎えた初邂逅から九日目の朝。村井は行きにおける最後の人の拠点の宿でカノンに告げる。


「さて……世界樹の水薬が切れたな。カノン、ここから苦しいと思うが……もう少しの辛抱だ。頑張ってくれ」

「は、い……」


 返事をするだけで苦しそうなカノン。村井はそんな彼女を背負って今から世界樹の影響で生命力を増した魔物や植物がいる危険な道なき道を進まねばならない。


(……前に来た時はパーティを組んでたから楽勝だったが……呪病に罹ってるって奴を引き連れてるんだ。今回はパーティを組むことは難しい。何より前回、世界樹からみだりにこの場を教えることのないように言われてるしな……ソロでの踏破。厳しいが行くしかない……)


 決意新たにカノンを背負う村井。荒い息がすぐ後ろから聞こえる。しかし後ろを気に掛けている余裕はない。カノンに耐毒のヴェールを被せると彼は整備されていない荒野を進み、更に西へと歩を運ぶ。その間、カノンの体調を慮り、体力温存を図るため、二人の間に会話はなかった。


(……ゲームや漫画だと移動時間は省略されてたが……やっぱり、かなり遠かったな)


 人類の拠点の最西端から更に南西へと三日ほど移動した先。会話がないことで否が応でも距離を実感させられた旅路の先でこれまでの荒野から打って変わって木々が生い茂る森があった。


「……カノン、大丈夫か?」


 大丈夫だろうが大丈夫でなかろうが今から森の中に突入することに変わりはないが一応聞いておく村井。カノンは弱々しく頷いた。


「じゃあ、行くか……」


 森へ入る村井。道などない。魔力の濃い方向へと木々や障害物を避けつつ、魔物を蹴散らして最短距離で突っ切るだけだ。


 そして村井が我武者羅に森に突入して半日が経過した夜。野営の準備をして結界を張った村井は背中からカノンを降ろした。そして荒い息を吐きながら苦しそうにしている彼女に高級ポーションを飲ませると食事の準備に入る。


(このペースだと森の入口から湖まで最短突っ切って二日。まだ時間に余裕はあるな。ただ、問題はこれから先の獰猛な動植物の類だな……何とかするつもりだが、カノンが俺にしがみついていられる力がある内に行けなきゃ終わりだった。全く、運がいいな)


 野営をしながらカノンを見る村井。程なくして食事が出来上がった。村井はそれを注ぎ分けるとカノンに差し出す。


「魔獣のスープだ。具が食べられないとしても汁を飲むだけ飲んでおけ」

「は、い……」


 その辺で狩った魔獣の肉をふんだんに使い、栄養剤を溶かしたスープをカノンに飲ませると自分もそれと保存の利く硬いパンを食べ始める。それが済むと特にすることもないので二人は眠りにつくことにした。


 もう眠りに就く。そんな折にカノンが言い辛そうに口ごもりながら村井の袖を引いて言った。


「あの……」

「ん? どうかしたか」

「傍に行っても、いいですか……?」


 拒否されて当然の申し出。自分は呪病という恐ろしい病に罹っているのだ。それは理解していた。しかし、家族や友人、親類まで失い、奴隷に落とされ、死に至る病に罹るという不幸続きで彼女の精神も限界に近かったのだ。

 そして、これまでの旅の間、村井はずっとカノンと触れ合う距離にいた。それが彼女に微かな期待を持たせていた。


「お願い、します……」


 紫色の瞳に涙を浮かべて懇願するカノン。それに対し村井は少し周囲の様子を警戒する素振りを見せた後、言った。


「外が怖いか。結界は張ってあるが……ま、いいよ。好きにしたらいい。動くのはキツいだろうし、こうでいいか?」


 何とも見当違いの心配をして村井はカノンの近くに寝袋を持って行く。恐れていた未来に対し、現実はあまりにも拍子抜けするものだった。だが、自分を見捨てないでいてくれる人がいる。それだけでカノンには十分だった。


「ありがとう、ございます……」


 そう言い残して目の端に涙を浮かべつつ再び意識を暗転させるカノン。村井はもう眠ってしまったのだからと焚火をまたいで広い空間の方へ向かおうかとも思ったが、移動するのも億劫なので結局そのまま眠りにつくのだった。


 しかし、その明朝。巨大な魔力がゆっくり、しかし確実に近付いてくるのを感知した村井は跳ね起きた。


「……くっ」


(まだ眠いが、このまま突っ切るか!)


 カノンを起こして背負うと魔具の布を操っておんぶ紐のような状態にした村井は機敏に動き始める。それに気付いたのか、こちらに近づいて来ていた大きな魔力の持ち主も動きを早めた。


 逃走劇の始まりだ。


(マズいな……カノンを背負ってるから【迅雷】が使えない。それに、ここから先は……)


 しばらく走っていた村井の視界に不意に影が降りる。それと同時に村井はその場を駆け抜けていた。その直後、頭上から振り下ろしの攻撃がやって来る。その影の主を見て村井は声を上げていた。


「来たか!」


 奇跡の湖の水を吸って成長することで魔力を宿し、自ら養分を狩ることを覚えた獰猛な植物たちの攻撃だ。これが来たということは目的地は近い。


「はっ、はっ……カノン、生きてるか! 舌噛むなよ!」

「はっ、はぃ……」

「返事はいい!」


 自らを鼓舞するかのように声を上げて村井は移動に集中する。奇跡の湖に近づく程、植物の質は凶悪に、そして攻撃は激しくなっていた。


っ! ぐ……」


 次第に、村井は攻撃を捌き切れなくなっていく。湖が近くなるにつれて魔植物の強度、そして回復能力が更に向上してきたのだ。村井の四肢には細やかな傷が出来始めた。だが、カノンは無傷だ。そして村井が足を止めることもなかった。


「お、兄さ……」

「大丈夫か! 返事はいいからしっかり掴まってろ! それだけはやってろよ!」


 切羽詰まった様子でカノンに呼びかけつつ、大声を出すことで自身を鼓舞する村井。ただ、魔植物を処理しながらの行軍ではどうにも進行速度が鈍くなるのは仕方がなかった。更に不幸は続く。魔植物と命懸けのじゃれ合いの結果、後方には村井たちの睡眠を妨げた巨大な魔力の持ち主の姿が見え始めたのだ。


「……リッチ。いや、ピュアリッチか……この状況で追いつかれたら死ぬな」


 巨大な魔力の持ち主の正体は世界樹の影響で死を乗り越えた魔術師だった。彼は村井とカノンの姿を深淵の双眸に映し出すとその場から魔術の詠唱を開始する。


「マズッ!」


 明らかに攻撃用の魔術。村井の判断は速かった。敢えて魔植物の攻撃が激しい方向へと転進すると魔植物を盾にしながらその身を隠す。その努力が功を奏した。


「マジかよ、オイ」


 ピュアリッチの魔術の発動後、村井の呆然とした声が残る。村井があれだけ苦労して伐採していた魔植物たちの内、ピュアリッチが放った魔術の進行方向にいたものは綺麗さっぱりいなくなっていたのだ。そして尚、ピュアリッチは次の魔術を発動しようと詠唱を開始している。


「~ッ! このままじゃ共倒れどころか綺麗さっぱり消し飛んじまう! カノン、悪いが覚悟を決めてもらうぞ!」

「は、ぃ……」

「【二足纏雷】!」

「ぅ、あ……」


 詠唱。そして急加速。この分だとピュアリッチの攻撃範囲から離脱するのに時間はかからないだろう。だが代わりにカノンは感電し始めた。


「魔力を回せ! 意識を強く持て! お前なら出来る! 死ぬなよ!」

「ぅ、ぁ……」

「おらぁぁああぁぁァァッ!」


 叫び声をあげながら村井は獰猛な魔植物の群れに突っ込んでいく。目的地まであとわずか。奇跡の湖はすぐそこだ。



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