第69話 ミラクル・モニカ

「坊っちゃん、俺っちは酒のツマミを作りやすが、坊っちゃんも食いますかい?」


 親方は、最初の一杯をほぼ一気に飲み干して、立ち上がった。


「何作るの? 軽いものならもらおうかな」


「今日はザコガイのワイン蒸しですな。ちょいと筒暖炉を借りやすぜ」


 と、出してきた木桶に入っていたのは、二枚貝。川で取れる淡水の貝だ。黒く長細くて、ムール貝っぽい。


「それなら貰おうかな。モニカは?」


「少しだけいただきます」


 親方は一つ頷くと、貝を浅鍋に移して、ロケットストーブの火にかけた。


 しばしの待ち時間に、俺は戦車競走用のトロフィー『銀星杯』のデザイン作成に取り掛かった。


 材質は当然銀。勝ち取った人には、錆びないように定期的に磨いてもらうことになるが、現状どんな金属だって錆びてしまうのだから仕方ない。


 フォルムとしては日本風の平べったい杯をイメージして作ったのだが、トロフィーらしさが出なかったので、少し深めのお椀型にして、立派な高台と取っ手をつけた。これに木製の台座をつけて完成となる。うん、実にオーソドックスな優勝杯だな。


「モニカから見てどう?」


「良いんじゃない?」


 ビタ一文興味なさそうだな。まあいいか、外形は完成ということで。


 後は時間の許す限り、表面の模様を考えていきましょうかね。


「ところでモニカ、チャコちゃんの様子はどう? 俺には結構馴染んでるように見えるけど、うまくやれてる?」


 デザイン画にそれっぽい模様を書き付けながら訊いてみる。


 チャコちゃんは、親と引きなされてしかも見知らぬ土地にやってきた。さらには貴族のお屋敷での生活だ。多分弱音を吐かないタイプだろうから、心配なんだよな。

 俺もなるべく話すようにはしてるけど、俺の前だと気を張ってる部分もありそうだし……


「そうね、私もずっと一緒にいるわけじゃないから絶対ってわけじゃないけど、少なくともフランちゃんとは仲良しね。アデリーナ様もレティツィア様も気にかけているから、大丈夫じゃないかしら。少なくとも眠れないとか、食が細くなってはいないわ」


「そっか、じゃあ後は時間をかけて様子見か。そういえば、ジュリアノス市にも学校ってあるのか? 友達が多いほうが馴染むのも早くなりそうだけど」


「あるわよ、教会学校が。でも王都と違って農閑期だけね。今は冬支度でどこも忙しいからお休みなの。収穫祭が終わったらまた再開するはずよ」


 うーん流石のスローライフ感だ。田舎の時間感覚は憧れるよな。もっとも、やっている者たちにとってはのんびりしているわけじゃないのだろうけど。


「フランたちも通わせるかな。地元ならちょい派手目の実験しても大丈夫だろうし」


「派手目って……、何する気なのよ。言っておくけど、フランちゃんたちを危険に巻き込むのはダメだからね」


 こらこら、鼻にシワを寄せて威嚇するな。ますます柴犬っぽく見えるぞ。


「そう警戒すんなって。熱気球のときは色々騒ぎになったけど、あんなの例外さ。でもそうだな、科学的なものにとらわれずに考えるか」


 これから寒くなってくると、屋内で遊ぶことも増えるだろう。その時に備えて屋内の遊びも準備しよう。黒板とかも自作できないかな、ザラッとした塗料とかあれば……


 まずは貝殻からチョークでも作るか。



 ◇◆◇◆◇



 物の発明において偶然によって懸案事項が解決するということがある。


 有名なところでは、ダイナマイトを発明したノーベルさんの逸話がある。扱いの難しいニトログリセリンをどうにかして安定して利用できるように研究していた彼は、割れた容器からニトログリセリンが漏れ出し、珪藻土に吸収されているのを発見した。そしてそれが非常に安定していたのだ。


 かくして、ダイナマイトを完成させ、特許をとったノーベルさんは莫大な利益を得て、その遺産でノーベル賞が創設されたという話だ。


 その逸話に比べて、遥かに小規模で些細ではあるが、俺にも幸運な偶然がもたらされた。


 親方お手製のザコガイのワイン蒸しを頂いた後、俺はチョークを作ろうと、貝殻を炉の火にかけた。燃やして、砕いて、粉末にして。

 時間はかかったが、出来たのは生石灰。


「モニカ、この粉を使えば火がなくてもスープが温められるっては知ってる?」


「レオが言うんだからできるんでしょうけど……、ってホントに水蒸気が出てきたわね」


 生石灰に水を加えると、熱が出る。その熱を利用して、駅弁を温めたり、日本酒を熱燗に出来たりする。そう前世の学校で習った。

 でもこれはおまけで、欲しいのはチョーク用の消石灰。


 水蒸気の発生した生石灰に更に水を加えてぬるま湯くらいに温度を下げ、そのぬるま湯を捨てるようにモニカに頼んだのだが。


 ここからがミラクルである。


 モニカは何を考えたのか、石灰水を俺が実験用に作っておいた灰汁の入った樽に注いだのだ。


「あっ! ダメだって! それ、実験用の灰汁!」


 汚そうな水だけど、それ必要! 廃水じゃないから!


「あっ、そうだったわね! ごめんなさい!」


 と、謝ってくれたのも後の祭り。石灰水と灰汁が混じり合ってしまった。



◇◆◇◆◇



「パッチテストじゃあぁぁ!!」


 石灰水と灰汁の混合水は、なんと石鹸の作成成功に俺を導いた。ゲームだったら、『成功!』と吹き出しがポップアップしたところだろう。


「どうしたのよ、急に大きな声を出して」


「もしかしたら上手くいったかもしれん。そんな予感がする」


 モニカのミラクルチョンボと、俺の貧乏性による偶然の産物だ。


 その混合水を火にかけて、豚脂を混ぜてみたのだが、これまでの失敗作とは、沸騰の様子が違う。かき混ぜる手の感触が違う。見た感じも何となく違う!


「へー」


 モニカめ、信じてないな。まあ、出来てるかどうかは結果を御覧ごろうじろだ。


 いい感じにネットリしてきたところで鍋を火から下ろし、冷えるのを待つ。


「坊っちゃん、どうしたんですかい?」


「石鹸が、できた。いや、出来たかもしれない」


「ほー、灰と水と油で石鹸ですかい。タダみてえな材料から石鹸たあ、こりゃあまた大儲けですな!」


 それプラス石灰水な。


「待って待って、ほんとに出来たの?」


 親方の言うとおり、材料費は安い。ほぼ薪と油の値段だけだ。畜産の盛んなテルミナ領ならラードは容易に手に入る。しかもこれから冬に向かうために、多くの豚が塩漬けに加工されるのだから入手には困らない。ザコガイも今が旬だ。

 薪だって生活必需品だけに相当量が出回っている。


「良し、冷えたな」


 いざ、実っ験!


 少量のラードを手に塗りたくって、テカテカのヌチャヌチャにする。続いて、冷えた自作石鹸(推定)をすくい取り、揉み込むように広げていく。


 顔がニヤけるのを止められない。


 十分に擦り込んだ上で、水の張ってある桶で洗い流す。すると。


「ひゃっほーい!!」


 ヌルヌルしてませんよ! ノットオイリー! もし俺の手が瀬戸物だったらキュキュっと音がしそうですよ!


「親方。鍛冶仕事のあとで手が汚れてるでしょ、使ってみてよ。モニカも、手を油まみれにしてから使ってみ? 落ちるから! 少なくとも油汚れは落ちるから!」


 ローラーベアリングを思いついた時以来のハイテンションだ。


 こりゃあれかな、屋敷に戻ったら豪遊かな。帰り道に高級食材を買っちゃおうかな!


「うわー、できちゃったんだ。油が落ちてるよ」


「俺っちの方も、ただ水で洗うより綺麗になった気がしますぜ」


「よーし、各人腕を出してくれ。身体に悪影響がないかテストをするぞ。手首の内側にこの石鹸を塗るからな。布で巻いて、明日までそのままにしておいてくれ。身体に悪い成分があれば、赤くなったり痒くなったりするはず。ああ、もし痛みが出るようであればすぐに洗い流しちゃってくれ」


 外にいたせバスも呼んで、セバスにもパッチテストを施し、俺は試作石鹸を屋敷に持ち得ることにした。


 固形でもないし、泡立ちも殆どなかったけれど、自作石鹸は完成したと思われる。為せば成るもんだ。


「ナイスミラクルだモニカ! 今日は美味しいもの食おう! 俺のおごりだ!」

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