第68話 将来のために
石鹸作りその一。まず灰汁を作る前に灰の種類を選ぼう。多分だが、木や草の種類によって成分も変わってくる。
「セバス、薪を手に入れてきてくれ。樹の種類ごとに実験したいからそれぞれ毎に集めて欲しい」
「樹種ごとに薪を集めるのですな、了解しました」
「んでモニカは、灰汁を濾過するのを手伝ってくれ。それが終わったら俺と一緒にちょっと休憩な」
中型の樽に入れておいた灰と水を布で濾過しつつ、別の樽に移す。少々不純物が混ざっているが、休憩中に下に沈殿するだろう。
火の側で作業を続けていたので汗だくだ。少し水分補給をしながら休憩して、自分の頭も整理しよう。
「そう言えば、モニカはここに何しに来たんだっけ?」
「剣をね、親方に打ってもら事になって。その打ち合わせというか相談をしにね。ほら、私も勲章もらったじゃない? だからお祝いで当主様が頼んでくれたの」
ふむ、叙勲のお祝いに剣のオーダーメイドをしてあげる。従騎士相手ではまあアリなプレゼントだが、年頃の娘さんにそれはどうなんだろう……
まあ、本人は嬉しそうだからそれでいいのかもしれないが。うら若き女の子に武器ってどうなのよ。
「なあモニカ、色気がなさすぎだろ。もう少しシャレた物を貰えばいいのに」
「私は剣で十分嬉しいけど」
「例えば、ドレスとかどうよ?」
「受章のときに仕立てて頂いた正装があるから、ドレスは着ることはないわ」
そうかあ、それなりに着飾る必要のある場面でも、女騎士としての服装で通すつもりか。それならドレスは無用の長物か……
モニカは俺の一つ上の14歳。その歳で欲しがりそうなものと言えば、前世なら携帯電話とか?
それは明らかに無理だとして、それ以外だと……、カワイイ日用品とかかな。
アクセサリーでもいいのだろうけど、一捻りしてここは文房具でどうだろうか。
先生なんかは俺の教育係が務まるくらいには博識だし、腕っぷしだけで勅任騎士になれることもないだろう。
思えば、女騎士というものは女性の貴人の護衛につくことが多い。そこで必要とされるのは護衛対象を守りきれる武力が最も大事だろうが、場合によってはフォーマルな場面での対応も求められるだろう。
専門的な知識は無理としても、ハイソな会場で恥を掻かないだけの教養は必須だ。「浅学で恐縮なのですが……」と畏まりつつ、古典の一節でも口にすれば相手に与える印象はだいぶ違うはず。
「なら俺からは受章祝いとして筆記用具をプレゼントするよ。物知らずの田舎騎士と言われたくないだろ?」
「ペンとか? まあ高価なものじゃなければもらうけど。でも、これでもそれなりに勉強しているのよ?」
「いや、モニカの知識を疑ってるんじゃなくてな、知識はどれだけあっても邪魔にならないし、損をすることもないだろ? それに、怪我とかで騎士を続けられなくなったときに、学があれば何かと選択肢も増えるぞ」
エルフ騒動の時のように怪我をすることもある。それが元で戦えなくなることだってあるだろう。そういうときに後方勤務が務められるかや、文官になれるかどうかは結構大きいと思う。
「そういうことなら……。あまり想像したくない未来だけど」
「普通に騎士を続けるにしたって無駄にはならないさ」
で、紙とインクは市販品を買うとして、趣向を凝らすならペンだ。
一般的なペンは、羽根ペンだ。あれはあれで優雅でエレガントだが、ここはやはり金属製のペン先を作りたい。
まずイメージするのは万年筆。ごく大雑把にいうと、細いスリットを作って毛細管現象でインク壺からインクを吸い上げる構造だ。だが、それだけでは芸がない。
例えばインクを胴体に貯める構造にして、せわしなくインク壺にペン先を漬けるという作業を省ければいいのだが、これはちょっと精度がシビアになりそうだし、プラスチックがない状況なので作れたとしても、すごく重くなりそう。
ならば、スリットの数を増やすのはどうだろうか。スリットの数が10本になれば、インクを保持する量も10倍だ。
そういう構造に実は心当たりがある。ガラスペンだ。
ガラスペンはペン先が毛筆みたいな形をしている。蝋燭の火みたいな形でもある。その表面に溝を幾筋も刻んで、毛細管現象でインクを吸い上げる。理屈は羽根ペンや万年筆と変わらないが、複数本の溝を刻むことで通常のペンの数倍はインクが保つはずだ。
材質はガラスから金属に変えるつもりなので、売りは耐久力だ。ちょっとやそっとじゃ摩耗しないし、落としても割れたりしない。
ネックになるのは重さか。羽根ペンから金属製のペン先に変われば使い心地もかなり変わってしまいそうだ。
まあ一度作ってみてからそういう部分は改良していこうか。
「よし、ペン先を作ろう。親方、材料を少しもらうよ」
工房の奥で作業中の親方に声をかけると「勝手に使ってくだせえ」との応えがあった。
「ここにある材料で作るってことは金属でペン先を作るの?」
「そうだよ。材質はおいおい決めるとして、とりあえず鉄で試作だね。世界初のペンをプレゼントするから楽しみにしておいて」
「せ、世界初?」
「多分世界初だと思う。そこそこ便利になると思う」
「騒動になりそうなのは遠慮したいのだけど……」
騒動って。確かに熱気球絡みでで王城に呼び出されるハプニングはあったけど、あれは馬鹿なおっさんが馬鹿なことをしたせいであって、俺のせいではない。ましてや文房具で起こる騒ぎなんて大したことはないはずだ。
「なに、まかり間違っても軍事利用できないような平和的で文化的な代物だから問題はないさ。それに記念の品だからずっと使い続けられるものが良いだろ?」
「それならいいけど」
「ま、お楽しみに」
とりあえず、鍛冶場に保存してあった鉄のインゴットの一部を使って直径1センチの棒状に加工し、長さ方向にいくつか筋を入れる。
んでもって、再度スキルの【軟化】を使って柔らかくしたあとに、両側から引っ張って千切る。すると千切った箇所が細長いホイップクリームのような形になる。一旦【硬化】させて細かい所の調整をすればペン先は完成。
暫定的に軸も鉄で作って、と。
「ほい、できた」
所要時間20分程度だ。
早速、試し書きをと思ったが、ここは工房なのでインクは置いていない。 代わりに飲みかけの水にペンを浸して、テーブルに水文字を書いてみると、良さげな雰囲気だ。
インクは水より粘性が高いからそれも試す必要があるし、軸の加工ももう少しこだわりたい。贈り物だしな。でもそれは屋敷に戻ってからだな。
「なんとかなりそうだ。モニカ、ちゃんと綺麗に整えてから渡すからもう数日は待っててくれな」
「うん、楽しみにしとくね」
それでだ。何をしてたんだっけ。そうそう、石鹸作りだ。
ちょうどセバスが薪を抱えて戻ってきた。
「若様、とりあえず樹種の特定できた何種類かを手に入れました。早速灰にしますか?」
「そうだな、今日は1種類だけ灰にしてくれ。それで日も暮れるだろう」
「承知しました」
セバスは、火種用の紙を持って外に出ていった。灰を作るだけなら屋内である必要はないので、入口前に金ダライを置いてそこで燃やすことになる。
「ふいー、俺っちも休憩するんでお邪魔しますぜ」
親方が炉のある鍛冶場から出てきた、先程までカンカンと音がしていたが、一段落ついたということか。
「お疲れ様。進捗はどう?」
「楽なもんですぜ。坊っちゃんから貰った鉄が材料なんで、鍛錬の手間がかなり減りやした。形はできたんで、夜になったら焼入れして、後は研ぎで刃をつけりゃ、俺っちの仕事は終わりでさあ。後数日ありゃ終わるじゃろ」
親方に渡した鉄というのは、俺の精錬した純鉄と親方指定の鉄のインゴットをそば打ちのごとくに捏ねてブレンドしたものだ。
実際、相槌を打つ助手を使わずに整形できたのだから、手間も少なかったんだろう。
「そりゃ何より。って、いきなり酒いくの?! 夜の仕事もあるんでしょ?!」
親方は席につくなり、小樽からジョッキに酒を注ぎ始めた。
「がっはっは。こんなんじゃ酔いもしませんぜ。むしろより集中できるってもんで」
度数の低い酒だとはいえ、んなわきゃあないと思うんだけどなぁ。
「まあ、親方の流儀にケチはつけないけど。事故には気をつけてよ」
「へいへい。──ぷっはー!! やっぱ汗をかいた後の一杯は格別じゃわい」
まあ良いや、そっちは放っておいて俺は俺の実験を進めよう。
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