第67話 手綱を握る

「モニカのように、スピードを出しすぎる人間が必ず出てくると思うんです」


 訓練場の隅で、俺と関係者は話し合いをすることにした。


「限界を超えることで新たな境地を目指せると思います」


「モニカは少し黙っていような」


 なんなの、スピード狂なの?


「でも2人乗りだと、被害が2倍にならない?」


 これは母上の意見だ。その危険もないではないが。


「まず、単純に重くなるので、転びにくくなるのと、もう1人がバランスをとって、さっきみたいに車体がめくれ上がるのを防げます。それとこれが1番大事だと思うのですが、馬の手綱を握る御者の、更にその手綱を握る人間が同乗すべきかと」


 例えば、モニカが御者をする戦車にローガン殿が同乗すれば熱くなりすぎる前に宥めることが可能だろう。


 先程の大コケを見た後だったので、これは説得力があった。


「なるほどね。モニカちゃんみたいに暴走するの抑止できるなら有りかもね」


「儂は2人乗りに賛成だ。御者も勿論だが、転べば馬も怪我をするかもしれん。そうなれば生産者にしてみれば大損だ。安全性が高くなるならそれに越したことはない」


 馬のことも考えれば当然か。


 馬はテルミナ領の主力商品だ。元々高価な上に、優秀な軍馬は驚くほどの高値で取引される。競馬には馬の能力検査という意味合いもあるのだが、それで商品価値を損なうのは問題だ。

 酷使しておいて何だが、単純に馬が可哀想ということもある。


「まあ、一度作って試したらいいんじゃねえですかい? コケにくくなるようなら採用で、そうでもなかったら別の方策を考えりゃあいい」


 それが妥当か。では、親方の工房に行って作り直しましょうかね。


「というわけで戦車は引き上げるよモニカ」


「え、どうしてそうなるの? 新しいのを作るにしても、コレは私に預けて欲しい」


「ダメ。俺の作った車体で大怪我をされたら堪らんからね」


 渋るモニカから戦車を取り上げて、俺たちは引き上げた。

 領軍ではいつぞやの一緒に訓練しましょうというお誘いはまだ有効なようで、是非にと請われたものの、多忙のためと言って逃げてきた。

 伯父上は、ついでだからと訓練場に残った。ストレッチをしていたから訓練に参加するつもりかもしれない。


 テルミナ邸に戻った俺と親方は、まずは、試作の車体を点検する。ボディのへこみとかは無視で、足回り部分は……車軸が歪んでるな。コケたときに歪んだのか、それともコケる前の時点でそうだったのか、いずれにしても横方向からの強い力がかかればこうなるか。サスペンションは全く無事で、ベアリングも手で回した感触では多分大丈夫。一応後で分解点検しようか。


 まあ、修理は工房に戻ってからとして、俺と親方は2人乗りの車体の設計を開始した。


 2人乗りにするので、当然車体は伸ばす。そうすると、3輪では安定性がよろしくないので4輪に。

 流線型ボディと言うコンセプトを崩さずに作るとすると……よりボブスレーで使うそりのルックスに近づいた。重心移動がしやすいように後ろの面を取り払ったので、尚更そう見える。

 加えて、車輪を正面から見てハの字にすることにした。車椅子バスケで見た形だ。もともと4輪独立懸架だから車軸に斜めに車輪をつけるのも問題なしだ。


「戦車っぽくないけど、これはこれで未来的かな」


 4輪になってレーシングカーっぽさが向上したので、俺は気に入った。



◇◆◇◆◇



 設計の終わった新型の2人乗り戦車『初号機2.0』』は、翌日には完成した。


 ローガン殿に渡して試し乗りをしてもらったのだが、確かに転びにくくはなったそうだ。だがモニカは「遅くなった」と不満を漏らしたらしい。


「そんなにスピードを出したいなら、普通に乗馬で早駆けすれば良いのでは?」


 打ち合わせのために屋敷に来たローガン殿にそう話すと、どうもモニカは昔からスピード狂の気があったようで、単独での乗馬は禁止になっているらしい。子供の頃に、落馬によって腕と肋骨を折る事故があって以降、そういう措置が続いているとのこと。


 そう言えば確かに、モニカが乗馬している姿を見た記憶がない。母上やフランの護衛をする関係上、馬車にばかり乗っているのを不思議に思わなかったが、そういう裏事情もあったのか。


「久しぶりに風を切るような走りができてはしゃいでおりますな。いつまでも乗馬禁止では騎士になれませんから、ここらで加減を覚えさせたいところです」


 まあね、騎士というくらいだから騎乗できなきゃお話にならないよな。

 その辺の騎士教育は親であるローガン殿にお任せするとして、俺としては事故率を減らせればそれで良い。


「全速力で曲がっても転びませんでしたか?」


「地面に車輪が引っかかれば転びますが、まあ事故は減りましたな。それに同乗者の役割も馬鹿には出来ないですぞ。曲がる際に、どうしても車体が横滑りしてしまうものですが、同乗者次第ではそれが減らせます。曲がり終えた直後の再加速も滑らかになりますな」


 コーナリングがスムーズになるということだろう。うんうん、そういうテクニカルな要素が増えるのはいいな。いい馬を揃えれば勝てるということじゃ戦車競走の意味がないもんな。


 それで、2人乗り戦車が正式に採用された。


「では、車体はこれで完成として、次は戦車競走の参加者への機材貸与ですね。参加希望はありましたか?」


「今のところ、意欲的な返事があるのが2牧場ですな。まあ、最終的には3つ4つ程のエントリーになりそうな感触です」


 4台の戦車でレース。うーん少ない気もするが、初回だしそんなもんか。


「なに、足りなければ領軍から数合わせの参加をさせますので」


 別に領軍が参加しちゃいけないってこともないか。公平なレースなら問題あるまい。 


「じゃあ、新型戦車は5台くらい作っておきましょう。参加者には事前に貸し出しますので、エントリーがあったら教えて下さいね」


 戦車競走の開催が大体2ヶ月後。それだけあれば練習もできる。



◇◆◇◆◇



「酸性と言うと、酸っぱい感じがする。ではアルカリ性はどうだろうか? 苦いのか、辛いのか。なんとなくピリピリするイメージだが」


「レオ、何を言っているの?」


「なあモニカ、ピリピリする液体って何かあるか?」


 毎度おなじみ親方の工房の休憩室にて。

 戦車競走については、主な仕事である車体の作製が数日掛かりだったが終わったので、俺の生活ペースもゆとりが戻ってきた。それで、新しいDIYを試しに来た。


 朝食と本日の業務ノルマを終えた俺は、ここに移動してある物を作成するために灰汁をロケットストーブで煮込んでいる。参加者は俺とセバス、そして別件でここに来ていたモニカだ。


 ことの始まりは、今日の朝食の席にフランとチャコちゃんが顔を見せなかったことだ。理由は風邪。きっと、このところの朝晩が寒くなってきたからだろう。


 俺の周りというか、この世界の人間は結構タフだ。めったに体調を崩さないし、ちょいちょい怪我をすることはあっても、割とすぐに復活する。

 その一方で、大病をするとあっけなく亡くなることもある。


 実は俺の手の怪我も事によっては破傷風などでやばいことになっていた可能性は大いにあったのだ。


 多分、体質的に丈夫ではあるものの、難しい病気は治療法が確立していないので、死にやすいのだと思う。


 これは非常に怖い。日本とは比較にならないほど医療水準の低いこの世界では、ちょっと会わないうちに友人が1人減っていたということが普通に起こるのだ。


 風邪は万病の元と言うし、これの対策は必要だろう。


「ピリピリする液体? うーん、レオは毒でも探しているの?」


「いや、石鹸が作りたくてな。フランが風邪をひいたろ? だから衛生環境を整えようかなと思ってるんだけど」


 まずは『うがい手洗い』なら出来るだろうということで、石鹸を作りたくて挑戦している。石鹸自体は一応売っているのだが、これは南方大陸からの輸入品ばかりで、普段使いにするには気が引けるお値段だ。

 可能であれば自作して気軽に使いたい。


 俺の知る石鹸の知識は、油にアルカリ性の液体を混ぜ合わせるというものだ。前世の記憶によると、苛性ソーダがあればそれなりに簡単に作れるらしい。


 だが、俺は苛性ソーダのことは名前を知っているだけで、本質的にどういうものなのかを知らない。それ以外の知識だと、草木の灰を煮てアルカリ成分を取り出して油脂と混ぜ合わせるというもので、今回もこれに挑戦しているのだが、失敗続きだ。


「『シャボン草』じゃダメなの? あれも泡立つし、油も落とせるよ」


 石鹸の代替品は一応ある。それはモニカの言う通称『シャボン草』と呼ばれる多年草で、そのまま水につけて揉めば泡立って液体洗剤のようになる。


「シャボン草はさ、いまいち泡立ちとか、汚れ落としの力が弱い気がするんだよね。それに、季節に関係なく毎日使いたい。身の回りを清潔にすることで病気の予防をしたいんだ」


 シャボン草は、石鹸の代替品だけど、石鹸には劣るし、大量に常備するほど流通していない。汚れが酷いときに自分で刈ってきてその場で使う。洗濯なんかは、灰汁や重曹らしきもので洗っているのが現状だ。

 俺の目標は、最低でも毎食前に石鹸で手洗いをしたいし、させたい。


「うーん、ピリピリする液体があれば石鹸を作れるの? そんなの聞いたことが無いけど」


「いや王都でね、色んな人と話をしてさ、それらしき話を聞いたんだよ。とはいえ詳しいことは分からなくて、ザックリとしたことしか言えないんだ」


 知識の元ネタを秘密にして、さらにその知識があやふやだから、どうしても誤魔化して話すしかない。


「よくわからないけど、出来たら儲けものね」


 まあそうだな。開発費も微々たるもんだし、挑戦する価値はあるんだ。


「モニカにも上手く出来たらプレゼントするよ」


「それは嬉しいけど……、作るのに危ないことはないのよね?」


「それは大丈夫。火を使うけど、気をつければ問題ない。少なくとも、モニカが戦車に乗るよりは何倍も安全だ」


「ちょっと。その言い方だと私が戦車を操るのが下手みたいじゃない」


 みたいじゃなくて、実際下手くそじゃん。吹っ飛んでたじゃん。


 さて、石鹸作りにおける材料だが、まずはオリーブオイルと豚脂ラードだ。とりあえずはこの2つで試してみる。

 次に草木の灰だが、屋敷の厨房からかまどで出た灰をもらってきたので、今日の実験の分くらいは足りるだろう。


 作り方は完全にうろ覚えの自己流で、まずは灰を水に入れて暫く置く。アルカリ成分が染み出したと思われる頃合いでこれを布で濾過して、熱を加えながら油脂と混ぜ合わせるというものだが……


 結果としては、そんな半端な知識ではうまくいっていない。


 とろっとした液体石鹸もどき――というか、使ってみたらほぼ油のままだった。時間経過とともに石鹸ぽくなってくるのかもしれないが期待薄だろう。


「なんだろ、もっと煮詰めなきゃ駄目なのか? それとも原材料が悪いのか……」


「本当に石鹸なんてホイホイとできるの? そんなに簡単ならわざわざ南方大陸から輸入なんてしないと思うの」


「そりゃそうなんだが、買うより作ったほうが気軽に使えるだろ?」


 モニカの言う通り、買えないこともないが、自作できそうなものをお高い値段で買うのは抵抗がある。なので簡単には諦めるつもりはない。自分や家族の健康のためであるし、仮に南方大陸での製造方法が苛性ソーダを使った方法だとしても、灰汁から石鹸を作っていた時代はあるはずなので、不可能ではないと思うのだ。


 基本的な理屈は間違ってないと思う。何かブレイクスルー的な事があれば、いけると信じたい。

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