第62話 去り際の視線と旅の総括

「坊っちゃん、ようやく帰れますなあ」


 総貴族会議から5日後、俺達は王都を後にしてテルミナ領に戻ることになった。親方のみならず、ほとんどの人間が待ち望んだ帰郷だ。

 迷惑をかけた教会と親戚のロッシーニ家、そして王弟殿下にだけは退去の挨拶をしに行ったが、それ以外は屋敷に引き込もっていた。それでも来客が多く、疲労は抜けきらなかった。


 加えて、俺とモニカの受章のお祝いが身内で行われたこともある。


 お祝いでは勲章とメダルを身に着け、家族やテルミナ邸の人々にお披露目した。


 お祖母様は俺の晴れ姿を肴に、ハンカチ片手で酒を飲んでいた。「フィルミーノに良い土産話が出来たよ」と言われると俺も涙が出そうになった。


 母上や伯父上達は普通に楽しそうに、宴会を楽しんでいた。


 フランがメダルを触りたがったので、首に掛けてあげるととても喜んだのだが、他の人達にそれはダメだと怒られた。


 まあ、全般的に穏やかな宴会だった。なんだかんだとあって、皆疲れていたからな。酔い始めるのも早く早々にお開きになった



 今は、銀星号その他の馬車に荷物を積んでいるところだ。積み終わればそのまま出発する。


 最大の懸案事項であったチャコちゃんについては、お祖母様の養い子として面倒を見ることになった。

 つい先日、チャコちゃんの母親と話し合いが行われたのだが、その母親は既に再婚していて、チャコちゃんの引き取りに難色を示した。別にチャコちゃんを疎んだわけではない。連れ子として新しい家で肩身の狭い思いをするよりも、こちらが貴族家ということもあって、できれば養育して欲しいとのことであった。母親も涙ながらの決断だった。

 チャコちゃん本人は、気丈にもそれを受け入れた。ゴールドムントの件についても傍目には乗り越えつつある。本当に強い子だ。


「手の怪我もほとんど良くなったし、帰ったらまた馬車づくりに精を出そうか。まあ、最低でも10日はダラダラするつもりだけど」


「じゃあ、俺っちは久しぶりに普通の鍛冶仕事をしますぜ。そうそう、いろんな鉱石を仕入れておいたんで、また確認してくだせえ」


 おお、鉱石。またミスリルという名のチタンみたいな厄物がなければいいが、楽しみだな。今度こそ、世に出せて使い勝手のいい金属があれば嬉しい。


「レオ、休みながらでもアクセサリーを量産しなさいね。散々宣伝して、王都の商会とも提携の約束をしたんだから、ここからが稼ぎ時なのよ」


「母上、それは休んでいることにはなりませんよ」


「まあ頑張りなさいな。その間に私は商会を正式に立ち上げておくわ。従業員を路頭に迷わせたくないでしょ?」


 そう言われると辛いなぁ。貧乏はいやだから……


 銀星商会の立ち上げについて一つ変更点があった。俺への個人的なご褒美として王弟殿下が一部出資してくれたのだ。割合としては全体の1割で、大きな比率ではないし、別に資本金に困っていたわけでもないが、殿下の出資した商会ということで、これ以上ない箔がついた。模倣品の牽制には効果抜群だろう。


 王都テルミナ邸を去るにあたって、ナタリアさんとアマートも見送りに出てきてくれている。タック君も来ていて、先程チャコちゃんとの別れを済ませたところだ。


 そこで俺は、出発ギリギリで完成させたドクロの指輪をアマートにプレゼントした。


「なんとか間に合わせたぞ。アマートにも苦労をかけたからな、感謝の気持ちだ」


「完成したのか! あれだけ忙しそうだったから諦めていたんだがな。これは嬉しい!」


 アマートは早速指にはめて、独創的なポーズを決めた。俺の感覚ではジョジョ立ちとしか思えないポージングに、周囲の目は生暖かった。


「……喜んでもらえて何よりだ」


 ちなみに、なぜナタリアさんが王都に在住しているのかと言うと、長兄のロドリゴ兄さんと次兄のオネスト兄さんの嫁探しをしているのだそうだ。

 ロドリゴ兄さんは確か20歳だ。適齢期だろう。今日は仕事があって見送りの中にはいないが、昨夜「無事を祈る」とだけ言われた。


 顔と名前を売った俺に結婚の話が出ないのか、ということであるが、そういう話は後見人たる王弟殿下が捌いてくれることになった。よっぽどのことがない限り、俺の希望を優先してくれるそうなので安心だ。


 忘れてはならないのが、サンダース先生だ。先生の処遇がどうなったかというと、王弟殿下の護衛は辞職出来なかった。だが、俺の護衛はこれまでどおり続けることになった。先生が言うには、これもオクタの町の救援に対する褒美のようなもので、王族の護衛騎士としての身分を残したままでの出向扱いにしてくれたらしい。

 男爵家に出向するだけでも異例だったのに、無爵の俺の専属護衛につくとは前代未聞ではあるが、勲章の御威光もあって許された。

 先生はそれではケジメにならないと王弟殿下に詰め寄ったそうだが、シルバードーンと王族のパイプ役は必要だろうと論破されたと聞いている。


 何にせよ、先生はこれまで通りに俺の教育係兼護衛のままで決着したのだ。良かった良かった。


 なので、これまでの人員にチャコちゃんの一人を加えての帰還となったわけである。

 ナタリアさんたちと別れの言葉も交わしたのだが、どこから聞きつけてきたのか、アリスさんが見送りにやって来て見送りのメンバーに混ざり込んでいる。


「わたしに挨拶なく王都を出ていこうとするとはどういうことかしら?」


 向かい合って眼鏡をクイクイしながらこれである。一緒に熱気球を作った仲だから、一時期ほどの嫌悪感はないが、やっぱりめんどくさい人だ。


「これはわざわざありがとうございます。本日、王都を退去し、テルミナ領に戻ることになりました。アリスさんの今後のご活躍をお祈りしております」


 丁寧に頭を下げる。決してこれからもよろしく的なことは言わない。顔見知り程度の距離感でいたいと思っている。


「出ていくのは、ゼロについて所見を示してからにしなさい。じゃないと許さないわよ」


 アリスさんに許される道理はないのだが、まあそういうのであれば答えてあげよう。


「ゼロは間違いなく数字です。パンが一つあったとして、それを食べれば無くなります。つまり1-1=0。数式に計算記号や代数以外のものが登場するのはありえませんので、数字として定義すべきです。と、従兄弟のアマートが言っていました。自分はそれに同意しますので、詳細はアマートに尋ねてください」


 どうだ。俺にはこれが正しいのかさっぱりだが、アマートが頑張って考えたのだ、いい線いってるのではと期待する。


「ゼロが数字でないなら、数式に組み込むのは不適当……解として登場する以上は数でなければ矛盾が生じるということね」


 アリスさんは、俺達を足止めしたまま考え込んでしまった。


 それをずっと待つのは時間の無駄なので、出発してしまおう。


「ではアリスさん。さようならです」


 言うだけ言って、その脇を通り抜けようとした俺の手がアリスさんに掴まれる。


「ま、待ちなさいよ……。まだ聞きたいことがあるのよ……だから、出発は延期しな……したらどうかしら?」


 おお、命令形じゃないとは少し成長したな。


「名残惜しくはありますが、予定は変えられません。また2年後、もし俺が総貴族会議に来ることがあれば、お話しましょう」


 これが最大の譲歩だな。その頃にはアリスさんもおとなしくなっているかもしれないし、結婚してるかもしれない。その間の交流は遠慮する方向で。


「なによ、そんな未来の話をして……。たまには王都に来なさいよ」


「未定のことはお約束できません。それにお互い未婚の男女です。過度のお付き合いは遠慮します」


 ちょっと言い過ぎかもだが、ハッキリ言うのが誠意だろう。


「……そうね。分かったわ」


 そう言ってアリスさんは俺の手を放してくれた。良かった。これでスッキリと王都を離れられる。


「道中の無事を祈っているわ」


「ありがとうございます。アリスさんもお元気で」


 テルミナ邸の皆さんとアリスさんに見送られて俺達は王都を出発した。


 去り際にアリスさんが何かを決意した目でこちらを見ていたが、神ならぬこの身ではその意図は読めなかった。



◇◆◇◆◇



 テルミナ領に向かう道中では、フランにお話をせがまれた。先だって、落語もどきを披露した際に、約束してしまったのでこれは断れない。


 だが、俺は気がついた。なにも怪談や落語に限定する必要はないのだ。お話であればジャンルは不問だ。


 そこで俺が考えたのが童話だ。

 『アリとキリギリス』のような地道に頑張りましょうね系の話や、『オオカミ少年』のような悪いことは止めましょう的な話まで、なるべく情操教育に良さそうなのをチョイスして話して聞かせた。


 初日は馬車内でやっていたのだが、2日目からは、休憩に合わせて、皆の前で話すように母上に命じられた。1日に数話のペースなので、すぐにストックが尽きて、俺は毎晩宿で頭をひねる羽目になった。


 それでもなんとか頑張って、3泊4日の旅程を完走した。


 最後はお祖母様が、こう締めくくった。


「『情けは人の為ならず』と言ってね、レオナルドが勲章を賜ったように、善行は巡り巡って自分の為になるものさ。いいかい、良いことも悪いことも、きっと誰かが見ていてるものだよ。だからフランもチャコも人に優しく生きなさいな」


 それは、ここ2か月間の一連の出来事を、まるごと総括した言葉でもあった。

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