幕間3-2 才を生かせぬ者は無才と同じ

 ゴールドムントに新たな不幸が襲いかかった。予期せぬ嵐により、邸宅の屋根が崩れてしまったのである。


 嵐の中で、屋根がないのは致命的であった。なんとかその夜は、秘密の地下室に籠もってやり過ごしたが、そこにも水が溜まってきてどうにもならなくなった。


 ゴールドムントは一人娘のチャコミリスに、今日の宿を探してくるように命令した。


 王家御用達の看板が剥奪された直後に、商会の従業員は先を競うように辞職していった。辞めるなど許さんと凄んだら、返ってきたのは怒りに満ちた拳だった。

 番頭が勝手に金庫を開けて、従業員に慰労金を分配してしまったのを止めることが出来なかった。


 だが、ゴールドムントにはまだ金の成る木が残されている。酔天草の取引だ。


 実は、娘に宿を探させることに意味はない。どこかで口が滑るかもしれない、分別の足りぬ娘に酔天草を見られるのは拙いので、家から離しただけだ。その間に一人で酔天草を木箱に詰めて、懇意にしているフォーサイス家に運び込んで再起をはかるのだ。

 ゴールドムントの想定では、意気消沈して帰ってきた娘を叱りつけ、そのあとで恩着せがましくフォーサイス邸に案内することで自分への依存度を高めようという思いがあった。


 ゴールドムントは、妹を権力者に売って今の地位を築き上げた人物である。それは彼に肉親の情は一文の得にはならないと悟らせた。

 妹エミリアは、クロスバイド家の為にその身を捧げたのだ。光栄に思うべきところが、逆にそれを苦にして、気を病み、衰弱死するとは『フォン』のミドルネームを持つ者として、不出来あったと思っている。


 幸い、エミリアの娘のアリスは自分に似て頭の出来が良い。いずれはヘルメス王子の実子として認知され、その恩恵を享受するはずで、自分もその利益を一身に受けるつもりで動いてきた。


 娘のチャコミリスも、少し物足りないが、エミリアによく似て、おとなしい性格なので、使いようはあるだろうと思っている。そのためには上流階級でも通用する教養をつけさせようと学校にも通わせてやっている。最善はエミリアと同じように第二王子かその他の王族の手付きなることだ。

 それに反対した妻は離縁した。結婚当時は利用価値のあった妻の実家も、王都での地位を確立してからは不要だった。


 ゴールドムントの人生の前半は、彼の自己評価に照らすと不遇だった。自身に見合わぬ境遇だったが、王都に来てからは、あるべき状態だったのだ。それはなんとしても守らねばならない。

 これまでの自分の働きなら、必ずフォーサイス家と共同で巻き返せると思った。そうしたら、元従業員たちなど気に入らない人間には必ず復讐をしてやると決意していた。


 だが、フォーサイス家の正門に馬車を乗り付けたゴールドムントに無情な言葉が掛けられる。


 一言「失せろ」とだけ。


 登城禁止の処分を受けたファーデンのフォーサイス家では、これ以上厄介事を抱えるつもり無かった。

 門衛が腰の剣の柄に手をかけた時点ですぐにゴールドムントは退散した。こういう不利な状況に彼は敏感であった。


 追い打ちをかけるように、教会の使者と名乗る人物が家の前で待ち構えていた。使者によると、チャコミリスは遠くの教会で保護されたらしい。だが、その教会については教えられないという。何故かと問うと「ゴールドムント=フォン・クロスバイドは信用に値しない。故に娘を通じて教会へ関与することは許されない」と断言された。


 恥辱でゴールドムントの顔が歪んだ。これまで少なくない寄進を教会へはしてきたはずだと抗弁すると鼻で笑われた。


 これはテルミナ家の執事ベベトのアドリブであったが、実際、ゴールドムントの寄進はささやかなものであった。態度と貢献が釣り合っていなかったのである。


 ゴールドムントにとっての不幸はこれで終わらなかった。

 ベベトと入れ替わりで、つい先日、自分を王城に連行していった騎士が現れて、クロスバイド商会への強制捜査を行ったのである。


 当然、馬車の積み荷も暴かれて、ご禁制の酔天草が白日のもとに晒された。


 ゴールドムントは抵抗したものの、強制的に縄を打たれて王城へ連行された。両手と腰を縛られて連行される姿は、風雨の穏やかならぬ王都にあっても、随分と目立った。


 途中、ゴールドムントのシンパの兵士長が、王城ではなく、衛兵の詰め所に連れて行くべきだと行く手を遮ったが、逆効果であった。

 より、注目を集めてしまったからだ。その兵士長は後日処罰を受けている。


 もし、ゴールドムントがオクタの町で薬種商を続けていれば、麻薬の卸しなどしなければ、こんなことにはなっていなかっただろう。

 彼は官吏登用試験には通らなかったものの、商会を経営するだけの能力はあったはずなのだ。ただ真面目に働けば、少なくともこうなってはいなかったはずだった。



◇◆◇◆◇



 王城の地下牢に放り込まれたファーデンもまた恥辱に顔を歪ませてここ最近の出来事を回想していた。


 先日、ヘルメスが謹慎の言いつけを破り、それに同行していた自分は登城禁止の沙汰を受けた。これまでは、少々の命令違反があっても口頭での叱責などで事が済んでいたので、高をくくっていた。


 だが、処罰がされたことで、ファーデンは、自身の影響力が下がり始めていることを感じた。これはヘルメスの言動がいよいよ看過できなくなり始めたことの証左でもあることはファーデンにも理解できた。


 打つ手がなくなってきた。酔天草をヘルメスから取り上げれば、元の無気力な状態に戻ってしまう。むしろ、禁断症状が出て誤魔化しきれなくなる。


 自身も70歳を過ぎて高齢である。この頃には、ファーデンも新たに公爵家を興すのは諦めかけていたが、とにかくヘルメスに領地を与えて、王都から引き離さなければ自分の身も危ういと焦っていた。だが、それが許されるだけの功績を上げられる算段がつかない。

 シルバードーン家が問題を起こしたことに乗じて、男爵領を手に入れらるように根回しをしてみたものの、トリスタンには反対されて賛同者も少なく、実現の可能性は低い。


 手詰まりのファーデンは、手元の酔天草に目をやって、魔が差した。


 自分も酔天草を噛むようになったのだ。


 高揚する気分の中で、ファーデンは熱気球のことを思い出した。

 熱気球を偵察で使うということは自分のアイデアだ。だったら熱気球の功績を全部自分とヘルメスのものとしてしまえば都合がいい。あのときは軽い思いつきであったが、本気で功績の横取りをしようと決心した。その功績を盾にすればヘルメスに領地が与えられる可能性も大きくなる。

 そのためには、シルバードーンの小僧を取り込んで熱気球を自分の影響下で開発させる必要があるが、これは簡単に解決できる。隙を見て拉致し、その後酔天草漬けにすればいいだけだ。


 そのような冷酷な構想がファーデンの中で上策として認識された。そこで、障害となるはずのトリスタンやクラリーノの存在に考えが及ばないのは、年齢ゆえの衰えであり、酔天草の影響でもあった。


 ファーデンは登城禁止の処分を受けていたが、計画をヘルメスに話しておく必要があった。これは、事前に話しておくことで勝手な動きをさせないためである。


 御前会議が行われる日を狙って登城した。この会議は先に騒動を起こしたエルフの処遇について、聖教国からの使者を交えての行うもので、長時間に渡ることが見込まれていた。そういう日であれば、王や王弟に出くわすことなく城内を歩ける。念の為、息子に会議を長引かせるように命じておいた。


 そうして、ヘルメスの私室で計画を説明していると、子飼いの兵士が熱気球の完成品が今まさに空に浮かばんとしていることを報告してきた。

 窓から外を見れば、確かに熱気球だ。それも巨大で立派なものだ。


 誰かが熱気球を完成させてしまえば、自分の計画は無に帰す。場所が王城だけに自分が命じたのだと嘘も通用しない。


 ファーデンはヘルメスを焚き付けて広場へと向かった。内城前に待機させていた護衛兵も率いて、余裕を見せるために、敢えてゆっくりとした歩調で進んだ。


 ヘルメスは即興で熱気球を献上せよと宣い、ファーデンは喜んでその流れに乗った。

 これで熱気球を没収して、自分の功績に出来ると思った。このときにはもう、ヘルメスもファーデンも常軌を逸していた。


 だが、国王が広場に現れ、有無を言わせずにヘルメスと自分を裁いてしまった。


 おかしい。こんなはずではなかったのだ。儂の完璧な計画がなぜこうなった。


「馬鹿な」


 そう呟くのが精一杯だった。


 これは、王弟トリスタンが、会議の休憩時間に兄王を広場に連れ出したのが直接の原因だが、それには理由があった。


 軍政家であるトリスタンは、公務おいてはドライな現実主義者である。だから、酔天草が軍内である程度流通しても、当初は目くじらを立てなかった。兵士の稼働率が向上したからだ。

 だが、年月を経るに従い、デメリットがメリットを上回り始めた。


 通常の方法で取り締まりを行ったが、これを根絶することは叶わず、むしろより巧妙な方法で流通するようになった。


 これへの対処に頭を悩ませていたトリスタンのもとに、ある情報が届けられる。

 それはアリスの伯父であるゴールドムントが酔天草の供給源だというのだ。これはクロスバイド商会の元従業員からの情報ということでかなり信憑性が高かった。これまで噂レベルで疑ってはいたものの、捜査はいつも空振りに終わっていたのだが、今回は家の屋根が崩れて、酔天草を持ち出す可能性が高いという触れ込みだった。


 トリスタンは決断した。


 オクタの町の救援の為にレオナルドを呼び出すのと同時に、クロスバイド商会に騎士を派遣して強制捜査を行わせると、タレコミ通りに、酔天草が押収された。


 こうなれば、芋づる式にヘルメスが麻薬に依存していること、それをファーデンが差配していることが判明した。


 すぐさまトリスタンは兄王アレキサンダーに相談する。


 次男の想像以上の不行跡に衝撃を受けるアレキサンダーであったが、為政者としての本分を忘れずに、断腸の思いながら決断をした。


 それはヘルメス第二王子の王位継承権の剥奪と修道院での幽閉であった。生涯幽閉させ続けることも覚悟した。


 ただ、はっきりとした証拠が出てくるまでは、謹慎に留めることになった。


 トリスタンは、聖教国との会議が終わり次第、ヘルメスとファーデンを拘束する段取りをして、証拠隠滅や厄介な政治闘争になる前に決着をつけようと考えていた。もし時間が取れれば、気球の浮上実験に顔を出すつもりでもあった。

 そこに、ヘルメスとファーデンを監視させていたアリスの侍女ミータが、2人が熱気球の実験広場に向かったと報告に来た。会議中ではあったが、トリスタンは報告を聞き届け、すぐに行動を起こした。

 会議場前に待機していたサンダースに、騎士団長への指示を伝えさせに行かせた上で、少々強引ではあったが、会議の決着を急いだ。


 軍部の代表の一人として参加しているノット=ガル・フォーサイス大隊長が、なんとか会議を引き延ばそうと粘るが、以心伝心でトリスタンに同調した王アレキサンダーが議論を終わらせた。元々、議論の落とし所は決めてあったので不都合はなかった。


 大筋での合意に至ったので、細部は休憩後に詰めるとトリスタンは宣言した。ノット大隊長が抗議するが、王による「貴様は誰の臣下なのだ」という問いに撃沈した。


 そこからはレオナルドの知るところと同じである。

 トリスタンの指揮下での騎士団の連携により、ヘルメスとファーデンの暴走は抑えられた。


 アリスとレオナルドの前で麻薬のことを持ち出すのがはばかられたため、トリスタンの進言により、まずは王命への不服従ということで一旦処罰をした。


 証拠固めをした後に、本命であるヘルメスの王位継承権の剥奪と幽閉を宣言する予定だ。第二王子を薬漬けにしたファーデンは斬首で、フォーサイス家は断絶と定められた。


 また後日のことであるが、ゴールドムントの処分も決定した。内容は犯罪者として鉱山送りに処すというものであった。無期限の労役なので、実質は死刑と同じである。



◇◆◇◆◇



 熱気球の見学にかこつけて害ある者を排除し、聖教国との交渉も予定通りに終わらせた後、兄アレキサンダーと弟トリスタンは、紅茶で一服していた。


「ファーデンが、そこまで堕ちていたとはな……。余の目も曇ったものよ」


「侮れませんでしたな。ヘルメスの初陣での乱行でも守役を外されないだけの政治力、そして儂の目から酔天草の流通経路を隠し続けたその手腕、軍才はなくとも、正しく貢献できれば、実力で将軍位を得ることも出来たかもしれぬのに」


「まあ、この期に及んでは詮無きことよ。それより、面倒な交渉や権力争いに比べて、あの熱気球というもののなんと純粋なものか。誰かを助けようという気概に満ち満ちておる。余とすれば、ああいうことこそヘルメスに期待していたのだがな……」


「陛下、あのレオナルドという若者が我が国に生まれたことを喜びませんか。あれは、エルフの企みに剣を持って抗う胆力があるだけでなく、マットレスを考案し、今度は年上の騎士たちを手足のように使って、熱気球を僅か一日で形にしました。おそらくあの・・水汲み器もあ奴の発案でしょう。虚しい比較ではありますが、ヘルメスを失ってレオナルドを得られるならば、大幅な利益です」


「ヘルメスと比べて大幅な利益とするか……。フィルミーノは、良き男であった。ああいう誠実な男がおればこそ王国は存続しうる。その息子はそれに輪をかけて得難き才覚の持ち主とはな。つくづくアブラーモとかいう男爵さえ余計なことをしなければと思うな」


 父親としての複雑な思いを飲み込んで、アレキサンダーは王としてレオナルドを認めた。


「なに、儂がレオナルドの後見人ですから、縁はあります。ただ……、少々潔癖で苛烈な部分も持ち合わせているようです。強く命じるよりも道理を諭して使わねば、毒になるやもしれませんが」


「そこがヘルメスと違うところだの。まあ、まだ13歳だ。じっくりと見極めようぞ。──それで、アリスがレオナルドに惚れているというのは真か?」


「まあ、間違いないでしょう。アリスは捻くれていますが、純粋です。才覚に興味は惹かれても最終的に心を奪われるのはその者の心根でしょう。多分、レオナルドならばどちらも問題ないかと。ただし、レオナルド本人にはその気がないようですが」


「それは良いの。王族の私生児と廃嫡された元嫡子の紆余曲折。実に劇的ではないか。アリスも成長するかもしれんぞ」


「テルミナ子爵によると、レオナルドにはモニカという想い人がいるそうなので、一筋縄ではいかないらしいです」


「なおさら結構、悩んでこその思春期よ。余も興味が湧いてきた。アリスも我が孫だ。その相手として相応しいか、ちと試してみようかの」


「あまり無体な事はしないで頂きたいですね。あれには期待しているのです」


「いや、何かをさせようというのでない。ただ、今回の救援が成功した暁に、余自らが報奨を与えてみるのはどうだ? そうすれば色々と身の回りが騒がしくなるはずだ。それを利して更に大きな事を成すのか、それとも柵に捕らわれて才能を腐らせるか。期待して見極めようではないか」


「『才を生かせぬ者は無才と同じ』建国王のお言葉ですか」


「ああ、才ある者を見逃すは上に立つ者の罪だが、それを十全に発揮できるかは結局本人次第だろう」


 こうして、本人の預かり知らぬところでレオナルドはミッドランド王国の最高権力者から目を付けられたのであった。

 

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