第58話 危険な仮眠

「成功だ!」「やったわ」「上手く行ったな!」と喜びの声が上がる。


「予定だと、あちらで荷降ろしをした後、不足する物資の情報を聞いたらすぐに再浮上するはずだ。そうしたらこちら岸に牽引するからな、手の空いている者で力仕事ができそうな人は手伝ってくれ」


 ウインチには一応、歯車が仕込んであって、小さな力でも回るように工夫してあるが、その分、少しずつしか巻きとれない。持久力が必要なので、交代しながらでないと厳しいだろう。


 向こう岸に気球が留まっていたのはおよそ四半刻くらいだろうか、お祖母様が乗り込む姿と、他になにかの荷物が積まれるのが見えた。


 気球は予定通りに垂直に浮かび上がった。


 ある程度の高さに浮かび上がったところで、赤布が振られるのが見えた。


 あちらに飛んでいった時と違い、やや向かい風だ。こちらで牽引しなければ戻ってこれない。

 俺は騎士に指示を出して巻取りを開始させる。


 対岸に到着するのに要した時間は体感で15分くらいか。こちらに戻るには倍の四半刻もあれば十分だろう。


「疲れきる前に交代を申し出てくれ。限界までやるなよ、人数は足りているからな」


 オクタの町の衛兵であるエンジャーが張り切ってハンドルを回し始めたのでそう注意しておく。放っておくと限界までやりそうだからな。今は興奮して力が出るかもしれないが、睡眠不足で疲労も蓄積しているはずだ。ここまできて不注意で事故が起きるのは避けたい。


「あちらで何か荷物が積まれたようだけど、何かしらね?」


 モニカさんが首を傾げる。


「なんだろうね、トラブルじゃなきゃいいけど」



 結果的に、運ばれてきたのはトラブルではなかった。


 見込みどおり約四半刻でこちらにほぼ到着した気球だが、まだ上空にある頃にお祖母様の切羽詰まった声が聞こえてきた。


「怪我人を連れてきたよ! 受け入れの準備をしとくれ!」


 なるほど、怪我人だったか。医薬品は運んだとはいえ、緊急を要する容態の者がいたのかもしれないな。


 すぐに医者を呼んで待機させた。


 十分に河から離れたところで、バスケットから縄が下ろされる。それを男たちが掴んで体重をかけて高度を下げる。


 実はここが最難関なのだ。


 浮力が強すぎれば高度を下げられないが、急激にロケットストーブの火力を落とすと墜落してしまう。薪を燃やしてから熱気が溜まるまでにはタイムラグがあるので、失敗すると火事になる。なので、少しずつ火力を落とすべきなのだが、怪我人がいるとなると気持ちが焦ってしまう。


「お祖母様! 一気に高度を落とさないで! 安全第一です! 怪我人の容態はどうですか!?」


「分かったよ! 怪我人は土砂崩れに巻き込まれて、お腹に岩がぶつかったらしいよ! 熱も出てる!」


 お祖母様から容態が伝えられる。骨折とそれによる発熱程度なら良いが、内臓にダメージが入っているようだと危ない。


「治療に必要なものは何かあるか?」


 お祖母様の声に厳しい表情をした医師に尋ねる。


「幸い、こちらには道具と薬を持ってきていますが、容態を見てからでないとなんとも……。場合によっては応急処置をここでして、後はどこかの町に連れて行って本格的に処置しなければならないかもしれません」


 ゆっくりと気球の高度が下がり、脚立が届く高さになったところで、縄を地面に打った杭に縛り付けた。これで高度は安定する。


 すぐに脚立が用意され、騎士が登って毛布でグルグル巻きにされた怪我人を受け取った。そしてリレー方式で地面に下ろされた。


 見れば、年端のいかない子供だ。フランたちよりも更に幼そうに見える。3,4歳くらいか。


「セバス! 銀星号に馬を繋いでおいてくれ。移送するかもしれん」


 騎士に手を引かれてお祖母様も降りてきた。


「お疲れさまです。無事に戻ってきてくれて嬉しいです」


「最初は楽しかったけど、舟が流れてきてからは気が気じゃなかったよ。なにはともあれ、荷物は届けて怪我人も連れてこれたんだ。これは成功ってことでいいだろう? レオナルド」


「ここまでは成功、ですね。あちらの状況はどうでしたか? 不足しているもの、必要なものはありましたか?」


「被害は大きそうだったよ。今も動けない町民がたくさんいるらしいね。薬はもっと必要だって言っていたねえ。食料と燃料はそれなりにあるようだから、もう何度か薬を持っていけば足りるんじゃないかね」


 今は夏だから、寒さの心配はいらないが、脱水などは心配だな。食品の衛生問題もある。


「浄水器の設計書はどうでしたか? 作れそうでしたか?」


「ああ、すぐに作ってみるって言っていたね。材料も集まるだろうってさ」


 それは良かった。清潔な水があればかなり安心できる。


「それで、すぐに次の荷物を運ぶのかい?」


 ここは考えどころだ。

 実験も含めて連続稼働時間がこれまでで最長になっている。一旦気球を下ろし、各部の点検をした方がいいのだが、今の天候が多分最高に近い状態なので、できればすぐに飛ばしたという気持ちもある。


 アリス、副隊長のクーガー殿、先生、親方と俺は協議した。


 そこで決まったのが、もう一往復してから点検を行うというプランであった。


 もう一回医薬品を届けられれば、最低限の量は送り込めるだろうこと、そして地上から目視で確認する限り、気球は安定していることが理由だった。


 積荷は、ほぼ医薬品のみだ。これをできるだけ積み込む。


 第2回めの搭乗者はエンジャーに決まった。今度こそは自分がと強硬に主張したためだ。お祖母様は続けて乗ると言っていたが、最も危険であった初回をクリアしたので、遠慮してもらった。

 エンジャーは俺が作った浄水器の現物も見ているので、指導的なことも出来るだろうし、より詳細な事情聴取も可能だ。



 既に浮かんでいる気球に荷物を積載して、熱気球は再度河越えを始めた。


 こちら側では、運ばれてきた子供の応急処置が終わった。医者の見立てでは、肋骨が何本か折れているが、内臓は大丈夫そうということだ。

 ただ、体力の低下が著しく、できれば町に連れて行きたいとのことだった。


 俺の判断で、医者と患者2名を最寄りの町に移送することにした。街道沿いに街があるので、1刻あれば往復できる。治療の引き継ぎなどを考えても2刻くらい。日の高いうちに戻れるだろう。

 セバスに御者を任せて、銀星号で送り出した。


 気球は安定して飛んでいる。怪我人も送り出した。

 前日からの疲労もあって、俺達には弛緩した空気が漂い始めていた。


「ふぁ……」


 思わずあくびが出てしまったののその証拠だろう。


「レオ、休みなさい」


「そうですね……、気球が戻ってきたら少し休みます」



 2度めの往復も成功して、気球は無事に戻ってきた。


 気球の点検が行われている間に俺はテントの一つを借りて休むことにした。


 自覚していた以上に疲れていたっぽい俺は、すぐに眠りに落ちた。



◇◆◇◆◇



 夢を見た。蒸し風呂に入っている夢だ。


 そこで俺は金縛りにあっていた。身動きが取れない。


 温度も徐々に上がっていく。


 金縛りはやがて身体を圧迫し始めた。腹と首が苦しくなる。


 温度の上昇に合わせて拘束がよりきつくなっていく。もう首をしめられているのと同じだ。


 俺は声も出せないままに、身を捩った。それでも金縛りは解けない。


 俺は藻掻いた。必死に身体を動かそうとする。


 ここまでか、と諦めかけたところで俺は目が覚めた。と言うか、起こされた。

「レオ君、大丈夫ですか?」


 目の前にいたのは、先生だった。


「ガハッ。はー、はー。すごい夢を見ました……」


「よかった。なんともないようですね」


「なんともないとは?」


「あ、いえ……。モニカさんがですね……」


 先生が俺の後ろを指差す先にはモニカさんがいた。なぜか正座をして俯いている。


「ご、ごめんなさいレオ君! レオ君と同じように私も仮眠を取ろうとしたんだけど、ここでレオくんが寝ているって知らなくて……」


 テントでの仮眠だ。雑魚寝は仕方ないだろう。俺がモニカさんのいるテントに入ったならアウトだが、逆ならセーフだと思うのだが?


「謝られる程のことではないと思うけど」


「そ、それが……私、寝るときに抱きつき癖があって……」


「抱きつき癖?」


「説明しましょう。レオ君の後にテントに入ったモニカさんは、疲労していたので、レオ君に気づかずに眠りに落ちてしまいました。その際、つい癖で近くにあったものを抱きしめてしまったんですね。

 それで、ただ抱きつくだけなら微笑ましかったのですが、偶然腕がこう……後ろから首筋に回ってしまったようで。はっきり言うと、レオ君はモニカさんに絞め落とされる寸前でした」


 なにぃ!? 寝ているうちにチョークスリーパーで落とされかけただと。


 それ、最終的には永眠につながるんじゃ……? 無抵抗の人間になんちゅう凶悪な技を。


 恐る恐るモニカさんの顔色をうかがうと、彼女は赤面してだんまりだった。


「まあ、お互い寝ている間のことですから、不可抗力です。モニカさんが悪いわけでもないでしょう。ただ、今後は気をつけてもらわないといけませんので、レオ君に教えました」


「気の付けようがないのですが……」


 寝ているときに危険を察知して起きるなんて芸当は無理ですよ。こう見えて、貴族のぼんぼんですから。


「ご、ごめんなさい……。私が気をつけるから……」


「ああ、うん……、注意してね?」


 そそくさとモニカさんはテントを出て行ってしまった。


「あのー、先生。敢えて何も言わないのが良かったんじゃないですかね? 結果として何事もなかったわけですし」


「何を言っているんですか。今後のためと言ったじゃないですか。そういう機会がある可能性は大きいのでしょう?」


 そういう機会……。ああ、先生も母上と同じようにモニカさん推しなのね。


「い、一応覚えておきます」


「ええ、大きめの枕を用意しておいた方が良いでしょうね」


 危険な仮眠は、気恥ずかしく終わった。

 

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