第56話 孫の作った熱気球
諸々の準備が整ったのは夜の2刻(午後8時)の頃だった。医薬品と日持ちのする保存食も既に届けられている。
荷物を馬車に乗せている間に、俺は王弟殿下のもとを訪ねた。
「殿下、これより出発します。不安な点はありますが、全力を尽くしました。明日の本番が上手くいくことをお祈り下さい」
殿下は、まだ仕事中のようで、日中の服装のまま机にかじりついていた。
「そうか。ご苦労、と労うにはまだ早いか。だが、ここまでの働き、眼を見張るものがあったぞ。──そこで、これを預ける。現地でもここと同じようにお前が差配しなさい」
殿下から渡されたのは、王家の紋章が入った短剣。なにかあればこれで黙らせろということか。
「信頼にお応えできるように全力を尽くします」
「うむ、それと短くてもいいので睡眠を取るように。まずは自分のことが出来てこそ、人助けが出来る。まあ、未成年のお前に依頼したのは儂だがな」
「ありがとうございます。行ってまいります」
王弟殿下の執務室を出て、ほっと一息つくと、途端に眠気が襲ってきた。言われたとおり、少し寝ないとな。馬車の中で寝られればいいのだが。
中庭に戻ると、馬車への積み込みは終わり、なぜか騎士を始めとする面々が揃って整列していた。
「また誰か偉い人が来るんですか? 王族とか」
近くにいた母上に訊いてみる。
「さっきまで、騎士団長さんがこちらにいらしてね、皆をねぎらってくださったのよ。レオがいなくて残念がっておられたわ。それと医者を一人付けてくれたのよ。何かあったときにって」
あのロマンスグレーの騎士団長さんか。もしかして目をつけられたかな? まあ、あの元将軍と違って嫌な印象はないから大丈夫か。
医者はありがたいな。もし気球が墜落したときにはすぐに治療しなければならないし、安定して飛行できれば、向こう岸に送り込むことも出来る。
ざっと周りを見回して、準備状況を確認するが、必要なものはすべて馬車に収められているようだ。少しでも早く到着するようにとっとと出発しようか。
「じゃあ、出発だ! 各自馬車に!」
俺の掛け声で、集団が動き出す。
毒見役を立派に果たしたゴンザレスが見送ってくれた。
◇◆◇◆◇
コーエ河は荒れていた。水は黄土色で、漂流物も多い。河の中途に堆積した瓦礫が小山のようになっていて水しぶきを上げている。
俺たちは夜明けの直前に目的に到着した。
馬の休憩に合わせての細切れ睡眠のため、皆も元気はなかったが、綺麗な朝焼けに、今日の晴天を予感する。が、河がこの調子では喜んでばかりもいられない。
舟では、板子一枚下は地獄なんて言葉もあるが、熱気球でも同様だ。落ちたら地獄へ一直線だ。
「よし、風の出ないうちに気球を浮かせるぞ! 準備にかかってくれ」
浮かせること自体は昨日もやっているので、そちらは任せて、俺は先行して到着していた投石機の組み立て作業を見学する。
「意外と簡単に組み上がるものなんですね」
高さ5メートル近くある、大型兵器だ。もうちょっと苦労するのかと思っていたら、意外にも騎士たち10名でサクサクと作られていった。
「元々、バラして運んで現地で組み立てる運用方法ですから、そういう風に出来ていますし、我々も訓練を受けています」
「なるほど、兵器にも歴史があるということですね。それで対岸に人を呼ばなければなりませんがどうしますか?」
「戦場と同じようにラッパを吹きます。あっちにも兵がいますからね、音が聞こえれば飛んでくるでしょう。そうだ、レオナルド殿が吹いてみますか?」
「あー、吹いたことがないので遠慮します。それより、川幅が想定より少し広くなっていますが、縄は届きますかね?」
「石を飛ばすだけなら楽勝ですね。縄付きはやったことがないので……。おっと完成したようですね。早速始めますか?」
「お願いします」
騎士の一人が、小ぶりなラッパを吹き鳴らした。
ラッパを鳴らしている間に、投石機に重しの石を積んで、発射準備を整える。
5,6分も鳴らし続けると、対岸に鎧姿の兵士の姿が見え、投石機の準備も完了した。
何らや向こう岸では必死に声を出している。河の濁流の音で聞き取りづらいが、助けを求めていることは分かる。
「今からー! 投石機でー! 縄をー飛ばすー! 注意しろー!」
騎士に頼んで注意喚起してもらったがちゃんと伝わっているだろうか。
そうこうしているうちに、対岸には20名ほどの人数が見えるようになった。兵士ばかりではなさそうだが、あれだけの人数ならば縄くらい引けるだろう。
最初に飛ばすのは、人の頭ほどの石と、それに縛り付けられた細い縄だ。もちろん、向こうの兵への指示書も括り付けられている。
「準備整いました!」
騎士が報告に来てくれる。王家の紋章の入った短剣を腰に差してる俺が指揮官だ。
「飛んでいく縄に巻き込まれないように、少し離れてくれ」
先程まで石を集めてくれていた針子やフランたちが見学しているが、彼らを下がらせる。十分に距離をとったのを確認して、俺は指示を出した。
「投石機、発射!」
「発射!」
即座に騎士が、レバーを倒す。河原中の石を集めた重しが重力に引かれて勢いよく下がり、逆側のアームが縄をつけた石を空に飛ばした。
それは、いつか見たホームランのような軌跡とともに対岸の河川敷を越えて、雑木林に着弾した。
「はははっ! 縄渡し成功!」
観客からも歓声が上がる。こういう単純で豪快なのって、楽しいよな。ズバーンと飛んで、ドカンと到着。説明不要で盛り上がる。
向こう岸ではしばらく右往左往していたが、そのうちこちらからの指示書を見つけたようで、縄に群がって引っ張り始めた。
飛ばす際になるべく負荷を減らすように、最初の縄は細いものだ。それを一旦向こう岸に届け、太い縄を引っ張らせることにしてあるのだが、ちゃんと理解してくれているようだ。
「ここまでは良し。次は気球だ。一旦浮かせて様子を見る。大丈夫そうなら、本番だ」
今のところ、微風状態だ。ただやや向かい風なので、すぐには実行しない。待ったからと言って条件が良くなるとは限らないのだが……
気球に熱気が溜まるまでの間に、救援物資の最終確認をする。
まずは医薬品。傷薬を始め、胃腸薬や俺にはよくわからないものまでが木箱3つ分。これにウインチの一部材料と、浄水器の設計書の入った木箱。更に硬く焼き締められた保存用のパンが1箱。全部で5箱。重量は60~70キログラム。最初なので、安全マージンを多くとってある。
ここで一悶着あった。
誰が気球に乗り込むのかということだ。ロケットストーブの火力を調整するために無人で飛ばすことは諦めたのだが、じゃあ誰が? となった。
俺は当然自分が乗るつもりでいた。
「責任者は俺です。だったら俺が乗るべきです」
「いえ、自分が乗ります。オクタの衛兵としてこれも職務です」と立候補したのはエンジャー。
「レオ君は指揮官なんだからここを動かないで。代わりに私が乗ります」とモニカさん。
アリスやコクランまでも立候補して、
「あたしが一番軽いの!」
何故かフランまで立候補してきたが、これは全員で却下した。
最終的に、搭乗者に決まったのはお祖母様だ。
「若い者と老いた者。考えるまでもないねぇ。若い衆よ、お国に貢献したいなら、生きて働き続けな」
と、かなり強引に主張した挙げ句、勝手にバスケットに乗り込んで不動の構えを見せたのだ。
「あたしゃ最初からそのつもりで付いてきたんだよ。それに、世界で初めて空を飛ぶなんて他人には譲れないね」
そう言っていたが、本心はどうなのか。悟ったような顔をしているが……
どう主張しても、俺が乗ることは許されない雰囲気だったので諦めた。身内を危ない目に合わせたくないから他の者に乗れとも言えないしな。
熱気球は昨日同様に浮かび上がり、しばらくは低空で固定した。追加で縫い付けられた布はちゃんと補強として機能しているのだろうか。ここからでは分からんが、信じて飛ばすしかない。
そうしておよそ半刻ほど浮遊させていると、上空の風の流れが南西から南東の微風に変わった。
今はまだ朝の2刻(午前8時)にもなっていない。まだまだ時間はあるが、時間が過ぎるほど気温が上がって気球の浮力が落ちることからも、これ以上の好条件はないだろう。
「よし! 実行する! 手はず通りに動け!」
手順としては、まず気球を20メートルほどの高さまで垂直に上げる。そこで対岸に赤い布を降って指示を出す。それを合図に対岸から牽引してもらうという寸法だ。
地面に縛り付けていた縄を緩めて上昇を促す。
「お祖母様、そろそろ薪を減らして下さい。河の真ん中を過ぎたら更に少しずつ火力を落としてくださいね。そして万が一のときは、焦らずになるべく低空で川に飛び込んで下さい。こちらから救助します」
お祖母様の腰には浮き袋代わりの空の水袋がいくつも結わえられ、更に細い縄がこちら岸の木杭に縛られている。墜落をした場合はこれで引っ張るのだ。
すぐに、予定高度で安定した気球から声が届く。
「任せときな。孫の作った熱気球で空の旅だ! 最高だね! さあ、やっとくれ!」
俺たちは対岸に向けて赤い布を振り回した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます