第54話 邪魔者

 予定通り、昼の2刻になったところで俺は起こされた。一緒にモニカさんも起こそうとした騎士を止める。人手も足りているから、彼女にはもう少し休んでいてもらおう。


「ふう、寝足りん……」


 誰に聞かせるでもない愚痴が漏れる。だが、作業はまだ半ばだ。爆睡できるゆとりはない。


 立ち上がって作業場を眺めると、アリスの宣言どおりに気球が縫い上がるところだった。


 親方がロケットストーブを抱えて広場に持ち込んでくる姿も見える。


「どう、間に合わせたわよ」


 アリスが俺の横に来て胸を張った。縫ったのはお前じゃないだろと思うが、まあコイツも頑張ったのだろう。


「ああ、よくやった。完成したら検査してくれ。どこかに穴が空いてたら浮かぶものも浮かばん」


「了解。それが終わればいよいよ浮かべるのよね。不謹慎だけどワクワクするわ」


「それは分かる」


 俺たちが見ている間にも縫製は進み、完了した。


 その気球部分を広場に運び出す。広場は、騎士たちの努力で水たまりが埋められ、その上にシーツがかけられて気球が濡れないようにされていた。


 半日でここまでやれるのか。すごいな。


 生地に穴やほつれがないことを確認している間に、俺はロケットストーブに火を入れた。助手はフランとチャコちゃんだ。


「兄さま、細い薪のほうがよく燃えるの!」


「太いものは、長く燃えます」


 ふむふむ、ただ燃やして楽しむだけでなく、ちゃんと使い方を学んだんだな。


「そうだな。じゃあ最初は細い薪から始めて、段々と太くしていこうか。着地のことも考えないといけないからね」


「それが良いと思うの!」


 浮かせるときは高火力、着地にする時は火力を抑えればスムーズだろう。それも実験項目に入れないとな。


「最終確認完了よ!」


 アリスが右拳を上げて完成を宣言した。「うおー」とか「やったー」とかの声が聞こえてくる。


「じゃあ、早速実験を開始するぞ! 気球の開口部を立ててくれ!」


 数名の騎士の手を借りて、気球内に熱風を送り込む。同時進行でロケットストーブと気球を硬めの針金、自転車のスポーク的なもので接合していく。


「皆、気球内に熱気が溜まるまで結構時間がかかるから、自由に休憩をとってくれ。食事を摂っていいないものは、今のうちに食べるようにな」


 最初は、騎士や針子が幾重にもなってロケットストーブが燃える様子を見ていたのだが、俺がそう言うとパラパラと散っていった。


「アリス、ここは頼んでいいか? 俺は籠を運んでくる」


「薪をくべるだけだもの、簡単よ」


「それと先生、王弟殿下に実験が始まる旨をお伝えしてきてもらえますか? 多分半刻もしないうちに浮かぶと思うので」


「そうですね、お呼びするには良い頃合いでしょう」



「ここまでは順調のようね」


 皆への食事を配り終えた母上が話かけてきた。こころなしか母上の熱気球を見る目が輝いている。


 気球に熱気が送り込まれて、騎士たちの支えなしでも気球部分が持ち上がり始めたところだった。


 熱気球は、アリスの設計書によると、最大幅18メートル、長さがバスケット込みで31メートル。気球の体積は約2,000立方メートルとなっている。 最大積載量は、搭乗者をいれて150キログラムから190キログラムだ。


 これが浮かぶ姿はさぞや壮観だろう。


「今のところは、ですね。むしろ順調すぎて怖いです。こういうときって、厄介事が起きる気がしませんか?」


「レオ……。言霊ことだまと言ってね、不吉なことを言うとそれを呼び寄せるのよ……」


「えっ? あっ!」


 フラグ立てちゃった?! うわーやっちゃった。


「まあ、必ずではないけれど」


「で、ですよね。ここまで順調ですから」


 順調すぎてトラブルを警戒する。好事魔多し。油断を戒めることわざだが、そういうことが往々にして起きるからそういう言い回しも出来たのだろう。


 今日もそうだった。俺がフラグを立てた訳じゃないだろうけど、厄介事が向こうから歩いてきたのだ。


 それは、気球が膨らんで完全に地面から離れ、バスケットと気球を縄で結んだ時だった。


 広場の向こう、城の本丸からこちらに歩いてくる集団があった。武装した男たちの集団だ。騎士とは違う鎧をまとっているとこからすると軍の兵士たちか。


 俺達の前まで来た武装集団の中から、二人の男が出てくる。


 ヘルメス王子殿下とファーデン元将軍だ。


「へへへ、アリス。すごいものを作っているね。部屋から見てびっくりして飛んできちゃったよ」


「熱気球を作ったのか小僧」


 ヘルメス殿下は呑気そうに、ファーデン元将軍は忌々しそうに口を開いた。


「何をしに来たのです、ヘルメス殿下。今は何よりも時間が惜しいのです。邪魔をしないで下さい」


 王子様のお出ましに跪礼をした俺達の代わりに、アリスがそう言った。今、この場で対等に近い形で喋れるのは彼女だけだ。


「つれないぁ。もっと愛想を良くしてくれないと困っちゃうよ。へへへ。でも、怒った顔も母親みたいで良いねえ」


「アリス嬢、貴方も礼節をわきまえて膝をつきなさい」


「死にぞこないの老人は黙っていなさい。もう一度言います。ヘルメス殿下、邪魔をしないで下さい。貴方がここにいるだけで作業の妨げとなります」


「驕慢が過ぎるぞ小娘! 殿下の温情につけ込んで何たる態度だ!」


 これはよくないな。アホの王子とそれを助長する老害が相手では、アリスの分が悪い。緊急事態だ。俺も腹を括ろう。


「お待ち下さい」


 立ち上がって、老将軍を睨む。王子よりもこちらのほうがまだ与しやすそうだ。


「この熱気球は、トリスタン王弟殿下のご依頼により、最優先で完成させよとの命を受けております。ここにいては作業の妨げになりますので、もう少しお下がりになって、この者たちに立ち上がる許可をお与え下さい」


「黙れ、国賊のシルバードーンが! 今ここで貴様を斬り捨てさせてもいいのだぞ」


「やれるものならどうぞ。ただ、作業の邪魔になりますので移動しましょう。恐れ多いことですが、城の大広間などはどうでしょうか? そこで俺の罪状をあげつらったらよろしい。そちらに理があるなら陛下もお認めになるでしょう」


 今にも気球がバスケットごと浮かび上がろうとしている。本当に大詰めなのだ、最低でもここから引き剥がしたい。

 できれば尻尾巻いて逃げてほしいが、この老将軍、雰囲気が強気なアブラーモなんだよな。俺の突っ張りがどこまで通用するか。


 そこで、副隊長さんも立ち上がった。


「いま、レオナルド殿が言われたとおり、殿下と元将軍はお下がりいただきたい。これはオクトの町の救援のための任務です。時間が惜しいのは誰でも分かること、ここは我が国民の苦境を思って退いていただきたい」


「殿下の御前でなんたる言い草! 家名を名乗れ! 一族まるごとさらし首にしてくれるわ!」


「前にも俺の伯父が言いましたが、貴方にそのような権限はないでしょう? 何たる言い草とは、貴方のことでは?」


 もう止まれない。ここまできたら強気で押していくのみ。やってやるぜ、なんたって王弟殿下の依頼だ。ここで芋を引くなんてあるもんか。


「き、貴様ぁ! 子供の分際で!」


 ふむ、強気なアブラーモというより身分のあるゴールドムントだったか。あいつにも似たようなことを言われたぞ。


「子供であろうと、依頼主はトリスタン殿下です。文句があるならそちらへどうぞ」


「虎の威を借る子狐め!」


「まあまあ将軍、いい年なんだからそう興奮しないで」


 俺と元将軍の口論を泊めたのはヘルメス殿下。浮世離れしてるのかすぐ近くで口喧嘩をしているのにあまり緊張感がない。


「殿下、ここまで儂をコケにしたのです。今後のためにも思い知らせる必要があります」


「まあまあ。それより熱気球と言ったっけ、それが浮かぶよ。みんなで見ようじゃないか」


 そうヘルメス殿下がいうと、確かに気球がバスケット部分を含めて浮き上がろうとしていた。予めバスケットには縄が結んであって、それは地面に固定されている。最初は高度1メートルからの性能実験だ。


「ほら、こんなに大きいものが浮き始めた。すごいねぇ」


 ヘルメス殿下はウンウンと頷いてバスケットに手をかける。


「これ、僕が乗ったらダメかな?」


 このKY王子は何を言っているんだ。ダメに決まってるだろう。もし今が災害救助の準備ではなかったとしても、いきなり殿下と呼ばれる身分の者を乗せるわけないだろうが!


「手を放しない! それは私が設計して、ここにいる皆で作り上げたものなのよ。軽々しく触らないで!」


 これはいよいよ危険か。アリスがヒートアップしすぎてる。

 彼女に近づいて、服を掴んだ。ここでヘルメス殿下に手を上げでもしたら収拾がつかなくなる。


「アリスが設計したの? へへへ、それはすごいね。面白そうな上にこの子が作ったなら、見逃せないなぁ。うん、じゃあこれは僕が貰うよ。なあそれでいいだろ? 将軍」


 ヘルメス殿下の召し上げ発言に一同があっけにとられる。


 馬鹿も休み休み言えよ。献上するわけないだろうが!


 俺の内心でのツッコミをよそに、ファーデン元将軍の高笑いが響く。


「くわーはっはっは! それはすばらしい! ぜひそうしましょう! これは我が殿下がお持ちになるべきです。シルバードーンの小狐めには過ぎた代物ですからな!」


 たまらず、殿下と元将軍に詰め寄ろうとしたアリスの服を強く握る。何をする気か知らんが、ここで無茶はダメだ。


「恐れながら、この熱気球はオクタの町の災害救助のために作成したものです。いまお渡しすることは出来ません。これの所有権については、後日トリスタン王弟殿下と協議していただきたい」


「ふん、災害救助だと? それなら軍が既に動いておるわ!」


「これは軍よりも早く被災地に到着できます。どうぞご容赦を」


「馬鹿め! 何日か遅れるだけだろうが! 殿下のご希望を優先するのが当然だ!」


「そうだねぇ。町の住民には悪いけど、中古は嫌だなあ。そうだ、これは僕のものってことにして、君たちは新しく作り直しなよ。ただ、これよりも小さくしてね。僕のより立派なのは許せないから」


 唖然とするというのはこういうことか。ぶっちぎりのアホ発言に俺の手が緩んだ。


「この恥知らず!」


 アリスが平手打ちを見舞おうかとしたが、すんでのところで彼女を引っ張った。ヘルメス殿下の顔の前をアリスの手が素通りする。


 あ、危ない。手を出したらだめだ。

 例えもっともな理由があっても王族に手を上げれば、処罰は確実だ。


「ちょっとレオナルド!」


「下がれアリス!」


「おやぁ、いま僕に手を上げたよねぇ。たまに女性に引っ叩かれることはあるけどさ、そういうときは必ず制裁を加えることに決めてるんだ。エミリアの娘だからって容赦はしないよ。へへへ、将軍は気球を回収しておいて。僕はアリスをお仕置きするからね」


「はっ。聞いたなお前ら! すぐにこれを回収しろ!」


 お供に連れていた軍の兵士たちにそう指示を出すと、彼らはすぐに動いた。キビキビとしているのがなお憎らしい。


 ここまでか……。巨大な権力の前には、こうも無力なのか……


 いやらしく笑う二人がとても醜く見える。ようやく完成して浮き始めたところなんだぞ、それを玩具を取り上げるみたいに!


「アリス、逃げろ。王弟殿下を探して守ってもらえ」


「イヤよ! いざとなったら刺し違えてやる!」


「さっさとせんかぁ!」


 元将軍の拳が俺に振り下ろされる。テレフォンパンチだ、避けるのは容易いが、そうするとまた面倒だ。

 俺は拳を額で受けた。


 ゴスッという鈍い音がして俺は横倒しに倒れた。ダメージは大したことない。あっちの拳のほうが痛いはずだ。


「ぐっ、おのれおのれおのれ! 手打ちにしてくれる!」


 元将軍は兵士から剣を奪って構えた。これは受けられない。この老いぼれ一人ならほんぼでも躱し続けられるが、囲まれると絶体絶命だ。


 ここにいる人達に「逃げろ」と叫ぼうとしたところで、別の声が響いた。


「一同静まれい!」


 この声は、ダンディな騎士団長だな。王弟殿下を待っていたんだが、この人でもいい、助けてくれ。


「騎士団長、邪魔をするな!」


「軍兵士は直ちに武器を収めよ。クーガー、ヘルメス殿下と元将軍を拘束せよ!」


 即座に副隊長さんたちが立ち上がって、ヘルメス殿下の両手を掴み、元将軍は地面に組み敷かれた。軍兵士は、どうしていいのか分からず立ち尽くしている。


「あれー、僕にそんなことしていいのかなぁ? へへへ、僕が怒ったら団長でもタダじゃすまないよ」


「何をするか無礼者どもめ! ええい、離さんか!」


「そのまま拘束を続けよ」


 騎士団長さんは動じない。ゆっくりとこちらに歩いてきて、俺たちを見回し、熱気球に一瞬目を向けた。


 威儀を正し、大きく息を吸って、高らかに命を下した。


「これより陛下のお出ましである! 一同平伏せよ!!」    

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