第48話 だが断る

 アリスさんは、逃げるように学校から去っていった。


 俺は血を滲ませたまま授業をすることは出来ないので、そのまま早退した。


「ど、どうしたの?!」


 迎えの来る時間でもなかったので、教会の馬車で屋敷まで送ってもらったのだが、俺を見かけたモニカさんが目を見開いて、走ってきた。


「ちょっとね……。伯父上は屋敷にいるかな?」


「当主様は、外出中で……。すぐにお医者様に診せないと! 呼んでくるから!」


 屋敷に入って、とりあえず自室で一息つく。当初の激痛は収まったがまだ鈍痛がする右腕を見る。これ、完治がどのくらい遠のいたんだろ。


 すぐに、アマートとお祖母様がやってきた。


「おいレオ! 何があったんだ!?」


「その手……また襲われたのかい!?」


「二人とも、そう慌てないで。襲われたとかじゃないから」


 モニカさんが呼びに行った医者が来るまで、二人に学校での顛末を説明する。

「そういうことですので、伯父上に事情を話して俺はアリスさんの接待係から外してもらおうと思います」


「レオ、正しいのはお前の方だと思うが、そこは譲歩すべきだったんじゃないか? 授業を見学したからってどうということもないだろうに」


「俺一人だったら、そうしたかもな。でも生徒の目の前だったからなぁ。それにもう今更だろ」


 もうちょっと上手く対応できたかもしれないが、それは後知恵というものだろう。後悔もしてないし。


「レオナルド、済まないねぇ。こりゃあたしのせいだよ」


「はて? なぜお祖母様が?」


 アリスさんとお祖母様に接点なんてないと思うが。


「今朝、日中だけでも同じ屋敷内で生活するのだからと、あのアリスという娘と顔合わせをしたのさ。それでねぇ、礼儀作法がお世辞にも褒められたものじゃなくてね。建前だとしても行儀見習いに来てその態度は何だと、あたしがお説教したら不貞腐れて、出て行っちまったのさ。あたしも気を揉んだが、まさかレオナルドにとばっちりがいくとは思わなかったよ。済まなかったねぇ」


 なるほど。お祖母様のマナーチェックに引っかかったか。お祖母様は事情があることは知っているけど、アリスさんの詳しい素性は教えていないからな。年長者として若者を指導してしまったんだろう。


「それとこの怪我はあんまり関係ないでしょう。お説教が嫌なら礼儀作法を守ればいいだけですから。それに俺はもう、原因がなにかなんて興味がないですね」


 金輪際、顔もあわせたくない。

 そうだな、しばらくテルミナ邸を出て、宿屋暮らしをするか。タック君の家は宿屋を営んでいたはずだから、そこに行こうかな。セバスを連れていけば、生活もなんとかなるだろ。


 いつものお医者さんが来てくれたので、傷を見てもらうと、思ったよりも軽症で安心した。

 傷口はようやくふさがりかけてきていたのだが、新しい皮膚とその周りの皮膚が引っ攣れるような状態だった。そこに衝撃が加わったものだから、新しい皮膚が破けた状態になったとのこと。傷口が開いたということではなくて良かった。


「レオ君、無茶をしないで」


「軽症だから。大丈夫さ」


 久しぶりにモニカさんとまともな会話が出来たことが不幸中の幸いか。



◇◆◇◆◇



 昼過ぎに母上とフランが、夕方に伯父上が帰ってきた。個別に説明するのは面倒なので、夕食後にフラン以外の関係者に何があったのかを説明した。


「──なので、王弟殿下には俺からお詫びの手紙を書きますが、接待を続けるつもりはありません。もし、アリスさんの言う通り、身分の高い女性の腕を掴んだのが罪なら処罰も上等だと思っています。明日以降は、顔を合わせないように宿屋に泊まろうかと思っていますので、許可して下さい」


 俺が接待役を降りることと、テルミナ家が行儀見習いの受け入れを断ることはイコールではない。後は俺抜きでやってくれということを伯父上に伝えた。


 この件に関して、伯父上は頭を冷やせと言っていたが、母上は俺の意見に全面的に賛成した。


「レオの言い分は正しいわ。いくらお相手が王弟殿下の養い子だとしても、うちの息子を傷つけて、居直るなんて絶縁して当然よ。レオが出ていくなら、私達も出ていくわ。宿が取れなければ、テルミナ領に戻りましょう」


 そうか、安全になったんだから伯父上と一緒に行動しなくてもいいんだよな。よし、方針変更だ。テルミナ領に帰ろう。グッバイ王都だ。

 教会学校に迷惑を掛けるが、後任の教師を斡旋して許してもらおう。第一候補はアマートだ。


「待て。おまえたちの怒りも分かるが、最低でも数日はここにいろ。サンダース殿を通じて緊急で王弟殿下の面会をお願いする。帰るにしても、筋を通してから行かねば、お前が悪いことになるぞ」


「うーん、その席にアリスさんを呼ばないこと。俺は謝罪しないことを予め殿下にお伝え下さい」


「レオナルド、頑なになるな。お前の傷も重症ではなかったのだろう?」


「傷はどうでもいいのです。身分を振りかざして横暴をしようとしたことが許せません。自分は悲劇のヒロインを気取っているくせに、他人に理不尽を押し付けようとするなんて、質が悪すぎる」


「しかしだな、お前のやり方もまずかった。昨日のアリス嬢との口論もそうだが、相手を苛つかせたのはお前の方だ。ならば、お前にも非はある。今後、貴族たちと付き合うことが増えれば不愉快なこともままあるだろう。その度にいくら正論を唱えても、得るものは少ないぞ」


「ダサい大人になれってことですか?」


「そうではない。長いものに巻かれろということではないのだ。正しいことをしたいなら、理解者を増やさねばならん。そのために、感情的にならず、相手の感情も慮って、本当に譲れないところ以外は、柔軟に考えろということだ」


 もっともだ。でもなあ。


 更に反論しようとしたところで、珍しくセバスが声を上げた。


「若様、明日にしたほうがよろしかろうと愚考します。何を思い、何をするにしても、まずは気持ちを落ち着けてからではないでしょうか」


「はぁ……、セバスにも俺が正気を失っているように見えるのか?」


「いえ、そうは思いません。ただ……若様らしくないと思うだけでございます」


 深々と頭を下げるセバスを見て俺も少し反省する。セバスはそう言うが、敢えて口を挟んだということは、俺の言動が危ういと見たのだろう。


「分かったよ。言いづらい事を言わせて悪かったな。伯父上、今日はもう休ませて下さい」


「余り考えすぎるなよ」


「はい、おやすみなさい」



◇◆◇◆◇



 翌朝は俺の気分そのままに、空はどんよりと曇って小雨模様だった。


 朝食前の早朝に先生が先触れとして訪れたのが慌ただしい一日の始まりだった。


 先生は、お昼前後に王弟殿下がお忍びでテルミナ邸を訪れることを告げた。


 国でも5本の指に入る権力者から今日行くよと言われたテルミナ邸は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。どのくらいの人数か? 昼食は必要か? 今日の用事はすべてキャンセルすることを先方に連絡しなければ、とそういう準備が必要なのだ。

 特に、メイド達は大忙しだ。屋敷内の清掃をいつもより念入りに、時間制限ありでやらなければならない。危険物の有無のチェックも兼ねているので、ナタリアさんも加わって大わらわだ。母上とお祖母様にセバスも手伝っている。

 

 俺は戦力外なので、同じ戦力外の者たちとまとめられて談話室に缶詰になっている。メンバーは、俺、フラン、ドンガ親方にアマートだ。

 4人でトランプ遊びをして時間を潰している。


「兄さま、どうして今日はお屋敷が騒がしいの?」


「今日はね、王弟殿下、つまり王様の弟君がこちらにいらっしゃるからだよ」


「殿下……王子様なの?」


「そうだねぇ、先王陛下の御子だから、王子様かな」


「ふあぁ、王子様だあ」


 王子様に憧れるフランは、嬉しそうだ。夢を壊してはいけないので元王子様だということを強調しておく。


「ご挨拶することになるかもしれないから、あとで着替えておこうな」


「うん、おめかしするの!」



 そんなこんなで時間を潰していると、王弟殿下が少数の護衛と一緒にテルミナ家に到着した。時刻は、中天の少し前頃だった。


「忙しい時期であろうにすまんな。明日以降はもっと時間がとれんのでな、急であるが足を運ばせてもらった」


 そう伯父上に口頭ではあるがお詫びの言葉を口にしたのは王弟殿下。場所は、テルミナ邸の応接室だ。


 そこで王弟殿下は突然の来訪を詫び、前置きもそこそこに言葉を続ける。


「要件はアリスの件だ。昨日、自室で暴れまわってな。侍女に話を聞いてみれば、教会でレオナルドとトラブルがあったというので、事情を確認した。

 で、その、なんだ。レオナルド、アリスにはよく言い聞かせるから、話し相手を続けてくれんか?」


 そう来たか。お叱りを受けるものかと思っていたが……


「命令であるなら、可能な限り誠実に務めましょう。しかし、もし質問が許されるなら、なぜ私なのかをお聞かせ頂けませんか? 相性が良くないですし、彼女だってこちらを嫌っていでしょう。殿下が足をお運びになってまで私に要請をするのか、理解が出来ません」


 王弟殿下は大きくため息を吐いた。どこか遠い目をしている。


「まず、命令ではない。このような私事でそのようなことはせぬ。だが、アリスはな……、レオナルドのことが気になって仕方ないのだ。あれはな、人付き合いが極端に不得手だ。思っていることと口に出す言葉が逆になることすらある。城での養育で、通り一遍の礼儀作法は身につけたが、心が動かされると、どうにもならん。初対面のときも、アクセサリーの出来栄えに感動してあのような態度になってしまったのだ」


 コミュ障で、情緒不安定ってことですか。うーん、この世界にいるのか知らないけど、カウンセラーとかの出番ではないでしょうかね。


「なぜ、私のことがそれ程気になるのでしょう? 確かに殿下の前で、ちょっと不思議な数字の話はしましたが、それだけです」


 王弟殿下に見つめられる。


「本人ははっきり言わんが、お前に惚れたのだと思う。お前は着眼点がいい。例の数字といい、熱気球といい、アクセサリーのセンスも含めて、あいつには無い才能があるのだろう。そこに惹かれていると思うのだ」


 そんな事あるのか? いやまあ殿下も推測なんだけどな。


 これは安易に先延ばしを狙って、『とりあえず』で答えていい話ではないだろう。

 しばし黙って、気持ちを固める。


「そういうことでしたら、ご依頼の件、はっきりとお断りいたします」


 言った。言ってしまった。


「理由を訊いてもいいか?」


「まず、私にアリスさんに対する好意はありません。それなのに、期待をもたせるような行動は不誠実だと考えます。仮に、アリスさんの話し相手を務めても、私は近々テルミナ領に戻ります。その後は年数回の文通が精々でしょう。アリスさんは私よりも年上で、いつ結婚の話が出てもおかしくありません。誤解を生むような態度は慎しみたく思います」


 それに、アリスさんのとの交流が噂になって、なにか結婚するのが既定路線みたいな流れになるのは困る。


 王弟殿下は腕を組んで口を真一文字にむすび、厳しい表情をしたあとに、カクンとうなだれた。


「子爵、娘の親というものは難しいのう」


「は、私には息子しかおりませんので、察するのみですが、私も姪の扱いが上手く出来ません。男親と娘であればより難しいのでしょう」


「娘の為を思っても、レオナルドの言い分は認めざるをえん……。だがレオナルド、アリスが話をしたいと求めたら、一度だけでいいから応えてやってくれんか」


「はい。承知しました。まあ喧嘩別れに終わるかもしれませんけど……」


「そうなったらもう、そういう巡り合わせだったと思うことにするさ。子爵よ、こちらからの依頼であったが、アリスの行儀見習いは止めることにする。急な来訪と併せて手間を掛けた」


 王弟殿下は、昼食をテルミナ邸で摂ることなく、侍従に急かされて引き上げていった。


 雨が強くなり始めていた。

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