第47話 襲来
「おはようございます。今日はお早いですな」
教師の控室に現れた俺に司祭様が話しかけてきた。
「ええ、屋敷にいても落ち着かないので、来ちゃいました」
嘘である。落ち着かないのではなく、アリスさんが来る前に屋敷を出発したのだ。顔を合わせれば、お互い気分が良くないからな。今日一日は顔を合わさないようにしたいと思っている。一日経てば、少しは落ち着くだろう。
「ゴールドムントのことで色々ありましましたからな。その節はご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、司祭様がそのように恐縮することではありませんよ。それに、割とすぐに解放されましたから」
「ありがとうございます」
「それより気になっていることがあります。チャコちゃんは学校に来ていますか? あの子に悪影響が出るのは本意じゃないんですが」
司祭様が首を傾げる。
「はて、チャコミリスはどうだったでしょうな……。初年度生は受け持っていませんので、分かりません」
司祭様の受け持ちは、教会学校における最上級生たちだ。生徒総数で100人近くいるので、個別には把握できないか。
「あの子がいると、集団が落ち着くと思うんですよ。だから出席していてほしいですね。それにチャコちゃんにしわ寄せがいくのは面白くないです」
父親が問題を起こして、罰金刑を食らって、王家御用達の看板も剥奪された。ならば商会は蜂の巣をつついたような騒ぎだろうし、チャコちゃんがそれを尻目に「行ってきまーす」と無邪気に家を出るのは想像しにくい。
できれば、親の責任として「お前は心配するな、ちゃんと勉強してこい」と送り出してくれていることを祈るばかりだ。
インチキを学校で教えるなと怒鳴り込んできたのだから、可能性はあると思うのだが。
「残念ながら、家庭の事情でここに通わなくなる生徒は珍しくありません。特にこの地区では、商家が多いせいで入れ替わりが多い傾向があります。ゴールドムントは自尊心が高い分、教育には熱心でしたから、通わせ続けるとは思いますが……」
こりゃあ、五分五分だな。あのおっさんの良心は信用できないが、見栄っ張りの部分に期待しよう。
時間になり、教室に移動すると、悲しいかなチャコちゃんの姿は見えなかった。
「おはよう皆。一昨日は授業ができなくて悪かったね。急用が入ってしまったんだけど、申し訳なかった」
相手が年下といえど、授業をすっぽかしたのは事実なので、頭を下げて謝る。
「センセー、騎士様たちに連れて行かれたんだろ? 大丈夫だったのかよ」
挨拶をすっぽかして質問してきたのはやはりタック君。
「連れて行かれたというより、お城に来てくれと頼まれたんだ。まあ色々あってね」
「お城の話聞きたい!」
「君たちに聞かせて面白そうなことはなかったよ。俺も口にしていいこととダメなことの区別ができないから、話せないんだ。ごめんね」
「つまんねー」
一瞬、タックくんにチャコちゃんのことを聞こうかと思ったが、他の子もいるので止めておいた。
「ゴネても、お城のことは話さないからね。それより授業を始めよう。今日は算術から始めます」
頭を教師モードに切り替える。理科の実験は、ダンディな騎士団長さんに注意されたので、あたりさわりない実験を思いつくまで封印だ。
で、今日は算術、それも暗算を鍛えたいと思う。商家の子が多いから計算が得意な子も多いし、役にも立つだろう。
「じゃあ、三人か四人で班を作って下さい。計算ゲームをします」
俺は厚めの紙を用意してきた。トランプのカード大に揃えられたそれを、ひとかたまりづつ、各班に配る。ペン代わりの木炭も一緒だ。
「はい、今配った紙に、1から9までの数字を大きく、見やすいように書いて下さい。片面だけですよ」
「センセー、紙余るよー?」
「1から9までを一つのセットとして、3セットくらい作ってくれるかな。余った紙は予備だから避けておいてね」
各班を一周見回る頃には、完成した。
「では、ルールです。まずこれは、勝負する二人と審判一人で行います。審判は、対戦する二人に裏返したカードを2枚配って下さい。配り終えたら、審判の掛け声で、対戦者がカードをめくります。出た数字を足し算して、早く答えた方が勝ちです。早くても間違えたら負けですからね。素早く、正確に計算しましょう」
カードをめくって3と7が出たら「10!」と答える感じだ。最初は2枚から初めて、段々と枚数を増やしていきたい。10以上のカードも作って混ぜれば、難易度も上がる。
「慣れてきたら、引き算もいいよ。大きい方から小さい方を引いてね」
ルールは簡単。すぐに生徒たちは計算ゲームを始めた。
年齢も計算能力もバラバラなので、勝敗が偏ってしまうが、配る枚数でハンデをつけたり、トーナメント戦をしてみたりと工夫してなるべく際どい勝負になるように調整する。
半刻くらい、計算ゲームをさせて、今日の算術はおしまい。次の読み書きの授業までしばしの休憩時間とする。
そこでタック君を捕まえてチャコちゃんのことを訊いてみた。
「チャコちゃんは昨日学校に来てた?」
「あー、休みだったよ。なんだかあいつんちスゲー慌ててるみたいでさ、学校に来るどころじゃねーんじゃねえの?」
「そうか、タック君はチャコちゃんの家って知ってるかい?」
「ああ、もちろん知ってるぜ。何だよ、チャコがそんなに気になるのかよ」
タック君が俺を上目遣いで睨む。ははーん、さてはチャコちゃんのことを意識してるな? 確かにチャコちゃんは顔立ちが可愛いよな。
「大丈夫、タック君が心配するようなことじゃないよ。教師として気になっただけだからね」
「な?! 何だよオイラが心配って! そういうんじゃねえし!」
残りの休憩時間を控室で過ごし、次の授業のために移動すると、嬉しくない出来事が起きていた。
テルミナ邸にいるはずのアリスさんがいたのだ。
教室で子供たちと計算ゲームをしていた。圧倒的なスピードで、子供たちに勝っているが、それで楽しいのか?
「おーい、皆席に付きなさい。そして部外者は出ていって下さい」
ゴールドムントは保護者だったけど、あんたは部外者だ。ほら出てった出てった。
「イヤよ。ここで見学するわ」
「あのですね、ワガママも時と場所を考えてくださいよ。授業の邪魔になりますから、お引取り下さい」
きっぱりとそう言ったのだが、アリスさんはそっぽを向いて無視を決め込んだ。
その姿を見て、俺は嫌な気分になる。
ワガママで、都合が悪くなると聞こえないふり。これではゴールドムントと同じではないか。
「アリスさん、こちらを見て下さい。ここは貴方の家ではないのですよ。どうしても見学したいのなら、事前に責任者である司祭様の了解をとって、それからにして下さい。子供たちの前で恥ずかしいと思いませんか」
それに、お付きの侍女さんはどこへ行った? こういう人を放し飼いにすんなよ。
「イヤよ。貴方に命令されるいわれはありません。さっさと授業を始めなさい」
生まれや育ってきた環境に不満があるのは分かるが、それで他人に迷惑をかけて良いということにはならない。
「えー、皆さん。しばらく自習にしていて下さい」
俺は、アリスさんの手を掴んで、文字通り教室から引きずり出した。
「痛い! 放しなさいよ! おじ様に言いつけるわよ!」
「言いつけろよ。んで、俺の悪口をまくし立てればいいさ。だが、ここからは出ていけ。自分の足で出ていかないなら、このまま城まで引きずっていく」
「なんでよ! 城には戻らないわ! とにかく放しなさい!」
「学校で喚くな。不幸な生い立ちなら、何をしても許されると思ってんのか? 甘えんのも大概にしろ」
「何よ! 授業を見学するだけじゃない! なんでそんなに怒るのよ!」
「子供たちの教育に悪い。ワガママがまかり通る場面を見せるわけにいくか。なあ、理解しているか? 今のお前はゴ……性根の腐った貴族みたいだぞ」
ゴールドムントみたいだと言うのはギリギリこらえた。
こういうゴネ得は許せないんだよ。王子殿下の実子で、王弟殿下の養い子だからって何でも言うとおりになると思うなよ。せめて学校の中くらいは理不尽を見せたくないんだよ。じゃなきゃ教育にならんだろうが。
「わたしがそんなに悪いの!? どうしてわたしだけが虐げられるの!? おかしいじゃない!!」
会話にならんな。このまま城まで引きずっていくか。あとで、伯父上あたりから叱られるかもしれんが、構うもんか。
「放せって! 言って! るでしょ!!」
アリスさんが、三角巾に吊られていた俺の右手を殴りつけた。
反撃を予想していなかった俺は予期していなかった痛みに思わずアリスさんの手を放してしまう。
「ぐぅぅ」
最近は傷むことも少なくなってところに、傷口直撃だ。これはキツイ。
包帯に赤い染みが浮かぶ。傷口が開いたか。
「えっ……これは……その」
「痛ってぇな! 何しやがる!!」
俺は学校の廊下ということも忘れて、声を荒げてしまった。
司祭様や他の教師、生徒たちも何事かと顔を出した。彼らの目が俺たち二人に集まる。しかも片方は右手を抑えていて、血が滲んでいる場面だ。何かの事件かと思ったろう。
「あ、貴方が悪いんですから! わたしは悪くないわ!」
「も、もう……どうでもいい。消えてくれ。二度……と姿を見せないでくれ!」
激痛の中、なんとかそれだけを絞り出した。
「ふん! 貴方がわたしを敬わないから! わたしは本当なら貴方ごときが触れていい身分じゃないのよ!!」
結局、そういうことかよ。生まれの不幸を呪うふりをして、実は高貴な生まれだからと威張りたいだけかよ。他人を見下して当然なのか? 最低だ。
このセリフで、俺は完全にアリスさんを見限った。
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