第45話 候補者

「考える時間を下さいとお返事したはずですが」


「時間がかかりすぎです。なにも論文を提出せよと命じたのではないのです。所見くらいは早く示しなさい」


 俺は、王都に来た当初にアリスさんと面識ができて『ゼロという数字について所見を述べよ』という内容の手紙をもらった。


 意味不明な内容だったので、時間稼ぎの返事をして以降は回答を従兄弟のアマートに丸投げしたのだが、それがまだ仕上がっていないのだ。


「それは失礼しました。俺も色々と忙しかったもので……」


 とりあえずアマートは呼びにいかせた。今日は屋敷にいたはずだ。


 しかし、どうしよう。俺自身はゼロについての深い洞察など持っていないし、アマートに任せた時点で考えることもしていない。


 ここは、煙に巻いて誤魔化すしかないか。数学だ、数学クイズを出して時間を稼ごう。


「忙しかったですって? 教会学校の教師は務められるのに?」


「いえ、あれは余技です。本当に忙しかったのは別のことでして……」


「くだらない言い訳なら聞きたくないわ」


 アリスさんは腕を組んで仁王立ちしている。椅子を勧めたのに座りもしないでこの調子だ。昨日は感情が爆発してたからな、まだそれが続いているのかも。


「いえ、不思議なことを発見しまして、それが頭から離れなかったのです」


「不思議なこと? それは先月の6174のような数字に関することなの?」


「数学とは無関係ではないと思いますが……。『四色問題』と勝手ながら名付けた疑問なのですが」


「『四色問題』。何やら、好奇心をくすぐる名前ね。いいわ、聞かせて頂戴。つまらなかったら承知しないわよ」


 アリスさんは、やっと着席した。でも着席したということは腰を据えたということだ。納得するまで帰らないんだろうなぁ。


「王国の地図があるとします。見やすくするために、各領ごとに色を塗るとして、絵の具の数は4色以上必要なのか、そうでないのか。そういう問題です」


「色分け……。もう少し詳しく説明しなさい」


「はい。ルールは、隣接する領は別の色で塗ること。隣接していなければ同じ色は使って良い。飛び地は本領と同じ色にする必要はない。あくまで平面であること。です」


「貴方はそれが絵の具が4色あればすべて塗り分けられると考えているのかしら?」


「考えているというよりも、5色以上が必要な条件が見つからないのです。考えうる限り、4色で足ります。──それが証明できれば、なにかの定理に至るかもしれないと夢想しているのですが、俺では手にあまるようです」


 有名な映画でも出てきた四色問題だ。ルールは簡単、証明は超難しい問題だな。確かコンピューターを使わないと証明できないんじゃなかったっけ。


「どれだけ広く、どれだけ複雑な形をしていても、4色あれば十分……。ええ、何かの定理が潜んでいる可能性があるわね。いいわね、貴方。先日の熱気球のといい、面白いわ。これで、貧乏くさくなければなお素晴らしいのだけど」


 おい! また貧乏呼ばわりすんのかよ! 伯父上の家じゃなかったら追い出すところだぞ。


「紙とペンを持ってきますね」


 教会学校の子供たちと一緒だ。イラッとすることもあるが、スルーだ。そして手を使わせて、そちらに集中させよう。


 テーブルに紙を広げて、ペンを渡す。

 アリスさんはまず適当な地図を書き始めた。まずは確かめることから始めるつもりだろう。


 絵の具が部屋になかったので、各領に縦横斜めの線を入れて、区別していく。やること自体は難しいことはないので、すぐに地図っぽいものが出来るが。


「確かに4色あれば十分ね。でもこうすれば……ああ違うわ……」


 しめしめ。これでゼロのことなんか頭にないだろう。


「失礼するぞ、レオ」


 控えめなノックとともに入室してきたのは、呼びにいかせたアマートと、なぜか先生だった。


「アマート、知ってるだろうけど紹介するよ。こちらが王弟殿下の養い子のアリスさん」


「アリスさん、ここにいるのが俺の従兄弟のアマートです」


 が、まるで無視。ペンと紙しか見ていない。多分聞こえなかったんだろう。


「あー、アリスさんは集中しているから挨拶はまた後ほど。それで先生はなにかご用事ですか?」


 仕方ないので、アリスさんは放っておいて先生に尋ねる。


「はい、クラリーノ殿との話が粗方終わりまして。応接室に来るようにとのことです」


 先生は、伯父上の部下ではないから、このような呼び出しに来る立場ではないのだが、知らぬ仲ではないので手間を省くためにやってくれたんだろう。


「すぐに行きます。アマート、アリスさんのお相手よろしく頼むぞ」


「お、おい。いきなり二人きりにするな」


「すまんな、伯父上の呼び出しだ。それに使用人もいるから二人きりじゃないぞ」


 テルミナ邸の使用人の他にもアリスさん付きの侍女もいるじゃないか。大丈夫大丈夫。適当に話を合わせていれば問題ないよ。


「じゃな。できるだけ早く戻るから」



「昨日はお疲れさまでしたね」


 先生は屋敷に居た伯父上と先に面会し、1刻ほども経っている。テルミナ邸では顔見知りも多いので、自由に屋敷内を歩いていても咎める人は居ない。


「はい疲れました……。シルバードーン家の処遇のことで来られたのですよね? まさかまた登城しろとかは……」


「当城したいのなら案内しますよ。ふふ、冗談です。お察しの通り殿下と侯爵の会談の結果報告ですよ。詳細はクラリーノ殿にお伝えしましたので、そちらから聞いて下さい」


 応接室に入って、3人で向かい合う。テーブルには、伯父上の好みで甘い菓子と紅茶が置いてある。

 先生が、会話の口火を切る。


「レオ君に関係のある部分だけを話しますと、侯爵はシルバードーン家の家督には今後一切関わらないと誓いました。養子の件はもちろん白紙。万が一、カスト君が後継者に戻っても、嫁入りはさせないという決定です。これで、レオ君を害してもシルバードーン家は手に入りませんので、狙われる心配はなくなったと見ていいでしょう。多少の嫌がらせはあるかもしれませんが、刺客を送ってくるような真似はリスクが高すぎるのでしないでしょう」


「やった! 安全確保!」


「ええ、おめでとうございます。その代わり、シルバードーン家はしばらく王家の預かりです。しばらくは代官を派遣して、ほとぼりが冷めた頃に、王家が指名した人間が領地を統治することになるでしょう。新シルバードーン男爵となるのか、新たな貴族家を立てるのかは未定です」


「可能性の一つとして俺がその新たな領主に指名されることはあるのでしょうか?」


「ありますね。今回の騒動でレオ君に全く落ち度はありません。それよりも実際に剣をとって戦ったことから評価も高い。フィルミーノ殿の功績を加味すれば有力な候補ですね。どうですかレオ君、男爵への道はまだ残っていますよ」


「うーん、昨日の帰り道で伯父上に『力あるものこそ身を慎しめ』と戒められたんですよね。今更ながら、爵位を得るのにビビってる次第でして」


「年齢的にそれが当たり前でしょう。悩まずに爵位を得るよりずっと良い。私は、かねてよりの提案通り、シルバードーン家を継承するのを勧めますが、まだ猶予はありますし、よく考えて下さい。でも、実際に当主になるにはもうひと押し必要でしょうから、なにか功績を上げておいてくださいね」


「それなら、余り心配いらん」


 甘いお菓子を頬張りながら伯父上がそう言った。


 爵位を目指すべきというの先生の提案と、商人との両睨みで力を蓄えるという俺の方針は伯父上にも話してある。

 伯父上自身は俺にシルバードーンを継いでほしいと言外に匂わせていた。まあ、俺にというよりも親友の息子に、という方が正確かもしれないが。


「心配いらないとは?」


「サンダース殿からの話にも出たのだが、今回我が家というかテルミナ領に被害が出たが、公には賠償などを得ることはできん。その埋め合わせとして、例の水汲み器を我が領の専売とすることになった」


 おお、水汲み器。手押しポンプのことだ。ここでこういう活用の仕方するのか。貴族らしいソツのなさだ。

 専売なら丸パクリは禁止になる。似て非なる製品だと言い逃れをする輩は出るだろうが、大々的に売れるのはテルミナ領産だけだ。これは大きな利益を生み出しそうだ。


「それでな、水汲み器の発明者がレオナルドであることを公表する。国の発展という意味では貢献になるだろう」


「やっぱりあれもレオ君の仕業だったのですね」


 俺が伯父上に水汲み器の設計書を送ったときは先生は別行動中だったから、知らなかったか。これから、先生が王弟殿下の護衛を辞してウチで雇うことになったらこういう報連相はちゃんとせねば。


「そこまで、貢献が認められるものでしょうか?」


「あれ一つで、すぐに爵位をということにはならんだろう。だが、決して損にはならんし、先日の熱気球というのでも耳目を集めたばかりだ。あれが偵察で使えるとなれば、明確な貢献だ。懸念があるとすれば、他の有力貴族が他の候補者を立てて来ないかだが……」


「これは、内緒話なんですが……」


 先生が声のトーンを落として話し始めた。


「ヘルメス殿下を臣籍に降下させ、現シルバードーン領の領主にしようという意見もあるそうです。責任ある立場にすれば少しは自覚も生まれるのではないかと」


「あの王子殿下をですか? だとすれば、もう俺の出る幕はないんじゃ?」


 なんとビックリ。候補者レースのライバルが陛下の実子とは。そんなの出来レースじゃないの。


「いえ、そういう意見があっただけです。王弟殿下は反対で、小なりと言えど領主では不安が大きいので、何かしらの肩書を与えても実権は持たせるな、という意見ですね。貴族学園の名誉学園長で十分だと仰っておられました」


「となれば、最後は陛下のご判断か……」


 王族が絡んでいなければ、陛下のご裁可を頂く前に貴族政治でごちゃごちゃするんだろうけど、王子の対抗馬をわざわざ出すかといえばそれは出来ないよな。


「陛下は、そのことには何も言及されていないようですが、ご不興を買う恐れがあるので、他の上級貴族が候補者をねじ込んでくるもの難しい状態です。好機ですよレオ君」


「つまり、候補者が増えないうちに功績を積み上げてしまえと」


「そのとおりです。それに、功績を上げておけば、仮にヘルメス殿下がシルバードーン領を治めることになっても、レオ君に何も見返りを与えないということはないでしょう」


「よし、ならば簡単だ。レオナルド、他人に有無を言わさぬ功績を上げろ。前に水汲み器など序の口だと大言したのだ、無理とは言わせぬぞ」


「無理ではないでしょうが、それまでは守ってくださいね。軍に貰われていくとかは本気で勘弁なので」


「うむ、それは請け負ってやる。王弟殿下にも改めてお願いしよう」


 廃嫡からはや数ヶ月、これで一段落と考えていいだろう。安全は保証され、銀星商会という仕事も、功績を上げるという目標も出来た。


 残すは、俺がどうなりたいか、だな。

 

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