第44話 アリスさんの事情

 一応、俺の嫌疑は晴れた。というか、もともと事情聴取という名目で連れて来られたので、当然の結果とも言える。


 俺は騎士の詰め所から、王弟殿下の執務室に案内された。ちょっと話があるそうだ。実験のときから思い詰めたような表情をしているアリスさんも一緒だ。


 それにしても、さっきまでの熱気球説明会は、緊張したな。受け答えは出来たと思うが、自分でも分かるくらいテンションがおかしかった。

 経験を積めば、伯父上みたいに泰然としていられるのだろうか、そもそも何度も経験したいもんじゃないんだけど。


「何を呆けておる。殿下のお話をちゃんと聞かんか」


 おっと、それはまずいな。すんでのところで軍入りを阻んでくれた王弟殿下だ。姿勢を正して向き合わねば。


「なに、なかなか強烈な面々がいたからな、多少気が抜けるのも仕方あるまい」


「失礼しました。私は大丈夫ですので、お話の続きをお願いします」


「では続けるか。シルバードーン家は、この間伝えたとおり王家の預かりにすることで王宮側の意見はほぼまとまった。今晩、レムリア侯爵と話し合いをするので、そこでの結論がどうなるかだ」


 稀にだが、今回のように貴族家に後継者が不在という事態になることはある。

 この場合、お取り潰しになるのが第一の可能性だが、貴族家に功績があるなどでそれも出来ないときは、だいたい二つの道がある。

 第一は親戚筋から養子を取ることが認められる。シルバードーン家であれば、テルミナ家またはロッシーニ家から誰か来てもらうことになるだろう。


 王弟殿下が言っているのは、もう一つの方で、王家から臨時の代官が送られることである。王家とすればいらぬ手間だが、その間の税収は王家にも入るし、代官を引き上げたあとも影響力は残せるから悪いことばかりではない。


 今回は、お取り潰しもあり得る案件だったが、そういう派手な処分をすると、その理由も公表せざるを得ず、エルフ騒動が明るみに出てしまう。それは、基本方針に反するので、お取り潰しはしないということだろう。

 一方で、何らかのペナルティは必要なので、家督継承を王家の一存で決めるということにしたということか。


 なにか、レムリア侯爵家に成り代わって王家がシルバードーン家を乗っ取るようにも思えるが、それを口にしたらいけない。


「先だっても申し上げましたが、かの家の取り扱いはすべて決定に従います。それよりも、身の回りの安全についてよろしくお願いします」


「任せておけ。今言ったことを侯爵に認めさせれば、お前を狙う理由がなくなるからな。必ず認めさせよう」


 殿下からは、あの場にいた第二王子、ヘルメス殿下についてお話があった。


「悪人ではないのだ。ただ、あまりに脳天気でな、重要な仕事を任せることはできんし、陛下も困っておられる。本来なら、重要な領地でも任せたい立場なのだがな……」


「ヘルメス殿下は頭脳明晰とうかがっておりますが……」


 へえ、あの殿下は頭脳明晰なのか。好奇心旺盛な様子ではあったけど、意外だな。でもあまり噂話を聞かない理由が分かったな。重要な仕事はさせてもらえないから、目立たないってことか。


「うむ、出来そのものは悪くない。幼少の頃は陛下も期待しておられたのだがな……、あのファーデンが甘やかしすぎて、責任感が全く無いまま育ってしまった」


 いわゆる三文安に育った天才肌ってことなのかもな。王弟殿下や伯父上みたいに、考えて行動するタイプからは理解されないだろう。


「ここだけの話だが、今回のエルフの処遇について、あ奴は例のエルフを自分のものにしたいなどと要求してな、陛下のお叱りを受けて謹慎となったのだ。その謹慎すら守れんとは、ほとほと困るわ」


 すっごいな、犯罪者と言えど他国の貴族だぞ。仮に処刑するにしても、最後の瞬間まで礼遇するのが当たり前だ。それを自分のものにしたい? 口と下半身が直結してるのかよ。


「なんともはや……」


「いや、単なる愚痴だ。答えないで良い。ただ、ヘルメスのことは吹聴してくれるな。余りにも無防備すぎて誰かに利用されかねん」


 苦労が多いんだろうな王弟殿下。立場に加え、頭のいい馬鹿が身内にいるってことだもんな。


 話題を変えよう。


「熱気球を王城にぶつけてしまった、ゴールドムントという男はどうなりますか?」


「ああ、あれも困りものだ。今回の件で処罰はするが、懲りんだろうな。全財産の没収でも軽いくらいだが、これもまた事情があってな」


「おじ様、何を躊躇う必要があるのです。首を刎ねてしまえばよろしいでしょう。できればヘルメス殿下も一緒に」


 これは、いままで静かにしていたアリスさんの発言だが、あまりの過激さに執務室が凍りついた。王子を処刑しろって、逆に首を刎ねられるぞ。


「アリス……。ここは儂以外の人間もいるのだぞ。弁えて発言しなさい」


「いえ、言わせていただきます。母の縁者だからと増長極まりないゴールドムントを殺して下さい。わたしの母を弄んだヘルメス殿下も同様です。今日も私が拒否したのに近寄ってきて! あまつさえ『母親に似てきたね』ですって!? 反吐が出ます!」


 唐突に、聞いてはいけない事情が明らかになっていく。つまりアリスさんの父親はあのヘルメス殿下で、母親の親戚がゴールドムントってことか?


 今日ずっと厳しい顔をしていたのは、こういう理由か。


 俺は心のなかで、ヘルメス王子の評価を最低ランクに位置づける。未亡人の母がいる身からすると、こういうのはホントに気持ちが悪い。


「アリス!」


 王弟殿下が声を荒げて制止するが、アリスさんは止まらない。


「なにが第二王子ですか! なにが継承権第二位ですか! 母を手篭めにした下種な男です! あんな男がのうのうと生きているのに悪人ではないですって! 母は! 母さんは……!!」


 わっと泣き崩れるアリスさん。俺がゴールドムントの失敗に巻き込まれている間にアリスさんも嫌な思いをしていたのか。

 

「お暇しましょう、伯父上」


 いたたまれない。しかも部外者の俺たちに出来ることもない。


「そうしよう。殿下、急な用事が出来しましたので、御前を下がってもよろしいでしょうか?」


「──気を使わせてすまんな。また日を改めて話をしよう。だが、ここでのことは……」


「みなまでおっしゃられますな。委細承知しております。レオナルドにもよくよく言い聞かせますので」


「うむ、頼む。ではなレオナルド」


 外では、あんなにキレていた殿下がとても辛そうだ。面倒見のいい性格が仇になってるよな。



 帰りは伯父上の馬車に同乗させてもらって帰宅だ。馬車内の空気が重い。


「力あるものこそ身を慎まねばならん。忘れるなよレオナルド」


 ポツリと囁くような声で伯父上がそう言った。

 

 俺は、久しぶりにカストのことを思い出していた。アブラーモの息子で、伯爵令嬢に乱暴しかけて謹慎中という従兄弟だ。あれも、今日聞いた第二王子も、性犯罪者だ。第二王子の方は事情が不明な部分があるが、アリスさんと王弟殿下の様子から間違いないだろう。

 この手の話は、探さなくてもゴロゴロと転がっている。貴族制という身分の固定化した社会で、男尊女卑の気風もある。ごく現実的な危険が女性にはあるということだ。


 伯父上のテルミナ領だって、取り締まりはしているが、そういう事件は起こっている。


 極論すれば、どれほど技術が進歩して、文明が発展してもなくならない。少なくとも、21世紀の地球では無理だった。


 しかし、出来ることはある。厳格な法律とその運用。そして何より教育だ。思想そのものを変えられれば、減らせる……と思う。


 そういう事を思えば、先生に提案された偉い貴族になるって話、考えちゃうよなあ。


 自分が領主になって、性犯罪にとどまらず治安を良くする。世を憂うならそうするべきだ。

 でも責任は大きく、犯罪という誰かの不幸と向き合わなければならない。大きな理想に殉じる覚悟が必要になる。


 俺は、自分と家族の幸せが一番大事だ。それを果たしながら、なお他人の人生に強い影響を及ぼす仕事が出来るのか? 銀星商会のように、全員の顔と名前が一致する規模ではないのだ。


 気の重くなる現実だ。



◇◆◇◆◇



 翌日、先生が王弟殿下から派遣されてテルミナ邸にやってきた。多分、レムリア侯爵との会談の結果を教えに来てくれたのだろう。


 今は応接室で伯父上と話をしている。


 そこに俺が呼ばれていないのは、先生と一緒にやってきたお客さんの相手をしているから。


「手紙を出したのに、返事がないとはどういうことかしら?」


 アリスさんだ。 

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