第41話 熱気球

 鍋を水に浮かせる授業をした翌々日、俺は実験道具とともに教会に出勤した。


「じゃあ、セバス、迎えはいつもどおりにな」


「承知いたしました。では、また昼に」


 教会学校は基本的に毎日開いているが、午前中だけだ。科目が読み書き算術だけだからな、詰め込みでやるほどの分量はない。


 前回の教会学校での授業では水を使った。今日は火を使おうと俺は決めていた。


 だが、昨日雨が降ったせいで外が水たまりだらけになってしまった。風も吹いているので室内での授業になる。火の取り扱いには十分注意させよう。


 場合によっては、実験は後日に回して普通の座学にするかと考えて、教師の控室に入った時、司祭様が駆け寄ってきた。


「おお、レオナルド様! お待ちしていました!」


 待っていた? 定刻通りで遅刻はしていないはずだが。


「何か急ぎの用事ですか?」


「今日の授業について、ちょっとご相談が」


「なんでしょう? 実験は禁止とかですか?」


「司祭、君は下がっていてくれ」


 俺と司祭様の間に割り込んできたのは、やけに豪華な服を着たおっさんだった。誰だろう、偉そうな感じといい、教会の有力者だろうか。でも聖衣じゃないよな。


「君、挨拶ぐらいし給え。礼儀を知らんのかね」


「は? 会話に割り込んできて何なんです? そちらから名乗るのが筋でしょう、無礼者さん」


 いかん、とっさに悪態をついてしまった。ここでは俺も教師なんだ、もっと平常心を保たねば。


「君は私が誰かも知らないのか?」


「知りませんよ」


「ななんと! 私のことも知らずにここで教師をやっているのかね! 私はゴールドムント=フォン・クロスバイドだぞ!」


「知りませんねぇ」


 ミドルネームに『フォン』がつくってことは、旧貴族の子孫だな。いまのミッドランド王国が出来る前までは貴族だった一族だ。フォンを入れて名乗る人はたまにいるが、ここまで大袈裟なのは初めてだ。


「勉強不足だ! 畏れ多くも王家御用達の商会の主を知らぬとは!」


「こんにちは商人さん。レオナルド=ガラ・シルバードーンです」


 若干かぶせ気味に名乗ると、おっさんの頬がひくっとなる。「御用達なのに貴族の顔も知らないんですか?」と煽るのは自重する。

 しかし、こちらが貴族だとは思わなかったのだろうか? 身なりだって……あ、今日は実験で汚れてもいいように、以前買った平民ぽい服で来たんだった。


「ゴールドムント、よしなさい。善意で教師を引き受けていただいている貴族の若君にそう無礼な口を利くものではありません」


 司祭様が、おっさんを止めてくれた。多分顔見知りなのだろうから、もっと早く止めてくれればいいのに。


「な、なぜここに貴族が……。ここには平民の教師しかいないと言っていたではないか?!」


「いつもはそうですが、今は総貴族会議の前ですよ。引き受けてくださる方は少ないのです」


「君! 本当に貴族なのかね?! 偽ってるようなら処罰するぞ!」


「あん?」


「ゴールドムント!」


 俺は平常心を保とうと決めたばかりなので大人しくしているつもりだった。だが、いくらなんでもスルーできない発言をされたので対応しようとしたところで司祭様がおっさんを叱りつけた。


「何を居丈高に! この方は間違いなく貴族です! 処罰するなどと何様のつもりですか!」


「ふん!」


 司祭様がお説教を始めようとすると、その声を無視したおっさんは早歩きで出ていってしまった。


 突然絡んできて、旗色が悪くなるとトンズラとは。逃げ方に迷いがなかったところを見ると、多分あれは常習犯だな。


「凄く自己中心的な人ですね」


「すみません。ゴールドムントは旧貴族の末裔でして、自尊心が高すぎるのです。かつては私とも机を並べて学んだ仲で、これほど酷くはなかったのですが……。このところ商売が順調で、気持ちが大きくなっているようなのです」


「はあ、それでその旧貴族の末裔さんはなぜここに?」


「はい、あの男はチャコミリスという生徒の親なのです。鉄が水に浮いたという出来事を家で聞いて、学校ではインチキを教えているのかと怒鳴り込んできた次第でして……」


 チャコちゃんの父親だったのかよ。チャコミリス、通称チャコちゃんはハニカミ屋さんで、真面目に授業を受けてくれる貴重な生徒だ。あの娘の親がアレなのか……。


「申し訳ありません。私からよく言い聞かせておきますので、どうか大事おおごとにはしないでいただきたく」


「あれくらいなら、どうもしませんよ。それにチャコちゃんが気に病んで登校拒否にでもなったら困ります」


「ありがとうございます。寛大なお心に感謝を。……それにしても、ますます13歳とは思えなくなりますな。実に落ち着いていらっしゃる。できればこのまま教師を続けて……」


「時間ですので、いきますね。ではでは」


 司祭様、本気で俺を継続任用するつもりかも。教師はボランティアだから、員数確保に苦労しているのかな。


 教室について、生徒たちの前に立つと、なぜか先程のおっさん、ゴールド何とかさんが腕を組んで後ろの方に陣取っていた。

 授業参観でもするつもりか? 仕事はいいのかよ仕事は。


「あー、チャコちゃんのお父さん、授業の見学ですか?」


 無視するのもどうかと思うので、話しかけてみる。


「ふん、君の化けの皮を剥いでやろうと思ってな! さあ、授業を始め給え。私の目は誤魔化せんぞ!」


 見られて困る内容ではない。しかし、チャコちゃんが俯いてしまっているし、他の生徒も伏目がちで落ち着かない様子だ。

 こういう静かさは求めていないんだけどなあ。


「わかりました。授業を開始します。さて、前回は水を使いましたので、今日は火を使った実験をしたいと思います」


 授業内容は各教師におおむね任されている。特に俺は臨時教師だから、大まかな指示を受けただけであとは独自にやらせてもらっている。


 4~6人ぐらいの班を作らせて、用紙してきた教材を配るのだが、チャコちゃんがあぶれている。ここの生徒の中にボッチはいなかったはずだが、父親が一緒だもんな、嫌がるよなぁ。仕方ない、こちらで引き受けよう。


「チャコちゃんは俺と一緒にやろうか。お父さんもこちらにどうぞ。では皆、まずは桶に水を汲んできてください。各班一つずつだぞ」


「ふん、段取りの悪い奴だな。私を待たせるな」


「お父さん、ちょっとこちらへ」


 子どもたちのいなくなった教室で小さな声で話す。


「おう、授業の邪魔すんなら叩き出すぞ。それとあまり舐めたこと抜かしてっと、こっちにも考えがあるからな」


「な、なにを? 子供の分際で……」


「お前、商人なんだろ? 貴族家から総スカン食いたいのか? 俺の後見人は御用商人くらい簡単に潰せるぞ」


 そういう貴族パワーでどうこうするつもりはない。口だけだ。が、大人しくしないなら叩き出すことはする。


「わ、私の後ろ盾は……」


「陛下以外なら、黙らせられるぞ」


「……」


 よし黙ったな。

 王弟殿下がこんなせこい諍いに手を貸してくれるわけないが、コイツはそんな事知らんしな。



 子どもたちがもどってきたので教材を配る。


「よーし、じゃあ配った紙を広げてください。破かないように慎重にね」


 俺が配ったのは、四角い筒状の紙。片方の端は塞いであるが、もう片方は開いていて、大きめの紙袋みたいになってる。大きさは、長さ約50センチ、太さ約30センチだ。


「次に、種火をここから持っていって、ロウソクに火をつけて下さい」


 俺がやろうとしているのは、紙製の熱気球だ。東南アジアのお祭りの画像を見たことがあって、へーあんなに小さくても浮くんだと、感心した事がある。


 屋敷で試してみたら、安定して浮くのがこのくらいのサイズになった。


「最初に、俺の班がやってみますね。じゃあお父さん、この木の棒で紙を支えてください。チャコちゃん、ロウソクに火を着けて、紙の下に持ってきて……、うんそう、そのままね」


 俺は片手で、おっさんは両手で紙を支える。


 最初に、手本を見せるのであるが、熱せられた空気が紙内に溜まるまで時間がかかるので、その間に説明をする


「知ってのとおり、お湯を沸かしたとき湯気は上に行きますよね。空気というのは、温めると軽くなるからです。では、その温めた空気を一箇所に溜めたらどうなるかというのが、今日の実験です」


 喋っているうちに、紙から湯気が出始める。紙に残っていた湿気が蒸発しているのだ。この蒸気が少なくなってくると──


「はい、浮かびましたね」


 紙袋がふわっと浮かび上がると、教室内に「おおっ!」よいうどよめきが起きる。昇ったあとは天井にぶつかり、ヘロヘロと落ちてくる。


「すげー! 少しだけど空に浮かんだぞ?!」


「なにこれ! あったかいと浮くの!?」


 教室内がにわかに活気づく。チャコちゃん親子も口を半開きにして驚いている。


「じゃあ、各班でもやってみましょう。ロウソクを持つ人は紙に近づけすぎないように。紙を棒で支える人は、フラフラさせないように気をつけてください。浮き上がった紙がロウソクの上に落ちてこないように注意して下さいね」


「君、これはどういうことかね? なぜこうなるのか説明しなさい」


「まだ、子どもたちが実験中です」


「この私が……」


 じろりと睨みつけると大人しくなった。邪魔するなって言ったばかりだろうが。


 最初に浮かび上がったのは女子だけで構成された班で、最後に成功したのはタック君の班だった。すべての班が成功したな。


「はい。皆さんお見事です。次は片付けですが、まずはロウソクの火を消してくださいね」


「センセー、これ外でやりたい」


 と言ったのはタック君だ。気持ちはわかる。より高く飛ばしたいのだろう。


「外は、昨日の雨の影響で足元がよろしくありません。また、風に煽られてどこかの家に入ってしまっても迷惑ですからね」


「えー!」子どもたちの多くがブーイングをする。


「どこかの貴族の屋敷に飛んでいったら、誰が謝りに行くのですか? 俺はイヤですよ」


 途端にシーンとなる。この子達は平民で、そこそこの家の出だ。一番貴族の怖さを知る階層の子弟だろう。


「ハイハイ、片付けをしましょう」


 パンパンと手を叩いて、撤収を促す。これからは座学だ。



「──というわけで、温められた空気は上に行きます。今日みたいな日によく見る水たまりも、温めれば蒸発して上に行きます。広い地域で地面が温められるとどうなると思いますか? はいタック君」


「えーっとえーっと、身体が浮く?」


「残念、身体は浮きません。風が吹くのです。空気が上に行ってしまったら、その場所の空気が薄くなってしまいますよね。

 空気というものは不思議なもので、水にインクを垂らしたときのように、なるべく同じ濃さになろうとする性質があるので、薄くなった分、近くから空気が流れ込んできます。これが風が吹くということです」


 黒板がないので、予め紙に描いておいた簡略的な模式図を示しながら説明する。なんとなくでも理解できればそれでいいだろう。


「今日のように、火を使う実験は、絶対家ではやらないようにね」


 質疑応答の後は注意事項を話し、休憩を挟んだあと、文字の勉強へと移った。


 ゴールド何とかさんは、いつの間にかいなくなっていた。


 何よりも、チャコちゃんがその日の帰りがけに俺に謝ってきたのが切なかった。

 

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