第40話 鉄は水に浮くか

 王都に来てから、1ヶ月ほどが経過した。


 エルフ騒動の後始末も一段落して、護衛役の領軍兵も時間が取れるようになった。


 ローガン殿はテルミナ領に戻ることになった。元々、現場指揮官としてエルフ騒動の詳細を報告するのが今回の目的で、それが終わったから帰るという予定通りの行動だ。なにしろ、今現在テルミナ領には当主一家が誰もいない状況なので、一門衆の一人であるローガン殿を地元に戻して治安維持に当たらせるとのこと。

 モニカさんに訓示を述べた後、数名の部下を連れて「お先に」と帰っていった。あの様子だと王都はあまり好きではないのかもしれないな。

 警備の減ってしまったテルミナ邸であるが、実務上の問題はない。


 また、王都に貴族が集まり始めて社交界の季節が始まってしまい、にわかに活況を呈し始めた。テルミナ家でもパーティを主催する予定があるそうで、ナタリアさんは自家での開催準備と、他家のパーティへの出席で忙しそうだ。伯父上は、パーティに加え、他の貴族や王宮の官吏と会談をしたりしてこちらもバタバタしている。


 母上は、パーティには出席していないが、ちょいちょいお茶会に呼ばれている。奥様ネットワークみたいなのがあるのかもしれない。


 俺はといえば、下手に社交界に顔を出せば”廃嫡・追放された元嫡子”ということで要らぬ注目を集めるし、そもそも招待されることが殆どない。


 それで暇をしてるかといえば、さにあらず。俺は何日か前から教師にジョブチェンジしたのだ。


 アマートが通っている学校『王都貴族学園』ではなく、最寄りの教会で教師をやってみないかと話があった。

 教会では、市民の子どもたちを集めて読み書き算術を教えている。まあ寺子屋みたいなものだな。


 普段は、信仰の証あるいは持てる者の義務として、知識階級の中で時間の取れる人が無償奉仕で教師役をやっているのだが、総貴族会議を前にして、貴族は社交で忙しく、商人も王都に富裕層が集まるので書き入れ時だ。学識のある人は引っ張りだこになってしまう。そういう事情でこの時期は教師役が集まらない。で、ナタリアさんの紹介で俺に白羽の矢が立ったというわけ。


 その教会学校に通っているのは、中流以上の家の出で、1桁から10歳ちょっとまでの子どもたちだ。

 授業料は無料。これには王国の思惑があって、教育の中で王国の歴史、建国王の偉業などを教え、国への忠誠心を育むという狙いだ。教会なのに、なぜか歴代国王の肖像画が飾られていたりするのを不思議に思って修道女シスターに質問したらそう教えてくれた。

 それに、教会への寄進を奨励することにより、意外と国費の投入は少なく、上手いこと回っているらしい。中には、こういう教会学校出身で官吏にまでなった者もいて、費用対効果も悪くないようだ。


 教会は安全だという前提で、暇つぶしと社会貢献、それにお世話になっているテルミナ家が教会へいい顔ができるということで引き受けた。

 俺の受け持ちは、就学初年度の子どもたち。下は5歳、上は8歳のグループになった。


 最初はまず子どもたちの人気取りから入る。

 セバスたちに頼んでスゴロクをいくつか複製した。それを教会学校に持ち込んで、遊ばせたのだ。


「手持ちのお金から馬車の修理費を払うと、残りはいくらでしょうか?」


 とこんな感じだ。


 最初は、遊びを教材に取り入れることに反対だったシスターや司祭も、一生懸命足し算引き算をする子供を見て、認めてくれるようになった。


 ある程度、子どもたちの支持を取り付ければ、あとはまあなんとかなる。……とそう思っていたのだが、年齢一桁の子供は難しい。場所が教会なので、暴れるような子供はいないが、同級生にイタズラをすることに血道を上げる子や、喋りだしたらどんどん話題がそれていく子など、苦労は多い。教える俺が若すぎるのも一因だろう。


 教師を頼まれた期間は約1ヶ月だが、短いようで長い。このまま子どもたちをまとめきれずに学級崩壊状態で次の教師に引き継ぐのは申し訳ないので、にわか教師なりに対策を考えた。


 前世で子供の頃、楽しかった授業はどんなものだろう。一番楽しかったのは体育だ。例えサッカーでディフェンダーしかやらせてもらえなくても、体育は好きだった。しかし、教会学校に体育の授業はない。

 では、次に楽しかった授業は、と考えた時に、科学の実験が思い当たった。


 要するに、興味を集めて集中させればよいのである。手を使わせることだ。

 俺は、いくつかの道具を調達して、授業に備えた。



「鉄は水に浮くでしょうか?」


「浮くわけない!」


 間髪入れずそう答えたのは、このクラスのガキ大将的存在のタック君だ。俺は内心でこのタック君を攻略することが鍵になると思っている。


 タック君に続いて、大体の生徒は浮くわけがないと騒ぐが、一部は俺の言葉を深読みしてか、考える仕草を見せた。


 そこで大きめの木のタライと、鉄製で両手持ちの深鍋を用意した。


「鉄は、うまくすれば浮かぶ。見ててご覧」


 屋敷で既に実験しているので、不安はない。深鍋は浮かんだ。


「なんで鉄なのに浮くんだよ!」


 タック君が怒ったようにそう言い、他の子どもたちも騒ぎ始める。が、これは授業に内容について騒いでいるので構わない。良い騒ぎ方だ。


「では、こちらにもう一つ鍋を用意してあります。浮いている鍋との違いは、この鍋底に穴が空いているかどうかだけです。どうかな? こっちは浮かぶかな?」


「沈むに決まってんだろ」


「試してみよう。──はい、沈みました」


「やっぱり沈んだぞ!」


 自慢げなタック君だが、ここからが授業の本番だ。


「浮く鍋と浮かない鍋、違いは何かな?」


「穴だろ! さっきそう言ってたぞ」


「だね。じゃあ皆。これは浮かぶでしょうか?」


 取り出したのは、底の浅い鍋。もちろん穴は空いていない。


 反応は綺麗に二つに別れた。浮かぶ派と沈む派だ。タック君にお願いして、タライに浮かべてもらう。

 タック君は意外におっかなびっくり浅鍋を水面に置いた。


「浮いた!」


 喜んだのは浮かぶ派の子どもたち。


 ここで、浮力とはなんぞやという理屈を講義するのは、早計だ。子どもたちはまだ就学初年度、ろくに計算もできないので「押しのけた水の量が……」と教えても理解できないだろう。


「では、次にこの浅鍋に小石を載せてみましょう」


 小ぶりの石をなるべくバランスを崩さないように乗せていく。当然、鍋は乗せるごとに沈み込んでいき、何個目かを乗せると、完全に沈没した。


「沈んだ!」


 今度は沈む派の子どもたちが喜ぶ。浮かぶ派の子どもたちが、石を乗せるのはズルいと抗議してくるのを、まあまあと落ち着かせる。


「水に浮くかどうかは、形と重さで決まります。最初の深鍋でも実験してみましょう」


 深鍋は浮力が強いので、浅鍋よりもたくさんの石を乗せられる。子どもたちは、何個石を乗せられるかを数え始めた。


 その後は、パピルス紙で船を作らせて、一番重い荷物を乗せられる舟を作ったものが勝ちというゲームをした。紙と糊は俺の持ち出しだ。


 これまでとは違って、授業の範囲内で盛り上がる子どもたち。皆、舟と重りに集中している。


「はい、今日は小銅貨3枚を乗せられる舟を作った、チャコちゃんの優勝です。皆、拍手!」


「ぶー、オイラの船が一番デカかったのに!」


 タック君は、不本意な結果であったようだが、楽しめたと思う。


「じゃあ、今日の振り返りです。鉄でも形次第では水に浮きますし、紙で船を作っても金属が乗せられます。鉄や銅は重いのに不思議だよね。でも、更に重くすると沈んでしまいます。どうしてでしょうか? それは、君たちがこれからちゃんと勉強していれば分かるようになります。世の中の不思議なことには大体理由があります。今日、不思議に思ったことも、いつかは理由がわかります。だからこれからも、真面目に勉強しましょう」


 うん、いいまとめだ。俺ってもしかして教師の素質があるのかもしれないな。


「オイラは今すぐ理由が知りたい!」


「よし、タック君は居残りで算術の勉強だな。熱心でよろしい」


「やっぱ、知らなくていい!」


 ドッと子どもたちが笑う。いいぞタック君、三枚目は人気者ポジションだ。このまま明るく育って、俺の授業を盛り上げてくれ。



 その後の読み書きの座学が終われば、お決まりの挨拶をして本日は終了となる。


「本日はここまで。皆さんさようなら」


「センセー、さよーなら」


 帰りがけ、チャコちゃんが話しかけてきた。フランと同い年の7歳。このグループではタック君に続いて年長者だ。

 物静かで、口数は多くないが、年下の子をよく面倒見ているし、授業態度も真面目な子だ。


「あの、今日はとても楽しかったです。お勉強をがんばれば、どうして浮くのか本当に理解できるようになりますか?」


「ああ、出来るよ。文字を覚えればたくさん本が読めるようになるし、算術を頑張れば、どれくらいの重さのものを舟に積めるのかも計算できるようになる」


「がんばります」


「うん、頑張ろうね」



 授業後は、迎えの馬車が来るまで、教師の控室になっている部屋でまったりする。


「盛り上がっていましたね」


 そう話しかけてきたのは、教会の司祭様で、この教会学校の責任者でもある。40歳くらいだろうか、中肉中背の人だ。常に笑顔で、前世のお坊さんと一緒で、よく声が通る。


「ええ、子どもたちは落ち着いていられる時間が短いですからね、工夫してみました」


「私は声しか聞いていませんが、楽しそうでしたな。どういう授業を行ったか聞いてもよろしいですか?」


「ええ、鉄が水に浮かぶという実験をしました。深鍋とタライでですね──」


 相手が、算術の出来る大人なので、押しのけた水の量と浮力が一致するということを説明する。


「なるほど、分かりやすいです。私も本で読んだことはありましたが、目の前で示されると、より興味を惹くのでしょうな」


「まずは、不思議なことを体験させることから始めようと思いまして。司祭様が説法をされる時に、ちょっと面白い話を最初にして参加者の耳を自分に向けさせるのと同じです」


「お若いのに、そんな事を考えておられるのですか。いやはや、期間限定で教師をお願いしましたが、ずっとお願いしたいくらいです」


「毎回興味深い実験は出来ませんから、1ヶ月位で丁度いいと思いますよ」


 司祭様のお世辞を真に受けると継続任用の言質げんちを取られてしまう気がしたので、警戒しながら雑談をしていたが、そのうちに迎えの馬車が来たので帰らせてもらう。


 今日のお迎えはセバスだ。


「お疲れさまでした。ご機嫌がよろしいようで、授業が上手くいきましたかな?」


「ああ、今日はバタバタせずにすんだよ。この調子が続けば、フランを連れて来られるな」


 チャコちゃんなら、言葉遣いも丁寧だからフランの遊び相手に丁度いいと思うんだよな。


「それはようございました。フランセスカ様もお茶会にはお飽きになったようですから」


 まあ、フランはお茶会も嫌いではなさそうだが、連日だと飽きるわな。早めに連れて行ってやるか。チャコちゃん以外の同年代も多いし。


 授業は一日おきの約束になっている。明日一日、フランの相手をしながら授業の準備をしようか。


 どういった内容にするかなぁ。

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