第39話 アマートと手紙
「レオ、城内でアリスさんに会ったというのは本当か?」
「ああ、変わった人だったな」
屋敷内で流行しているスゴロクだが、人数が揃わないと面白くないので、日中は遊んでいる者は少ない。
そこで、総貴族会議を前にして学園が休みに入ったために、同じく屋敷内で暇をしていたアマートを捕まえて雑談をしている。コイツは三男だからな、伯父上の名代でパーティに出るくらいしか出番がない。
そこで思いがけず例の数学大好き女子のアリスさんの話題になった。
「何を言っているんだ、学園きっての才媛だぞ。失礼な評価をするな」
「頭の良さと性格は別だろ? 俺はあんまりお近づきになりたくないなぁ」
「高嶺の花だぞ、どれだけの男が撃沈してきたと思っているんだ」
高嶺の花か、確かに人に興味がなさそうという点で孤高の感じはするな。あの調子じゃあ言い寄る男は羽虫のごとく蹴散らされるだろうさ。その前に、下級生にまで人気なのは不思議だけど。
「初対面で、貧乏くさいと言われたんだぞ。癖が強すぎる」
「お前が何か失礼な態度でもとっただろう」
アマートは、アリスさんのファンぽいな。なら殿下にお願いして顔合わせをしてやるか。いや、それだと俺とも接点ができるな、止めておこう。
「まあ、ちょっと顔合わせをしただけで、これからは会うこともないだろうさ。それよりオネスト兄さんはどうしているんだ? 王都に来てからまだ顔を見ていないが」
オネスト兄さんというのはアマートの兄でテルミナ家の次男だ。俺よりも三つ歳上で、今は国軍で働いているはずだが。
なお、長兄のロドリゴ兄さんは騎士団に所属している。
騎士団と国軍の違いは、騎士団が近衛の系列で、王族を守ることを主任務として、国軍は国土、国民を守ることを目的としている。両者に表向き上下はないが、騎士団に貴族の子弟が多く配属されるのに対し、国軍には平民も所属しているので、印象としては騎士団が格上に見える。
ただ、あまりに露骨な格差が出来ると争いの原因になるので、複数の男子がいる貴族家ではそれぞれに送り込むことが推奨されている。もちろん、どちらにも送り込まない家もある。テルミナ家は武門の家柄なので、そうしているというだけだ。
先生は、庶子にも関わらず騎士団の出身で、ここからもいかに評価されていたかが分かる。
「オネスト
「南部への街道か。そう遠くもないから、俺がテルミナ領に帰るまでには会えるかな?」
たしか、国軍への配属は今年からのはずだから、完全なペーペーだ。そういう仕事が回されやすいのだろうな。
「どうだろう、結構忙しいらしいからな。戻ってきてもゆっくりはしていられないかもしれん。そうだ、オネスト兄はアリスさんと同級生でな、撃沈した男の一人なんだよ」
「話を戻すなよ。しかしオネスト兄さん……。顔が良いんだからわざわざあの人を狙わなくても」
オネスト兄さん、完璧なんだよ。頭がよくて、背が高くて、スラッとしてて。顔面偏差値も高いし性格も優しい。モテるはずなのにな。趣味が残念だったか。
「オネスト兄でもダメだったんだから、レオじゃ相手にはされなくて当然だな」
「失敬な。そもそもお近づきになりたくないと言っただろう」
はー、やめやめ。話題を変えよう。
「アマートはマットレスを試したか?」
「いや、まだ僕まで回ってきてないな。ハンモックなら試したけど」
「あ、ハンモックの金具が壊れたのはお前の仕業か!」
「そこまで太ってはいない! ただ、僕が乗る前に、金具にヒビでも入っていたんだと……思う」
やっぱりお前が壊したんじゃねえか。
「痩せたら? 肥満は万病の元だぞ」
「だから、そこまでじゃない! ちょっとぽっちゃり体型なだけだ!」
まあ、健康が心配されるほど激太りではないから、半分冗談なのだが、一応注意はしておく。
「食事の最初に野菜を多めに食え。パンは最後だ」
「お前に食事の作法を指南されたくはない」
俺としては、善意で忠告したのだが、アマートにとっては余計なお世話だったようだ。プリプリと怒ってしまった。
「これ以上は言わんが……」
「そうしてくれ。この話はここまでだ。──僕のデザインしたドクロの指輪はいつ出来るんだ?」
あの中二病リングね。アマートはよっぽど欲しかったのか、話をした翌日にはデザインを持ってきたからな。早く学校で自慢したいらしい。
「手の怪我が治ってからって言ったろ? 数カ月後だよ。多分テルミナ領に戻ってからになると思う」
「それは困る。もう友人に見せる約束をしたんだ。なんとかしてくれ」
「知らないよ。そうだな、俺の怪我を今すぐ治してくれるなら、すぐに作ってやる」
「ぐむむ」
最初からそう説明しただろうに、浮かれて自慢したのまでは責任持てないよ。
俺の傷を診察しにお医者さんが来たので、少し席を外す。
実は王都に来てから、傷が化膿してしまったのだ。移動の疲労で抵抗力が落ちたのか、それともたまたまか。
いずれにせよ、治療が必要で、これがまた痛い。
治療法はワイルドだ。傷口を揉むのだ。俺の傷は短剣が貫通したので、表面的な傷ではない。つまり化膿部分も割と深い。それで、揉んで膿を出し、表面もガシガシやられるのだ。
痛くないわけがない。しかも、そういうことをやっているので、なかなか傷口が塞がらない。
ホントにこのやり方でいいのかよ、と疑問に思うが、正しい治療法を知るわけでなし。我慢我慢の時間である。
それでも、少しずつは良くなっているらしく、王都にいる間には新しい皮膚が出来て傷が塞がるだろうとのことだ。
「手紙?」
治療が終わって、談話室に戻ると、アマートから手紙を渡された。
「誰からだ?」
「いや、宛先はレオだが差出人の記名はないな。蝋封もされていない」
首をひねった。王都で手紙をやり取りするような相手はいない。強いていえば、お祖母様の生家であるロッシーニ伯爵家ぐらいだが、あちらは今、総貴族会議の出席のために領を出発しているか、その準備をしているかだろう。手紙の届く時間を考えると、わざわざ他人に託すより、王都に来てから俺を呼び出せばいい。
「開いてみろよレオ。もしかしたら恋文かもしれんぞ」
「王都に知り合いはほとんどいないぞ」
「影からお前を見初めてとかじゃないか?」
「見ず知らずの相手からだと、ちょっと怖いぞ」
羊皮紙で高級っぽいので、捨てるのも怖い。
封を開いて、中身を読んでみると、差出人はアリスさんだった。
「で、誰からだ?」
手紙は、時候の挨拶も、”前略”に相当する語句もなく、いきなり本題が書かれていた。
「先日の6174のこと、とても興味深かったわ。その際に貴方は当たり前のように『ゼロ』という言葉を口にしたわね、それは本当に数と定義していいものか、考えがまとまりませんの。『ゼロ』について、貴方の所見を示しなさい。
アリス」
手紙なのに、完全に喋り言葉で書かれている……。才媛じゃないのかよ。
「で、誰からなんだ?」
差出人にも内容にも、げんなりした俺は、手紙をそのままアマートにパスした。
ゼロについての所見て。
ゼロはゼロだろ。1-1=0。そんなもん見たまんまじゃねえか。0という文字自体はあるんだから、ゼロという数字のことは知られているわけだろ。それを所見を示せとはどうしろっていうんだ。
「おい! アリスさんからじゃないか! お前はもう会わないんじゃなかったのか?」
「差し出し人の考えなぞ知らん。それよりも中身を読め。意味が分からん」
「『ゼロについての所見』だと、さすがはアリスさんだ」
「おぉ、アマートは文面の意図が分かるのか?」
「いや、さっぱり分からんが、アリスさんが書いているんだから深いんだろう」
なんでそうなるんだよ。
あ、いいことを思いついたぞ。
「なあ、これの返事、お前が書いてくんない?」
「はあ?!」
「あちらさんが納得する返事を書ければ、気に入られてお近づきになれるかもしれんぞ。高嶺の花なんだろ? チャレンジしてみたらどうだ」
「そ、そうかな? あ、いやでもそれは……お前の手紙に僕が返事を書くのはマナー違反だ」
おや、ダメ元で言っただけなんだが、そこそこ乗り気なのか?
「俺が返事を書いて、それに同封しよう。好印象になるように紹介文を書いてやるから」
アマートは学業が優秀だと聞いている。ここで上手く相手を押し付……任せれば、次回以降は、アマートに対応してもらえるだろう。
「しかしだな、いきなり過ぎては……」
「そういう細かいことを気にするタイプではないと思うぞ。文面を見てみろ、俺の名前が書いてないだろ? 多分覚えていないんだよ」
「なるほど、常識では測れないお方ということか」
ものは言いようだな、あくまでもアリスさんのファンを貫くらしい。
「そうだ、だからお前が返事を書いても気分を悪くすることはないだろうさ。俺は王都にいられる時間も限られているし、文通相手が近くにいたほうが相手も嬉しいだろう? それに手紙だと誰の目にも触れないから、恥にもならない。な、頼むよ」
「よ、よし、やってみるか。書くからには、半端はできないな。──僕はこれから学園の図書館に行ってくる。レオナルド、勝手に返事を出すなよ!」
「了解了解。アマートの返事ができるまで待つよ。時間は掛かっても、しっかりしたものを書き上げてくれ」
ふっふっふ。チョロいなアマート。だが、お前にとっても悪い話じゃないんだ。アマートはアリスさんの知遇を得て、俺は関わりを薄められる。一挙両得ってやつだ。
ただ、アマートがアリスさんを満足させることが出来るか、だな。
もしも失敗したら……、その時考えよう。
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