第36話 王弟殿下とアリスさん

 俺たちは、学校の教室くらいの比較的小さな応接室に案内された。大きなテーブルとそれを囲む椅子があって、雰囲気は応接室だが、実質的には会議室のような場所だ。


 殿下がいらっしゃるまで、俺たちは綺麗に整列して待つと、更に待たされることもなく、王弟殿下が姿を現した。


 王弟殿下の名前はトリスタン=デル・コルネリウス・ナント。年齢は50過ぎで、数年前にお目にかかったときは中肉中背の体つきをされていたが、ご病気の影響か、随分と痩せられたように見える。


「よく来た、クラリーノ子爵。レオナルドも久しぶりだ」


「は、突然の謁見の要請にも関わらず、このように貴重なお時間を頂けたこと、感謝の極みでございます」


 一同を代表して伯父上が挨拶をする。今回は私的な面会ということなので、七めんどくさい作法はなしだ。


 殿下は、ぱっと見では好々爺に見えるが、瞳の奥に剣呑な雰囲気が垣間見える。冷徹というのだろうか、いくつもの選択肢を比較して判断するタイプだ。汚い手も必要なら使うが、後ろ暗い手段のデメリットも熟知しているので、基本的にはまっとうな手段を選ぶ。そしてまっとうな手段で望む結果を得られるだけの才覚がある。

 ──というのが伯父上の殿下評だ。


 俺とはそのような込み入った話をしないので、義理堅くてちょっとお節介なおじさんという印象である。


「報告書は読んだ。災難だったなレオナルド。まずは座ってくれ」


 殿下に促されて俺と伯父上が椅子に座る。ほかの面子は立ったままだ。


「エルフ共の対処は今検討中だ。下手をすれば戦争になりうる案件だが、なるべく穏当な決着をつけようというのが基本方針だ。共和国との関係がまだ思わしくないのでな。そういうことで、特に子爵には割りを食ってもらうことになるが、別の形で報いるので了承してほしい」


「それは構いませんが、穏当な決着というのは具体的には?」


「内々での謝罪と、別の理由を付けて利権か財物をぶんどるということで儂は考えている。むしろ国内的にどこまで責任を追求するかが難しいところだ。西部派閥の力を削げればいいのだが、簡単ではなかろうな」


 いわゆる政治闘争というやつだろう。殿下は軍事行政の専門家、つまり軍政家だ。騎士団と軍部には強い影響力があるが、外交とかはあまりタッチしていないと聞いている。外交の延長線上に戦争があるわけだから、全くの門外漢というわけでもないだろうが、影響力は限定的になるのかもしれない。


「聖教国との交渉に口を出す気はありませんが、ここにいるレオナルドとその家族の安全はぜひ確保していただきたく。レムリア侯爵が良からぬ考えを起こしたとこちらは考えていますので、これへの対処を伏してお願いするところでございます」


「うむ、レオナルドの廃嫡の件は儂も頭にきている。が、怒りに任せて処分を下す事はできない。分かるな、レオナルド」


「はい。もとより私の手の及ばない出来事ですから、一切を殿下におまかせします。起きてしまったことよりも、これからの安全を考慮していただければ幸いです」


 殿下は、アブラーモが仕出かしたことについて、エルフ騒動自体を内々に処理すると決めた以上、表立って処分はしないと言っているのだ。病気と称しての強制引退とか、どこかの修道院に幽閉するとか、そういう処分になる可能性が高いのだろう。


「アブラーモは正式にお前の廃嫡の届け出を王宮に提出している。提出時点では罪を犯していないのでこれは受理せざるをえん。が、侯爵から出された養子の届け出は不受理だ。男爵の実子も謹慎中ということで、後継者不在でどうなるかは未定だ。

 王宮としては、シルバードーン家の扱いは侯爵との取引材料の一つという捉え方をしているからな、儂にもなんとも言えん。

 無論、侯爵の言い分をすべて通すつもりはないので、お前とその家族の安全は必ず確保してみせよう。それ以上は約束できん」


「よろしくお願いします。仮にシルバードーン家がお取り潰しになっても不満は申し上げません」


「ま、シルバードーン家の領地を一時的に王家の直轄として、問題を先送りにする公算が高い。エルフの処分ともども、気を長くして沙汰を待っておれ」


「は。お手数をおかけします」


「でだ、楽しくない話はこれまでにして、あのマットレスとかいう献上品について説明してくれ」


 献上品のマットレスは、キングサイズで作ったせいで配送に手間がかかるため、前日に運び込んである。話題に出したということはもう使ってみたのだろうか。


「はい、中に螺旋状の針金をたくさん並べて、バネとしています。言ってみればこれだけだけなのですが。人生のうち、寝ている時間は約3分の1にも及びます。快復されたとは言え、病み上がりの殿下の睡眠の助けになりましたか?」


「そこまで考えての献上品か。うむ、昨夜使ってみてな、なんと寝坊をしてしまいそうになったぞ。いつもなら侍従が来る前に目が覚めているのだが、今日は起こされるまで気が付かなんだ。いつもよりも疲れが取れた気もするな」


「それは、喜ばしいことです。予備でもう一つ作ってありますが、追加でお持ちしましょうか?」


 運送中の事故を考慮して、予備は作ってある。今は王都テルミナ邸で保管されているはずだ。


「ほう、予備があるのか。そうだな、ぜひそうしてくれ。あれはレオナルドが作るという商会で販売するのか?」


「はい、まだ作り手の人員が揃っておりませんので一般販売はしませんが、縁のある方のご予約はお受けするつもりです」


「廃嫡されて即商会を興すか、まさか望んで廃嫡されたのではなかろうな?」


「い、いえいえ、そんなことは……」


 はっはっはと殿下が笑う。分かりづらいです殿下ジョーク。


「それで、子爵からの手紙には、その銀星商会とやらの本店をどこに置くかの相談があるとのことだが?」


「はい、これは私の甥ですので、目の届くところに置いておきたいのです。殿下は、銀星商会を王都に置くべきと考えられますか?」


「ふむ、あのマットレスを体験すれば、将来有望な商会だということは儂にも分かる。いずれ規模が大きくなったときに、王都に本店がある方が有利ではないのか?」


 殿下はやや王都推しか。確かに、王都は国内最大の人口を誇り、富裕層も多いから需要はピカイチだろう。メリットは大きい。


「小売はしない予定なのです。製造と卸しに限定して商いをしますので、販路さえあれば、本店はどこでも構わないのですが、母の地元ですし、妹の教育を考えても、テルミナ領のほうが伸び伸びと生活できると考えています。

 商売としては、今はノウハウを蓄積して、軌道に乗ったところで支店や工房を王都かその近傍に用意して対応していきたいと考えています。生活必需品ではないので、多少需要に応えきれなくても、大きな混乱にはならないでしょう」


 小売ではないので、販売自体は別の商会に任せることになる。模倣品はすぐに現れるだろうが、卸し先をちゃんと選べば、そういう動きも牽制できるはずだ。


「ふむ、お前の希望はテルミナ領か。色々と考えてもいるようだし、強制はできんな。よろしい。テルミナ領に本店を置くがよい。だが、すぐに支店を王都に出すことになると思うぞ」


「ありがとうございます。ご期待に応えられるようにがんばります」


 概ね必要なことは話し終わったかなというところで、後ろに立っているセバスが俺の背中を突いた。なんだろうと振り向くと、セバスが手に持った包みを揺らした。


 危ない、手土産を渡すのを忘れていた。城に入る際に手土産としてチェックされたにもかかわらず持ち帰ったら色々と問題になるところだ。


「すみません、出すタイミングが掴めませんでしたが、こちらは手土産です。殿下のお目に叶うかは不安ではありますが、お納めください」


 中身はお決まりのアクセサリー類だ。


 殿下は実は独身である。これは、若くして重職についてしまった殿下が、万が一にもお家騒動が起こらないようにと、結婚を拒否し続けたからだ。

 その一方で、なかなかのプレイボーイでもあるようで、数多くの浮名を流してもいる。

 この女性用のアクセサリーも活用してくれることだろう。


「ほう、アクセサリーか。目新しいデザインよな。これも銀星商会の商品なのか?」


「はい、当面の主力商品の予定です。私が作ったものですので、拙い部分はお目溢しをしていただければありがたく思います」


「お前が作ったのか、なかなか多芸だな。なるほど若い感性というべきか、瀟洒でありながら瑞々しいの。──面白いな。よし、ちょっと待っておれ」


 何故か殿下が立ち上がって応接室を出ていってしまった。予定外の行動に侍従たちも慌てて殿下を追いかけていったので、俺たちはぽつんと残されてしまった。

 待てと言われればいくらでも待つが、どうしたのだろう?


「まさか殿下は速攻で女性を口説きに行ったのでしょうか?」


「ぶっ! これ! 城内で滅多なことを申すな」


 冗談が過ぎたか。伯父上にお小言をもらってしまった。



 おおよそ半刻ほど俺たちを待たせて、殿下は戻ってきた。


「いやすまんすまん。レオナルドのアクセサリーを見てな、コイツを紹介しようと思い立ったのよ。素性は詳しく話せんが、故あって儂が養育しておる。紹介しよう、アリス、こちらがクラリーノ=ガル・テルミナ子爵とレオナルド=ガラ・シルバードーンだ。挨拶をしなさい」


 アリスと紹介された女性だが、素性を詳しく話せないということは、誰かVIPの隠し子か? もしかしたら殿下の子ということもありうる。詮索はまずいのでスルーするが、上級貴族のつもりで対応しないとヤバいかも。


「はじめまして子爵様方。アリスです。家名を名乗ることは許されておりませんので、ただのアリスです」


 自己紹介というにはあまりに簡素に名乗ったアリスさんは、年の頃は俺よりも少し上か。セミロングの黒髪をうなじで一つに縛り、目つきはどんよりとしている。着ているものは高級品なのだろうが、妙にくたびれた感じがする。

 特徴はメガネだ。なにげにこの世界で初めて見るメガネっ娘だ。テレビもパソコンもない世界なので、眼の悪い人というのはめったに見ない。


「これ、アリス。もう少し愛想よく挨拶をせんか。すまんの子爵。この子は人付き合いが苦手でな」


「おじ様、挨拶は済んだので部屋に戻ってもいいでしょうか? 解きかけの問題があるのです」


 凄いな、貴族を前にしてこの態度。殿下の養い子だと言っても普通は出来ないぞ。度胸が良いのか、それとも頭が残念なのか。

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