第18話 無事を祈る
雑貨屋で思わぬ掘り出し物を手に入れた俺は、足取りも軽やかに屋敷に帰ろうかとしたのだが、
「兄さま、まだ帰っちゃダメなの」
と、頬を膨らませたフランに引き止められた。雑貨店で、フランそっちのけではしゃいだのでご機嫌を損ねてしまったようだ。
「ごめんよフラン。つい珍しいものに興奮してしまってね」
「黒い石とあたし、どっちが大事なの?」
どこでそんな言葉を覚えたんだ……子供でも女は女か。実に怖いことを言う。こういうときは贈り物が定番だと前世で誰かが言っていた気がするが、既に贈り物をしている場合はどうすれば……
「フランちゃんはお出かけを大変楽しみにしていたんですよ。それを忘れてもらっては困ります」
そこに口を挟んできたモニカさん。服屋での殊勝な態度は一体どこへと思わなくなもないが、おっしゃるとおりなので反論は出来ない。
「これは面目ない。心を入れ替えてエスコートしますのでお許しを」
「だそうですよフランちゃん。良かったですね」
もしかして、モニカさんなりのフォローだったのだろうか。だとしたら”何年も一緒にいる”感を出してるけどあなたがフランに会ったのも約20日ぶりでしょうと思ってしまってごめんなさい。
「許すのは今回だけなの」
おませなセリフで一応許してくれた。
その後もしばらくはむくれていたが、露天のガレットを一緒に食べているうちにお怒りも完全に収まったようだった。
小腹を満たした後の目的地は教会だ。転生のこととか、スキルのこととか神様について思うところは多々あるが、フランに怒られたばかりなので、深くは考えずに礼拝をして終わり。いくらか寄進もする。
「フランは何をお祈りしたのかな?」
「兄さまと母さまとおばあちゃんが元気でいられますようにってお祈りしたの。兄さまは?」
「俺はね、先生とバスケスたちが無事こちらに到着できますようにって祈ったよ。後は神様への感謝かな」
想像だにしていなかった二度目の人生を俺にもたらしたのが誰かといえば、神様くらいしか思いつかない。前世とは別人だが、もう一度幸せになれるチャンスをもらえただけで感謝しかない。それを祈ったわけだが正直に教えるわけにもいかず、もう一つのお祈りのことだけを話した。
「先生のご無事をお祈りするのを忘れたの。もう一度お祈りしてくる!」
あっ、という顔をしたフランが踵を返してもう一度教会内に飛び込んでいった。
「サンダース様はご無事かな……」
フランの後を追った俺に、顔を曇らせたモニカさんがつぶやく。実はモニカさん、先生が飛び出して行ったとき、汚名返上の機会とばかりに自分も後を追いかけようとしたのだという。ローガン殿に自分の都合で動くなと咎められてそれは叶わなかったが、先生の身を案じているのも本心だろう。
まあ、護衛として襲撃者と戦うのはともかく、テルミナ家の一族が積極的に関与するのはうまくない。やるならクラリーノ伯父上の命令のもとでなければならない。
「先生のことだから、無謀なことはしないと思うけど心配だよね」
「うん、いくら腕が立つといってもお一人では限界があるから……」
フランを待ちながらそんな話をしていると、噂をすれば影というやつで、サマンサさんとメイドのフィニーが教会の扉を開けて姿を見せた。
「おや、サマンサさん。お祈りですか?」
「あ……、皆様お疲れさまです。はい、サンちゃ……サンダースの無事を祈りに……」
張りのない声でそう言ったサマンサさんの顔は目の下に隈が見えた。新婚の旦那が単身で危険に飛び込んでいったのだ、心配しないはずがない。母上の指示でフィニーが話し相手として付けられているものの、心労が溜まっていることが窺える。
俺がお願いして単独行動をしてもらったわけではないが、こちらの事情で先生が動いてくれているので、申し訳ない限りだ。
一応、セバスの息子バスケスに先生を探して、できれば合流するように手紙を送ってあるが、手紙である以上タイムラグはいかんともしがたく、いまのところ返信もない。
「俺のせいでサンダース先生を危険に巻き込んでしまって、本当にすみません。先生と連絡が付いたらすぐにお知らせしますので」
「……よろしくお願いします」
元気を出してもらいたいが、何を話して良いのか……。モニカさんに袖を引かれて振り向くと無言で首を振られた。そっとしておけということか。せめてお祈りの邪魔はしないようにと口をつぐむ。
フランも戻ってきたので、後ろ髪を引かれる思いでサマンサさんと別れて次の目的地へと向かった。
「むやみに口出しすれば、逆に恐縮してしまうと思うよ。話し相手なら女衆がいるから」
本日最後の行き先は、皮革を扱う店。その道すがら、サマンサさんに何か出来ないかとモニカさんに相談してみたが、何もするなと言われてしまった。
男で年下の俺では力不足ということだな。歯がゆいが事実だ。
「兄さま、大丈夫なの。沢山の人がお祈りしているから、先生は無事に帰ってくるし、サマンサさんもすぐに元気になるの」
「信じて待つしかないよな。そうだ、先生が戻ってきたらお祝いをしようか」
「それは良いアイデアだと思うわ」
「賛成なの!」
サマンサさんの好物は何かとか、先生はワインにうるさいとか、お祝いのことを話しながら歩いているうちに皮革屋に到着した。
テルミナ領の主産業は馬産だ。その派生として牧畜業も盛んで、結果的に皮革業に従事する者も多い。そういった事情で雑貨屋とは別に皮革屋が独立して存在する。
そこで注文しておいた底が広くて口が大きく開く手提げ鞄を受け取って、本日の予定は終了した。
鞄は、ゲッコー医師にお礼として贈る用だ。往診鞄として適した形になっていると思う。
俺としては意外なことに、フランたちは鞄に興味がないようだった。女性は皆バッグが好きというのは単なる思い込みだったようだ。まあ、フランが荷物を持ち歩くなんてことは殆どないしな。
フランとのお出かけはそうして終わった。
◇◆◇◆◇
その日の晩、2通の手紙が行商人の手でテルミナ別邸に届けられた。差出人はバスケスとサンダース先生。宛先はそれぞれセバスとサマンサさんだ。
母上の呼びかけで食堂に関係者全員が集められた。
「嬉しいお知らせです。サンダース先生はお役目を果たし、現在こちらと向かっているとのことです。バスケスたちに同行しているそうなので、ひとまずは安心できるでしょう」
その夜はささやかな宴会となった。
サマンサさんは泣きながらワインを飲んでいた。俺も一言だけ声をかけた。
セバスも息子の無事を知って、顔がほころんでいる。他の者達も仲間の無事を喜んで、食べて飲んでいる。
「レオナルドくん、飲んでいましゅか?」
と言ってきたのは赤ワインを手にしたモニカさん。
「最初の一杯だけ頂いたよ。モニカさん、俺たちはまだ成人もしていないんだから控えめにしようよ」
「私の家系はー、酒には強いので問題にゃい」
ウソつけ、顔真っ赤じゃねえか。呂律も回ってないよ。
「酒精のない飲み物にしよう、飲み過ぎは身体に毒だからさ」
「私は酔ってないきゃら。にゃんならここでー、剣舞をお見せしにょう」
間違いなく酔ってるよ。ああもう、剣を抜こうとするな。というかなぜ武器を持ち込んでるんだ。
「放せぇ。剣は騎士のタマシイなのでしゅ。勝手にしゃわるなぁ」
「あはははは! モニカお姉ちゃんよってるのー! あはははは!」
そこに登場したのフラン。こっちもこっそり酒を飲んだらしい。いつにも増して笑い声のトーンが高い。
「フランはこっちのジュースを飲もうな。モニカさんは危ないから武器を外して。グラスも置いて、はい、冷たい水ね」
誰か助けてくれ。なぜ、女子中学生と小学生相当の酔っぱらいの相手をせにゃならんのだ。
「あら、レオ。モテモテね」
「母上、手伝ってください。フランはまだしもモニカさんは扱いに困ります」
「いいじゃない、たまの気晴らしですもの、お相手して差し上げなさいな。でも手を出しちゃダメよ」
それから、酔っぱらいに囲まれて、誰の援護もないまま二人が寝落ちするまで相手をさせられて、宴会は終わった。
次の宴会では、真っ先に酔っ払おうと誓った。
◇◆◇◆◇
翌朝、特に用事もない俺は、昨日購入して本日早朝に配達された黒い金属塊を部屋にに持ち込んだ。もちろん鍵もかけた。
「さてさて、未知の金属よ。使い勝手の良い金属であってくれよ」
ひとりごちて、金属塊に手をかざしてスキルを発動する。まずは鉄だけを分離させる。塊の中の鉄の感触を意識して、溶解させる。すると、下においたトレーに鉄が流れ出し、スポンジ状になった塊が残る。
別のトレーを用意して、今度はスポンジ状のそれにスキル発動。分かりやすくなった新しい感触に集中して、溶け出させる。
よりスカスカになった塊と液状化した金属に浮いた粉末状の不純物を取り除いて、俺は新しい金属を観察した。
重さは鉄より軽い。しかしアルミにしては光沢が鈍いというか、黒っぽい。前世で見たことある金属だ。
俺は、前世の父親の形見を思い出した。金属アレルギーだった父さんが愛用していた腕時計。
チタンか……!
思わず叫びそうになった。なんと、あのチタンである。軽く、腐食せず、強度がある。正に夢の金属!
「すごいぞ! これは出物だ。まさか雑貨屋の不良在庫にこんな物が眠ってるなんて」
これがあれば、何ができる? 鉄の代わりに使用すればそれだけでも重さが約半分になる。錆びないという性質を利用して、屋根を
「いや、まだだ、焦るな俺。これがチタンだと確定したわけじゃない。まずは実験だ。塩水に漬けよう。チタンなら錆びないはずだ。それから強度実験だな。それから、それから──」
初めてスキルを認識したときと同じように俺は部屋を飛び出した。調理場で塩と水を分けてもらう。次はセバスに大工道具を部屋に持ってくように頼んだ。
バタバタと屋敷を走っていたので、母上に怒られたくらいだ。
あれやこれやと推定チタンをいじくり回し、俺はこれをチタンだとほぼ断定した。塩水に漬けた薄板が明日まで錆びていなければ確定としていいだろう。
夢が膨らむ。いずれ作ろうと思っている自転車の、自分用の機材としてチタンを採用してもいいかもしれない。
アクセサリーにだって使える。軽いから着ける人の負担にならない。銀みたいに手入れも要らない。アレルギーの虞れも少ない。
様々な妄想が頭をよぎること数分。俺は大変なことに気づいてしまった。
「これ、バレたらまずいよな……」
知識が流出した場合、例えばステンレスのクロムの含有量が知られてしまっても、損にはなるが危険はない。理屈通りにやればこの世界の鍛冶場でも作れるだろうからだ。
しかし、チタンは別だ。地球ですらチタンが実用化されたのは割と最近のはずだ。加工が難しくて費用対効果の面からちょっと特別感のある素材だった。
軽くて錆びない新素材です! と発表して、再現性はあるだろうか。この世界にはドワーフがいるので絶対に無理とも思えないが、相当注目されるだろう。
ではどうやって俺はこれを精錬したと言い訳するのか。
急速にテンションが下がるのを自覚する。これは出物じゃない。毒まんじゅうだ。美味しく見えても、手を伸ばしてはいけない代物だ。
かといって、もうチタンの存在を知ってしまった以上、忘れることは出来ない。このまま死蔵するしかないのだが、あまりに魅力的過ぎる。
どうにもならないジレンマを抱えた俺は、裏庭で水浴びをして、物理的に頭を冷やした。
その奇行で、再度母上に叱られた。
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