第16話 宝飾品は文化の証

 いよいよ、頭の傷口を抜糸する日がやってきた。もう数日前からムズムズと痒みがひどかったので、待ちに待っていた。


「抜糸してから、もう数日は運動禁止です。洗髪も待ってください」


「軽く流すくらいはいいですか? 痒くてたまらないんですが」


 ゲッコー医師の説明に食い下がる。運動はともかく、頭は今すぐにでも洗いたいのだ。身体は毎日拭いていたけど、髪の毛はアンタッチャブルだったもんだから、かゆみがすごい。多分、匂いも酷いことになってる。

 これでダメだと言われたら、隠れて洗うしかない。前世の記憶では、傷口は洗って清潔にしておく、というのが主流だったはずだ。


「そうですなぁ、軽く流す程度で、ゴシゴシ洗わない。洗い終わったらきれいに水分を拭き取ること。この二つを守っていただけるなら許可しましょう」


 おお、良かった。自分でこっそり洗うのと、他人に手伝ってもらうのでは難易度が違うからな。助かった。


 リュシーさんが包帯を解いて、ゲッコー医師が傷口の絹糸を切って、抜いていく。チクリとした痛みも、痛気持ちいいくらいだ。

 すべての糸を抜いた後で、傷口を鏡で見せてもらった。鏡が低品質過ぎてはっきりとは見えないが、左耳の上から眉毛にかけて、7~8センチくらいの傷だ。今は刈り上げ状態だが、髪が伸びれば見えなくなるだろう。


 それとも敢えて傷を見せてワイルドな雰囲気を出すべきだろうか。そんな、益体もないことを考えるくらい、気分爽快だった。


「先生、大変お世話になりました。おかげさまで、ほとんど全快になりました。いずれこの御恩はお返しします」


 多分だけど、俺の治療を最優先にしてくれたんだと思う。最初の数日は泊まり込みだったし、その後の往診も朝夕の2回だった。伯父上の要請があったにせよ、手厚い治療をしてくれたのは間違いない。


「気が早いですレオナルド様。私が治ったと言うまでは治っていないと心得てください。決して自己判断で無茶をしないように。それと、お礼などは不要です。私は領主様から十分な報酬をもらっていますので、お気にされませんよう」


 いかにも伯父上の派遣したお医者さんだ。職業倫理がしっかりしている。が、それでは俺の気が収まらない。

 そうだ、往診用の鞄をプレゼントしよう。


「では、簡単な贈り物を用意するのでお受取りください。俺も一応は貴族なので、何もしないでは恥になりますので」


「高価なものでなければ……」


 こちらが引かないと見たのだろう、ゲッコー医師は渋々受け取ることを認めた。俺たちは遠からずこの町を離れてテルミナ領の中心であるジュリアノス市に移るよていだが、それまでに作るか。


 先生が帰るのを見送って、俺は早速頭を洗ってもらった。なんと気持ちのいいことか。思わず変な声が出たのも仕方ない。

 スッキリサッパリしたところで、フランを呼んでもらう。


「兄さま、ごようじなの?」


「いらっしゃいフラン。ちょっとね、手伝ってほしいんだ」


「お手伝いなの?」


 先日、銀星商会の発足計画を立てた時に、俺は金属細工師としてやっていくことになった。その役割は望むところなので、意気揚々とアクセサリー作りを開始したのだが、ものづくりというのは、えてして迷走するものだ。こういうのを作ろう、と作業をしていたつもりが、いつしかコンセプトとか方向性とかが訳のわからないことになることが往々にしてある。

 昨日も、ブレスレットを作っていたはずが、いつの間にかゴツすぎる手錠モドキが完成したりした。


 それに対する特効薬は第三者の意見だろう。しかも忌憚のないコメントが望ましい。


 そこでフランである。


 この世界では、宝飾品というのは、正しく宝として扱われる。財力の誇示は当然として、新しい意匠や目を引くような工夫がされたアクセサリーは、能力ある職人やそれを扱う商人にも伝手があることを示している。単純な資金力だけではない、文化の担い手であることを周囲にアピールするためのアイテムでもある。


 一方で、実利的な影響もある。

 例えば、社交の場で、誰も見たことがないようなアクセサリーを披露したとする。それを羨んだ他家の令嬢などが自分も欲しいと考えた時に、注文を仲介したり手配したりすれば、小さいながらもそれは貸しを作ったことになる。


 そういう財力、文化力、人脈が積もり積もって家の格があがっていくのだ。こういう貴族的な処世術に長けていないと、成り上がり者だとか田舎貴族などと陰口を叩かれることにもなりかねない。


 つまり、フランも貴族令嬢の嗜みとして宝飾品に限らず、美しいものへの審美眼を養う教育を受けている。本人も綺麗なもの、美しいものは、見るのも身につけるのも好きな様子だ。


 まだ、的確な品評をするほどではないが、逆に言葉を飾らない感想が期待できるのでは、と思って来てもらったのだ。


「アクセサリーを作ってみたんだ。よかったら感想を聞かせてほしくてね。好きとか嫌いとかでいいからさ」


 そう言って俺はいくつかの装飾品をテーブルに並べる。


「うわー、たくさんあるの! 全部兄さまが作ったの? すごいね!」


 髪飾りのバレッタとかんざし、ブローチ、ペンダント、後は指輪をいくつか。ゴツいブレスレットは既にインゴットに戻してしまった。

 銀の持ち合わせがなかったので、鉄製のものばかりだが、ちゃんと光沢仕上げにしたし、曇り一つないので見栄えはそれなりになっている。


「ねえ兄さま、付けて!」


 早速手にとってアクセサリーを付け始めたフラン。指輪は、完全た円形ではなくアルファベットのCの形にしてあるのでサイズもすぐに調整できて問題なさそう。全部のアクセサリーを装着して、バレッタを差し出してきた。


 フランの髪は肩にかかるくらいのセミロングだ。横の髪を後ろに流してバレッタで留めてあげる。経験がないのでちょっと不格好になってしまったのは許してほしい。


「はい付けたよ。簪も付けるかい?」


「それもアクセサリーなの?」


「そうだよ。こうやって差し込んで使うんだ」


 自分の頭に簪を刺す。俺は短髪なので手で抑えないと落ちてしまうが、雰囲気がフランに伝わればいいだろう。


「わあ、シャラシャラしててかわいいの! あたしにも付けて!」


 今回用意したアクセサリーはすべて星をモチーフにしている。特に簪は自信作で、本体にぶら下げる形で星と三日月をあしらってある。フランの言うとおりシャラシャラと控えめに音がして、注目を集めやすい形だ。


「どうかな? 似合ってる?」


「ああ、似合ってる。かわいいよ」


 と言ってはみるものの、全部のアクセサリーを付けているので、ちょっと品がない感じだ。

 その点を除けば、個別のアクセサリーは悪くないように見える。敢えて難点をあげれば、銀色オンリーだと飾りとしての主張が足りないくらいか。販売用に作るときは色のついた宝石を使って改良したいところ。


「フランの感想はどうかな? 気がついたことがあれば何でも言ってほしい」


 デザインの良し悪し、サイズ感、重量感などなど、実際に付けた人の感想を聞かせてほしかったのだが、


「母さまに見せてくるの!」


 と、止めるまもなく小走りで行ってしまった。


 そうなるか、そうなるよな。おしゃれに目覚め始めた年頃だもんな。社交がどうとか淑女の嗜みがこうだとかの理屈じゃないよな。

 

 これで、母上たちの目にも触れるだろう。先日の経験から、母上たちのダメ出しは容赦がないと分かっているので、もう少し完成度を上げてから見せたかったのだが……。

 まあ仕方ない。遅かれ早かれ意見を貰わねばならんのだ。覚悟して受け入れよう。


 フランが行ってしまったので、デザインスケッチを取り出して、次の構想に取り掛かることにする。



 うんうんと唸りながら、ペンダントのデザイン案を練っていると、フランが母上を連れて戻ってきた。なぜかお祖母様やメイドたちを引き連れている。


「大人数でどうしました?」


「レオの作ったアクセサリー、見せてもらったわ。いいわね。期待以上のセンスよ」


 俺にとってはありきたりでも、この世界の人達に取っては初めて見る斬新なデザインに映るのだろう。母上の審美眼に叶ったようである。


 今の俺が生きている世界は、文化水準的に中世ヨーロッパと同じくらいだと思われる。ただし、芸術とかは振興されているものの、今ひとつ華やかさに欠ける印象だ。これから、ルネサンス的な文化芸術の勃興が起きるのかも知れないが、少なくとも俺の身の回りではその徴候は感じられない。

 時代が進めば、芸術方面で才能を持つ人間も台頭しやすくなるのだろうが、今はまだ社会全体の裕福さが足りないので難しいだろう。つまりは、俺程度でも一世を風靡できる可能性があるということだ。


「ありがとうございます。それでお祖母様たちはなぜこちらに?」


「決まっているじゃないか。私たちも見せてもらおうと思ってね、ついてきたのさ」


「見せられるものは、フランが身につけているもので全てですけど」


「その手元にあるのはデザインスケッチだろう? あたしたちが見て品評してあげるからね。ほら、完成してなくてもいいからそれをこちらに渡しなさいな」


 ふむ、女性陣の食いつきがよすぎるな。ここは逆らわないのが吉。ボツ案も含めてスケッチの束を丸ごと差し出す。


「この非対称のデザインは面白いわね」


「この髪留めはべっ甲を使うのも有りだと思います」


「髪に刺すタイプの飾りは立体感がでて目を引くわ」


「鉄でこれだけ出来るなら、金銀や宝石を使ったものも期待ができますね」


 品評と言う割には、俺を置いてけぼりで女性陣の会話が弾む。口出しも出来ないので、おとなしく聞き役に徹していると、段々と話の方向性がずれていった。


「じゃあ、私はこの簪っていうのにするわ」


 おや?


「あたしはネックレス!」


 フランさん?


「普段遣いに良さそうなブローチをもらおうかね」


 品評会じゃなくて、即売会になってる!? いや、売ってるわけじゃないけども。


「持っていくのは構いませんが、アドバイスなどを聞かせてもらえませんか?」


「サンプルが足りないわ」


 一刀両断。称賛でもダメ出しでもなく、追加注文……!


「作りますが、時間がかかりますよ」


「3日あげるわ。それまでに全員分お願いね」


「無理ですよ。勘弁してください」


 やろうと思えば出来るけど、金槌とたがねでコツコツやる建前なので、むしろ作れてしまうほうがまずい。遠回しにそれを説明して、なんとか納期を延ばしてもらったものの、俺は銀星商会の未来にそこはかとない不安を覚えた。


 まさか、銀星商会はブラック企業になるのか?

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