第4話 前世と事業
母上の部屋を出て、自室に戻った戻った俺も早速荷造りをはじめる。サンダース先生は少し出てくると外出してしまったので、一人での作業だ。呼べば手伝ってくれるメイドもいるが、大した荷物もないので日が沈むまでには終わるだろう。
家財と呼べるものを除けば、私物などは貴族家の長男と言えど大した量はない。手持ち現金と着替え類、あとは趣味の品だ。忘れてはいけないのが、個人的にプレゼントされた物。送り主に失礼だし、アブラーモ達に使われるのは気持ちが悪すぎるからな。
着替えは礼服を一式と普段着を数日分。下着類は少し多めに。
手持ち現金はいくつかに分散して持ち出す。
今世では、初めての引っ越しだが、前世では何度か経験があるので今更もたつくこともない。だが、前世でも今世でも一番時間がかかるのが思い出のあるものの選別だ。
ついつい、思い出にふけって手が止まってしまう。これは誰々からもらったとか、あの時はこんなことがあったなとか。
一人作業だからかな、少しセンチメンタルになる。
ふと顔を見上げると、窓から見える山の稜線が前世での記憶に重なる。
そしてこう思うのだ。廃嫡も追放も前世に比べたら楽勝だな、と。
◇◆◇◆◇◆
前世の俺の名前は
俺が11歳の誕生日を迎える少し前の冬のある日、雪が降っているからと仕事帰りの父を迎えに母が車を出した。そしてスリップしたスポーツカーとトラックの間でつぶされて亡くなった。
悲しかった。ただ泣くだけだった。
その後のことは俺の知らないところで色々と決まった。
俺と妹の
しかし、後から考えるとこのころはまだ良かった。
俺が中学校に上がる前後で、祖父の痴呆が始まった。地獄のはじまりだった。
ほぼ時を同じくして両親の遺産を管理していた叔父一家がその遺産を食いつぶした上に蒸発。
色々とゴタゴタしたうえでの結論は、両親の遺産はもうないということだった。
祖父の年金は微々たるものであり、後から知ったことではあるが、新しくなんちゃら後見人になった叔母に生活保護の支給金の上前をはねられ、生活は困難を極めた。
妹だけはなんとか恥をかかせたくない一心で、新聞配達などをしてみても、中学生の稼ぎでは到底普通の生活はさせてやれなかった。加えて、祖父の徘徊や、叔母の心無い言葉が俺の心をすり減らした。あの頃は常に自殺という言葉が頭にあった。
それでも、文句も言わず祖父のおむつを替える妹を見ては、残してはいけず、俺は中学卒業後は定時制高校に通いながら、バイトを掛け持ちして少しずつ妹の進学資金を貯めはじめた。
ギリギリの生活だったが少しの光明が見え始めたとき祖父が死去。入院費と葬儀代で僅かな蓄えも底をつき、結局妹は児童養護施設に移った。祖父が死んだ時よりも両親が死んだ時よりも、この時が一番つらかった。
祖父宅を引き払ったものの、その売却代金をまたも叔母にかすめ取られた。
なんとか定時制高校を卒業し、アルバイト先の一つで正職員になることができ、妹を引き取ることが出来たが、叔母が生活保護費と遺産を盗み取っていたことを知ったことで、長年のうっぷんが爆発。俺は叔母宅で大暴れし、警察のご厄介になり、仕事をクビになった。
妹は学校のことは俺には話さなかったが、成績は良かったようだ。そんな妹を大学に入れてやりたかったが、この時点で妹は自分も高校卒業後は就職すると宣言した。ただ二人で泣いた。妹とは何度も喧嘩をしたが、翻意させる気力はもう残ってなかった。
その後、妹が上京しての就職を決めた。俺も東京で再就職ができた。
ワンルームのアパートに引っ越した初日、夕食を作りながら妹は「幸せになりたいね」と呟いた。
俺は「なれるさ」と答えたが、その約束すら果たせずに車にはねられて死んだ。
死に際に俺は信じてもいない神様に祈ったよ。
もうこれでいいだろう、俺達兄妹はもう十分苦しんだろう。せめて残される妹だけはこれ以上つらいことはなしにしてくれ。出来れば幸運を与えてやってくれよ。
ってな。もちろん返答はなかったけど。
◇◆◇◆◇◆
そんないいことなんてほとんどなかった前世と比べて、今世はまだまだ十分に恵まれている。
少なくともひもじい思いはしなかったし、母親だって健在。妹は天真爛漫でよく笑ういい子だ。追放なんぼのもんじゃいという気持である。
がその反面、貧乏暮らしの恐怖感というのは心のどこかにこびりついている。生まれ変わってからはそれも忘れていられたが、アブラーモが父の後を継いだ時から、はっきりと意識するようになった。
そこで俺は将来に備えてお金儲けを考えた。シルバードーン家の資産を増やすのではなく個人資産を蓄えようと。
内政チートで嫡男の座を安泰にするという選択も出来たのだろうが、他人に巻き上げられるのは御免だという気持ちがそれに勝った。
何事もなく家督を得ても、個人資産は邪魔にはならない。それならそれでいいし、今回みたいに追放されたときや家自体が没落したときには、そのお金が命綱になると思ってのことだ。
その金策をはじめたのが今から3年前のこと。きっかけは、アブラーモが10日程領内視察に出かけるその準備を見た時だ。
メイドたちが、アブラーモの服を1着ごとに馬車に運び込んでいたのを見て俺は思った。
なんで服を一着一着ピストン輸送してんの? スーツケースで運べばいいじゃん。
それを執事のセバスに聞いたところによると、貴族家や裕福な商家には箪笥をしつらえた荷物用の馬車があり、服などはそこに収め、細かいものや食料品などは木箱や皮袋に詰めてから積み込むということだった。
よくよく聞いてみると、この世界には、俺のイメージする旅行カバンがなかったのだ。ハンドバックやポシェットらしきものはあるのにだ。
そもそも旅行する人間が限られている社会では旅行用カバンというものの必要性が薄かったのだろう。
じゃあ、作れば売れるんじゃね? という発想で母上ほかの協力者の意見を聞きながら作り上げたのが、今しがた荷物を詰め終わったこのトランクだ。
オーソドックスな箱型で、骨格は木材で表面は革張り、内側は布張り。隅には金属補強。さすがに錠は付けられなかったが、しっかりとした留金を付け、重厚感がありながら見栄えもスマートに。
前世の高級ブランドのマークでも入れてやろうかと思ったが、そもそもそのロゴを良く知らなかったのでそれは断念。
ちなみに、試作品については革張り以外はすべて俺一人でやった。貧乏暮らしがほとんどだった前世での特技というか必須技能のDIYである。
で、これを母上の実家のテルミナ領に本店を置くポッサ商会にサンプル品として提供。交渉は大人任せだったが、最終的に、そのポッサ商会が制作の手配と販売を行うこととし、俺には歩合制のアイデア料が貰えることになった。ついでに、金属部品もこちらから卸すことになった。
この金属部品というのがミソである。
実は、アイデア料というのはそんなに多くない。販売代金の1%未満だ。売値が高いので馬鹿にならない額ではあるのだが、それよりも隅を補強する飾り金具とそれを打ち付ける小釘や留め金、その他細々としたところに金属部品が使われている。これを卸すのがいい儲けになるのだ。
ここ、シルバードーン家の治めるヴィットリア地域は金属品加工を主産業としている。今ではだいぶ鉱山も細くなり、産出量が減ってきたが職人も多いし、ある種のブランドとして認知されている。
俺が今生きているのは、いわゆる中世ヨーロッパ的な世界だ。釘一つとっても工場に機械を置いて大量生産というわけにはいかない。しかも金属製品は職人が手作業で作るうえに、そもそも鉄を初めとする金属は鉱山で掘り出し、それを精錬しなければならない。つまりは、金属、特に加工品は値が張る。
原価が高いんだから卸値も高い。
しかし、俺にはこの原価を極限まで減らしつつ、高品質な製品をつくる魔法がある。
そう、魔法と言っていい。
この世界でいうところの
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