第3話 母と妹

「アデリーナ殿のところに寄りますか、レオ君」


 微妙に不完全燃焼でアブラーモの執務室を退出した俺たちは廊下を歩きながら、今後のことを話す。


「ああ、そうですね。荷物をまとめる前に母上と話をしておいた方が無駄がないですね。そうします」


「しかし、なぜアデリーナ殿を娶ろうなどと言い出したのでしょう? 未亡人の兄嫁と結ばれるなど、かなり特殊な条件でなければ実現できますまい。ましてや、追放した甥の母親であることを合わせて考えれば、ありえないと言っていい」


「欲、でしょうね。アブラーモは俺の父に勝るところはなかったと聞きます。また、そのことに随分な劣等感があったと。その父が死んで、ざまあみろと快哉を挙げたら今度は王族と親戚の介入で繋ぎの当主にされてしまった。恨み骨髄でしょう。そこに王弟殿下の病気の知らせです。病状の篤さも確認せずに暴発してしまったのでしょうが本人は暴発だとは思っていない。母上は、勝利を祝う戦利品(トロフィー)ということでしょう」


「なるほど、成る成らないの話ではなく、欲に目がくらんだだけと」


「征服欲、自己顕示欲、後は性欲……、あーまた腹が立ってきた」


「まあまあ、あまり顔に出してはいけませんよ。特にアデリーナ殿の前では」


「努力します」



「そういえば先生、狙ったようなタイミングで登場したけど、まさか執務室の前で準備してました?」


「いやいや、セバス殿からレオ君が呼ばれたと聞きましてね、取るものとりあえず駆け付けただけですよ。いや、間に合ってよかった」


 先生はそう言って笑うが、たまたま間に合ったとは信じられないな。この人は伯爵家の庶子で、爵位の継承権こそないものの、王国騎士団でも若くして頭角を表し、国の認める正式な身分である勅任騎士に徐され(各貴族家で勝手に騎士を任命することは慣例的に認められているが、正式な儀式の際などでは勅任騎士だけが騎士として扱われる)、出自のせいで近衛騎士の選抜から外されたところを王弟殿下の護衛として取り立てられた出来人なのである。


 座学から剣術指南までオールマイティに指導ができ、「レオ君が大人になったら妓楼に連れて行ってあげますね」などとお茶目なことも言えるカッコいい大人。


 なぜ、田舎の男爵家で教育係兼護衛などをやっているのか、その辺の事情は教えてくれないけれど、本来ならここに居ていいような人ではないことは確かである。


「今更だけど、先生と母上とセバスが居なくなって、この屋敷はやっていけるんですかね?」


「さあ、私はともかくアデリーナ殿とセバス殿が居なくなれば、内向きのことは混乱するでしょう。それが外向きにどこまで影響するかは分かりませんし、私の関知するところでもありませんな。レオ君に不利益も出ないでしょう」


「まあ、そうですよね」


「そういうことです」


 先生の言いたいことは、ゴタゴタしても気にするな! ということである。こういう割り切りができるのが大人の余裕なのだろうか。見習いたい。


 そうこうしているうちに、俺達は母上の部屋の前に到着。


 ノックをして声をかける。


「母上―、レオナルドです。入りますよ―」


「どうぞ、いらっしゃいな。開いてるわよ」


 部屋の中に入ってみると、僅かに柑橘系の香りが鼻をくすぐる。母の手元にはティーカップ。そしてトランプ。


「兄さまだ―」


 椅子からぴょんと飛び降りて、小走りに俺のお腹にドーンとぶつかってハグしてきたのが妹のフランセスカ。母譲りの金髪碧眼で頭のリボンがトレードマークの7歳児。気難しい年ごろのはずだが、こうやってスキンシップしてくれるのが嬉しい。


 お返しのハグをぎゅーっとして、抱え上げる。大して高くもないが、フランセスカはとても喜ぶ。


「兄さまも一緒に遊ぼう? ポーカーかなブラックジャックかな、それともバカラ?」


 ……お、おう、我が妹よ、昼日中からギャンブルはどうなんだ。


「母上……、フランの教育について思うところがあるのですが」


「あら、いいじゃない。男は度胸。女も度胸よ。勝負勘は若いうちから鍛えておくの。勝負所でチップをドンと積めるようにね」


 これは、アレだな。聞かなかったことにしよう。そうしよう。


 つい先ほど廃嫡されて、追放と相なったわけであるが、これは事前の想定通り。ついては、かねてよりの計画どおり、屋敷を退去する者たちをまとめて連れ出さなければならない。


 追放を宣言されたのは俺一人だが、出ていくのは結構な人数になる。サンダース先生と母上に妹のフランセスカ。使用人のうち、母の輿入れに従って男爵家に入ったメイド2名。更には、父と縁が深く、俺が屋敷を出るならそれに追従するという執事ほかの使用人が数名。未確定の部分もあるけれど、およそ男爵家の半分弱を引き連れていく見込みである。


 その大人数の大脱出の総指揮が母上だ。


 母上は、外向きのことには一切関わらないが、屋敷内のことについては使用人たちの人間関係も含めてほぼ完全に把握している。アブラーモの妻であるデボラよりも確実に詳しい。お高くとまったアイツが知りえないちょっとした噂話も知っているし、時には使用人同士の仲を取り持ったりもしているようだ。


 見た目は中庭でお茶会を開いていそうな線の細い妙齢の貴婦人なのだが、中身はフランクで噂好きの世話焼きおばさんである。


 その代わり、色々と頼りになる。


 俺は追放されてもお金に困らないように、隠れて金策を講じていたのだけど、信頼できる商人と話を付けてくれたり、アブラーモにバレないような偽装を指揮したのも母上である。


 おかげで、俺の隠し資産は結構なものになっている。予定どおりの人数を引き連れても数年は生活に困らないほどの額だ。稼いだ俺も中々のものだと思うが、それを見事に隠しきった母上の手腕もスゴイ。


 そんなわけで、大脱出の足並みをそろえるために、まずは母上に報告することとする。


「母上、先ほどアブラーモから廃嫡と追放の沙汰が下りました。なので、準備をお願いします」


 余計な説明は必要ない。事実だけで伝わるはず。


 母上は微笑んだ。いつもより少しだけ晴れやかに。


「分かりました。ではマーサ。荷物をまとめてくださいな。持って行くのはそれぞれの私物のみ。後から難癖を付けられないように頼みましたよ」


「はい、奥様。すぐに取り掛かります」


「お願いね」


 と、こんな感じで躊躇なくゴーサインが出される。いつでも出て行けるようにという母上の薫陶が行き届いている。本人は優雅に紅茶を飲んだままであるが。


「兄さま、お出かけするの?」


 事情を察していないフランセスカが小首をかしげる。


「そうだな、お引越しをするんだよ。もちろんフランも一緒だ」


「どこへお引越しするの?」


「うーん、フランはどこへ行きたい? テルミナ領を経由して王都に行こうかと思ってるんだけど、フランは嫌かな?」


 予定としては、王都で一旗揚げるつもりであるが、フランセスカが行きたいところがあるなら検討せねばなるまい。


「王都! 行きたいの! ねえ兄さま、王都には綺麗なお洋服や素敵なアクセサリーがあって、人もたくさんいるんでしょ? もしかしたらお姫様や王子様達と会えるのかな? かな?」


 フランがは好きな童話にはたいていお姫様が登場する。愛読書は『ロットの冒険』。ドラゴンにさらわれたお姫様が勇者に助けられて、最終的には結婚するという、何クエスト? という本だ。ほかには『白雪姫』そのままに、王子様のキスで目覚めるお姫様が出てくる絵本を今でも大事にしている。お姫様系ラブロマンスが大好物なのである。


 王都には王様がいるはず! だったら王子様もお姫様もいるはず! すてき! という無邪気な憧れであろう。貴族家の長女という、自分だって姫だということはさておいて。


「王都までは1か月くらいかかるけど、フランはお風呂に入れなかったり、硬い寝台で寝る日があってもちゃんとお利口にできるかい? ちゃんとお利口にできたら王都で可愛い服も素敵なアクセサリーも買ってあげるよ」


「うん! わたしお利口にするの。だから王都に連れて行って欲しいの!」


 本当にいい笑顔だ。


 俺の追放につき合わせることになるけど、必ず幸せにしてやるからな。


 いくつか引っ越しの注意事項を確認しつつ、せっかくだからと紅茶を頂いていると、執事のセバスが現れた。


「若様やはりこちらでしたか。ご当主様よりの伝言です。猶予は3日。4日目の朝には出ていけ、とのことにございます」


 年齢は50過ぎ、細身の長身でロマンスグレーの髪の毛を一糸の乱れなくなでつけた姿勢の良い老人。トレードマークは控えめに蓄えられた口ひげ。セバスの見た目はこれぞ執事というイメージどおりだ。正式な名前はセバスティアーノだが、長いので皆セバスと呼んでいる。

「3日ね、了解。母上、俺は荷物も少ないので余裕ですが母上の準備は大丈夫ですか?」


「もちろん大丈夫よ。それよりもセバス、あなたの方は大丈夫かしら?」


 脱出メンバーのうち、最も忙しくなるのはこのセバスだろう。全体指揮の母上の号令を実行する現場監督みたいな役割と同時に、自身の執事としての仕事の引き継ぎもしなければならない。加えて、個人的な引越し準備も必要なのだからかなりハードスジュールになるはずだ。そもそも、執事を辞めることをアブラーモに認めさせるところから始めなければならない。


「そうですな、厳しいですがなんとか間に合わせましょう。それよりもうちの倅のほうが気がかりです。遺漏なくすべての準備ができるといいのですが……」


 セバスの息子というのは、名前をバスケスといい、数年前まで執事見習いとしてこの屋敷に勤めていた。それがとあるトラブルで職を辞し、今は鍛冶工房の見習い職人をしている。


 実はその見習い職人というのは隠れ蓑で、屋敷をなかなか離れられない俺の手足となって動いてもらっているのだが、色々と秘密の事があるので引っ越しにも気を使わなければならない。セバスはそれを心配しているのである。


「ああ、バスケスの方は俺が自分で行ってくるよ。アブラーモもこの期に及んで俺の行動を縛ろうとはしないだろうしな」


「一応、連絡は入れておきますが、若様の時間が取れるようでしたらお願いします」


「任せてくれ。まあ、ほっといてもバスケスなら大丈夫だと思うけどな」


 その後、いくつか打ち合わせをしてセバスは退室していった。その足でアブラーモに暇乞いをしに行くそうだが、少し心配だ。セバス本人が俺と一緒に行くことを希望しているので、いざとなったら強引にでも連れていくつもりだが、できれば面倒事は避けて淡々と準備をして出ていきたい。


「大丈夫よ。セバスならうまくやるわ」


 顔に出ていたのだろう、そう母上が俺をなだめた。そうだな、心配しても始まらない。まずは自分の準備をして、その後にバスケスのところに顔を出そう。


 ついでに、多くはない知り合いに挨拶回りもしようか。


 冷めてしまった紅茶を飲み干して、俺は母上の部屋を辞した。


 出発する日は晴れればいいなと思いながら。

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