第8話 2本の指
海沿いの道路を1台のタクシーが走っていた。
その後部座席には、白い衣に、電子記号の光るサングラスと耳当ての、40代男女、サトウとアミがいる。
サトウが苛立ちながら言う。
「あの人はなんでカヤを助けるんだ?」
「分からない。ただ、早くカヤを始末しないと」
アミはニヤリとした。
運転手の男は、そのサトウとアミの不気味な格好と会話を気にしないそぶりで、ゆっくりと強く、アクセルを踏んだ。
タワーマンションの部屋に、耕太とカヤが戻って来た。
「タイムパラドックス?」
「時間の扱い方を一歩でも間違えると起きるもの」
「えっ」
「たぶんもう、起き始めている。じゃないとあの2人の説明ができない」
「ん?」
カヤは腰のポーチからタブレットを取り出し、リビングのテーブルに置いた。
耕太の目の前に、タブレットから浮かび上がる数式やグラフの立体映像が広がる。
「すげー、100年後のテクノロジーだ」
その立体映像上で、カヤが何やら真剣に計算し始める。
耕太は思わずその様子をカメラで録画した。
するとその耕太に気づいたカヤが言う。
「何してんの!」
「え? 何って、ちょっと素材を」
「そんな事したらますますタイムパラドックスが加速する!」
カヤは耕太のカメラを奪い取って投げ捨てた。
ぽかんとする耕太の前で、カヤは急いで計算を続けた。
耕太は渋々カメラを拾うと、それをテーブルに置いた。
「ちょっと、説明してよ」
耕太の言葉を無視して計算するカヤ。
カヤの目の前の数式が少しずつ簡略化していく。
「あともうちょっと」
数式の簡略化が止まり、1つの数列が浮かび上がった。
「できた」
「は?」
カヤはその数列をサングラスでスキャンしながら言った。
「タイムリープシステムは1回使った瞬間、消滅するプログラムなの」
「は、はあ」
「しかも、1回使った瞬間、使った事実も消滅する」
「ん?」
「私があんたを殺して元の時間に戻った瞬間、私がタイムリープした事実も消えるって事よ」
「は?」
「タイムパラドックスを防ぐため」
「は、はあ」
少し考えて、耕太が言った。
「君がタイムリープする事実が消えれば、僕を殺せなくなるよね?」
カヤは鋭い目で返した。
「普通はね」
カヤは両手の人差し指を立て、その2本の指を少しずつ近づけながら言った。
「この2本の指は、私とあんたの時間。私の時間があんたの時間に近づく」
両方の人差し指が重なる。
「その瞬間、こっちの指が折れる。私があんたを殺すから」
片方の人差し指が折れ始める。
「そして残されたこっちの指は、こっちの指が折れるスピードより速く元の場所へ戻る」
カヤの両手がサッと左右に離れる。
「これが叔父さんのつくったタイムリープシステムの本質」
ぽかんと聞いている耕太に、カヤは続けた。
「つまり、あんたの時間だけ消滅する」
何度か瞬きをして、耕太は言う。
「僕だけが、タイムリープの影響を受ける?」
「その通り」
不安そうな表情になる耕太の前で、再び両手の人差し指を立て、カヤは言った。
「だけど、問題が起きた」
「ん?」
カヤの2本の指が再び重なる。
「ここであんたを殺すはずだった」
カヤの2本の指は重なったまま。
「この時間が長すぎた」
カヤの片方の手の、中指が立つ。
その中指を見て、耕太は言った。
「3本目の指」
「そう。これがタイムパラドックスのきっかけ」
「……代表者2人」
カヤは3本の指を立てたまま、サングラスに映る数式を見て、言った。
「ここにタイムパラドックスまでの残り時間が表示されてる」
「え?」
カヤのサングラスの数字がカウントダウンを始めている。
「あんたと私以外の時間軸、つまり、代表者2人の時間軸のせいで時空がおかしくなってる」
動揺する耕太にカヤは続けた。
「私をカメラで撮ることとかも、時空を狂わす要因になるの」
耕太は真剣な顔で頷き、訊いた。
「で? タイムパラドックスって?」
一旦ため息をつき、カヤは答えた。
「時空の歪みが膨張し続けるってこと……つまり、この世界が消滅するってことよ」
「こ、この世界?」
「そう、あんたのこの世界も、私の100年後の世界も」
茫然としながら耕太は言った。
「……どうすればいいの?」
カヤは耕太の目を見たまま、2本の指の間の中指を折って、言った。
「とりあえず、指を2本に戻す」
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