第4話 春香

「あんたみたいなクソに恋人なんかいたんだ」


 カヤがそう言うと、耕太は静かに話し始めた―



 その総合病院は小高い丘の上にあって、新緑の芝の庭からは海が見えた。

 春香は手のひらから零れるまだらな光を顔に当て、目を閉じた。

 腕を下ろし、空へと顔をつきだした春香を、暖かい陽光が包み込んでいく。


「びっくりしたよ。看護師さんに散歩に行ったって聞いて」

 

 その声に春香が振り向くと、スーツ姿の耕太が立っていた。


「あっ、こうちゅん、面接どうだった?」


 耕太は春香の横に腰を下ろし、海を眺めて言った。


「かなり手ごたえはあったよ。次世代エネルギーの卒論のことも知っててくれたし」

「えっ、すごい!」

「まあ、教授に感謝だね」

 

 耕太の隣に、春香も座った。


「こうちゃんの夢、叶いそうだね」

「まだ分かんないよ」

「きっと叶うよ。だって、こうちゃん人一倍環境問題を勉強してきたじゃない」

 

 力強く頷く耕太。

 春香は立ち上がり、ベージュのカーディガンを脱いでそれを耕太に渡し、パジャマ姿のまま歩き出した。


「どこ行くの?」

「花壇みてみる。今日は暖かいから、一斉に咲きだしてるかも」

 

 庭の先には大きな花壇があり、幾種もの花が咲いている。

 春香は咲き誇る花々を眺め、大きく息を吸った。

 赤や黄色のガーベラに紛れて、一輪だけ白いガーベラが咲いている。

 春香はそれに気づき、花壇を見渡して他に白いガーベラがあるか探した。が、白いガーベラはその一輪だけだった。

 そこにやって来る耕太。


「どーしたの?」

「……これだけ咲いてるのに、白いのはこの子だけ」

「ん?」

 

 一輪の白いガーベラに優しく触れる春香。


「普通、ひとつの色が咲いたら同じ色のが幾つか咲くのに」

「ふ~ん」

「……私みたい」

「……え?」

「みんな同じなのに、自分だけ違う」

「ちょっ」


 耕太は動揺を隠せなかった。


「なんで私だけ」


 そうこぼす春香の肩に、思わず耕太は手を掛けた。

 春香は泣きながら言った。


「もっと、もっといろんな場所に行きたかった」

「……」

「もっといろんな人に会いたかった」

「……」

「……もっと……もっと生きたかった」

 

 耕太は無力な自分を責める様に歯を食いしばり、春香の肩をぎゅっと掴んだ。

 その感触で、春香はふと我に返る。


「あっ、ごめん……」


 そう言うと、春香は再び俯いた。

 耕太は言葉を失う。


「……こうちゃん、白いガーベラの花言葉って知ってる?」

「え?」


 耕太は首を横に振った。


「希望」


 春香はそう言うと、遠くの海を見つめた。

 その春香の横顔をじっと見つめ、耕太は言う。


「希望」


 春香の瞳に、海の光がキラキラと反射する。


「ねえこうちゃん」

「ん?」

「私も夢に向かって頑張るね」


 耕太はじっと春香を見つめ、再び力強く頷いた。


「ねえこうちゃん、私の夢って知ってる?」

「え? 看護師じゃないの?」

「それと、もういっこ」


 首を傾げる耕太に、春香は海の方を向き、言った。


「こうちゃんのお嫁さん」


 動揺した耕太の顔はみるみる赤くなる。

 春香はごまかす様に白いガーベラを見つめた。


「ねえ、この先の、先の未来には、希望、あるよね?」


 耕太は三たびの力強い頷きで答えた。


「うん、あるよ」

 

 春香の笑顔は、白く透き通っていた。



 テーブルを挟んで立っていた耕太とカヤは、いつの間にかお互い向き合いながら椅子に座っていた。

 話をじっと聞いているカヤに、耕太は言った。


「その翌週、春香は亡くなった」

「えっ」

「白血病だったんだ」


 耕太は一輪挿しの白いガーベラを見た。


「結局、希望なんかなかったんだ」


 カヤの表情が強張る。


「希望の先には絶望が待っているだけ」


 カヤの目つきが鋭くなっていく。


「希望とは、はやく絶望を受け入れて希望を捨てることだ。それが僕たちの未来」


 耕太を睨みつけて、カヤは言った。


「それって、春香さんのこと裏切ってるじゃん」

「違う」

「希望と未来を信じた春香さんを裏切ってる!」

「違う!」

「なにが違うの!」


 耕太はじっと一点を見つめ、徐にシャツのボタンを外し、右肩を出した。


「……えっ」


 カヤがそう言って見たものは、耕太の右肩に彫られた一輪の白いガーベラだった。 

 

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