(七)
Jが消えた水路。結月は倒れた老婆の身なりを探ると鍵を発見した。
……自宅か。車か。
リモートキー。押すとそばに駐車してあった車のライトが返事をするように点滅した。
その車に乗り込んだ彼女はエンジンをかけてJを追った。
黄昏の港。人気は無く広い駐車場にはコンテナがたくさん積んであった。これを運ぶトラックに隠れながら彼女は水路を探した。
……小型クルーズ。あった。
民間の船着場。やけに豪華なクルーズが停泊していた。誰も乗っていない様子。結月は管理をしていた男性スタッフに声をかけた。
「あの、このクルーズ船。かっこいいですね」
「そうですよね。これは高いですよ」
二人で一緒に船を見上げていた。結月は力を使い、乗っていた男女がJと川端と確認した。
「二人はどこに行ったの」
「……釣りとかで車椅子で向こうの方に。この船は一週間預かることになっていて」
これ以上は知らない船着場の男。結月は催眠を解き彼らを追った。
車椅子という証言。そんなに早くは歩けないと彼女は判断した。密かに彼らを追っている時、暗部から連絡が入った。Jらが乗った外国船が判明した。
結月は指示通り、地下にやってきた。ここは造船会社の倉庫の様子。ひんやりとした廊下の入り口にて彼女はチェックを受け入った。案内された部屋は国防軍の司令部のようで人が揃っていた。
「薬草黒百合班。堀しのぶです」
コードネームで挨拶した結月。軍人は冷たい目で彼女を見下ろした。
「ご苦労。私は国防の第二司令部の八田だ。我々もかねてよりJを追っていた」
この地下は現在外国への違法な物資のやりとりを防止するための施設であり、今は臨時で使用していると八田は説明した。
「薬草暗部より伝達があった。現在、Jは我々が追っており第三国に行く船に乗船したと判明している」
「川端も一緒ですか」
「ああ。女も一緒だ。この画像を見てくれ」
映し出された防犯カメラの画像。そこには川端が車椅子で男性を押し、大型船に乗せている様子が映っていた。周りにいるのは仲間であろう。取り囲まれるように乗船していた。
「君は彼を知っているはずだ。これがJで間違いないか」
「定かではありません」
結月は病室で寝たきりの顔と、バスに乗っていたjを見ている。遠目の画像。背格好は同じに見えるが、ダミーの可能性もあり得る。不確かなことは口にできない。
「しかし。川端は同一と思われます」
「そうか。では別室で指示を待て。何か分かれば。報告せよ」
八田は冷たく結月に控えるように指示をした。
……薬草暗部の手柄が面白く無いのが見え見えだ。
さらに若い自分の動き。顔を潰された国防軍は彼女をこれ以上活躍させるつもりはないのであろう。薬草部付きの結月。彼女は国防の命令を聞く立場にない。薬草暗部が来るまでおとなしくしていた。
やっと片桐が来た頃には第三国への外国船の運行予定が把握できていた。作戦室では八田と片桐は詰め寄っていた。
「だが。まだJだと確認が取れていない。このままでは後三十分で出航してしまうぞ」
「国防の方で何とか乗船して確認取れないでしょうか」
「片桐君。我々が乗り込んでも本人の確認が取れないだろう」
Jの顔を知っているのは結月だけ。歩き方の照合わせで本人とは判別できる技術があるが、Jは歩かない。国防はJであれば暗殺すると国の方針を話した。
「しかし。別人では困るのだ」
「ではうちで本人確認をします。その方が早い」
「どうやって」
「うちの堀はJの顔を知っています。乗船して顔を見てきます」
他の方法は思いつかない。この作戦により別室で待たされていた結月は急きょ外国船に乗り込むことになった。
「しかしですね。隊長、これって我々が倒すのはダメなんですかね」
戦闘服から着替える暗部の枝。これに片桐は話をこぼした。
「確かに我々が直接手を下すのが早いがな。国防軍はあくまでも自分達で処理したいんだろう」
「つまんないプライドですね」
若い枝の声。素早く着替えを済ませた片桐はくるりと彼を向いた。
「そうだ。この世界、正義や悪など通用しない。我々暗部は上官の指示に従うまでだ」
「はーい」
こうして薬草暗部は着替えを済ませた。そしてアジア行きの外国船はまだ乗船手続き中。パスポートを確認する船員に彼女は力を使いこれをスルーした。そして仲間の黒百合班も通らせた。
船は出港のため綱を外し、アンカーを上げ始めた。やがて港を出港した。
黒百合班は旅行者の装い。結月を先頭に乗客の雰囲気で船内を歩いていた。
「おい、姫よ。奴はどこにいる」
「静かに。あ。隠れて!」
客室の一等室から出てきたのは川端だった。露出したドレス。メイクを施した顔。地味だった彼女から想像できないほど別人だった。彼女はレストランに向かった。食べものをもらいに行くのだろう。結月は早かった。背後から声を掛けた。
「お客様。落とし物ですよ」
「え?あなたは」
しかし。彼女にロックオンされた川端は自分の意思で話せなくなった。ささやかであるが枝が放ったディフェイザーによる焚香。リラックス効果の香りに包まれた彼女はスラスラと話し出した。
「部屋の暗唱番号と。部屋にいる男を言いなさい」
「番号は35AW……部屋にいるのは鈴木圭吾さん。お母さんの故郷に帰るの」
Jと言わない川端。彼女の思考から本当にそう思っていると結月は知った。今は彼の正体を探るのが先。川端に関しては片桐が動いた。
「お前は枝と根本と奴を確認しろ。この女は別室で確保だ」
「わかりました」
結月と二人と個室の前にやってきた。結月は大きく深呼吸してノックした。背後での枝と根本のサイレンサーの援護を頼りに彼女はノックした。
しばらく続けているとドアが開いた。大柄な男だった。
「なんだ、一体」
「申し訳ございません。この部屋から水漏れと報告がありまして。水場を確認させてください」
そう言いながら操り人形の目の発動。男を黙らせた結月は奥の部屋へ進んだ。奥のベッドには誰かが寝ており、そばには付き添いの男がいた。
「誰だ?なぜここに入った?」
……黙れ!動くな!
強い念の発動。付き添いは大人しく結月の命令で夢遊病者のように玄関前に立った。ベッドに向かった結月。彼はベッドに横たわり点滴を受けていた。
根本はディフェイザーを発動。部屋は夢まどろむ空気に包まれた。
「……君は?」
「客室従業員です」
「そうか……船はもう出たんだろう」
長い髪の美麗の面。女性でもおかしくない美貌である。汗ばんだ額。彼は青ざめた顔で目を伏せた。
彼に操り人形を使用せずとも、先程のバスにいた男性とだと結月は知った。力を使うとその後、後遺症が残ることがある。しかもこの男はすでに心神喪失状態。気が付いた後、彼に気取られないためには念力を使用しないことを彼女は選択した。結月は静かに彼に話した。
「お客様。恐れ入りますがキッチンを確認させてください」
「どうぞ」
病であろうか。Jの顔色は悪かった。服のまま横になった姿。武器など持てないほどの弱々しい細い体。枝と根本を控えさせ狭い部屋を簡単に確認した彼女は彼に異常なしと伝えた。
「そうですか」
「はい。ご協力感謝します」
そう言って結月は退室するべくドアまで来た。そこには二人の男が立っていた。
「……戻れ」
彼女は手をパンと叩いた。
「ん?ここで何を」
「恐れ入ります。部屋の点検は済みました。失礼します」
マリオネットだった男二人は思い出したように個室へ戻っていった。
部屋を出た結月達は足早に船内の通路を進んだ。
「Jで間違いないわ」
「わかった」
それだけを確認するのが任務。彼をどうするのかは知らなくて良いこと。片桐と合流した彼らは川端を解放し、甲板に出た。夕日の中、波の飛沫が時折、頬に当たった。
「まだか」
「あれじゃないですか」
船の後方から小型のクルーザーが追いかけてきた。黒百合班は海に飛び込んで逃げる手筈。手荒い国防軍の救助に薬草暗部は肩をすくめていた。船から海までの結構な高さ。恐ろしさに深呼吸をしていた瞬間、彼らは背後から先程の男たちが追いかけてきた。
「待て!何者だ」
「早く!みんな海に飛び込め」
しかし。結月は仲間を逃すためにマリオネットで敵を鎮めようと守りに出た。
……銃を捨てなさい!
手をかざしこれが効き敵の銃撃が止まった時、暗部達は一斉に海に飛び込んだ。結月はマリオネットを解くために一瞬残った。洗脳を残したままでは自分達が来た形跡を残してしまうからだ。
彼女の命令で銃を捨てた彼らの前。これを知る片桐は彼女を守るように前に立った。結月は一睨みし、一瞬で敵の記憶を消した。
「解きました」
「早く!結月」
「はい」
彼女は船のフェンスに手を掛けた。そして飛び降りようとした瞬間、予想を反した別の男から突然、強い力で背後から首を絞められた。
すでに片桐は海へ着水。甲板の上。逃げ遅れた結月。波に浮かぶ暗部達は絶望で見上げた。背後の攻撃のためマリオネットは使えない彼女。しかし、結月のそばに突然、大きな男が現れた。彼は敵からあっという間に彼女を解き放した。
「来い」
「ええ?!きゃああああ」
彼に抱きしめられた結月は海へ落ちた。深く落ちた水の中、彼は彼女を力強く腕に抱きながらかき分け共に海面に浮上した。
「はあ、はあ?助かった」
「おい。船から離れるぞ」
「はい」
泳ぐのは得意な結月。ここからは自力。潜水で救助のクルーザーへと泳いでいった。やがて国軍に手を借りて船に上がるとなぜか先ほどの彼はすでに船上にてタオルで体を拭いていた。そばにいる仲間は必死に彼に詰め寄っていた。
「王子。勝手は困ると言っているじゃありませんか!御身に何かがあったら」
「薬草が潜入しているのに我々が見ているだけでは立場がない」
「ですが!もっと自覚を」
「お。大丈夫そうだな」
結月に気がついた大きな体。眼光鋭い彼は、結月をまっすぐ見るとタオルを放った。
「おかげさまで助かりました」
受け取り礼を言った彼女。司の仲間の国軍の者はため息で結月を見つめた。
「君がしっかりしていれば、王子が出ることはなかったんだ。暗部としての任務をちゃんと遂行してくれないと困りますね」
「おっしゃる通りですね。私の失態でした」
髪を拭きながら素直に認めた彼女。司は憮然とした顔を見せた。
「止せ。俺が勝手にやったことだ」
「ありがとうございました。でも、どうやったんですか?」
不思議そうに話す結月。彼女の濡れた体を司は冷たい目で見下ろした。
「君に話すつもりはない」
「そうですよ。さ、王子。参りましょう」
彼は仲間と一緒に別室に行った。薬草暗部と合流した彼女は次官へJであったと報告した。
「部屋にて点滴治療をしておりました。動くのは困難のようです」
「よくやった。あとはこちらで処分する」
礼儀として敬礼をした結月は暗部の仲間と船内の椅子に座った。仲間は彼女を労った。
「姫。軍はおそらく船を沈めるだろうね。Jを帰国させるわけには行かないはずだから」
枝のひそひそ声。しかし、結月の思いは他にあった。
ベッドに寝ていた彼の苦しそうな姿。巨悪なテロリストの弱った姿を彼女は思い浮かべていた。
……点滴、車椅子……苦しげな顔。
「すいません。Jは年齢はいくつなんでですか」
ここで根本が顔を向けた。
「五六歳と聞いているけど」
「五六歳」
若すぎる。と結月は思った。考え込んでいる彼女に片桐は顔を覗き込んだ。
「お前は何も気にするな。あとは上の判断だ」
「わかっています……」
濡れた髪の彼女は、どこか違和感を抱きながら帰還先である港の灯をじっと見つめていた。
やがて港に戻ったクルーザーからそれぞれが降り出した。
結月が港に降り立った時、そこにまたしても憮然とした表情の司が立っていた。
「『堀しのぶ』とあるが。堀は『
薬草学院の柊結月と見抜いた司はどこか怒っていた。そんな彼の傍らの男の睨む顔。結月とて司に興味はない。
「あなたに話すつもりはありません。失礼します」
「……強気な女だな」
乾いた長い髪。夜風に靡かせ彼とすれ違った結月。腕を組んだままの司は振り返らなかった。やがて薬草暗部と車に乗り込んだ彼女はこの現場を離れた。
◇◇◇
「ようこそ。六芒国へ」
「うわ。素敵」
六芒戦において。試合は惨敗であった薬草学院。その後の試合会場の催涙ガスの妨害の際、参加生徒の素晴らしい救助活動が大会関係者や世の中に広く認められた。この話が耳に入った六芒の国王は栄誉を称えるべく彼らを王宮に招待にした。
六芒戦を終えて二週間ほどのこの時期。招待された薬草学院の六芒戦の参加生徒達は興奮していた。はしゃぐ女子生徒の背後。征志郎は呆れていたが、時長はキョロキョロしていた。蓮がこれを諌めた。
「やめろよ、恥ずかしい」
「いいじゃないか。二度と来れないぞ。こんなすごいところに。なあ、征志郎」
「別に、興味ないけど」
王宮のガイドの説明に生徒達は夢中になっている時、最後尾でだるそうな征志郎は呼び止められた。
「柊征志郎」
「六芒さん、あ?王子でしたっけ」
彼は憮然とした顔で征志郎を睨んだ。
「呼び名はなんでも良い。お前の姉はどうした」
第二王子の司は威厳ある面持ちで征志郎に尋ねた。王子の装いの彼。女子s制服姿の征志郎はやれやれと頭をかいた。
「姉さんも来てますけど。ここじゃないところです」
「だからどこにいる」
「ええと、あっちの」
すると司のお付きの山宇治が話に入ってきた。
「おい。失礼じゃないか。せっかくの国王の招待なのに。しかも王子の御前で」
「俺もそう思ったんですけど」
「おい。いい加減にしろ」
詰め寄る山宇治。司はやめろと制した。
「弟よ。お前の姉はここに来ているんだな?」
「だからそう言っているでしょ」
「おい。お前、なんだその口の聞き方は」
「山宇治はうるさい。どこにいるんだ」
征志郎は今朝、王宮に到着した時の話をした。司はこの話を聞いて庭を駆け出した。
「お爺さま。ここでしたか」
「お。司か」
奥の院。咲き誇る花に囲まれた庭のテーブル。先帝と先女公と和やかに紅茶を飲んでいた結月は彼の登場に立ち上がった。
「王子。先日はお世話になりました」
「いや。こちらこそ」
「なんだ二人とも。座りなさい」
先帝の微笑み。司は彼女を隣に座った。対面の先女公は嬉しそうに紅茶に砂糖を入れながら孫の司を見た。
「
「え」
「司、いいんだ。返事をしてやってくれ」
祖父である先帝にそう言われた彼は、はいと返事した。老婆は満面の笑みを見せた。そして気まぐれに立ち上がると庭に行ってしまった。三人はその背を見ていた。
「司は知らなくて当然だ……亜の宮とはね。結月さんも聞いて欲しいんだが、十七歳で亡くなった私の次男なんだよ」
心地よい風。先帝は司にも紅茶を淹れた。優しい眼差しだった。
「重い病でね。最期は薬草部の人に癒しの治療をしてもらったんだ。ここにいる結月さんのお母さんの紀香さんが、その時の担当だったんだ。本当に懐かしいよ」
「そうでしたか……君の母上も薬草部だったんだな」
司は隣に座る結月をそっと見た。六芒戦では血気あふれる戦いの姿。Jの追跡時は殺し屋の風情。そんな彼女は今、黒のパンツスーツに白いシャツ。すっかり仕事着の大人の彼女に動揺しつつ、司は祖父に尋ねた。
「しかし。お爺さまと彼女はお知り合いだったんですね」
「ああ。薬草学院の庭を見学に行った時、私達は結月さんに案内してもらったんだよ」
嬉しそうに話す先帝の笑みは素直な老人だった。司はようやく合点がいった。
「案内?そうか、君は庭番だったな」
驚きの司。黙って聞いていた結月はゆっくりと紅茶のカップを置いた。
「はい。あの、私はそろそろお
「ん?なぜだ」
自分が来た途端、席を立とうとする彼女。厳しい顔の司。結月はまっすぐ答えた。
「だって。私は、王宮に呼ばれていますので」
「待て!?私が案内する。お爺さま。ご馳走様でした」
慌てる司に微笑んだ先帝。司は結月と挨拶をし、広い庭を歩き出した。
「しかし、驚いたよ」
「私もです」
薬草の招待客として王宮に着いた矢先、半ば無理やり奥院の庭に連れられた結月は不安だったとこぼした。
「黒服の人に捕まって。私、なんか悪いことしたのかなって思いました」
「心当たりがあるんだな」
意地悪く笑う司。結月はちょっとムッとした。
「先帝が薬草学院の庭にいらした時。失礼があったのかと思っただけです」
「ははは」
無神経な彼。結月は腹が立った。そして彼の前にさっと出て、後ろ向きで歩き出した。
「王子。私、先に行きます。どうぞごゆっくり?」
「な?なんだと」
彼の返事も聞かず。結月はダッシュした。足に自信がある彼女が走る花の庭園。司は静かに念じた。
「おっと」
「きゃあ?いつの間に?」
噴水がある庭の石畳まで一人走っていた結月。司を置いてきたはずだった。しかし彼はいつの間にか彼女の前に現れた。
「残念だが、俺からは逃れられないぞ」
「……もう、いいです」
息が上がりまだ怒っている結月。彼は逃さぬように腕を掴んで一緒に歩いていた。その顔は楽しそうだった。
「王子。それにしても。本当に良かったんですか」
「何が」
「先帝とお話ししたかったんじゃないですか?」
「別に。何も用はない」
こっちへ進むと司は彼女の細い腕を引いた。細いが身がしまった強い彼女の腕。司はドキとしそのまま腕を組んでいた。
「あの」
「な、なんだ」
「この前の船の上とか、今のは何だったんですか」
自分を助けてくれた司の突然の登場。結月の問いに彼は静かに答えた。
「あれは私のsaiで。瞬間移動だ」
「瞬間移動?それで現れたんですね」
歩きながら彼は話を続けた。
「六芒の一族にはそういう力がある。しかし私の瞬間移動は些細なものだ。あまり役に立たない」
コンプレックスなのか。司はどこか諦め顔だった。しかし結月はじっくり目を瞬かせた。
「そうですか?やりようによっては。すごいと思いますけど」
大した力じゃないと一族から失望されていた彼。それを消そうと褒める部下達。結月の対応はそれのどれとも違う。司は嬉しく思った。
「……君も何かあるんだろう。そろそろ教えてくれても良いと思うが」
恥ずかしそうな司。弟を持つ結月はちょっと意地悪をしたくなった。
「私ですか?私はただ、花に詳しいだけです」
「そうきたか……」
年上の彼女。司は思わず空を見上げた。結月は話題を逸らした。
「ところで。Jはどうなったんですか?私は知らされてないんです」
この話。彼は急に軍人顔になった。
「あの後、船は国境近くで火事により沈没したことになっている」
「実際は撃墜ですか」
ああ、と司はうなづいた。
「だがアメリカ軍が乗客を救出した。一般客に死傷者はいなかったそうだが、Jはいなかったという話だ」
「おかしいですね。私は彼を見ましたけど」
そう言って彼の腕から離れた結月はそっと花壇の花を覗いた。司はそばのベンチに座った。彼女はずっと気になっていたことを打ち明けた。
「それは車椅子の男がいなかったという話。もしかしたら変装とか、別人になっていたのかもしれないですね」
「どういう意味だ」
「第三国は未知なる薬があるところです。もしかしたら、彼は元々は歩けるのかもしれないし。あの点滴薬で風貌など、姿をコントロールできるのかもしれないです」
そう言い一緒にベンチに座った結月は足を伸ばした。司はその無邪気な様子を見ないように見ていた。
「それは。別人になりすましているということか」
「はい。思えば、あの時、すでに変装していた可能性も拭ませんね」
「こういう時はDNAでわかると思うが」
「さあ?遺伝子の操作くらいするかもしれないですよ、科学は進んでいますので」
この時。司はぐっと結月の手を握った。
「なんですか」
「教えてくれ。国軍でまだ解明できてないが、君はどうしてJを発見したんだ」
「ああ?それは……蓮の実です」
涼しい結月の声。彼は力を緩めた。
「王子。第三国では。蓮の実を食べる習慣があるんですよ」
そもそも。水延の薬草研究部にて川端が持ち去っていた蓮の花。結月は彼女が誰かにこの実を食べさせるのではないかと思ったのが疑いの始まりであった。
「あの鈴木の病室。飾ってあった蓮にあるはずの実が無かったんです。だからあの病室の患者が食べたんだと思ったんです」
「それで第三国の人物とわかったわけか。なるほど」
感心している司。しかし、結月は彼をじっと見つめた。
「なんだ?」
「……そろそろ行きませんか?私、王宮に呼ばれているんですよね?」
「あ。ああ。そうだ。すまなかった」
実際。彼女を呼べと提案したのは自分である。彼はそれを隠して彼女の手を取った。本来彼女が向かうべき場所へ手を繋いだまま歩き出した。なぜ手をつなぐのか。結月は不明だったが、これが王宮のマナーなのかと思っていた。白亜の館の美しい緑の庭。二人は歩いていた。
「柊。いや?結月さんと呼んだ方がいいか」
「ふふ、結月でいいですよ」
無骨な彼の恥ずかしそうな声。さすがの結月も笑い出した。
「何がおかしい」
「だって……試合の時と雰囲気が違うので。すいません」
「それは君もそうだろう」
「そうですか?私はいつもこんな風ですよ」
歩く度、花の香りがする彼女。司は胸がいっぱいになっていた。彼の思いと裏腹に二人は見学者と合流した。女子生徒は王子とやってきた結月に目を見張った。
「あ、ずるい!結月さんだけ王子にエスコートされて」
冷やかす女子生徒。結月はこれに構わず彼を見上げた。
「そうだったんですか?じゃ、王子。彼女達と交代して下さい」
そう言って司から離れた結月。これを見た征志郎が時長の肩を叩いた。
「姉さんは俺と一緒。王子はほら!時長、お前が行け」
「僕と王子なの?」
寄り目の彼。これに笑いが起こった。口に手を当て笑う結月。司はこれを頬を染めて見つめていた。それを征志郎が見ていた。
六芒の白亜の王宮。若い彼らの笑顔が溢れていた。
「そうか。やはり薬草の暗部の仕業か」
「はい。川端の職場から知れたようです」
「まあ、いい、今回はこれで」
女の姿で敵の目を逃れたJはゆったりとベッドから起きた。体はまだ全快ではない。まだ安息が必要だった。そんな彼は好物に手を出した。
「まさか。これで見つかるとはな。柊博士の孫か、面白いな」
静かな夜。さまざまな野望が埋めく世界。戦いはこれからだった。
「薬草学院の御庭番 六芒戦」完
お読みくださった方へ
書き急ぐ感が拭えませんが、ここまでのご愛読感謝申し上げます。異世界ファンタジーを書いてみようと無謀な初挑戦をしております。
私としてはバトルシーンを充実させたいはずでしたが、実際は思ったほど筆が進みません。進んでいるのは気持ちだけのようです。他にも薬草を用いた戦いを書こうと思い、参考に本を買っています。そのため薬草や毒草の本ばかりネットでおすすめになっており大変物騒です。
本作品は「薬草学院 門を開く者」の続編です。主人公の柊結月は父親が不明なためエラーとして学校に通えない設定。無学で無名の彼女ですが、優秀で仕事ができるという羨ましい女性です。そんな結月は薬草を用いた暗部の軍人。その有能な力を暗躍で密かに発揮するというモチーフです。彼女は祖父の薬草を保持することと、可愛い弟の幸せしか望んでいない設定です。これを真面目というか機械的と思うか。私は後者をイメージしています。
そんな私は懲りずに第三弾を模索しております。王子の司の片思い。続編が一番楽しいのは私だけでも構いません。
2021年5月バラの咲く頃
みちふむ
薬草学院の御庭番 六芒戦 みちふむ @nitifumu
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