(五)
薬草女子に推されるように結月は大浴場にやってきた。
「ねえ。ちょっと熱くない?」
「そう?」
広い湯船。薬草女子達は身を広げていた。
「今の時間。薬草学院しかいないからいいね。結月さんはどうですか」
「うん。気持ち良いわね」
高校生に紛れて湯船に浸かる結月。彼女のことを女子たちはロックオンしていた。
「あの。結月さんて。その、どうして御庭番なんですか?そんなにすごいのに」
「何を言ってるの?すごいから御庭番なんだよ」
「ふふふ」
無邪気な会話。遮るように結月は笑った。
「私の祖父は柊植物園を運営していたんだけど。亡くなって薬草学院に薬草を寄贈したのよ。私は植物園にいたものだから。管理するためにおまけで付いていたの」
「へえ」
「でも。どうしてあんなに強いんですか?植物園でそんなことまで訓練するんですか」
不思議顔に結月はうーんと身を伸ばした。
「私が育った植物園は山の中にあったの。そこには熊とか野生動物がでたりするのよ。だから護身術で鍛えたって感じかな」
「ふーん」
結月を知りたい女子。これに構わず結月は上がって体を洗い出した。
その白く綺麗な背。その曲線を女子たちはうっとり見ていた。
「あの、結月さんて、征志郎君と仲がいいですよね」
「……姉弟だからね」
髪を泡だらけにして洗う結月はそっけなく答えた。しかし、彼女達は続けた。
「でも!本当に仲良しですよ。喧嘩なんかしないんですか」
「するよ。普通に。アイスを勝手に食べたとか。みんなの家と同じよ」
しかし。柊姉弟の仲睦まじい雰囲気が彼女達には羨ましかった。ここで彼女は勇気を出して尋ねた。
「あの、征志郎くんて。彼女とか、いるんですか?好みのタイプってどんな女の子なんですか」
「征志郎の好みのタイプ、か……」
シャワーで泡を落とした結月は、すっと立ち上がった。
「弟だからそんな風に考えた事がないの。後で聞いておこうか?」
「いいです?あの。そこまでしなくても」
「待って下さい。結月さんは、時長君や、蓮君と仲良さそうですけど」
彼女達の目。これをみなくても彼女達の片想いを感じ取った結月はまた湯船に入った。
「二人は征志郎の幼馴染なのよ。だから弟みたいなものよ」
「そうなんですか」
「さ。上がるわよ」
もたもたしている女子を置き、結月は先に風呂から上がった。
……好きな人か。
淡い恋心。彼女達の気持ちを見た結月まで胸が熱くなっていた。
翌日。薬草学院の女子個人戦の前。一人離れてウォームアップをしていた結月の元に征志郎が顔を出した。
「どう?姉さん」
「別に。いつも通りやるだけよ」
汗だくの結月の汗が光っていた。彼は目を細めた。
「待って。髪型が崩れているよ」
「そう?」
ひとまとめにした長い髪。征志郎は背後に回って結び直した。
「いいのよ。結んであれば」
「そんなわけにいかないの!」
彼は優しく髪をまとめた。その手を動かしながら囁いた。
「姉さん。姉さんの試合はみんなが注目しているから。反則はわかるけど、ほどほどにね」
「わかってるわよ」
「本当かな。ふふふ」
そして頭に手をポンと置いた。
「これでいいよ」
「ありがとう」
微笑む結月。征志郎も笑みを見せた。やがてこの場に時間だと大会関係者が呼びにきた。
「じゃ。征志郎。行って来るわね」
「姉さん。俺、見ているから」
彼女は返事の代わりに背を向けたまま手を挙げて会場に向かった。
征志郎はその背を見つめていた。
対戦会場。まだ予選だと言うのに観客がいっぱいだった。王聖学院の三好は負け無し。仲間に囲まれててすでに汗だく。かなり集中している様子だった。
結月といえば、薬草の付き添いは桂だった。
「私の方がドキドキしてきた?」
「……時間はそろそろですね」
結月はふと強い視線を感じた。王聖の席の男を見返した。
……あれが六芒国の第二王子。
その強い精神力に彼女は視線を逸らした。
「結月さん!しっかりね」
「はい」
彼の視線を切った結月は戦いの場に足を進めた。
向かい合う三好は空手の構え。そして開始になった。
「さあこい!」
「……」
互いに間合いを取る二人は、静かに戦いを始めた。三好は結月の戦いを研究してきたようで迂闊に組みに来ない。相手の力を使って投げ飛ばす結月の合気道の技は、受身のもの。相手が仕掛けて来ない限り、戦う術がない。
三好は絶妙な間合いで結月にプレッシャーをかけてきた。
結月は彼女のその眼から、次の動きを探っていた。しかし、この刹那。別のものが見えた。
結月の動きは早かった。三好が息を吐いた瞬間。身を低くした結月は彼女の足を蹴った。
ダーンと倒れた三好。しかし彼女は受け身を取った。結月は瞬時に彼女の背後に回り腕で首を絞めた。
「……うう……」
躊躇ない頸動脈の圧迫。この絞技で意識を失った三好は足をヒクヒクとさせていた。失神した王者。結月は床に転がした。冷たい目で立ち上がった。三好は倒れて動かなかった。『勝者。薬草学院』とアナウンスが流れた時、結月は会釈をして場を降りた。それと同時に王聖の付き添い達が三好に駆け寄った。
回復させようと鳩尾を押す動き。ドクターを呼ぶ声。優勝候補の無惨な負け。会場はざわついていた。結月はこれを無視し控え室に戻っていた。
「おい、お前!いくらなんでもやりすぎだろう」
王聖の制服姿の男子。熱くなっている彼は結月の道着の胸元を掴んだ。
「倒した時点でお前の勝ちだろう!絞め技は余計じゃないか」
「これは試合です。絞技も技の一つです」
「なんだと」
「止めろ。離してやれ」
廊下の奥から彼がやってきた。眼光するどい司は結月を見下ろしていた。結月はタオルで顔を拭き、この視線を逸らしていた。
「あれはキックボクシングか」
「どうしてお分かりに?」
「三好に目のフェイクを入れてからのキックだったが。あの瞬間。君は拳を作っていた」
「……それも視野に入れていたので」
彼女はキックが決まらなかった場合、拳で腹を殴るつもりだった。そこまで言わずとも司には伝わったようだった。
「あの三好を倒すとはな。君は武道はどれくらい」
「それを聞いてどうするのですか」
冷たい結月の声。場は静まり返った。
「おい。殿下に対してその態度はなんだ」
「殿下ならば。正々堂々と戦われたらいかがですか?」
「どう言う意味だ」
ここで結月は彼の目を見た。燃えるような情熱を秘めた目。彼女は真実を知った。
「あなたはご存知なかったようですが。ご自分の仲間が勝つために何をしているか、把握するべきだったと思います」
「我々が……王聖が何かしたと申すのか」
「貴様!それ以上、侮辱すると」
真っ赤になって怒る司の付き人。結月は彼の目を見た。真実が見えた。
「そう。あなた達は本当は焔の妨害をしようしたのね。そのために薬草の誹謗中傷をして、それを焔のせいにしようなんて。よく考えたわね」
「おい!」
「お前は黙れ!薬草の女。証拠はあるのか」
怒れる司の低い声。結月は付き人の男を見た。力を使った。
「証拠って。何か残っているの」
付き人は呟いた。
「データは消した……。もうない」
自白を始めた付き人。司は彼から離れた。
「そう。ではどうしてこんなことを?」
「宮廷の近衛隊長に。必ず勝たせてやってくれって言われて」
驚きの司。付き人をじっと睨んだ。
「どう言うことだ?お前がやったのか」
「はい……」
どこか空な付き人。結月はこの辺で意識を戻した。
「あれ?ここは」
頭を抱える付き人。彼を無視した司は結月の腕を掴んだ。
「お前。今、こいつに何をした」
「薬草を少々です。お手を離してください」
するとこの場に足音がバタバタと響いてきた。司は振り向いた。
「殿下!三好の意識が戻りました」
「ああ。それよりも」
「……殿下。この手は?」
「なんだと」
司が掴んだ腕は付き人になっていた。結月は消えていた。
彼女は薬草の控室に戻っていた。
「姉さん!お疲れ」
「ありがとう」
安堵した彼女は弟にようやく笑みを見せた。しかし、薬草の女子達は心配していた。
「でも、やりすぎだったんじゃないですか」
「あれも技の一つよ。それに失格ならそれでいいもの」
そう言って水を飲む彼女を、征志郎だけは優しく見つめていた。
試合結果。結月はお咎めなし。三好は病院で検査となった。この予選。結月は他の試合は反則負けのため決勝には進めなかった。これも計画通りで薬草は夜に祝杯を上げることになった。
「結月。ちょっと手伝ってくれ」
「はい」
夕食後。彼女は片桐に呼び出された。
「話は二点だ。まずはお前の指摘があった誹謗中傷の主犯の件。結論から言うと、上からこの件から手を引けと言うことになった」
「王聖の関与を認めたようなものですね」
ああと片桐は肩をすくめた。
「俺は何も言えないがな?ただ、条件として出回ったデータを消去してくれるらしいぞ」
「偽善ですよ。傷ついた女子の写真よりも、自分たちの証拠を消したいだけですよ」
「ああ、もう!それ以上何も言うな。この件は以上!お次、水延研究所の件だ」
尾行をしている研究員が見舞いをしている相手。この正体がわかったと片桐は目を光らせた。
「第三国の男で『Jドューハン』と思われる。カルテの日本人はとっくに死亡届が出ていた。これになりすまして入院していると思われる」
片桐は資料を彼女に見せた。
Jドューハンは薬草を国外に持ち出そうとした罪やテロ組織の一員として国際指名手配とあった。
「では研究員は彼を匿っていると言うことですか」
「そうなる。彼女もテロリストとして監視を続けている」
一度、彼女を見た結月。彼女がそこまで悪事を企んでいるとは感じなかった。
結月に片桐は続けた。
「明日。お前も監視に入ってくれ。敵の目的を知りたい」
「わかりました」
話を終えた結月はホテルの部屋に戻った。一人部屋。やっと一息の彼女にノックの音が聞こえた。
「征志郎」
「姉さん。ちょっといいかな」
明日の試合を控えている弟。興奮しているようだった。
「眠れないんだよ」
「そうか。姉さんがお茶でも淹れようか」
うなづく弟をベッドに座らせた彼女は、ポットのお湯でハーブティを淹れた。
「はい、どうぞ」
「ありがと……」
大きな体のくせに中身は少年のままの弟。風呂上がりで濡れた髪。結月はベッドに上りタオルで優しく拭いていた。
「姉さん。明日はどうするの」
「明日は任務があるの」
「そうだと思った」
自分の戦い。任務を優先する姉に彼は口を尖らせた。
「どうせ俺なんか、見てもしょうがないもんな」
「そんなことないわ?姉さんだって見たかった」
「嘘だ。興味ないくせに」
「そんなことない。征志郎のこと、本当に見たかったのよ」
姉をこまらせることに成功した彼は、タオルの下、密かに肩を振るわせていた。
「ね?泣かないで?」
「お、俺のこと、嫌いなんだ」
「そんなことない!大好きよ?ねえ、征ちゃん!」
「う、うう……」
この声を聞いた結月は思わず背後から抱きしめた。
「征ちゃん。お願い、姉さんはあなたが一番好きよ」
「ふ、ふふふ」
「あ?」
笑っていた弟。彼女は怒って肩を叩いた。
「もう!本気で心配したのに」
「あはは。だってさ?本当にがっかりしたんだから。まあ、愛の言葉が聞けたから。これで許してやるか」
征志郎はご機嫌で立ち上がった。その笑顔に彼女も笑っていた。
ご馳走様と手をあげて彼は部屋を出て行った。
……全く。いたずらばかりで。
そんな弟は自分には大切な家族である。この夜。薬草学院の身代わり生徒として全ての試合を終えた彼女は、やっと安心してベッドに身を沈めたのだった。
翌朝。結月は病院にて監視していた。Jドューハンには接触するなと言われている彼女は一階の待合室にて怪しい人物を探ることにしていた。
時刻は正午。薬草学院と王聖学院で戦っているはずであった。試合を見ることもない彼女であったが、病院関係者が慌ただしいことに気がついた。
患者はまだ知らない様子。結月は看護師を捕まえて情報を聞き出した。
「六芒戦の会場で、大量の負傷者が出てそうです」
「負傷者?それはどういう怪我なの」
「救急に入った話では、ガス中毒だと」
「ガス中毒」
これ以上、この看護師は何も知らなかった。彼女を解放した結月は、六芒戦を見ているはずの片桐に連絡した。
『結月。テロだ。何者かがガスを撒き、生徒達が倒れてしまった』
「征志郎や他のみんなは?」
『我々をなんだと思っている。薬草だけは無事だ』
薬草の香りを戦いに使用する薬草師。これを学ぶ学院の生徒達はフェイスシールドを常備していた。制服の襟に付いているもので酸素も備えてある。
『敵は生徒を人質にしている。薬草の生徒はガスに紛れて全員避難済みだ。敵はこれから要求をしてくるようだ』
「私も行きますか」
『いらない。うちの暗部も来るし国軍が来るようだ。また連絡する』
連絡を終えた結月は騒ぐ胸を抑えていた。
……嫌な予感がする。
そしてこの病院に救急車のサイレンが響いた。どんどん車がやってきていた。
「どいてください!ストレッチャー入ります」
「通路を開けてください」
どんどん来る患者。まるで戦争のようだった。そのとき、結月は開いたエレベーターを見た。
……あれは?まさか。
杖をつく男。よりそう女。間違いなかった。
彼女はひっそりと司令官に連絡をした。
「こちら堀しのぶ。監視対象が病院を出ました。六芒戦のテロの目的は陽動です。おそらくJドゥーハンの逃亡が狙いです。私はこのまま尾行に入ります」
監視していたJドゥーハン。結月は静かに後を追って病院を出た。
続
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