駆け出し編集部員と優柔不断作者

柚城佳歩

駆け出し編集部員と優柔不断作者

「あいつが大事に集めてる城のプラモを破壊してでも、蹴り倒してでもいい。どんな手を使ってもいいから部屋にある原稿、どれでもいいから受け取ってこい。いや、奪ってこい」


小さいながらもアットホームな雰囲気の出版社。

その漫画編集部に勤め始めて一週間。

先輩にも恵まれ、仕事にも少しずつ慣れてきた頃、編集長に呼ばれて開口一番そう言われた。


日比谷ひびやわたる。名前くらいは知っているだろう」

「はい。日比谷先生の作品は兄の影響で知って以来、好きで単行本集めてます」


何を隠そう私がここを希望したのも、日比谷先生の作品が唯一掲載されている雑誌を出している出版社だっからだ。


「それなら話が早い。日比谷の描く漫画は何故か妙に人気があるんだが、ここのところずっと休載が続いているだろう」

「やっぱりあの緻密な絵と斬新なストーリーを生み出すのは想像以上に大変なんでしょうね」

「いや、そんな殊勝な心掛けの奴じゃない」


編集長はそこで深ーい溜め息を吐くと、蓄積されたイライラを吐き出すように一息で言い切った。


「……本当にあいつは昔っから優柔不断で気分屋なのに天然の人たらしで、崖っぷちに追い詰められても危機感を抱かないどころか転げ落ちたとしても全く気にしないし、計算なしの世渡り上手で長期休載状態すら読者に容認させやがったんだ」


こんな情け容赦ない事を言えるのは、編集長と日比谷先生が幼馴染みだかららしい。

小学生の頃に出会い、中学高校大学と経て今に至るまで面倒を見続けているというのは何だかすごい。


白石しろいしくんには新しく奴の担当に付いてもらいたいと思っている」

「それはぜひやってみたいですが、入ったばかりの私でいいんでしょうか」

「いや、君しかいないんだ。しばらくは原稿回収を最優先にしてもらって構わない」


思わず首を傾げた私の肩を、前担当だったという先輩が叩く。


「既にうちの編集部全員、日比谷先生に上手い事あしらわれちゃってさ。誰も原稿持ってこれた人いないんだ。力になれる事があれば、元ではあるけど担当仲間として協力するよ」


ならば編集長はどうなのかというと、側にいると昔からの癖でつい世話を焼いてしまい、原稿どころじゃないそうだ。……編集長!




そんなこんなで日比谷先生の仕事場である自宅へと送り出された私は今、壁一面に並べられた城のプラモの横で、なぜかランチを振る舞われ、食後のデザートに手作りのケーキを頂きながら、プロジェクターで投影された最近話題の海外ドラマを観ている。


「……あの、すっかり流されてしまいましたけど、私は原稿を頂きに来たんですよ!」


計算なしの世渡り上手な天然の人たらし。

編集長の言葉を今、身を以て実感している。


「大丈夫大丈夫。原稿なら心配ないから」

「現在進行形で休載されてる方の台詞じゃないんですが」

「僕は趣味が多くてね。つい息抜きを長く取ってしまうんだよ」

「明らかに長すぎです」

「ちなみに今はこのゲームをやっているんだけど」

「私の話を聞いてください」

「すごいんだよこれ。イントロダクションのムービーが映画かって思うくらいにすごく凝っててさ、内容もストーリー性があって、キャラクターの設定も細かいんだ」


これは一度話したいだけ話さないとダメなパターンだ。この数時間で学んだ事である。


「……どんなお話なんですか」

「恋人を殺された探偵が犯人を探し当ててじわじわと追い詰めていく話」


それは面白いのだろうか。

そこだけ聞くとあまり魅力を感じる要素がない。


「きっとエンディングにもめちゃくちゃ拘ってると思うんだ。だから見てみたいんだけど、マイナーすぎてネタバレも攻略法も上がってなくて」

「あのすみません、エンディング云々って、もしかして憶測でやってるんですか?」

「そうだよ。君だって、原稿があるだろうって憶測で来たんだろ。なら似たようなものじゃないか」

「全然違います!私は原稿を頂く約束で来たんです」

「上手い事言うね。座布団一枚」

「いりません!ちなみにクッションもいりませんから今手に持っているものを下ろしてください」


ソファから浮かせ掛けた腰を再び落ち着けた先生は、溜め息とともに一つの提案を持ち掛けた。


「白石さんだっけ。君、このゲーム進めてみる気はある?」

「はい?」

「別に仕事をしたくないわけではないんだ。ただ他に気掛かりがあるとそっちが気になってしまうだけ。今最大の気掛かりはそのゲームのエンディング。だから他の誰かが進めてくれたら……」

「わかりました!それは私が引き受けます」

「ありがとう。これで僕は次の気掛かりである釣りに行く事が出来るよ。ゲームと留守はよろしくね。じゃあまた数日後に」

「え、ちょっと、待ってください!」


玄関扉が無情に閉まる。

確かに仕事を進めるとは言わなかったけれども。

無駄に行動力ありすぎじゃないですか?




何故私は今、他人の家でよくわからないゲームをしているのだろう。この数日通っている間に何度も考えた。

考えたところで答えは出ないので、ゲームに戻る。


兄に付き合って遊んでいたので、格闘ゲームはそこそこ得意な自負があるものの、この手のシナリオゲームは初めてだった。

論理的に考えるのもあまり得意ではないので、ちょっとずつしか進まない。

だけど先生の言ったように、映像や演出は確かに凝っていて、映画を観ているような気分になるのも頷けた。


そうして漸くもう少しでエンディングに辿り着けそうだという頃。

クーラーボックスを抱えた先生が出ていった時同様、唐突に帰宅した。


「ただいまー。白石さんおつかれ様。見て見て大漁!そっちの進捗はどう?」

「おつかれ様です。釣りを楽しめたようで何よりです。こちらももうすぐエンディングまで辿り着きそうですよ」

「本当!すごいね、じゃあ続きはここで見てようかな」

「ご自分でやらなくていいんですか?」

「うん、それ僕には難しいから実はちょっと飽きてきちゃってて」

「……そんなものを人に押し付けたんですか」


時折言葉を交わしながらゲームを進める事数時間。漸く念願のエンディングまで辿り着いた。

先生待望のエンディングムービーは、まさかの選択式で。

『犯人と心中エンド』と『犯人を法の裁きに任せるエンド』。私は迷わず後者を選んだ。


一応の区切りを付けた主人公の探偵は、次の生き甲斐を探して旅に出る。

その先で出会った身よりのない子どもに懐かれ、追い払ってもついてくる子どもをやがて弟子として育てるようになるという、明るい未来を予感させるような終わり方。

在り来たりな結末かもしれないけれど、辿り着くまでの苦労も相俟って、一本の超大作映画を見終わったような心地になった。


「やっと終わったー……」

「本当におつかれ様。ここまでやってくれてありがとね」

「満足されましたか?」

「とても。じゃあ早速だけど仕事の話を始めようか。原稿持ってくるからちょっと待ってて」

「え!」


驚く私を余所に、先生はどこからか一抱えもある紙の束を持ってきた。


「あの、原稿進んでなかったんじゃ……」

「描き溜めてたものならあるよ。ただいくつも展開が思い浮かんじゃって、どの展開で進めるか迷っていただけ」


そう言えば編集長も、別に描かせろとは言っていなかった。


“あいつの部屋にある原稿、どれでもいいから受け取ってこい。いや、奪ってこい”


……なるほど。編集長はこの状況に察しが付いていたんだな。


「あの、ちなみにこれ、今までの担当には?」

「見せてない」

「なんでですか?」

「うーん、気分?」

「なんでですか!」


頭が痛い。そしてそれ以上に言いたい事があった。


「こんなに描き上げているのなら、どうしてもっと早く教えてくれなかったんですか!私だって一読者として、一ファンとしても、ずっと続きを楽しみに待っているんです。世の中にはそんなファンがもっとたくさんいるんですよ!いくつも描きたいものがが浮かぶなんて、それだけですごい事なのに、展開を迷ってるから原稿を渡さないだなんて納得出来ません!」

「……ごめんなさい」


肩を落としてあまりに素直に謝られるものだから、毒気が抜かれてしまう。

本当にこの人は、優柔不断で人たらしだ。


「……まずはどこで迷ってるんですか?」

「えっと」

「一緒に考えましょう。私だけじゃありません。編集部一同、先生を支える気満々ですよ!」


その後の打ち合わせは順調とは言い難かったものの、一番の目的である原稿を受け取る事は出来た。初の大きなミッション達成だ。

そして、今後の展開については。


「選択肢に迷ったら、あのゲームのようにいっそどちらの展開でも進めてしまいましょう!パターンAとパターンBそれぞれ載せるのもありかもしれないですし」

「それは迷わなくてすみそうだけど、僕の負担が大きくない?」

「何言ってるんですか。これまで長い間休んでいた分、今度はたっぷり働いてもらいますよ!大丈夫です、もしもまた描き溜めるためにしばらく休載ってなっても、もうみんな慣れて驚きませんから」

「それは、どうも……」


駆け出し編集部員と優柔不断な作者。

途中で展開が分岐する今までにない作品を、私たちが読者に届けられるようになるのは、あともうちょっと先。





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