第10話 INTERVAL OBVERSE
その日は強い雨が降っていた。
暗い雨雲が人々を不安にさせ、激しい雨音が街行く人たちの焦燥感を駆り立てる。そんな日。
「ごめんね」
一人の女性は泣いていた。
少し窶れて見える頬を伝う水滴。雨と涙が混じったその水滴は、一向に止まる気配を見せない。
どのくらいの間そうしていたか。
「本当にごめんね」
しゃがむ女性は、可愛らしい合羽を着た子どもを最後にギュッと抱きしめ、それから小さな肩を掴み、その子の瞳を真っ直ぐに見つめて言った。
「ここには優しい神父さんがいるから。その人の言うことをちゃんと聞いて、元気に真っ直ぐ育つんだよ」
「はい」
女性の言葉を理解しているのかいないのか。
子どもはコクリと頷く。
それに女性も頷くと、子どものおでこにそっと口付けを残し、傘も差さずにどしゃぶりの街へと消えた。
その弱り切った背中が、マテナが最後に見た母親の姿であった。
どのくらいの間そうしていたか。
母親の姿は闇に消え、母の匂いは雨水と共に流れ。
小さな合羽をマントのように翻して、マテナは街に背を向けた。
段々と弱まっていた雨は、その頃にはピタリと止んでいた。
「すみません。誰かいますか?」
母の想いが詰まった「箱」を大事に抱えて、マテナは神殿の扉を叩いた。
「なんだお前?」
マテナを出迎えたのは、体格の良い少年であった。
何故か上裸のその少年。ポセイドゥンは、マテナを見下ろして首を傾げる。
「ここで暮らせと、母に言われました」
「・・・そうか。よし入れ」
その歳の頃とは思えない丁寧な物言い。
抱える箱と赤く腫れた小さな瞳を一瞥し、ポセイドゥンは多くを語らず、マテナを神殿に招き入れた。
通された広間には、ポセイドゥンの他に二人の少年少女がいた。
「なんだ、新入りか?」
その内の一人。右目の傷が痛々しい少年、ハテスが声を掛ける。
「ここで暮らせと、母に───」
「やったー!女の子だ!」
もう一度説明をしようとするマテナの声を、少女の明るく元気な声が遮った。
「私、パラス!貴方は?」
「マテナ、です」
「マテナ!よろしくね!」
パラスという少女が、マテナに向けて小さな手を差し出す。
そばかすが特徴的で、髪をおさげにした可愛らしい女の子だ。
その背丈から、マテナと同じ歳の頃だと推測できる。
「よろしくお願いします」
「そんなお堅いのはナシよ!よろしく!」
「よ、よろしく」
小さな手を握り返して、マテナはまだ少し硬い笑みを溢した。
その笑顔は、長かった夜と夜明けを同時に感じさせるもの。
喩えるならば、滴る朝露に太陽の光が反射する草花のようで。
幻想的で美しい。一つの絵画のようだった。
それからマテナは、主にはハテスから神殿の現状について話を聞いた。
どうやら、マテナの母親が言っていた神父はここにはいないらしく、なんと子どもたちだけで生活しているそうだ。
話によると、神父は数年前に起きたとある事件で失踪したらしい。
その事件を機に、神殿に住んでいた多くの子どもたちは別の場所へと離れた。
今もここに住んでいるのは、ポセイドゥンとハテスとパラス。それから今は旅に出ているらしい二人組を合わせた、計五人だけらしい。
資金はどうしているのかと尋ねたところ、一年に一度開催される、ある大会の賞金で生活しているとのことだった。
何でも彼らは国の代表で、肆ノ国はその大会の常勝国らしい。
「と、こんなとこかな」
一通り語り終えたハテスが、一息ついてお茶を飲む。
俄かには信じがたい話の連続に、表情には出さずともすっかり目を回すマテナ。
そこに、パラスが追い打ちをかけた。
「ねーねー!マテナはもう転生してるの?」
「え、いえ。まだです」
「もー!また堅いよ!」
「すみま・・・あ!」
「ふふっ。マテナは面白いね!」
恥ずかしそうに顔を赤らめるマテナに、パラスは可笑しそうに笑った。
それから視線を少し下にずらして続ける。
「ねー、その箱は何?」
それは、マテナが大事に抱える箱を指しての言葉だった。
「転生の日に開けなさいと、母がくれたもの、だよ」
「ふーん」
この国では「転生の日」と呼ばれる、才を授かる10歳の誕生日。
マテナの母親は、その日に開けるようにとメッセージを残して、この箱を娘に授けたのだ。
「転生、楽しみだね!」
「・・・うん」
どこか浮かない顔のマテナ。
その意味をいち早く察したパラスは言う。
「大丈夫!私たちはもう家族だよ!」
「かぞく?」
「そう!私は一足先に転生したから、少しだけお姉ちゃんだね!」
ニッコリと笑うパラスに、頷くハテスとポセイドゥン。
それらをぐるりと見回して、マテナも一足遅れて笑う。
家族。その響きは、マテナの乾ききった心の奥深くに、一滴の潤いをもたらした。
神殿での生活は、マテナにとって夢のようであった。
お金に困っていないという話はどうやら本当らしく。食べ物には困らなかったし、本などの娯楽も溢れていた。
敷地も広く、一人一部屋が与えられ、その他にも自由に使えるスペースが多々あった。
ハテスは動物の飼育。ポセイドゥンは銭湯など。
各人がそれぞれのスペースで趣味に興じるなか、マテナの興味を惹いたのは、武器庫だった。
新旧様々な武器が揃ったその部屋に、マテナは毎日のように籠るようになる。
「なんだ?武器が好きなのか?」
ある日。風呂上がりのポセイドゥンが、武器庫のマテナを見つけて声をかけた。
「はい。父が集めていたものが家にあって。生活に困ってほとんど売ってしまいましたが・・」
「・・・そうか」
ポセイドゥンは少し寂しげな表情をし、そのまま武器庫へと足を踏み入れた。
「お前もそれが好きなのか?」
マテナの熱心な視線を集めていた槍たちを指差し、ポセイドゥンが尋ねる。
「はい。槍が一番かっこいいです」
「だよな!武器は槍に限る。槍の中でも一番は・・」
「ランスですよね!」「トライデントだよな!」
二人の表情が一瞬固まり、次いで顔を見合わせる。
「おいおい、冗談だろ?あんな面白みのねえ形のどこがいいんだ?」
「そっちこそ冗談ですよね。三又なんて邪道中の邪道です」
「そこがカッコいいんだろうが!第一王道はつまらねえんだよ!」
「王道はかっこいいから王道なんです!」
片や情熱的に、片や冷静に。
二人はいがみ合い、やがてそっぽを向いた。
「おいおい。何の騒ぎだ?」
そこに騒ぎを嗅ぎつけたハテスがやって来る。
「丁度いいとこに来た。ハテス、お前はトライデントだよな!」
「ランスですよね!」
ぐいぐい来る二人に、ハテスは状況を把握し、首を振る。
「俺の相棒はバイデントだ」
「かぁー!一本取られたぜ!」
ハテスがニヤリと笑って告げ、それに合わせてポセイドゥンが豪快に笑う。
そんな何気ない日常のやり取りに、マテナもくすくすと笑った。
神殿での生活にも慣れてきた頃。
マテナは、神殿内にある農園でパラスを見かけた。
「パラス?何してるの?」
しゃがむパラスの背中に声をかけると、その肩がビクッと震えた。
「な、なんでもないよ!」
慌てて立ち上がり、振り向くパラス。
その目は右に左に面白いほど泳いでいる。
「パラス?」
「あ、そうだ!今日は買い出しの日でしょ!さあ、行こ!」
「う、うん」
マテナをくるりと回転させ、「レッツゴー」とパラスが背を押す。
マテナはパラスの反応が気になったが、秘密を探るのも悪趣味だと考え、一度忘れることにした。
それから、マテナとパラスは街に出た。
神殿の家事は当番制で、今日は二人が食事の担当なのだ。
「おじちゃん!お魚ちょうだい!」
「あいよ!パラスちゃん今日もおつかいかい?偉いね!」
「偉いでしょ!おまけ付けてくれても良いんだよ!」
「ハッハッハ!いいよ!親御さんによろしくね!」
「ありがと!」
魚屋の店主が、おまけの魚も一緒に袋に詰めて、パラスに渡す。
パラスは可愛らしい笑みを浮かべて受け取った。
すっかり街に馴染んだパラスを遠巻きに眺めながら、マテナは無意識の内に母親の姿を探していた。
今もこの国の何処かで生きているのだろうか。
私は元気にやってるよ。叶うなら、たった一言そう伝えたい。
「お待たせ!どうしたの?」
「ううん、なんでもない。行こ」
戻ってきたパラスの手を引いて、マテナは神殿に戻る。
年相応の可愛らしい笑みを浮かべて。
マテナが神殿を訪れて半年。
この日はマテナの10歳の誕生日。
すなわち「転生の日」であった。
「セウズ達は戻らなかったか」
「そうだな。そろそろ帰ってくる頃だと思うが」
マテナを「転生の間」へと案内しながら、ハテスとポセイドゥンが言葉を交わす。
転生の間とは、肆ノ国にて転生の日を迎えた者がその刻を過ごす場所であり、神殿の入り口から真っ直ぐ伸びる通路の先にある。
街の子どもが向かう様子を何度か見かけたマテナであったが、いざ自分の番になると相応の緊張が身を包んだ。
「大丈夫だよ、マテナ!リラックス!」
「うん」
パラスの言葉に頷き、マテナは一人、転生の間へと入っていった。
「ハテス!ポセ!大丈夫かな!?」
「落ち着けパラス」
「お前がそんな調子でどうする」
パラスが心配するのも無理はない。
マテナが転生の間に向かってから既に30分が経過。
マテナが母親から聞いていた時間が間違いでないなら、とっくに転生していておかしくない時間だ。
「ちょっとだけ覗いてもいい?」
「ダメだ。才の定着が不完全だと、思わぬイレギュラーの要因になるからな」
「緊急事態なら話は別だが───」
その時。
「キャーー!」
ポセイドゥンの言葉を遮るかたちで、転生の間から悲鳴が聞こえてきた。
「「どうした!!」」
転生の間の扉を勢いよく開き、ハテスとポセイドゥンが同時に声を張り上げる。
少し暗く感じる室内。広い部屋の中央には蹲るマテナの姿が。
して、天井にはびっしりと無数の武器がぶら下がっていた。
すぐに大方の検討をつけたハテスとポセイドゥンは、同時に才を発動し、バイデントとトライデントを取り出す。
しかし、
「なっ!どうなってやがる!」
「しくじったか」
彼らの武器も、手を離した風船のように天井へと吸い込まれていった。
座標を司る武器が無くては、才の細かな操作は難しい。
対戦時ならともかく、今回のような救出時においては、味方を巻き込む可能性が高く、致命的だ。
「私がやる」
パラスが、ハテスとポセイドゥンの背中を掴み、部屋の外へと引っ張る。
それから、マテナに向けて大声で叫んだ。
「マテナ!もう少しこっちに来れる?」
「だ、だめ!少しでも気を緩めると武器が落ちてくるの!」
その言葉を裏付けるように、マテナの後方に斧が落ちる。
「ひっ!」と、短い悲鳴をあげて、マテナは再び蹲った。
「マテナ・・・」
少しの思考時間の後。パラスは駆け出していた。
「あの野郎。無茶しやがって・・」
「いざとなれば俺たちも行くぞ」
ポセイドゥンとハテスが、入り口から心配そうに見つめる。
転生の日に、授かったばかりの才が暴走するケースは少なくない。
これを止める時だが、暴走は感情の起伏によって悪化するケースが多いため、対象者を刺激しないようにすることが大事だ。
つまり、大勢で救出に行くのは逆効果になり得る。
単身救出に向かうのなら、マテナと一番親交の深いパラスが一番の適任だったといえるだろう。
「マテナ、今行くよ!」
「ダメ、危ないから来ないで!」
マテナの叫びに合わせて、今度は剣が落ちてくる。
武器好きのマテナは、武器の怖さをよく知っていた。
怪我をした経験も数えきれず、恐怖がマテナの心を染め上げていく。
パラスが近づくにつれ、彼女を傷つけたくないという想いが強くなる。
その想いに反して、落ちる武器の数も増えていった。
「・・・・・」
マテナとパラスの距離は残り数メートル。雷雨のように降ってくる武器。
今は離れた場所に降るだけのその雨も徐々に近づいており、これ以上近づけば、マテナもパラスも危険と思われた。
「・・・・・よし」
その状況下で、パラスは何やら決心した。
「マテナ、聞いて」
「・・・・なに?」
「私が農園で何かを育ててたの知ってるでしょ?」
「・・・うん」
「あれね。毒、なの」
「毒?」
「そう、マテナにこっそり飲ませようと思って育ててたの」
「・・・・・え?」
思いがけないパラスの言葉に、マテナは顔を上げる。
「マテナが来る前は私が一番年下で可愛がられてたのに。マテナが来てからは、ハテスもポセもマテナばっかり。正直言って、邪魔だったの」
「・・・そんな」
マテナの絶望に呼応して、武器の雨足が強くなる。
「マテナなんて妹でもなんでもない。マテナは私から大事な家族を奪った。マテナを家族と思ったことなんて一度もないんだから!」
「う、うそだ!」
耳を塞ぐマテナの悲痛な叫びは、次いで降り注いだ武器の雨音によって、搔き消された。
「おい!どうなった!」
「二人は無事か?」
入り口からポセイドゥンとハテスが叫ぶ。
いつでも飛び込めるように準備していた二人だが、突如天井の武器が一斉に降り注ぎ、タイミングを逃したのだった。
巻き起こる砂埃が晴れた頃。
そこには対照的な二人の少女の姿があった。
「・・・・パラス?」
無傷の少女、マテナは呆然とした様子で呟いた。
その目前には、武器の雨に打たれ、倒れる背中には大きなランスが刺さった、パラスの姿があった。
「「パラス!!」」
異変に気付いたハテスとポセイドゥンが、慌てて駆けつける。
時を同じくして、マテナの頭上を守っていた白い盾が、力尽きたように地に落ちた。
ポセイドゥンがランスを引き抜き、ハテスがパラスの体を起こす。
「無事で・・よかった・・・」
薄れる視界に、茫然とした顔でこちらを見るマテナを捉え、パラスは笑った。
「どう・・して・・・?」
焦点の合わない目でマテナが問いかける。
「マテナは大事な家族、だからだよ・・・」
パラスはそう言い残し、静かに目を閉じた。
それから先。パラスが目を覚ますことはなかった。
「間に合わなかったか・・・」
遅れてやってきた男。
セウズは、珍しく動揺した顔で呟いた。
その横にはもう一つの人影。
その人物は、被るフードの奥でギュッと目を閉じた。
それからマテナは、全てを知る男セウズから、真実を聞いた。
武器の雨からマテナの身を守った盾は、パラスの才によって生み出されたモノ。
その盾は、全てを跳ね返す鉄壁の盾らしい。
強力な性能故に制約が強く、その発動条件が難しい。
それというのは「こちらは対象者を信じ、対象者にはこちらを疑わせる」というものだ。
マテナ救出の際。パラスはこの条件を達成するため、嘘をついた。
マテナを助けるための、優しい嘘を。
発動に成功した盾を、パラスはマテナの頭上に展開。武器の雨から、マテナを守ったのだ。
して、彼女がついた嘘の本当のところであるが、彼女が農園で育てていたのは、毒草なんかではなく、オリーブの苗木であった。
肆ノ国の一部では、転生の日に苗木をプレゼントする習わしがあることを、パラスは街で耳にしたことがあった。
妹のように想っていたマテナのため、パラスは誕生日プレゼントとして、秘密裏にオリーブの苗木を用意していたのだ。
「そうだったんですね・・・」
全てを知ったマテナは、暫くの間自室に引き籠もった。
彼女の嘘が、私の命を救った。
彼女に向けた一瞬の疑いが、彼女の命を奪った。
様々な感情が頭を巡り、どうしても塞ぎ込んでしまう。
そんな時、マテナはふと、「箱」の存在を思い出した。
それは、転生の日に開けなさいと、母が授けてくれたものだった。
机に置いておいたその箱を、マテナはゆっくりと開く。
「これは・・・」
その中には兜とマント、それから一枚の封筒が入っていた。
マテナはそれを手に取り、そうっと封を開けた。
『親愛なる娘へ。
10歳の誕生日おめでとう。
直接祝うことが出来ない母をどうか許して下さい。
神殿での生活はどうですか?
元気に過ごせているでしょうか?
こうして文を書いている今。
横で眠る貴方の寝顔を見て、私は既に泣きそうです。
貴方のこれからの人生が、
光り輝く眩しいものであることを願って。
ささやかながら贈らせて貰いました。
大事な頭を守り。
貴方が信じると決めたものを背負い。
力強く生きてください。
母より』
封筒の中に入っていた手紙を読み終えたマテナは、箱に一緒に入っていた、少し大きめの兜を被った。
両目から溢れる涙を隠すように。
それからマテナは、肆ノ国代表の一員として『TEENAGE STRUGGLE』に出場するようになる。
兜を被り、オリーブの刺繍の入ったマントを羽織って。
母の想いを頭に。親友の想いを背に。
信じる心という、何よりも強い武器を胸に。
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