第5話 ORDEAL OF SKY


壱ノ国の北西に当たる場所には「風翁山」と呼ばれる山がある。

頂上付近は雲にかかる、国内で最も高い山だ。


それは、壱ノ国にてシンボル的な役割を担っているのだが、その標高と針のように尖った形状から登山に利用されるケースは少なく、登頂者は年に数人しかいない。


遭難者も後を絶たないこの山は別名『死山』とも呼ばれ、泣き止まぬ子どもも「死山に連れていくよ!」と言えば泣き止むほどに、壱ノ国の民にとっては恐怖の象徴として知れ渡っていた。


「ここは・・・」


そんな風翁山の山頂に、やたら軽装な若者の姿があった。

その人物とは、透灰李空その人である。


「・・・酸素が薄い?」


情報を一瞬でインプットし、それをプロセッシング。環境に適応するように呼吸の方法を変える李空。

それは登山家が用いるような、高山病を抑えるための呼吸法であった。


さて、なぜこのような場所に李空がいるのかであるが、答えは簡単。

海仙人の家のゲートがここに繋がっていたからだ。


陸仙人に落とされた時と同様、今回のゲートもその先にまたゲートといったように繋がっており、最終地点がこの場所であったというわけだ。


「ここが次の会場、なのか?」


例に倣えば、この近くに次の仙人が待ち構えているはずだ。

そのような人物はいないかと、辺りを見渡す李空。


「絶対あれだ・・・」


その視界の隅に、明らかな違和感を捉えた。


「・・・・・・・」


人がいる時点でイレギュラーな環境。

極寒と呼んでも差し支えない山頂で、その翁は白のタンクトップ姿で気持ちよさそうに眠っていたのだ。


それだけならまだ良かった。

さらに、翁は宙に浮いていた。


まるで見えないハンモックがそこにあるように、翁は空中でスヤスヤと寝息を立てている。


、か」


己の才『オートネゴシエーション』によって、翁の才の概要を知った李空は、一人納得する。


翁の才は『スパイラル』という名であり、風を操る能力だ。

全盛期は台風顔負けの風力で相手を圧倒していたそうだが、今となっては、こうして自分の体を数センチ浮かすほどの力しか残っていない。


それでも、こうして寝ながら才を正確に制御できているという事実は、この翁が最後の三仙人であることを証明するに十分であった。


「時間も無いし、申し訳ないけど起きてもらうか・・・」


こうして修行の集大成となる最後の試練は、眠る担当仙人を起こすことから始まったのだった。



「・・・・・ん。よく寝たのう」


風翁山の山頂で、一人の翁が目を覚ます。

自由気ままなその生活は、自然との共存を思わせるものであった。


「・・ん?誰じゃ?」


視界に見覚えのない青年の姿を捉え、問いかける。


「・・おはようございます。よく寝てましたね・・・・・」


その青年。李空は、少しやつれた顔でそう言った。


朝が弱いルームメイトのおかげで、李空は人を起こす機会に恵まれていたが、この翁の難易度はレベルが違った。

あらゆる策に反応はなく、周りの景色と相まって死んでいるのではないかと疑ったくらいだ。


「風の布団で外の情報を遮断しておったからの」


何気ない調子で翁が言う。

翁は、己の才『スパイラル』で体の周りに風の膜を張り、音や衝撃を一切届かないようにしていたのだ。


「あー、思い出したぞい。お主がとーかいなんちゃらじゃの?」

「透灰李空です。あなたが最後の仙人ですね?」

「いかにも。わしは三仙人が一人。その名を空仙人である」


立ち上がり、名乗る空仙人。

その体は依然数センチ浮いており、白のタンクトップと空が近い環境から、人間を超越した存在感が溢れ出ている。


「浮いてるのって、才の能力ですよね?」

「いかにも。出来ることは随分と減ったが、まだまだ現役じゃ。ほれ。こうして縄跳びも無限に跳べるぞ」


何処からか縄を取り出し、縄跳びを始める空仙人。

といっても、体が浮いているのだから跳ぶ必要がなく、腕を回しているだけである。


「それがどうした」と、冷めた視線を送る李空に気づき、空仙人は程よいタイミングで縄を近くに放った。


それから気を取り直すように咳払いを一つ。


「さて、それでは早速最後の試練『空ノ試練』の準備に掛かるかの」

「インプット、プロセッシングと来たから、今度はいよいよアウトプットですよね?」

「いかにも。今までの2ステップはいわば準備段階。サイストラグルにおいて最も重要なのが、このアウトプットじゃ」


アウトプット(出力)は、いうなれば「攻撃」と同義だ。

闘いにおいては、この威力や精度、相性を含めた「質」が高い者が、勝利を手にすることになる。


「なるほど。それで何をすれば良いんですか?」

「瞑想じゃ」

「瞑想?」

「いかにも。押さえつければ押さえつけるほどバネが強く跳ねるように、人も高く跳ぶには溜めがいる。『静』と『動』。すなわち、高い火力を出すためには、一度『無』の状態をつくる必要があるわけじゃ」

「はあ。なるほど・・」


説得力のあるようなないような言い分に、李空は困惑気味に頷く。


「まあ、やってみるのが手っ取り早いわい。座禅を組み、目を瞑るのじゃ」


言われるがまま、李空は指定のポーズを取る。


「よし。そのままわしが合図を出すまで瞑想を続けるんじゃ。おっと、それから一つ。『無』の状態に成功すると、稀に才が語りかけてくることがある。その時は静かに耳を傾け、素直に受け答えするのじゃぞ」


空仙人の言葉に頷き、李空は意識を集中する。


元より集中力に定評がある李空は、段々と意識が乖離していく感覚を肌で感じ取った。




一方、こちらは壱ノ国代表事務所地下。


中央に設置されたリング上には、己の才『ケルベロス』の三匹目の調教に挑む壱ノ国代表の一員、犬飼みちるの姿があった。


「また、ダメか・・・」


低く唸るような声を喉の奥から絞り出し、びっしょりと汗をかいたみちるが項垂れる。

どうやら、調教の成果は芳しくないようだ。


そこに、文字通り一筋の光が差す。


「うまくいってないみたいだな」


地下室の上にある畳を剥いで顔を出したのは、壱ノ国代表監督役の剛堂盛貴であった。


「主人の言うことを全く聞かないえ〜る!」

「主人にも体を休めるように言ってほしいあ〜る!」


人形を嵌めたみちるの両手、「える」と「ある」の二匹が剛堂に呼びかける。


それに剛堂は苦笑で返すと、階段を降りてリングに上がった。


「相手役がいた方がイメージがしやすいだろ?付き合うぞ」

「それは助かるえ〜る!」

「けど、大丈夫あ〜る?」

「なに、俺だってついこの間まで現役だったんだ。『受け』だけなら何の問題もないさ」


10年毎に才の質が下がる「繰り上がり法則」によって、引退を余儀なくされた剛堂。

しかし、鍛えられた肉体は今も現役であり、練習相手くらいは訳ない自負があった。


「遠慮はいらない。かかってこい」

「・・・後悔するなよ」


みちるの喉元からは鋭く睨みを利かし、剛堂に襲いかかった。




一方の一方、こちらは「風翁山」とは別の山。


イチノクニ学院から陸仙人の家へと向かう道中に当たる山の頂には、大きめの石の上で座禅を組む若者の姿があった。


「やっぱりここだったでありんすか」


背後から、女性の声が響く。

その声に石の上の若者、壱ノ国代表将の軒坂平吉はうんざりとした表情で振り返る。


「集中しとるとこに話かけんなや」

「あちきの声が聞こえとるいうことは、集中できてない証拠でありんす」


その女性、借倉架純の言い分に、平吉は困ったように苦笑を浮かべた。


「相変わらず痛いとこ突くのが上手な女やで」

「最高の褒め言葉でありんす」

「はあ。それで、何しに来たんや?」

「試合の前に確認しておきたいことがあるんよ」


声色を真剣なものに変化させて、架純が言う。

その雰囲気に、平吉も顔つきを変えた。


「なんや?」

「平ちゃんが闘う理由を知りたいでありんす」

「闘う理由、やて?」

「そうでありんす。平ちゃんが、こんなに自分を追い込んでまで闘う理由を知りたいんよ」

「それは・・・」


言いかけて、平吉は言葉を詰まらせる。


「いや、それはまだ言わんとくわ」

「なんででありんす?気になるでありんす!」

「えーい、うるさい!この話はしまいや!」


詰め寄る架純を遇らい、平吉は石の上から下りると、静かに歩き出した。


「まだ話は終わってないでありんす!」


頬を膨らませながら、架純が背中を追いかける。


「こういうのは勝ってから言わな格好がつかんのや」


架純に聞こえないように、一人呟く平吉。


珍しく焦りの色を含んだ平吉の顔が少し紅潮していることに、背後の架純は気づかないのであった。





『我ガ主人ヨ。聞コエマスカ?』

「・・・だれ・・だ?」

『私ハアn・・・アナタノ一部デス』

「俺の一部?」

『ハイ。私ト主人ハ二人デ一人。主人ガソコニ存ル間、私モココニ存在シ得ルノデス』

「はあ」

『私ノ声ガ届クコノ貴重ナ時間ニ、主人ニ伝エテオキタイ事ガアリマス』

「伝えておきたいこと?」

『ハイ。制約ニヨリ詳シクオ話スルコトハ叶イマセンガ、大地ガ動キ出シヤガテ静マル時。零カ壱カ、人ハ選択ヲ迫ラレマス』

「・・・何を言ってるんだ?」

『主人ノ反応ハ尤モデス。デスガ、コレハ変エルコトノ出来ナイ事実。ドウカコノ事ヲ頭ノ片隅ニ置キ、選択ヲ間違エナイデ欲シイノデス』

「よく分からないけど、分かったよ。覚えておく」

『アリガトウゴザイマス。ソレカラモウ一ツ。コレハ私ノ我儘デスガ、ドウカヲ救ッテ欲シイノデス』

「あの人って誰だよ?」

『ソレハ言エマセン。シカシ、アノ人ニモ想イガ、考エガ、過去ガアルノデス。無理ヲ言ッテイルノハ承知ノ上。デスガ、ドウカソレラヲ蔑ロ二、アノ人ヲ見捨テナイデ欲シイ』

「・・・・・その人が好きなのか?」

『・・・ソウデスネ。愛シテイマス』

「それなら答えは決まってるな」

『救ッテクレルノデスカ?』

「ああ。好きだから、理由はそれだけで十分だ」

『アリガトウ、

「やっと、通ったな」

『エ?』

「いや、なんでもない。これからもよろしく頼むよ。相棒」

『フフッ。主人ハ面白イ人デスネ』

「そうか?キャラが濃い人たちに囲まれてるから、あんまりピンと来ないけど・・」

『自分ニ自身ガ持テナイノデスカ?』

「・・・ああ。俺なんかに大役が務まるのかな?」

『大丈夫デス。主人ハ誰ヨリモ心優シイ方。主人ノ優シサハ、既ニ多クノ人ヲ救ッテイマス。優シサハ強サノ証。自分ヲ信ジテ』

「・・そっか。な」

『フフッ。コチラコソデス』





「風翁山」山頂。


「・・・さて、そろそろ時間かのう」


宙に浮いたままうたた寝をしていた空仙人が片目を開き、そのまま李空の方へと向かう。


「ほう。わしの『気』を察したか」


座禅を組み、瞑想を続けていた李空がタイミング良く目を開き、それに空仙人が少なからず驚きを見せる。


「気分はどうじゃ?」

「・・・妙にすっきりしたというか、体が軽いです」

「そうか。『声』は聞こえたかの?」

「はい。話は半分くらいしか理解できませんでしたけど・・」

「ふむ。才の声が聞こえる者は稀な上に、その内容はバラバラじゃ。じゃが、何らかのヒントになっておることが多い。記憶の片隅に置いておくんじゃな」


次に空仙人は李空の全身を睨め回し、ふむふむと頷くと、「ごほん」と咳払いを一つ。


「どうやら完了のようじゃの」

「え?もう試練をクリアしたってことですか?」

「何を言うとる。準備が整ったという意味じゃ」


そう言うと、空仙人は己の才『スパイラル』の風によって李空の体を持ち上げ、そのままゆっくりとした動きで位置を移動させていった。


「あの・・何か凄く嫌な予感が・・・」


やがてその位置は、山とは呼べない場所まで離れた。

それすなわち、地上まで何の遮蔽物のない上空へと躍り出たことを意味する。


「これより始めるは『空ノ試練』。クリア条件はただ一つ。生きて地上に戻ることじゃ」


その言葉を合図に、李空の体を持ち上げていた風は蜘蛛の子を散らすように霧散。

支えを失った李空の体は、壱ノ国にて最も高い標高を誇る山。『死山』と同じ高さから、地上目掛けて真っ逆さまに落ちていく。


「やっぱりいいいぃぃぃ・・・」


李空の虚しい山彦が辺りに響いた。




「風翁山」ふもと。


そこには延々と広がる緑。俗に言う樹海が広がっており、その一画に今にも死にそうな、一人の男の姿があった。


「ご、ござる・・・・」


その人物とは、李空のルームメイトである伊藤卓男その人である。


スマホの壁紙という、実に分かりづらい置き手紙を残し、寮を後にした卓男。


彼は、先日発覚したと向き合うため、いわゆる自分探しの旅に出ていたのだが、その途中で遭難していた。


元より一日二日で帰るつもりであり、スマホも寮に置いてきていた卓男は、シンプルな食糧難により、生気を失っていた。


足元はおぼつかず、目は虚ろ。

そしてまさに今。力は尽き、ドサッと音を立てて地面に倒れこんだ。


「来世は・・ハーレム主人公に生まれ変わるでござる・・・・・」


最後の力で仰向けになり、弱々しく右手を空に伸ばし、戯言をぽつり。


「・・・・・・ん?」


その手の先に小さな点を確認し、卓男は声を漏らす。


それはどうやらこちらに向かって落下しているようで、小さかった点はどんどんと大きくなっていく。


「まさか、見知らぬ美少女が降ってくるパターンでござるか!?」


突然舞い降りた不可思議な現象に、卓男は声を荒げて目を見開き、死にかけの人間とは到底思えぬリアクションをみせる。



一方、落下している側。

その正体を透灰李空は、徐々に近づく地上に焦る心を必死に抑え、生き残る術を模索していた。


(いきなり落とすとか非常識すぎるだろ!けど空仙人は生きて戻ることが『空ノ試練』のクリア条件だと言った。つまり『アウトプット』に成功すればこの状況を打破できるということ・・・)


思考を巡らせる李空の頭に、記憶の中の声がフラッシュバックする。


”自分ニ自身ガ持テナイノデスカ?”

”大丈夫デス”

”自分ヲ信ジテ”


「ああ。今なら何でも出来る気がするよ」


地上までの距離も残り僅かとなった頃。

李空の身体を、ふんわりと優しい風が包み込んだ。


それは落下の速度を緩め、パラシュートの役目を担う。

それでも完全に勢いを殺すことは叶わず、まあまあのスピードを保ったまま、李空の身体は地上へ。


着地の瞬間に重力とは逆の力がぶわっと働き、衝撃を最小限のものにして、李空の体は地面に打ち付けられた。


「いてて・・・」

「・・え!マイメん!?」

「その声は・・卓男?」


そして、二人は再会する。


「どうしてこんな所にいるんだよ?」

「それはこっちの台詞でござる!もしかして拙者を救いに!?」


仏でも見るような潤んだ瞳をこちらに向ける卓男。


「いや、普通に違うけど」

「ザ・無関心!?」


そんなルームメイトをバッサリと切り捨てて、李空は改めて現状を整理する。


「なんでお前がここにいるのかは興味ないからいいや。ところで今日は何日だ?」

「ひどい!?えーと、日付は分からないけど、確か僕が寮を出てから一週間くらいだよ」

「・・・・は!一瞬間!?」

「うん。遭難してて曖昧だし、スマホは寮に置いてきたから正確な日付は分からないけど・・」

「俺も、携帯の充電はとっくに切れてるしな・・・」


卓男の話が事実であれば、李空は「風翁山」の山頂で何日も瞑想していたことになる。

言われてみれば、相応の空腹感がある気もしてきた。


もしも、自分の認識と実際の日付に数日の誤差があるのなら、最悪の場合『TEENAGE STRUGGLE』決勝戦に間に合わない。もしくは既に終わっている可能性も。


「いや、仙人たちは剛堂さんからその辺の話も聞いていたはず。だとすれば、きっと間に合うように日程調整がされている・・・よな?」


思い直すと、三仙人は三人が三人ともどこかおかしかった。

完全に信用してしまうのは危険だ。


「卓男!急いで帰るぞ!」

「でも、道が分からないよ」


そう、ここは緑が支配する樹海。

普通の人間は右も左も分からなくなる、そんな場所だ。


「風の向きに動物たちの生活の跡・・・こっちだ」


しかし、『インプット・プロセッシング・アウトプット』の3ステップを極めた李空は、樹海が提示する僅かな情報を見逃さず、一本の帰り道を探し当てた。


「マイメん!僕は、拙者は、一生君について行くでござるですよ!!」


そんなルームメイトの後ろ姿に羨望の眼差しを向けて。


自分探しの旅にすっかり遭難した卓男は、どっちつかずの言葉遣いで後に続いた。

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